■ FOR ME?


背中に感じた衝撃に、室井は眺めていた資料から顔を上げた。
何が起こっているかは予想がついたが、振り返って見れば予想通りに青島が張り付いていた。
仕事終わりに室井の自宅を訪れ、疲れたから少し寝ると言ってソファでひっくり返っていた青島だが、いつの間にか目覚めていたらしい。
仕事に集中していたせいか、室井は背中に抱きつかれるまで気が付かなかった。
「起きたのか」
「すいません、来て早々寝ちゃって」
「構わない、疲れた顔をしてたからな」
夕飯は一緒に食べたが、食事の最中も青島は珍しく口数が少なかった。
大体にして明るい青島だが、たまには気分が乗らない日だってある。
それでも明日の非番を前に室井の自宅に泊まりに来てくれたのは、約束していたからという理由だけではないだろう。
会いたいと思って来てくれたのなら、それで充分だった。
「もう、今日はね、人の話しばっかり聞かされる一日でしたよ」
背中に抱きついたまま、青島が愚痴りだした。
室井は苦笑し、かけていた眼鏡を外して資料と一緒に床に置いた。
急ぐ仕事ではなかった。
「刑事は人の話しを聞くのも仕事のうちだろう」
「そうですけど、取り調べや聞き込みとかじゃないっすよ」
いじけたような声を聞きながら、そうだろうなと思った。
取り調べや聞き込みは、嫌いではないはずだ。
刑事ドラマに憧れて警察官になった男である。
最早、警察官に幻想は抱いていないだろうが、相変わらず警察官らしい仕事は楽しんでいるようだった。
「朝一で袴田さんに捕まって家庭の愚痴を聞かされるわ、真下が雪乃さんと喧嘩したって泣き付いてくるわ、緒方が部下と話しが合わないって相談してくるわ…」
更に続く青島のぼやく声からして酷く疲れていて、室井もさすがに同情した。
仕事の合間に上司や同僚の愚痴や相談を延々と聞かされた一日だったようだ。
湾岸署ではなんだかんだと頼りにされており、本人も頼られるのは嫌いではないようだが、さすがに一日中誰かの悩み事を聞かされていれば気持ちも萎える。
青島の愚痴が止まるのを待ち、室井は同情を寄せた。
「それは大変だったな」
「全くですよ」
「仕事にはなったのか」
「まあ、なんとかね」
「そうか」
仕事が終わらなければ、今頃室井の背中に張り付いているわけもない。
「お疲れ様」
柔らかく声をかけ、腹に回されている青島の腕に手をかけた。
労ってやれば「本当疲れたあ」となおぼやく青島を、慰めるように手を握った。
室井自身では、あまり経験のない疲労だった。
室井を相手に愚痴を溢したり仕事以外の相談を持ちかけてくる人など、限られているからだ。
家族を抜かすと、ほとんど青島くらいしかいない。
青島とは大違いである。
ひとえに、人柄の差だろう。
例えば青島と室井の二人のどちらかに悩み事を打ち明けるとしたら、室井だって迷わず青島を選ぶ。
自分自身でも、自分は愚痴を溢すに相応しい相手とは思えなかった。
愛想はないし、気の利いた言葉一つ出てこない。
そう考えたら、よく青島は室井に愚痴を溢す気になるなと感心した。
もっとも青島に頼りにされているのだとしたら、どんな些細なことでも嬉しかった。
「室井さん」
しばらく黙って張り付いていた青島が名前を呼ぶ。
「なんだ」
「なんか話してください」
室井は首を傾げた。
話せと言われてもすぐに話す話題が見つけられるほど話題に事欠かないタイプではないが、青島が望むのなら努力するのもやぶさかではない。
ただ、本当に青島がそれを望んでいるのかどうか分からなかった。
「聞き疲れたんだろ?」
これ以上、室井の話しまで聞いていたら余計に疲れるのではと思った。
「室井さんは別腹です」
「なんだ、それは」
室井の呆れた声に返ってきたのは、
「室井さんの声は聞きたいです」
ただの口説き文句だった。
眉間に皺を寄せた室井は、指を絡めるように青島の手を握り直した。
何か言わなければと思ったが、咄嗟に言葉が出てこない。
焦れば焦るほど出てこなくなる。
最近では、室井をこれほど焦らせるのは、青島しかいない。
室井にとって、色んな意味で唯一無二の男だった。
「やっぱりいいです」
室井の焦りが伝わったのか、青島が撤回した。
その声には笑いが含まれていて、なんだかからかわれているようで面白くない。
ここは一つプライドにかけて、もういらないというくらいの愛の言葉でもかけてやろうか。
などと、むきになった室井が、諸刃の剣でもある嫌がらせを実行する前に、青島がまたねだった。
「何も言わなくていいから、キスして」
絡めた指を撫ぜるように、青島の指が動いた。
「キスしたいです」
室井は無言で身体の向きを変え、繋いでいた手を強く引っ張った。
傾いできた身体を胡坐を掻いた足の上で抱きとめ、上から覆い被さるようにして唇を塞いだ。
無言のまま行動に移した室井が可笑しかったのか、青島は室井の唇を受けながら笑っていた

長いキスの後、元気出たと笑う青島とは対照的に、室井は苦い顔をした。
元気をもらったのは果たしてどちらだったのか。
「…むしろ俺が吸い取らなかったか?」
馬鹿正直に疑問を口にすれば、青島が爆笑した。
憮然とした室井の首に手をかけて、笑いの退いた青島が誘う。
「それなら、返してください」
短く言えば、「もっと」ということだ。
室井は遠慮せずに顔を寄せた。










END

2014.7.15


室井さんに甘える青島君が書きたかったのですが、
書いてみたら、ただ単にキスして!って言う青島君が書きたかっただけのような(笑)

青島君は袴田さん(上司)の愚痴は適当に聞き流してそうですが、
緒方君(部下)の相談はそれなりに真面目に聞いてくれそうですね。

お粗末さまでした!



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