二週間程でかろうじて傷は塞がったが、まだリハビリは早いと言われていた。しかしじっとしていられなかった。
和久から室井と一緒になったが追い返すと言ったのを聞いて室井が帰った、と聞いて正直後悔した。
本当は顔を見たかったから。
それから一週間後の夜、青島は消灯よりずっと早く部屋の照明を消しカーテンを開け、仄暗い空間で室井のことを考えていた。
初めて会った時から今に至るまで、思い出せることを全部引っ張り出してひたすら考えた末、一つの結論に至った。
(ああ、オレ室井さんのこと好きなんだ。上司や友人以上に一人の人間として好きで、それ以上に惚れてんだ…。だからこんなに室井さんのこと…)
そう結論付ければ全て納得出来た。
扉を閉める前に見た室井の視線と目。
特別語らずとも相手が居るだけで満たされた心。
決別になったと思える程の別れになった時に感じた喪失感。
「すまない」の一言で消えたわだかまり。
何故か感じた物足りなさ。
室井の体温に訳もなく感じた安心感。
自覚した途端ますます逢いたくて堪らなかった。堰を切ったように涙が溢れて止まらない。
そのまま時間も何もかも忘れて涙を流し続けた。
どれくらい経ったのか。それは音の無い病院の中ですぐにわかった。聞き覚えのある規則正しい足音が段々近付いてくる。
「…!?」
咄嗟に時計を見たが面会時間はとうに過ぎており、そろそろ消灯という時刻だった。
混乱状態のまま布団を頭から被る。近付いてきた足音はピタリと止まった。
少ししてからごく静かに扉がノックされ、誰かが病室に入ってくる。
(室井さん…だよね…?)
入ってきた人物は備え付けの椅子を引くとすぐ近くに座った。
顔を見たかったが体が動かなかった。既に涙は止まっていたが混乱と緊張で体が固まってしまったのだ。
「青島…」
不意に自分を呼ぶ声が聞こえた。
(…!やっぱり室井さんだ…)
それきり無言だったが強張りが解けた青島が動こうしたその時、
「すまない…」
室井が謝った。あの時と同じ台詞でも今聞いたのには腹立たしくなった。
「何で謝るんですか?」
「…青島!?起きていたのか…」
「ええ、最初から。狸寝入りする気は無かったですけど」
そこにいたのはコートを腕に掛けた、いつもと変わらない三つ揃い姿の室井だった。
一応消灯前に訪ねたが病室の照明が消されていたのと青島が頭から布団を被っていた為、起きているのか寝ているのかわからず、いきなり声をかけられた室井は驚きを隠せなかった。
青島は室井に謝ってほしくなかった。あくまで自分の意志で室井に命令を求めたのだから。
室井に指揮権は無い、お前は動くなと言われても室井に求めた。
謝りたいのは青島だった。室井が命令したことで被疑者を確保しかけたが、急襲され重傷を負ってしまった。
命令無視や青島の負傷の責任を取って何らかの処分が下されるのは確実であり、それが心苦しかった。
「謝らなくちゃならないのはオレです。だから謝らないでください」
「しかし…」
「すみませんでした、室井さん」
「…」
「室井さん、何か処分受けるんでしょ?」
「…!」
室井は黙ってしまったが遅かれ早かれ知ることであり、誰かから聞くより室井から聞きたかった。
「室井さん、言ってください。オレは他から聞くよりあんたから聞きたいんです」
「…異動になった」
「異動?どこにですか?」
「北海道だ」
「北海道!?」
「ああ、戻ってくるとしてもいつになるか全くわからない…」
室井が北海道へ異動する。戻ってくるのはいつになるかわからない。そしてそれは青島を含めた全ての責任を取ってのこと。
有りとあらゆる思いで胸が張り裂けそうになった青島から、その言葉が零れ落ちたのは当然だったのかもしれない。
青島も室井も暫く無言だったが青島が沈黙を破った。
お互い独身で恋人がいないことは今までの付き合いの中で知っていた。
どこからか「止めておけ」と声が聞こえてきたが、言わずにはいられなかった。
いずれにせよ自分の気持ちは誤魔化しようがなく、嘘はつけない。
「室井さん…」
「ん?」
「オレ…」
「…」
「…オレ、室井さんが好きです」
「…!」
「好きです。ずっと前から好きでした」
室井は青島の告白に驚いたがとても静かな気持ちで聞いていた。
室井が来る前まで青島が考えていたことと同じことを考え、そして唐突に気付いた。自分も青島と同じ想いだということに。
あの日、血まみれで苦しげな青島を見る前から青島のことしか考えていなかった。他のことを考える余裕が出てきたのは青島の手術が無事成功した後だった。
自分でも不思議だったが青島の告白で今までの青島とのことを振り返り、気付いていなかった自分の気持ちに気付いたのだ。
青島は室井の返答を待ったが室井の沈黙は思いのほか長く、じわじわと気まずさが迫ってくる。拒絶の言葉は出来れば聞きたくなかったがその沈黙に耐えきれず、
「室井さん…、あの…」
と声をかけたがそれを遮って室井も告げた。
「好きだ、青島」
「っ!?」
「俺も好きだ。ずっと好きだった」
「室井さん…」
止まっていた涙が再び溢れ出した。想いが通じ合った嬉しさと喜び、でも離れなければならない悲しさと寂しさが綯い交ぜになった切ない青島の表情に強く胸が締め付けられる。
堪らず青島を抱き締めた。腕と胸で力強く包み込む。
青島は室井の胸に顔を埋め、背中に腕を回し必死にスーツを掴んで抱き締めた。
お互い暫くそのままでいた。腕の中の存在がこの上もなく愛おしい。いつの間にか室井も涙が溢れていた。多分青島と同じような顔になっているだろうなと頭の片隅で思った。
一頻り涙を流した後、互いに離れた。照明を消していて本当に良かったと思う。
どちらも酷い顔になっているだろう。部屋を照らしているのは開いたカーテンの窓から入る月明かりだけだった。
「室井さん…」
「青島…」
「室井さん、オレと恋人として付き合ってくれますか?」
「ああ、勿論だ。青島、俺からも言わせてくれないか?」
「え?」
「青島、俺と恋人として付き合ってくれるか?」
「ええ、勿論」
その瞬間心の穴が完全に埋まり、二人の関係は上司と部下を越えた同志であり恋人となった。
「室井さん、いつ北海道行くんですか?」
「…明日だ」
「明日!?」
「…ああ」
急だと思ったがそれは青島にとってであり、室井にとっては数日前に決まったことだった。
「…室井さん、一度来てくれたんですよね?」
「…あの時は、来たら追い返すと言っていたのを聞いたからそのまま帰った」
「あれ室井さんと和久さんが聞いてるって思わなくて。あの後和久さんから聞いて滅茶苦茶後悔したんです。本当は逢いたかったから」
「青島…」
「それでも来てくれて嬉しいです」
「ここに来ない方がいいかと思ったが、やっぱり直接伝えたかった。でも先に切り込まれたな」
フッと室井が笑う。つられるように青島も笑った。
室井が病室に来てからそれなりの時間が経っていたが、離れる前に恋人だという確固たるものを得たかった。
「室井さん、時間大丈夫ですか?」
「…!そうだな。そろそろ…」
時間を確認する室井にそっと告げた。
「室井さん、キスして…」
「青島…」
「オレ達恋人同士になれたのに、すぐ離れなくちゃならない。離れる前に室井さんがオレの恋人だって心でも体でも感じたいから…」
「俺もだ、青島…」
室井の両手が青島の頬を包み、涙の後を拭った。青島も室井の頬を包み指で後を拭った。
自然と瞼を落とし、降りてくる唇を受け止める。
同性の唇の感触は初めてだったが室井だと思うと愛しく思えた。
重ねた唇を離し至近距離で視線を合わせる。雲が晴れたのか、先程より強い月明かりが目の前の瞳を照らした。
(室井さんの目、本当に綺麗だ…)
青島が好きな室井の目。何よりも雄弁な、例えるなら黒曜石のような煌めきと艶を放つ漆黒の瞳。
青島が好きなように室井も青島の目が好きだった。
真っ直ぐな意志が込められた、例えるなら琥珀のように透き通る、しかし強い輝きを放つ明るい茶色の瞳。
「室井さんの瞳って綺麗…。黒曜石みたいで…」
「お前の瞳も綺麗だ…。琥珀のようだな…」
「じゃあオレ達だけの特権ですね」
「ん?」
「世界中のどの宝石よりも価値のある目の前の宝石をこんなに近くで見れるのは」
「そうだな…」
「でも暫くお預けですね…」
「ああ…」
もう一度唇を重ねてから二人は離れた。
「落ち着いたら連絡ください。退院したらオレも連絡します」
「わかった」
「おやすみなさい、室井さん」
「おやすみ、青島」
あの時とは逆に今度は青島が見送った。
規則正しい足音が遠ざかり、完全に聞こえなくなると同時に眠りへと落ちていった。
青島が退院した時には年も季節も変わっていた。入院中月日の感覚が無かった訳ではないが、病院を出た時すっかり変わっていた外の様子に結構長く入院していたのだと改めて驚いた。
久し振りの自宅で入院中の荷物を片付け、溜まった郵便物を整理する。
郵便物を不要か必要かに分けていく中でそれを見つけた。
新しい住所と連絡先、同志として、そして恋人としての想いが綴られた室井からの手紙だった。
文面から室井の深い想いが伝わってくる。逢えない分声が聞きたくなり、その日の夜に電話をかけた。
「室井です」
「青島です」
「青島…!?退院したのか?」
「ええ、やっと。手紙ありがとうございます。」
久し振りに話す恋人の声を聞きたくてかなり話し込み、気付いた時には日付が変わりかけていた。
「室井さん、そろそろ…」
「…ん、わかってるが名残惜しいな…」
「オレ信じてますから。絶対戻って来てくださいね」
「ああ、必ず戻る」
「オレも手紙送ります。すごく嬉しかったし、返事書きたいし」
「そっか。楽しみにしてる」
「じゃあ…」
「ああ…」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
通話が終わり、寂しさを感じたが仕方がないとその気持ちを封じ込める。
出来るなら逢いに行きたかった。その気持ちを押さえ込み室井が絶対に戻ってくることを信じて、青島は湾岸署に復帰した。
室井は夏に東京に戻ったが、戻るまでの数ヶ月間は互いにとても長く感じた。
それでも思ったより早く室井が戻って来たことが嬉しかった。
落ち着いて逢えたのは室井が戻って来てから一ヶ月後の非番が重なった日だった。
この日のことは二人にとって生涯に渡り色鮮やかな記憶として残ることになる。
室井が非番前日の仕事を終えた時には定時を二時間過ぎており、退庁後本庁から少し離れたところでタクシーを拾った。
以前は外で待ち合わせても食事や飲みに行くだけだった為、誰かに見られることを気にしなかったが、恋仲になった以上秘めた付き合いにしなければならない。
今の二人が一緒に居れば以前とは醸し出す「空気」や「雰囲気」が違うだろう。
それらを考えていつ逢えるかとの確認の際に、それならと直接青島の部屋へ行くことになった。
青島が遅くなるようだったらそれに合わせようとしていたがこの日の湾岸署は珍しく平穏で、定時で上がれた青島は既に部屋に帰っていた。
以前一度だけ訪ねたがその時は友人としてであり、今回は恋人として初めて青島の部屋に行くことになる。
今回だけではなく以降も恋人として訪ねることになるだろう。それがずっとであれば尚良いと思った。
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