■ 出会えた奇跡に(1)


一度でいい、一度でいいから皆の前で想いを伝えたかった。
だから歌ったんだ。あの歌を。

台場役員連続殺人事件で負傷した恩田すみれだったが、湾岸署への復帰は周囲の予想より早かった。
とはいえ刑事課は勿論、湾岸署の全員が待ち望んでいたすみれの復帰に大喜びしお祭り騒ぎとなり、その勢いのまま復帰祝いをしようと満場一致で決まった。
さすがに即日開催とはいかず参加したい署員が多いということもあり、復帰祝いは二週間後に湾岸署ご用達の達磨で行い、その後は希望者で二次会に行くことになった。
復帰祝いとは言ってもほぼ飲み会で、そこが湾岸署らしかった。

「嬉しいけど、皆ちょっと大袈裟じゃない?」
「それだけ皆すみれさんのことが好きってことだよ。素直に受け取っておけば?」
「何か引っかかる言い方ねぇ…」
「さ、仕事仕事」
こうしてすみれと背中越しに話すのも久し振りだ。
今回の事件では負傷したすみれを抱え救急車で病院に運んだが、五年前の副総監誘拐事件では負傷した青島がすみれに抱えられ病院に運ばれた。
微妙な相違点はあるが、申し合わせのようにそれぞれの立場になった。
青島にとってすみれは大切な女性であるのは間違いないが、それは仲間や戦友という意味でのことであり、恋愛対象としてではなかった。
誰にも言っていないが青島は恋人がいる。
普通恋人がいることを隠す理由は無いが、言わない理由は相手が異性ではなく同性であり、社会的に通常認められる関係ではないことと、お互い同業者でありそれぞれの立場や周囲の人々の反応を考えると、自分と相手以外に自分達の関係を誰も知らない方がいいからだ。

青島俊作の恋人、それは室井慎次である。

単独行動の処分を受け湾岸署から練馬署の桜交番に異動になり、更に杉並北署に異動になりそこで国賓の警備に当たっていたところを室井が見つけ、漸く湾岸署に復帰した。
復帰したのはいいものの署内でたらい回しにされ、その合間に特捜が立ち、挙げ句の果てに警察署内で籠城事件発生という前代未聞の事態になった為、室井にお礼を言えたのは事件解決後だった。

後日改めてお礼を言いたいと連絡したら、室井の返事は
「それなら家に来い。ヘリは無理だがきりたんぽをご馳走する。君の復帰祝いだ」
だった。
正直社交辞令だと思っていたので、それを聞いた時は凄く嬉しかった。
室井の非番の日に予定を合わせ、仕事の後に官舎を訪ねた。
お礼を言うはずが逆にご馳走され申し訳ない気持ちもあったが、鍋をつつきながらの室井との一時はとても居心地が良くて、気がつけばそろそろ終電という時間になっていた。
「あれ?もうこんな時間?」
「そうだな…。結構話してたみたいだな」
「慌ただしくてすみません。明日も仕事なんでもう帰らないと」
「私も気がつかなくてすまなかった」
「すっごく美味しかった。ご馳走様でした。楽しかったです」
「口に合って良かった。私も久し振りに楽しかった」
「今度はオレがご馳走します。また連絡します」
「ああ」
「おやすみなさい、室井さん」
「おやすみ、青島」

青島は扉が閉まる前に見た室井の表情に心臓が強く鼓動を打ったのを感じた。
室井が穏やかに優しく微笑んでいたからだ。
初めて見た表情だった。その笑顔は大階段で見た笑顔とも、先程までの会話の中で見た笑顔とも違っていた。
笑顔自体はあまり変わらなかったが視線と目に驚いたのだ。
青島は室井の目が好きだった。寡黙な主に代わり、何よりも雄弁な漆黒の瞳。
その目が細められてまるで愛しい人を見つめているかのように青島を見ていたのだ。
一瞬だったがそう思える視線と目だった。おそらく無意識で無自覚だったのだろう。
扉が閉まった瞬間青島は顔だけではなく、全身が赤くなっていくのを感じた。じっとりと汗をかき、動悸が治まらない。
何故こんなに動揺するのか、何故室井はあの視線と目で自分を見ていたのか。
少しぼんやりしながら、どこか後ろ髪を引かれる思いで官舎を後にした。
青島は知らなかった。室井がそうだったように青島も同じように室井を見ていたこと、扉を隔てて室井も青島と同じ状況になっていたことを。
別れた後、二人はそれぞれの部屋で同じことを考えていた。
青島が室井を、室井が青島をどう思っているか、どちらもはっきりわからないが二人とも仕事が絡まない関係を持ちたい、続けたいというのは同じだった。

それから二人の仕事抜きの友人付き合いが始まった。時々連絡を取り合い食事や飲みに行くようになった。
食べたり飲んだりしながら仕事への意見を話し合ったり世間話をする。ただそれだけだったが、お互いその関係と同じ時間を過ごすことがごく自然に思えた。
会話が途切れても沈黙が全く気にならない。相手がそこに居るということだけで心が満たされているからだ。
しかしある事件を境に絶縁状態になった。
すみれが被疑者を逃亡させたのではないかと疑われ、監察官となった室井にすみれを監視するように言われ、それをきっかけにすれ違いがすれ違いを生み、遂には激情に駆られるまま
「オレ達は、もう信じてやっていけないんですか?」
そう室井に叫んだが室井はそのまま無言で立ち去り、決別となるくらいの別れ方をしてしまったのだ。

青島が室井に叫びをぶつけたあの日以来、互いに知りようも無かったが二人の心には穴が空いた。
その穴は途方も無く暗く巨大で、底が全く見えない深い穴だった。
自分の心が今どういう状態なのかわからなくなる程の喪失感が二人を支配していた。
こんなにも喪失感を感じたのは二人にとって生まれて初めてであり、生き死にや関係を問わず過去に別れたどんな人よりも遥かに強く感じていた。

心が少し落ち着くとある事が気になった。何故青島は室井に、室井は青島に人生で一番と言える程の喪失感を感じたのか。
考えてはみたが答えは出なかった。上司と部下、それを越えた同志であり友人だからか。
だがそれであんなにも裏切られた、失ったと思うだろうか。
結局考えが堂々巡りするだけで明確にそれに思い至る答えは出なかった。

二人とも気付いていないだけで既に答えは出ていた。
その答えは心に空いた穴を空いた以上に埋めることになるが、気付くにはきっかけが必要だった。
そしてきっかけとなる事件が一ヶ月後に起きた。

吉田副総監が自宅前で誘拐され、知らせを受けた警視庁・警察庁に激震が走った。
猟奇殺人事件を追っていた湾岸署に副総監誘拐事件の特捜が立ち、青島は本庁の捜査員とともに現れた室井と一ヶ月前の事件以来初めて顔を合わせた。
しかし会話らしい会話にはならず、落ち着いて話せたのはそれぞれが追っている事件の被疑者確保に失敗し、捜査を立て直す前だった。

苛々していた青島は喫煙室に入った時気付かなかった。
コーヒーを買ってから隅のベンチに座る室井に気付き、もう一本買って声を掛けながら背中越しに座り室井に渡した。
一応嫌味を言ってみたが室井は
「すまない」
と謝ったのだ。
その一言でわだかまりが消えていくのを感じた。
お互いに「約束」を忘れていないこと、背中越しに伝わる体温に心身が引き締まっていく。
最後は軽口になったが二人を包む空気は以前と変わらなくなっていた。

ほんの僅かの時間だったが会えたのも話せたのも嬉しかった。わだかまりが消え心の穴も埋まったが、何か物足りなさを感じていた。
物足りないと感じたのは穴が埋まったのが半分だからだった。
完全に埋まるのは全ての事件解決後であり、その瞬間二人の関係は劇的に変わることになる。

前歴者リストの膨大な数のチェック。
猟奇殺人事件の被疑者日向真奈美が湾岸署に現れ、騒動の末身柄確保。
二つの事件と同時進行していた署内窃盗事件の被疑者の思わぬ確保。
誘拐事件の捜査への合流。
これらが隙間無く続き青島は少しも仮眠をとることが出来なかったが、体に鞭打って事件解決に奔走した。
すみれの一言で真奈美に誘拐事件の犯人像を聞き、真下と連携して被疑者を割り出し、屋上から見えた煙突からの桃色の煙に確信を得、現場へ急行した。

被疑者に拘束されていた和久を救出しすぐに被疑者を確保したかったが、本庁の捜査員にやらせようと待ったをかける上層部に業を煮やし、
「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」
と一喝し、室井だけに命令を求めた。
「青島!確保だ!」
その一言で体が動いた。迷いなど無かった。

同時に室井も動いた。新城にコートを渡され足早に出て行く室井を本庁ではなく、所轄の捜査員が後を追って出て行った。
その光景は上層部が見たら痛烈な皮肉になっただろうということは誰の目にも明らかだった。

被疑者宅に踏み込み、被疑者の少年を連行しようとしたその時。
体に今までに無い衝撃が走った。原因がわかった瞬間、そこから全身激痛に支配される。被疑者の母親に腰を刺されたのだ。
咄嗟に凶器を抜いたがそのまま床に崩れ落ちた。
すぐにすみれが凶器を部屋から廊下へと滑らせ扉を閉めた。
「動かないで!」
絶叫そのものの一言で全員をその場に縫い付けた。

(室井さん…)
呆然となった意識の中、青島の頭に浮かんだのは室井だけだった。家族や友人や湾岸署の誰でもなく、他のどんな物でもなかった。
(オレ死ぬのかな…。後悔なんかしてないけど、死ぬならもう一度室井さんに会いたかった…)
「青島くん!」
すみれに呼ばれそこで気付いた。
(何でオレこんなに室井さんのこと…)
室井のことだけを考えている自分が不思議だったが、そこに室井達が乗り込んでくる。
一同が血まみれの青島に驚愕し、捜査員は被疑者確保に動いたが室井はすぐに動けなかった。
「室井さん…」
青島に呼ばれ金縛りが解けたように室井が動いた。
青島の右腕を取り寄りかからせるようにして立ち上がらせ、そのまま肩を担ぎ半ば引きずるように部屋を出た。
「室井さん、オレ…」
「無理に喋るな」
強引な運び方なのは百も承知。しかし救急隊を待つという悠長なことは出来なかった。何よりも青島を誰にも触れさせたくなかった。
絶対に死なせない。その一心で車まで運び自らハンドルを握った。
深手を負い強引に歩かされているのに、密着した室井の体温に青島は安心感を得ていた。
車に乗ってからの記憶はほとんど無かった。朦朧とする意識と急激に迫る眠気の最中で室井とすみれに何かを告げたのは覚えているが、後は切れた意識に遮られ覚えていなかった。

気がついた時には病院のベッドの上だった。
タイミング良く担当医や看護師が様子を見に来ていた時だったので、そのまま意識や状態を確認され病院に運ばれてから入院までの経緯、全治までかかる時間やそれに伴うリハビリの説明を受けた。
病室が個室なのには驚いたが入院が労災扱いになるのはわかっていたし、他の入院患者を気にしなくていいと思うとありがたかった。
青島の意識が戻ったという一報に湾岸署の人々が次々見舞いに訪れ、病室は見舞いの品で一杯になった。
といってもめぼしい食べ物は「散々な心配と手間をかけさせた迷惑料」として見舞いにくるすみれに持っていかれることが多かった。
勿論家族や友人も見舞いに訪れ着替えや身の回りの物は一通り揃っていった。










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泉様





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