■ 第三章 3.料理


仕事を終えた室井が帰宅すると、玄関先に青島と和久がいた。
門をくぐった室井に気付くこともなく、立ち話をしている。
「だから、おめえは吸い過ぎなんだよ」
「そうでもないですよ」
「1日にどれくらい吸ってんだ?」
「…二箱くらい?」
「ほれみろ、吸い過ぎじゃねえか」
呆れた顔の和久に肩を竦めて見せる青島の指には、煙草が挟まっていた。
どうやら煙草の吸い過ぎを和久に注意されているらしい。
和久は説教好きだと青島がぼやいているのを聞いたことがあるから、いつものことなのだろう。
青島は苦笑気味に頭を掻いて、和久の話を聞いている。
顔立ちが似ているというようなことはないが、和久は年齢のわりに背が高く青島と背格好は近しい。
こうして和久に説教を受けている青島をみると、親子に見えなくもなくどことなく微笑ましかった。
そんなことを考えてぼんやりしていると、和久が心臓に悪い一言を放った。
「早く嫁さんでも見つけなさいよ」
「煙草となんの関係があるんですか」
訳がわからんという顔をしている青島に、和久がこんこんと語って聞かせる。
「いつまでもふらふらしてるから、自分を大事にしないんだよ。嫁さんもらってみろ。守らなきゃいけないものが出来たら、自分の命にも責任を持たなきゃならんだろう。子どもができりゃあ尚更だ。俺だって孫が生まれた時にはな…」
孫が出来て禁煙に成功したという自慢話を始めた和久に、青島は苦笑していた。
つまり孫が出来るまでは喫煙者だった和久が青島に文句を言えた義理なのかは微妙だが、和久が青島を心配しているのも事実である。
それが分かるからか大人しく聞いていた青島だったが、不意に室井の存在に気付いて笑みを浮かべた。
「独身仲間発見」
もちろん室井のことだ。
青島程ではないが喫煙する独身者が現れたことが嬉しかったのか、顔に喜色を浮かべた青島に手招きされて、室井は躊躇いがちに二人に近づいた。
どっちみち、玄関前の二人を無視しては湾岸荘に入れない。
和久は新たな説教相手が出来たことが嬉しそうだった。
「室井さんも早く嫁さんを見つけないとだめだぞ」
何と返事をしたら良いものか分からず、室井は曖昧に頷いておいた。
実際、当分結婚など出来そうになかった。
青島のことが好きなうちは、どうしようもないだろう。
同性だからどう考えても脈の無い青島を諦めるためにも、本当はそうする努力をするべきなのだろうが、青島を想いながら誰かと付き合えるほど器用な性格はしていなかった。
いつか青島を忘れることが出来れば考えるかもしれないが、今のところその日が来て欲しいとも思っていない。
つまり、例え片想いであっても、今の生活を気に入っているということだ。
室井が無表情の下で自身の現状を振り返っていると、和久が肩を竦めた。
「まあ、こいつと違ってあんたはしっかりしてるから、心配なさそうだがなあ」
「ちょっと、こいつと違ってってどういう意味ですか」
不服そうな青島が噛みつくと、和久の説教が再び始まった。
そう的外れなことは言われていないからなのか、青島も強く言い返せないらしく言われるがままになっている。
唇を尖らせる青島を見かねて、室井は助け舟を出した。
「ところで和久さん、どこかに行かれるんですか?」
和久が手にしていた小さな旅行鞄を見下ろして尋ねると、和久は思い出したように「おお」と声をあげた。
「いや、娘にたまには泊まりに来いって言われててなあ」
孫が会いたいというものだからなどと目尻を下げて笑う顔には、照れと喜びが混ざっていて、室井もつられて小さな笑みを浮かべた。
黙っていればどちらかといえば強面な和久だが、孫を思えば表情が緩くなるらしい。
「お前さんに構ってる場合じゃなかったな」
青島にそう告げ、二人に片手を挙げて挨拶をすると、和久はいそいそと出かけて行った。
それを見送り、青島は小さく溜め息を吐いた。
「全く…失礼だと思いません?」
遠ざかった和久の背中を指差しぼやくが、言葉ほど憤慨しているようには見えなかった。
説教してやるされてやる、というのが二人のコミュニケーションの一つなのだ。
親子のように見えて微笑ましくて、室井は苦笑した。
「君を心配しているのだろう」
「まぁ、そうなんでしょうけどね…」
青島も肩を竦めて口元に笑みを浮かべた。
「ああ、そうだ。屋根直ったそうです」
青島が思い出したように言った。
あの大雨の日から、一週間程経っていた。
幸いなことに翌日には雨があがったので、青島がすぐに手配をして工事を急いでくれていた。
雨漏りの心配がなくなったことは有り難いことなのに、ほんの少しだけ残念にも思う。
青島の部屋に泊めてもらうことなど、もう二度とないだろう。
それが残念だった。
眠れなくて困るくせに、それ以上に二人きりでいられる喜びを感じていたということか。
我ながら浅ましいと思いつつ、室井は無表情を貫いた。
「ありがとう」
「いえいえ、こっちこそご面倒おかけしました」
ペコリと頭を下げる青島にそれではと声をかけ、室井は心の声が漏れないうちに部屋に向かった。


台所で料理をしていた室井は、屋根を叩く雨音に気付き、思わず天井を見上げた。
先日に比べればましだが、また雨が降りだしたようだった。
まだまだ残暑が続いていると思っていたが、これからは一雨ごとに寒くなっていくのかもしれない。
寒いのはあまり苦にならない室井だが、湾岸荘で過ごす冬は初めてである。
古い木造アパートだけあって、機密性が高いとは言えない。
恐らく冬場はかなり冷え込むだろう。
コタツがあってもいいかもしれないなどと思いつつ、天井を注意深く眺めてみるが、雨漏りはしていないようだった。
雨音に混じり、ドアをノックする音が響く。
「室井さーん、ちょっといいですかー?」
続いて聞こえてきた青島の声に目を見開き驚いたが、慌てて鍋の火を止めてドアを開けた。
青島が苦笑いを浮かべて立っていた。
「どうした?」
「いや、大丈夫かなと思って…屋根が」
そう言いながら、立てた人差し指を上に向ける。
どうやら、青島もこの雨でまた雨漏りしていないかが気になって様子を見に来てくれたようだった。
「大丈夫だ」
室井が身体を退けて部屋の中を見せると、青島は頭を突っ込むようにして部屋を確かめた。
もちろん屋根から滴る水滴もなければ、畳に染みもない。
青島は安心したように頷いた。
「良かった、ちゃんと直ってますね」
「おかげさまでな」
「今日は安心して眠れますね」
「先日は世話になった」
「寝床貸しただけですから…あ、すいません、飯時でしたね」
部屋に漂う匂いに気付いたのか、青島はいい匂いだとどこか羨ましそうに呟いた。
「…飯がまだなら、食っていかないか?」
一瞬躊躇したものの、かなりの勇気を振り絞って誘ってみると、青島は目を丸くした。
慌てたように首を振っている。
「えっ、や、そんな、悪いっすよ」
「遠慮されるほど大した飯でもないんだが」
「いやいや、そんなことは全然」
青島は更に首を振ってみせた。
遠慮ではなくただ嫌がられているだけだったらと不安に思わなくはないが、時々は二人で酒を飲むこともあるのだ。
飯を食うのは嫌だ、ということもないだろう。
室井はもう一度押してみた。
「一人で食べるのも味気無い」
良かったらどうかと誘うと、青島は顔色を伺うように室井の顔を覗きこんだ。
「ええと…本当に迷惑じゃない?」
「ああ」
もちろんだと思いながら頷くと、青島が破顔した。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
その顔を見たら、勇気を出して良かったと思った。

「…これ、室井さんが作ったんですか?」
テーブルを見つめて、青島が言った。
どこか唖然とした呟きに、室井は少し眉をひそめた。
それほど奇抜なものは作っていない。
「ブリ大根なんか、俺作れませんよ」
「ただ煮ただけだぞ」
「煮方が分かりません」
そう言って顔を上げた青島が真顔で続けた。
「煮ようと思ったこともないですよ」
自信満々に言うようなことでもないが、独身男性ならあまり作ろうとは思わないかもしれない。
室井だっていつでも手の込んだ料理を作るわけではなかったが、暇があれば料理をするのは苦にならなかった。
「そういや、料理好きだって言ってましたもんね」
一緒に飲んだ席で、そんな話をしたことがあったかもしれない。
青島も自炊はすると言っていたが凝ったものは作れないと言っていた。
料理は室井の唯一の趣味と言っても良かった。
ただあまり他人に振る舞ったことはない。
昔の恋人には料理を作ってもらったことはあったが、自身が作って振る舞う機会はあまりなかった。
「味の方は保証できないが、食えないことはないと思う」
微妙な勧め方が可笑しかったのか、青島は少し笑って箸をとった。
「十分美味そうです」
きっちり両手を合わせていただきますと断る青島をなんとなく見やりながら、室井も箸をとった。
他人に料理を振る舞うことがこんなに緊張することだとは思わなかった。
相手が青島だからかもしれない。
喜ばれたいと願ってしまうのは、仕方のないことだった。
箸を銜えた青島が、目を輝かす。
「…美味い!」
屈託ない称賛をくれる彼がお世辞を言っているようには見えなかった。
「凄い美味いですよ、室井さん」
「そうか」
室井は密かに入っていた肩の力を抜きつつ、そっと呟いた。
子どものように美味い美味いと喜んで箸を動かす青島に、安堵するやら嬉しいやらだ。
餌付けするつもりはないが、自身のすることで青島が喜んでくれると嬉しくなる。
思えば、こんな恋愛はしたことがない。
相手の行動に一喜一憂するほど感情の波が激しいタイプではなかった。
叶うはずがないと分かっている恋だからか、青島に何かをしてもらいたいというより、何かをしてあげたいという思いの方が強かった。
彼が嬉しそうな顔をすれば、室井も嬉しかった。
見た目にはそう変わらない表情の下で、室井は満たされたような気持ちになっていた。
「室井さん、他には何が作れるんですか?」
室井のグラスにビールをつぎながら青島が聞いてくる。
「そんなに変ったものは作れない。和食が多いな」
「ああ、そんな感じしますね。洋食は嫌い?」
「嫌いじゃないが、あまり作ったことがない」
「あ、じゃあ、今度俺がパスタ作りますから、食いに来てくださいよ」
青島をちらりと見ると、少し得意げに胸を張っていた。
「パスタは少し自信があるんです、若い時にはまってちょっと凝ったの作ったんで」
室井には良く分からない横文字の名前のパスタを例にあげて、青島は笑った。
「まあ、女の子にもてるかもと思って覚えたんですけどね」
彼らしい理由に思わず苦笑してしまった。
「役に立ったか?」
「まあ、作れば喜ばれましたけど、パスタでつれる女の子もいませんよね」
「恩田君ならつれるんじゃないのか」
「胃袋だけならつれるでしょうね」
顔を見合わせて笑い合うと、青島は箸を動かして「美味い美味い」と繰り返した。
料理を覚えていて良かったと心から思う。
青島と違い半ば自分のためだけに覚えた料理だったが、ここにきて思わぬ役に立った。
すみれじゃあるまいし料理で青島がつれるわけではないし、そんな気もなかったが、喜んでもらえるのならと思う。
室井は視線を落として、何食わぬ顔を作って呟いた。
「また食いに来い」
「そういう甘いこと言うと、本当に来ますよ?」
視線を向けると、青島は本音を探るように室井を見つめていた。
社交辞令など言うとも思っていないだろうが、室井が気遣ってそう言っているのではないかと確認しているようだった。
「構わない」
大きな目を見つめ返して短くだがはっきりと肯定すると、青島は途端に嬉しそうに笑った。
「やった!」
嬉しそうな青島を見ていて気が付いた。
青島を喜ばせたいと思うのは、決して青島のためではない。
それを見て幸せを感じる自分のためだ。
そう気付けば、自分を馬鹿だと笑いたくなるが、悪くはないかもしれないと思った。
結局は自分のためでしかなくても、青島は現実に喜んでくれている。
そうであるなら、自分の想いも無駄ではない。
いくら叶うことがなくても、伝えることができなくても、青島が笑ってくれるなら。
それで十分だと思えた。
これまで、青島をひっそりと想うことで、彼を裏切っているような後ろめたい思いがどこかにあった。
だけど、この想いはきっと悪いことばかりではないのだ。


青島が好きだ。
その想いに、室井は初めて前向きになれた気がした。










END

2012.6.10




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