■ 湾岸荘〜プロローグ〜


「おい…お前、本当にここに住むのか?」
隣に立った一倉が、呆れたように言った。
黙ってそのアパートを見上げていた室井は、緩く首を振った。
「いや、不動産屋の手違いだろう」
昨日不動産屋に電話をし、こちらの条件にみあった部屋を紹介してもらったのだが、紹介された物件を見に来てみたら随分条件と違っていた。
築30年はかたい木造の二階建てアパートである。
下手をしたら風呂はなくトイレは共同ではないだろうか、と思うくらい古い。
独身の一人暮らしだから室井も贅沢をするつもりは全くないが、このアパートに住まなければならないほど生活が苦しいわけでもない。
「なんだよ、無駄足か」
溜め息をついて帰ろうとする一倉に、室井は声をかけた。
「車で待っててくれ」
「ん?」
「不動産屋の話しだと、俺に部屋を見せるよう管理人に頼んであるらしい」
勝手に帰るのも悪いだろうと言う室井に、一倉は苦笑した。
「律儀なこった」
そう言って、車に戻っていった。
室井は一つ溜め息をついて、アパートの入り口に立った。


引いたドアは妙に軽かったが、立てつけも悪くはなく、不快な音はしない。
ドアの向こうはすぐに玄関で、ここから靴を脱いであがるらしい。
アパートというよりは、昔の下宿や寮に近い印象を受けた。
そっと中に入りドアを閉めると辺りを見回す。
玄関を中央にして左右に廊下が伸び、壁にいくつかドアがあった。
思ったよりもキレイな内部に少し驚く。
廊下に置いてある年代ものであろう小さなテーブルに、花が活けてあった。
窓の下には、ガラスでできた可愛らしい風鈴がぶらさがっている。
なるほど、と室井は思った。
古い建物でも、人の手さえ入っていれば、ちゃんと見られるし暮らせるのだ。
なんとなく温かみすら覚えながら、室井は靴を脱ぎ、廊下に上がった。
脇にスリッパが置いてあったから、拝借する。
「どなたかいらっしゃいませんか」
声をかけながら歩くと、背後で勢い良くドアが開き、室井は足を止め振り返った。
通りすぎた部屋のドアが開いて、中からTシャツとジーンズというラフな格好の若い男が顔を出していた。
室井を見て、目を丸くしている。
大きな目だと思いながら、室井も思わず男を凝視してしまった。
「あ、もしかして、部屋を見にきた…室井さん?」
名前を呼ばれて驚いたが、なんのことはない。
初対面であるはずの室井の名前を知っているということは、この男が管理人なのだろう。
目の前の青年とこのアパートの管理人という職業が酷く不釣り合いな気がして驚いたが、きょとんとした目に見つめられていることに気が付き、室井は慌て頷いた。
「あ、ああ、そうだが…」
「やっぱり!」
男がニコリと笑った。
「良かった良かった…すいませんね、お迎えにも出ないで。来る時間も確認しなかったもんだから…あ、場所はすぐ分かりました?」
室井が呆気に取られているうちに、男がサンダルを履いて部屋から出てきた。
目の前に立つと室井よりもいくらか長身であることが分かる。
「まぁ、ボロアパートなんで、この辺りじゃ逆に目立ちますけどね」
にこやかに愛想良く話しかけてくるが、室井はすぐに返事が返せない。
室井の周りにはいないタイプの男だった。
どう、相手をしていいか分からない。
尤も手違いであることを話して帰るだけだから、この男と何を話す必要も元々ないのだが、そんなことはすっかり失念していた。
「じゃあ、早速部屋見ましょうか?」
男にそう言われて初めて、自分が言わなければならないことを思い出したが、
「室井さん?どうかしました?」
首を傾げて問われて、室井は思わず頭を振っていた。
「いや、何でもない」
「そうっすか?じゃあ…あっ」
行きかけて、男は室井を振り返った。
「俺、青島って言います。ここの管理人の、青島俊作です」
よろしくと言って、またニコリと微笑むと、室井を先導して歩き出す。
言わなければならないことがあるのにと思いながら、室井はその後を追っていた。
後を追うと、嗅ぎ慣れない煙草の香りがした。


「この部屋です」
通された部屋は二階の一室で、ワンルームではあったが思ったよりも広い部屋だった。
12畳の和室で、広い押入れもある。
台所とトイレはあったが、風呂はやはりないらしい。
「近くの銭湯に通ってもらうことになるんですけど」
今時有り得ませんよねぇと、青島は苦笑気味に言った。
今時有り得ないといえば、管理人が一緒に住んでいるアパートというのも最近あまりない。
外観と合わせてみても、随分ノスタルジックなアパートだった。
「日当りはいいんですよー」
青島の言う通り、カーテンの掛かっていない窓からは太陽の光が差し、部屋の中が明るく感じる。
そういえば、この部屋だけではなく廊下を歩いている時でも、古い建物独特の陰湿な印象は受けなかった。
「建物が古いんでね、あれですけど……家賃を考えたら悪い物件じゃないと思いますけどね」
言ってから、青島は室井を振り返り、じっと見つめてくる。
急に背中がそわそわするような居心地の悪さを覚え、室井は眉間に皺を寄せた。
心臓に悪い目だと思っていると、不意に青島が苦笑した。
「室井さん、本当にここに住む気ですか?」
管理人にまで一倉と同じことを聞かれ、目を剥く。
「いや、失礼な言い方だけど、室井さんの格好を見てたら、こんなところに住むような人じゃないだろうなぁと思って」
室井は仕事の途中で抜けてきたのでスーツを着ていた。
暑いから上着だけは車においてきていたので、ベストにスラックスという格好だ。
スーツ姿で何が分かるのだろうかと思ったが、どうやらブランドもののスーツだと分かったらしい。
「あ、こんなところって言ってもね、俺はいいところだと思ってんですけどね」
自分で言った言葉を否定して、青島は明るい笑顔を見せた。
「俺は大好きですけど」
心からそう思っているという笑顔。
いい顔だ、と室井は思った。
「でも、まー、結局は古い木造アパートですからね。生活に余裕があれば、わざわざここには住まないのが普通でしょうから……で、室井さん、本当に住むんですか?」
再び問われて、室井はまた眉間に皺を寄せた。
「すまない、実は不動産屋の手違いなんだ」
事情を説明すると、青島は苦笑した。
「あ、やっぱり……そうじゃないかなーとは思ったんですよね」
最初から疑問に思いながら室井を案内してくれていたのだろう。
なんかおかしいなぁと思ったんですと言う青島は、少し残念そうに見えたが納得がいったようだった。
「でも、室井さん、遠慮しないでもっと早く言えば良かったのに」
「…すまない」
「いや!怒ってるんじゃなくて……いいひとだなーと思っただけっすよ」
そう言って朗らかに笑うから、室井は眉間に皺を深めた。

いいひとなんかでは、全く無い。
室井は別に言い出しづらくて、青島に言えなかったわけではないのだ。
言いそびれただけだ。
言いそびれたのは何故か。
言ってしまえば、それ以上青島と話すことがなにもないから。
もう二度と会うこともないから。

「室井さん?」
青島がまた首を傾げて室井を見ている。
「どうかしました?」
不思議そうな青島をよそに、室井は大きな決断をした。
多分、今まで生きてきた中で、一番の即決だったと思われる。
「青島君」
「はい?」
「この部屋を借りたいんだが、構わないか?」
今度は青島が目を剥いた。
「え?あ、でも、だって、間違いだったんでしょ?無理しなくても…」
「無理じゃない」
室井はきっぱりと言うと、部屋の中を見渡した。
部屋は日当りが良く清潔で広いし、収納場所も広い。
風呂場はないが、近くに銭湯があるというから、なんとかなるだろう。
駅から近く家賃は格安だし、充分に優良物件である。
室井は冷静にそう判断し、あまり冷静ではない心を納得させた。
「見せてもらったら、ここを気に入ってしまった」
それは素直な気持ちだった。
「え…」
驚いた顔をした青島に、軽く頭を下げる。
「ここに住まわせてもらえないか?」
「!…や、やめてくださいよ、そんなの…っ」
肩を掴まれて顔をあげると、青島は満面の笑みを浮かべていた。
「いいに決まってんでしょっ」


室井も青島も、後から気付いた。
この日が運命の日だったことに―。










END

2008.8.23

あとがき


いつかの日記で書いた「めぞん一刻」風味な室青です。
目指しているところは「めぞん一刻」です。
辿りつくかどうかは分かりませんが!

日記で書いた物をプロローグとしまして、続きを書いていこうと思います。
長い連載になる気がします。
全く先を決めていないので何とも言えませんけども(こら)
ゆっくりじっくり二人の恋が実る様を書いていけたらいいなぁ…。
見てる方がイライラするような恋愛を書きたいです(笑)

というわけで、更新もゆっくりになりそうです。
最後までお付き合い頂けたら幸いです!
よろしくお願いいたします(^^)

できたら、漫画のようにサクサク読めるようなお話にしたいな…。


あ、シリーズのタイトルは「湾岸荘」にしました。
単純ですみません…。
めぞん青島にしようかなーとも思ったのですがね。
どちらにせよ単純です(笑)

「湾岸荘」というからには、色んな人を登場させて行きたいです〜。



template : A Moveable Feast