■ 第一章 5.歓迎会


「すみれさん、食べ過ぎ」
「そんなことないわよ、ねぇ?」
「ええ、まだいっぱいありますから」
「それ否定になってないよ、雪乃さん」
「細かいわよ、真下君」
「食い物なら、まだいっぱいあんだろ。子供みたいなケンカするんじゃないよ」
「和久さんこそ、ちゃんと食べてる?食べずに飲んじゃだめですよ」
「すみれさんの言う通りですよ、身体に悪いですから」
「うんうん、雪乃さんは良いことを言いますね」
「真下君、私も言ってるんだけど」
「うーん、若い者の食い物はちょっとなぁ」
「カップラーメンは好きなくせに」
「うるせーぞ、青島」
「まぁまぁ、ほら、ピザとかフライドチキンじゃなくて、お寿司とかお漬物とかもありますよ?」
「こっちには、サラダとかギョーザとかコロッケとかさきいかとかもあるわよー」
「何そのラインナップ…もうちょっと統一できなかったの?」
「仕方ないよ、魚住さん。皆で持ち寄ったんだから」
「でも、先輩の買って来たキムチは辛すぎですよ」
「ばっか、辛いのが旨いんだよ」
「身体には良くねぇんじゃねぇか?」
「身体に悪いものほど旨いって言うしねぇ」
「そうそう…って、だから、すみれさん、食い過ぎ」

室井は日本酒の入ったグラスを片手に、目の前のやり取りをただ眺めていた。
入っていけない。
いや、別に入りたくもないのだが。
彼らが何かと理由をつけて飲み会をしているというのは事実なようだ。
最初に一通り自己紹介を済ませた後は、特に室井にこだわることもなく飲んだり食べたり騒いだりしている。
それが不服なわけではない。
むしろ、変に気を使われるよりずっと有り難かった。
「本当はもう一人いるんですけど、警備会社勤務でしばらく出張に出てて」
そう言いながら、青島が一升瓶を差し出してくる。
「…ありがとう」
室井はぐいっとグラスを呷り半分程空けてから、それに応じた。
室井のグラスを満たして、青島が感心したように言う。
「酒強いっすねぇ」
そう言う青島も弱くはなさそうだった。
平気な顔で日本酒を何杯か空けている。
ただ、目元が少し赤らんでいるから、酔っていないわけではなさそうだった。
「さすが秋田の人ね」
「すみれさん、それ偏見じゃないですか?秋田の人にも下戸はいると思いますよ?」
細かいことを言う真下に、すみれが嫌そうな顔をした。
「イメージよ、イメージ」
「秋田なら酒が旨いんだろうなぁ」
「お米の美味しいところですもんね」
雪乃が和久にお酌をしてやっている。
「お米もいいわねぇ」
にんまり笑ったすみれも若干酔っ払っているようだった。
魚住が不思議そうな顔で尋ねた。
「すみれ君はどうして太らないの?」
「うふ。美人は太らないようにできてるの」
「すみれさん、自分で言ってて恥ずかしくない?」
ねえ?と青島にふられて、室井も困る。
そうだなとも言えず、眉間に皺を寄せてグラスに口をつけた。
返答に困っていると思ったわけではないのかもしれないが、青島が話題を変えた。
「室井さん、大学の先生なんですよね。ええと、教授って言うんですかね?」
「ああ…俺は准教授だが」
「今は助教授って言わないんだねぇ」
魚住の言う通り、一年程前までは助教授という役職だったが、法律の改正で今は准教授と呼ばれるようになっていた。
呼び方が変わっただけで、室井の業務内容が特に変わったわけではない。
「学生に勉強を教えてるんですか?」
すみれが当たり前なことを聞いてくるから、多少面喰った。
「それはそうでしょう、大学の先生ですよ?」
真下が苦笑した。
授業はもちろん准教授の仕事の一つである。
室井の主な仕事は、授業と研究、それから教授の研究の手伝い、たまに講演会や学会などに顔を出すことだ。
「だって、なんかイメージが湧かないんだもん」
すみれが言うと、青島が笑った。
「ちょっと見てみたいよね、室井さんが教壇に立つ姿」
すみれや雪乃が見たい見たいとはしゃぐから、室井の顔が強張る。
そんなものを見たいと思われていることに驚いた。
見ても面白いことなど何もないはずだ。
当たり前だが、ただ室井が教壇に立ち、生徒たちの前で講義をするだけである。
イメージも何もあったものではない。
室井が教壇に立ったところで、何が変わるわけもない。
「…このままだぞ」
そう言うと、何故だか笑われた。
「そのままですかー」
「じゃあ、教壇に立ってても眉間に皺が寄ってんのね」
「迫力があって先生っぽいかも」
「学生になめられなくていいかもしれませんね」
「最近の若いのは、教師の言うことなんか聞かないって言うからなぁ」
「でも、なんか室井さんが若い子に囲まれてる姿が想像できないのよねー」
「若い子……言い方がいかがわしいよ、すみれさん」
なんと言ったらいいものだか分からなくなったので、室井はとりあえず酒を飲み続けた。


歓迎会は12時過ぎにお開きになった。
今日は主役だからと後片付けも免除され、室井は一足先に部屋に引きあげた。
宴会など久しぶりだったせいか、アパートの住人たちが騒々しかったせいか、静かな部屋で一人になると夢から覚めたような気分だった。
一つ溜め息を吐くと、冷蔵庫から冷たいウーロン茶を取り出しコップに注ぎ、煙草を片手に畳に腰を下ろした。
煙草に火を点けて深く吸い込むのと同時に、部屋のドアがノックされる。
「室井さん、ちょっといいですかー?」
驚いて、室井は煙草を灰皿の上に置いた。
青島の声だった。
「ああ」
短く返事をし立ち上がると、すぐにドアを開ける。
当たり前だが、青島が立っていた。
ついさっきまで一緒に酒を飲んでいたというのに、こうして改まって面と向かうと何故か少しだけ気後れする。
二人きりだからだろうか―。
「すいません、お疲れのところに」
「いや…どうかしたのか?」
「いえ、あのー、どうでした?歓迎会、嫌じゃなかったです?」
室井の様子を窺うように、青島が顔を覗き込んでくる。
なんとなく後ろに下がってしまいそうな身体を抑えて、首を振る。
嫌ではなかった。
付き合いが長いという彼らの会話には中々ついていけないし、例え付き合いが長くなったって室井にはついていけないかもしれないが、それが不快だったわけではない。
新しい住人のために歓迎会を開いてやろうという気持ちは嬉しかったし、歓迎ムードで出迎えてもらえたこともあり難かった。
社交的ではない室井だが、好んで関係を悪くしたいわけではない。
それに、自分が馴染めるかどうかは分からないが、このアパートの空気は好きだと思うのだ。
ノスタルジックな建物からも仲の良い住人たちからも、暖かい空気を感じる。
管理人の青島がそれらを大事にしているからかもしれない。
だが、そんなことをうまく説明することもできない。
きっと心配してわざわざ様子を見に来てくれたのであろう青島になんと言うべきか迷ったが、感謝の気持ちだけは伝えておきたかった。
「歓迎会を開いてもらえて感謝している。皆と話せて良かった」
青島がホッとした顔をした。
「そっすか、それなら良かった……あ、そうだ、これ」
愛想笑いのような笑みを浮かべて、青島がビニールの袋を差し出した。
「…?」
首を傾げながら、その袋を受け取る。
中を覗き込むと、サンダルが一足入っていた。
紺色の和柄のサンダルで、足裏に接するインソールの部分が畳のようだった。
「い草って湿気を吸い取ってくれるから、夏でも快適なんだそうですよ〜」
一緒に袋を覗き込むような仕草で青島が言った。
袋から顔を上げて、青島を見上げる。
「…これは?」
「良かったら使ってください」
青島に言われて、ようやくそれがプレゼントなのだと理解し、驚いた。
また袋の中に視線を落とす。
「アパートの中で履くのにいいかなっと思って」
室内用のサンダルは用意しようと思っていたが、今は青島の了承を得てアパートにあったスリッパを借りていた。
それを気にして用意してくれたのだろうか。
再び青島を見上げると、どこか照れくさそうに笑っていた。
「すまない、気を遣わせたな」
「いえいえ、ええと、ほら、お近づきのしるしってことで」
顔の前で手をぶんぶんと振って、安モノですけどねと付け足す。
その言い方にも彼の照れを感じて、室井は表情を和らげた。
青島の厚意と親切が素直に嬉しかった。
「ありがとう、使わせてもらう」
目をぱちくりとさせた青島は、嬉しそうな笑みを浮かべた。
まるで自分がプレゼントをもらったような笑みである。
それに見とれていたことに気づいたのは、青島が「じゃあ」と呟いたからだ。
「お邪魔してすいません、ゆっくり休んでくださいね」
「あ、ああ、ありがとう」
室井が頷くと、青島はドアを閉めかけた。
途中で止めて、二コリと笑う。
「室井さんも煙草吸うんですね」
言われて、思いだした。
吸いかけの煙草が灰皿の上で燃えているせいで、匂いがしたのだろう。
「時々な」
煙草が手放せないというほどではなかったが、一応室井も喫煙者だった。
仕事で行き詰ったりすると本数が増えたりはするが、普段はあまり吸わない。
気が向いたら時々口にする程度である。
「室井さんも喫煙者か」
何故か青島は嬉しそうだった。
「このアパート、喫煙者の肩身が狭くって」
管理人なのに肩身が狭いというのもおかしな話だが、そういえば玄関で煙草を吸っていてすみれにも嫌がられていた。
歓迎会の最中も、何度か席を立ち換気扇の下で吸っていたのを目撃している。
他に誰もそうしていなかったから、他に喫煙者がいないのかもしれない。
「仲間ができて嬉しいです」
「肩身が狭いことには変わりないと思うが」
「一人より二人です、心強いですよ」
「だが、恩田君に勝てる気はしないんだが」
「奇遇ですね、俺もそう思います」
顔を見合わせると、青島が吹き出し、つられるように室井も小さく笑みを浮かべた。
「じゃあ、本当に失礼しますね」
「ああ」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
今度は気負わずに、普通に挨拶が返せた。
ドアが閉まる直前に、青島が二コリと微笑んだのが見えた。


不意に室井は思い出した。
このアパートに住むことを決めたのは、この男と離れ難かったからだと―。










END

2008.11.7




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