■ 未来のこと
※室井さん定年退職後の二人のお話です。


台所で蕎麦を茹でていた室井は、リビングの物音に気付いて振り返った。
パジャマ姿の青島が、ぼうっと突っ立っている。
いくつになっても、寝起きは良くない。
「おはよう」
台所から声をかけると、今室井の存在に気付いたとばかりに、青島が室井を振り返った。
それでようやく目が覚めたらしい。
「おはようございます」
「良く眠れたか?」
「ええ、この一週間ハードでしたから〜」
疲れが大分取れたと笑う。
事件が片付いたと夕べ遅くに帰宅し、倒れるように眠りについたのだ。
もう、徹夜に何日も耐えられる年齢ではない。
それでも青島は事件が起こると、手を抜くことはしなかった。
それも昔と変わらない。
「ちょうど良かった。今、蕎麦が茹で上がるとこだ」
ちょうど昼ご飯時に目を覚ます辺り、青島もまだ若いのかもしれない。
蕎麦には嬉しそうな顔をしたが、室井には少し申し訳なさそうな顔をしてみせる。
「毎日、すみません」
室井が先に定年し、一緒に暮らすようになってから、家事のほとんどは室井の仕事だった。
青島の定年まで、後二年近くある。
それを特別待ち遠しいこととは、室井は思っていなかった。
旅行の計画はしている。
まだ、どこに行きたいあそこが見たいという大雑把な計画だが、青島が定年したら、きっと行くだろう。
そういう、今までにあまりない楽しみは嬉しいが、
刑事である青島を見ているのは室井にとっても悪い気分じゃなかった。
やれるだけ、やってみれば良いと思う。
「気にしないで良い。君が定年したら、どうせ君にもやってもらうんだ」
蕎麦を水でしめて盛り付けた皿を、青島に手渡す。
青島は笑って頷いた。


リビングで向かい合って座り、蕎麦を啜る。
「定年後も働いていても良いんだぞ」
室井がいうと、青島は蕎麦を口に運びながら視線だけ寄越した。
「指導員の話、もらってるんだろ?」
青島が若い頃に湾岸署で和久がしていたような仕事を、青島も頼まれているようだった。
そうなると定年後もしばらくは忙しいだろうが、青島がやりたければ室井は止めるつもりはなかった。
叩き上げで本庁の捜査一課長にまでなった青島だが、定年後は所轄に戻るのも悪くないだろう。
青島にはきっとむいている仕事だと室井は思うが、青島は肩をすくめてみせた。
「考えては、みてるんですけどね」
「働けるだけ働くのも、悪くはないと思う」
少し考える仕種をしてから、青島は室井を見た。
「室井さんは?」
家にいて良いのかと、やりたいことはないのかと聞かれているらしい。
現役時代にやれることの全てをやったと、室井は思っていた。
願いの全てを形にできたわけではない。
それでも青島と二人、望んだ世界に少しでも近付くために、心骨を注いだ。
危うい時でも青島や、室井を理解する人たちに救われながら、信念は貫き通した。
出せた結果も間違いなくあった。
自分たちの志を理解し、引き継いでくれる人間も現れた。
無駄なことは何一つなかったと、自信を持って言える。
未来は明るいものだと、今も信じていられる。
室井の警察官としての役目は、果たされた。


正直に言えば、青島と共に現場に出られるものなら、やってみたいという思いはある。
現職の頃から、憧れはあったのだ。
だが、室井の元の役職を考えればそういうわけにはいかないだろう。
「俺はいい。やりたいことを思う存分やってきたから、いいんだ」
言ったら、青島は柔らかく笑って頷いてくれた。
室井のやりたかったことは警察組織の中では理解され辛く、ままならないことの方が多かった。
ままならなかったことも含めて、室井は自分の望むまま、望む形で警察官であり続けた。
そのことには満足していた。
警察組織自体はまだまだ変わらなければならないし、それは今も室井の願いである。
「俺もやりたいようにやってきたから、満足はしてんですけどね」
苦笑して頭をかく青島に、室井も苦笑し頷く。
信念を貫き通したのは、青島も一緒だった。
「君がいいなら、いい。好きにやれと、言っておきたかっただけだ」
それは、室井の警察官としての愛情でもあったし、長年連れ添った恋人としての愛情でもあった。
青島は一つ頷いて、嬉しそうに笑った。
その笑顔に目を細めて、一瞬自分たちの年齢を忘れる。
時が遡り、いくつも若返った気がした。
それはもちろん気のせいだが、気持ちは昔と変わらない。
約束を誓った頃のまま。
愛を語った時のまま。
今に至る。
―死が二人を別つまで、か。
唐突に浮かんだのは、とある誓いの言葉の一節。
当然だが、二人が交わしたことはない。
その必要はきっとない。
誓う必要など、もうどこにもないだろう。


「室井さん?」
黙り込んだ室井に、青島が首を傾げる。
室井は青島をじっと見つめたまま呟いた。
「先に死ぬなよ」
「なんですか、突然」
眉を寄せた青島が、縁起でもないと言う。
それに少し笑って、室井はまた蕎麦を啜った。
「……室井さんこそ先に死なないでくださいよ」
「難しい相談だ」
「ええっ?ちょっと、どういう意味ですか、それは。どっか悪いとかじゃないでしょうね?健康診断は?そういえば退職してから一度もやってないでしょ。ああ、そうだった。室井さん、元気だし健康体だからすっかり忘れてた。ダメですよ一年に一回はやっとかないと。今年は受けてくださいね。……って、聞いてます?室井さん」
ムスッとした青島とは対照的に、室井は肩を震わせて笑っていた。


どちらが先に死ぬかで揉められるなら、まだまだ俺たちも若い。
そんなことを考えていた。










END

2007.6.4

あとがき


思いついたので、何となく小話掲示板に書いたものでした。
私の妄想するその後の二人の一部(?)と申しますか…。
これとはまた違う二人がいる気もします。

室井さんがどこまで上りつめたのかは、あえて書きませんでした。
私の中ではもちろん頂点なのですけどねっ(笑)
例えそこまでいけなかったとしても、
二人とも、老後には「やるだけやって満足だ!」と思えるような
警察官でいて欲しいなぁと思います。
そう思えるかどうかは、結果だけではなくて、
自分自身が何をしたか思ったかにもよると思うんですけどね。
二人には、満足するまで戦って欲しいなぁって思います!

明るく幸せな未来に、彼らには生きていて欲しいものです(^^)



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