■ 夏のせい


所用で湾岸署に立ち寄った室井は、刑事課で見かけた青島の姿に首を捻った。
強行犯係の青島が刑事課に居てもおかしなことは何もないが、何故か青島は私服だった。
クールビズが当たり前の昨今とはいえ、Tシャツとジーンズという格好はいささかラフ過ぎる。
繁華街で張り込みでもしているならスーツ姿よりも馴染むかもしれないが、ふてくされた顔をしている金髪の若者に説教をしている様子を見る限り、外出する用事があるわけでもなさそうだった。
説教が終わったのか、青島は二言三言囁いて、金髪の若者を帰した。
別に青島の手が空くのを待っていたわけでもないのだが、室井が刑事課の入口にぼんやりと突っ立っていれば嫌でも視界に入るのだろう。
青島は室井に気付いて、笑顔を見せた。
「お久しぶりです〜」
そういえば、顔を見るのは随分と久しぶりだった。
特捜本部が立つような大きな事件でも起こらなければ、顔を合わせる機会などないから当然だった。
室井は青島に頷くような会釈をして、さっきから気になっていた疑問を口にした。
「なぜ私服なんだ?」
スーツ姿以外を見たことがなかったから妙に新鮮だった。
青島は苦笑して、肩を竦めた。
「今日は非番だったんですけどね、昨日財布を忘れて帰っちゃって」
取りに来たら、人手が足りないと泣きつかれて、手伝わされているらしい。
そこで、頑なに断らない辺り、青島も人がいい。
誰かが困っていたら手を貸さずにはいられないようなところが、青島にはあった。
本来の意味では、誰よりも警察官に向いている男だろうと思う。
青島のそんなところに室井は好感を持っていたし、一目置いてもいた。
「全く人使いが荒いったらないですよね」
青島は疲れた顔で溜息を吐いた。
「さっきの男は何をしたんだ?」
「万引きです。すみれさんが引っ張ってきたんだけど、別件ですぐに飛び出して行っちゃって」
すみれに後を任されてしまったらしい。
「この暑いのに、カイロなんか盗んでどうするつもりなんだか…」
ぶつぶつと零す青島の気持ちも良く分かる。
8月に入り、連日真夏日という日が続いていた。
湾岸署も省エネを意識してか、エアコンの効きは控えめで、ただ立っているだけでじんわりと汗ばんだ。
青島も暑いのか、額に汗を掻いている。
一瞬ハンカチを差し出そうかと思ったが、青島も子供ではないからハンカチくらい持っているだろうと思い、やめにした。
「外も暑かったでしょ?」
「ああ、今が暑さのピークだろうな」
「はあ…じゃあ、夕方になるまで署にいようかな…」
うんざりしたように呟いた青島が、シャツの裾を捲った。
ぎょっとした室井に気付くこともなく、捲ったシャツで顔を拭っている。
「こう暑いと、家に帰るのも面倒でね…」
青島が何かを話しているが、室井の耳には届かない。
室井は一点を見つめて固まった。
シャツの裾から、青島の腹が見える。
浅黒い肌。
小さな窪み。
ヘソ。
「わあ!室井さん!」
青島が大きな声を出したから、室井はハッとして青島の腹から視線を逸らした。
「な、なんだ」
「なんだじゃないですよ、鼻血、鼻血出てますよ」
驚き慌てた青島が室井の顔に手を伸ばしてくるから、室井も驚いた。
咄嗟にその手を振り払うと、青島は目を見開き、そして少し傷ついた顔を見せた。
しまったと思ったが、青島に触れられるのは困る。
何故だかさっぱり分からないが、とにかく困ると思った。
自分の手で鼻を押さえて、室井は羞恥で熱くなる顔を上げていられなかった。
「…汚れるから、触らないでくれ」
室井がもごもごと言い訳すると、青島がハンカチを差し出してきた。
ちゃんとハンカチを持っているんじゃないかと思いながら、ちらりと青島を見ると青島は笑っていた。
「そんなこと気にしなくていいから、これ使ってください」
「しかし」
「室井さんのスーツ、高いんでしょ?血は付けない方がいいですよ」
「…ありがとう」
スーツのことなどどうでも良かったが、青島の厚意は断り辛かった。
ハンカチを受け取り、鼻を押さえるように覆う。
「医務室行きましょう」
青島が促してくれるから、室井は少し躊躇ったが、結局頷いた。
さすがにみっともない姿を人目の多い刑事課でいつまでも晒しているのは気がひけた。


「のぼせたんじゃないですか?」
医務室の椅子に腰かけ室井の鼻血が止まるのを待ちながら、青島が苦笑した。
「室井さん、このくそ暑いのに、きっちりスーツ着込んでるから」
「…そうかもしれない」
そうかもしれないし、そうであってほしいとも思う。
むしろそうでなければならないのだ。
間違えても、青島のへそを見て鼻血を出したわけではないと思いたい。
そんなことはあってはならないし、青島に対しても申し訳ない気がした。
だけど、なんだってそんなものに注視していたのだと、我ながら不思議に思う。
シャツの裾から、青島の腹が見えていただけである。
ヘソが、見えただけだ。
当然青島のヘソなど見たことがなかったが、誰にでもついているもので珍しいものではない。
それなのに―。
「室井さん?大丈夫ですか?」
青島に心配そうに顔をのぞきこまれて、室井は少し背を逸らした。
あまり近づいて欲しくないと思ったが、その理由も分からなかった。
青島のことは嫌いではないのだ。
どちらかというと、好意を持っている。
傍に来られることが不愉快なわけではない。
不愉快ではないのに、何故か分からないが近づいては欲しくなかった。
「なんかぼんやりしてますけど、具合悪いですか?」
「大丈夫だ」
青島に不自然に思われないように、室井は極力普通に返事をした。
顔がどうしても強張ってしまったが、室井の表情は大抵硬いから青島も気にはしないだろう。
ましてや、鼻から下はハンカチで見えやしない。
室井の動揺はそれほど伝わらないはずだ。
「君の言う通り、のぼせただけだろう」
「そうですか?それならいいですけど…」
「少し休ませてもらったら勝手に出て行くから、君も仕事に戻っていいぞ」
手間を取らせて悪かったと謝罪したが、青島は出て行こうとしなかった。
「俺、本当は非番ですしね」
そう言いながら、薬品が入っている棚を漁って、何か探し物をしている。
抽斗からタオルを見つけると、水道で濡らしてきつく絞った。
「室井さんのおかげで、帰る切欠ができましたよ」
笑った青島が近付いてくるのをぼんやりと見ていると、青島は「ちょっと失礼」と断って、室井の額に濡れたタオルを押しあてた。
視界が真っ暗になったのは、青島が押さえてくれているタオルのせいだ。
タオル越しでは、青島の手の感触はない。
感触などあるわけがないのに、室井は確かに何かを感じていた。
それも額でではない。
心臓でだ。
「上は向かない方がいいんですってね、血が下がって気管に入っちゃったりするらしいですよ」
青島の声がすぐ近くで聞こえる。
心臓の音がうるさくて、めまいがした。
暑さのせいだとは、もう誤魔化せない気がした。
「…室井さん?本当に、大丈夫ですか?」
反応がない室井を心配してか、青島が不安そうな声を出した。
「大丈夫だ」
「本当に?この暑さだし、無理しない方がいいですよ?」
視界が明るくなると、心配そうな顔で青島が室井の目を覗き込んでいた。
すぐ目の前にある青島の瞳に、室井はようやく自分の体調不良の理由を知った。










END

2011.10.30

あとがき


すいません、もう11月なのに真夏のネタで(^^;
真夏に書いていたのですが更新し忘れておりました。
忘れておいたままでも良かったんじゃないの?ってなネタですけどねっ(笑)

知人のヘソチラにときめいて、これが青島君だったらさぞかし!と思って
書いたお話でした。
腐女子って悲しいですね(おい)
室井さんが思春期の男の子みたいで申し訳ないです…。
でも青島君のヘソなら鼻血くらい出ると思います。
腐女子って(以下同文)


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