昼尚暗い森の奥深く、陰鬱としたそのお屋敷には近寄る人もいません。道に迷った旅人がやって来ることもありましたが、人の気配すらない荒んだ様子と、時折聞こえる獣のような咆哮に恐れをなして慌てて立ち去るのが常でした。
ちょっとお屋敷の中を覗いてみましょう。もう長いこと人が住んでいないように見えます。埃にまみれ所々壊れた家具や色あせてあちこちが綻びているカーテン、窓ガラスも汚れて曇っています。お屋敷の一番奥深くにある、厚いカーテンの引かれた薄暗い部屋の中に、不思議な色に輝く一輪のバラの花が見えます。まるで外からの刺激を警戒するかのように、ガラスケースに収められたバラの花びらが、一枚はらりと零れ落ちました。どうやら、バラはその使命を終えるときを迎えているようです。
森の傍にあるワンガン村の食堂に、あちこち擦り傷だらけで、ひどく怯えた様子の男が飛び込んできた。店に入った後も、何度も入口の方を振り返っては額の汗を拭っている。
「いらっしゃい。どうしなすった?」
店の奥から出てきた主が、水の入ったグラス差し出すと、男は奪い取るようにしてそれを飲み干してしまった。男の只ならぬ様子に、主が禿げ頭を撫で上げながら言った。
「お前さん、森の中のお屋敷へ行ったね。」
「ど、どうしてそれを?」
再び入口の方を気にしていた男が、弾かれたように振り返った。
男の言葉に、主は顔を顰めて溜息をついた。
「やっぱりな。大丈夫。あそこで見かけた奴は森の外まで追って来やしないよ。」
「本当かい?助かった・・・・。」
男は安心したように椅子に深く背中を預け、主がもう一度グラスに注いでやった水を半分ほど飲み干して、深く息をついた。
「いや、ホンテン町で一稼ぎしてさ、帰るのに森を迂回すると遠回りになるんで抜けていこうと思ったんだ。町じゃあもうすぐ日が暮れるから森へ入るなと言われたんだが、病持ちの女房が待ってるもんだから、少しでも早く帰りたくてね。そうしたら霧が出てきて、あっという間に自分がどっちへ向かって歩いているのかも分からなくなっちまった。そのままぐるぐる歩き回っているうちに、でかいお屋敷の前に出たんだよ。人の気配も無いし、誰も住んでいないんだろうと思ってさ、霧が晴れるまで玄関先でちょいと休ませてもらおうと思ったんだよ。そうしたら、人の住んでない家ってのはただでさえ気味悪いのに、奥の方から恐ろしい獣のような吼え声が聞こえてさぁ。気のせいかとも思ったけどなんだか怖くなって外へ出ようと振り返ったら、目の前にでかい化け物がいたんだ!全身毛むくじゃらで大きな牙と爪があって!!それが唸りながら近づいてきて、生きた心地がしなかったね。腰が抜けちまってうまく立てないもんだから、這うように外へ転がり出て、後は無我夢中さ。化け物が後を追って来てる気がして、どこをどう走ったか全然覚えてないんだが、森を抜けたところでこの店が目に入ったんで飛び込んだんだよ。」
そこまで一息に喋るとグラスに残っていた水を空けた。
「なんなんだい、あの化け物は?」
「野獣だよ。」
「野獣?」
「ああ。村じゃそう呼んでる。誰もちゃんと姿を見たことがないんで分からないが、以前にも迷い込んだ奴らがいてな。そいつらが皆あんたと同じ様に、大きな爪と牙を持った全身毛むくじゃらの化け物がいたって言ってたんだよ。最近じゃ大分噂が広まったのか、この辺りの町の者も村の者も昼夜を問わず森には近づかない。野獣にとっちゃ、あんたは久々に迷い込んだ人間ってわけだ。」
主は額を撫で上げながら、男のほうを見てニヤリと笑った。
男は改めて身震いしている。
主は表情を改めて男に言った。
「あそこには以前、この辺一帯の土地を治めていた領主一家が住んでいたんだ。領主と言っても気の良い人達でね。あたしら村人にも気軽に声を掛けてくださってたんだ。」
主の顔に笑みが浮かんだ。
「一人息子がいてね。あの子はまあ、領主の息子らしくないって言うか、お供も無しでちょこちょこ村へ遊びに来ちゃあ、おつきのしゃっちょこばった小さい男に見つかって叱られて・・・。うちの孫が、よくおつきの男と遣りあってたなぁ。あいつはちょっと気の強すぎるとこがあってね。いや、まあ、それはともかく、あたしらもその息子を村の子供みたいに可愛がってたんだ。」
「へえ。で、その領主ご一家は今どこに?」
途端に主の顔が暗くなった。
「領主夫婦が事故でお亡くなりになったんだ。あんなに良い人達だったのに、あっけないもんさ。その葬式が終って暫くしたら一人息子の姿が見えなくなって、代わりにあの野獣がお屋敷に住み着いていやがった。何が起こったんだか皆目分からねぇんだが、息子はあいつに喰われちまったんだ、てのがもっぱらの噂だ。」
「喰われた・・・」
男が今更ながらに肩をすくめて扉のほうを振り返った途端、大きな音を立ててそれが開いた。
「ただいまー!」
勢い良く開いた扉から、ストレートの黒髪を綺麗に顎のラインで切りそろえた、小柄な女性が入って来た。腰を抜かしそうになりながら扉のほうを見つめていた男と目が合うと、ちょっと目を見張って会釈し、扉の外へ向かって声を掛けた。
「あら、失礼しました。いらっしゃいませ。ほら、何してんのよ、早く!」
「そんなこと言ったって、凄く重いんですよこれ〜」
情けない声と共に、ひょろりとしてひ弱そうな男が、重そうな袋を担いでヨタヨタと入って来た。
「情けないわね、男でしょう?!」
「いや、男でも向き不向きがあってですね〜。僕は、どっちかっていうと頭脳労働向きなんですよ〜。」
「あ、そう。じゃあユキノさんに、マシタ君はいざっていう時あてにならないわよって言っておくわ。」
「スミレさ〜ん、勘弁してくださいよ〜。そんなこと言ってないじゃないですか〜。」
言い捨ててさっさと店の奥へ向かうスミレに、担いでいた袋を床に降ろし、ズルズルと引きずりながらマシタが追い縋る。主が苦笑しながら二人に声を掛ける。
「まあまあ、そんなにマシタを虐めるなよ。ホンテン町からわざわざ送ってくれたんだろ?」
「あら、そんなの当然じゃない。か弱い乙女が重たい荷物を抱えて途方に暮れてたんだから。」
「か弱い乙女・・・?」
ポツリと呟いたマシタの言葉を聞きとがめたスミレが振り返る。
「なあに?マシタ君。何か言ったかしら?」
凄みのある笑顔で問い掛けられ、マシタは慌ててブンブンと首を振る。
更に言い募ろうとするスミレを主が止めた。
「いい加減にしな。お客さんも呆れてるじゃねえか。マシタもそんなところにへばってちゃお客さんの邪魔だ。とっとと奥へ運び込んでくれ。腰が痛ぇ年寄りに無理させないでくれよ。」
言いながら、マシタの肩をどつく。
「よろしくね〜。」
スミレはヒラヒラと手を振って奥へ入ってしまった。
「ワクさ〜ん。」
「おめぇは、もうちょっとシャンとしな。そんなんだからユキノさんにも相手にされねぇんだぜ。たまにはスミレにビシッと言ってやんな。」
「ビシッと・・・言って大丈夫なんでしょうか。」
ビシッと言った後どうなるかの方が心配な気がするのだが。
「いや、まあ、それは、なぁ・・・。おっと、そろそろ夜の仕込を始めねぇと。」
「ワクさ〜ん。」
「うるせぇよ。早く行けって。」
眉を下げた情けない表情のマシタを追い払うように奥へやると、ボンヤリと三人の遣り取りを見ていた男に声を掛けた。
「騒がしくってすいませんね、お客さん。今更だが、何か召し上がりますかね?」
「え?あ、あぁ・・・それじゃあコーヒーと何か甘いものがあればそれを。」
「はいはい、ただいま。おい、スミレ、コーヒーを用意してくれ。」
男はもう一度窓の外へ目を遣ると、何かを振り払うかのようにブルリと頭を振って、町で買い求めた品物を落としたりしていないかどうか、手荷物を点検し始めた。
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ノン様に頂いてしまいました!
「美女と野獣」ネタですっ。
私が日記で「読みたい〜誰か書いて〜」と騒いでいたら、
ノン様が私の我侭を聞いてくださいました(><)
いやぁ・・・神様というのはいるものです・・・(おいおい)
更に我侭を聞いて頂いて、拙宅の二周年のお祝いにと転載の許可を頂いてしまいました。
ノン様、本当に有難う御座いました!
嬉しいことに、連載です(^^)
アオシマ君が切ないでしょう〜〜〜;
シンジョーさんが美味しいポジションにおりますが(笑)、
アオシマ君にとってはかけがえのない人ですよね・・・。
良くやった!シンジョーさん!(偉そう)
スミレさんやワクさんの出番もあって、なんか嬉しかったです(^^)
後は室井さんの登場を待つばかり・・・!
というか、早く!早くアオシマ君を幸せにしてあげてっ!(涙)
そう思いながら、握り拳で、続きをお待ちしております・・・。