■ ヴァンプ小話(24)
青島は不自然な息苦しさに目を覚ました。
何かに呼吸を邪魔されているような気がしたが、目を開ければ暗い部屋の天井がぼんやりと見えるだけだ。
「…?」
気のせいかと思ったがそうではないことを、動かない身体で悟った。
正確に言えば、全く動かないわけではない。
手を持ち上げようと思えば、5秒後くらいに腕が浮く。
極端に動き辛くなっているのだ。
「あ…?」
どうしたんだろうという疑問が、短い呟きになって漏れる。
「どうした?」
不意に視界に室井が入ってきた。
隣で眠っていたはずだが、今は青島を覗き込むように見下ろしていた。
気配に敏い室井だから、青島の異変を感じ取ってくれたのだろう。
室井を見上げながら、青島はゆっくりと瞬きをした。
―起こしちゃったかな、今何時だろ、なんか熱い、喉乾いたな。
そんなことを考えて口から出た言葉は、
「…水…」
それだけだった。
室井は少し眉を顰めると、青島の額に触れた。
慣れた冷たさのはずが、いつにも増してひんやりしている。
不思議ではあるが、あまりにも気持ち良くて青島が目を細めると、逆に室井は目を剥いた。
眉間に深い皺を作ると、青島から手を引きベッドから降りる。
それどころか寝室からも出て行ってしまった。
どこへ行くのかと引き留めたいが、声が思うように出ない。
青島は何故か激しい寂しさを感じ、不安になった。
室井が寝室から出て行っただけで、今までにない変な喪失感を感じる。
―置いて行かないでよ。
―あんたが、俺を置いて行かないで。
勝手で、幼稚な要求が頭に浮かぶ。
異変は身体だけではなく、心にも生じていたらしい。
「…室井さん…」
小さく名を呼ぶと、聞こえたわけでもないだろうに、寝室のドアが開いた。
室井が戻ってくる。
手には水の入ったグラスがあった。
それを見て、自分がそれを要求したのだということを、薄っすらと思い出した。
「起きれるか?」
室井が聞いてくるから、青島は起き上がろうと身じろいでみたが、身体が異様に重たく起き上がるのは困難で、それを目だけで訴えてみた。
室井は顔を顰めて水を口に含むと身を屈めた。
唇が塞がれ口移しで青島の口内に水が流れてくる。
それが信じられないほど、美味しく感じられた。
室井が唇を離すと、青島はあえぐように言った。
「…もっと…」
少しだけ眉を動かしたが、室井はすぐにもう一度水を含んで、青島にキスをした。
何度か繰り返して、室井の手が青島の前髪を梳く。
青島が水を欲しがらないか様子を見てから、室井が言った。
「いつからだ?」
何が?と目で問うと、室井は深い溜め息を吐いた。
「お前、熱があるぞ」
ああそうか、と青島は思った。
言われて気付くなんてよっぽどだが、それなら合点がいく。
身体の熱さも、喉の乾きも、不安定な心も。
全ては熱のせいである。
「なんで気付かないんだ、こんなになるまで」
低く呟きながら、室井のひんやりした手が青島の額を撫ぜる。
怖い顔で見下ろされるが、心配されていることは分かっている。
青島は力なく笑みを浮かべた。
「…面目ないです…」
予兆が全くなかったわけではない。
寝る前に少し寒気がするなとは思っていたが、室井とじゃれあっているうちに気にならなくなる程度のものだった。
それが寝ている間に悪化したらしい。
室井は青島の額や頬に触れながら、眉間に皺を寄せてカーテンの閉まった窓を見た。
「…今の時間では、薬すら買いに行けない」
ぼそりと呟いた声は、憂鬱そうに響いた。
思えば、青島が室井と一緒に暮らすようになってから、青島が風邪を引いたことは一度もなかった。
基本的に健康体なのだ。
室井も風邪をひかないから、その時に必要になるものが室井の自宅にはほとんどなかった。
正確な時間は分からなかったが、室井が外出できるような時間帯ではないことは、青島にも分かった。
「…大丈夫…薬なんかいらないから…」
掠れた声では説得力がないがそう言って、青島は動かない手をなんとか動かし、顔に触れている室井の手に触れた。
節々は痛いし、身体は熱いのに寒気がするし、できることならこの不快感をなんとかしたかったが、青島には薬よりもずっと必要なものがある。
「ここに、いてくれたらいいから…」
触れた室井の手を握ると、当たり前のように握り返された。
そのまま室井が覆い被さってくる。
優しく唇に触れるだけのキスをした。
青島の呼吸を邪魔しない程度に何度か繰り返された優しいキスとは裏腹に、怖い顔をしていた室井に青島は声もなく笑った。
「室井さんに…風邪はうつんない…?」
「ああ」
素っ気無く頷いてもう一度唇を重ねると、室井は青島から離れた。
「…すぐ戻る」
律儀に断って室井が寝室から出て行くのを見送り、青島は目を閉じた。
室井はどこへも行かない。
行けないのではなくて、行かないのだ。
青島の傍から、離れるわけがない。
妙な安心感に、青島は再び眠りに落ちた。
「……風邪ですね。薬飲んで寝ておけば治るでしょう」
誰かの話し声で、青島は眠りから覚めた。
声の主は、室井ではない。
青島には聞いたことのない声だった。
「そうか」
静かな声は、紛れもなく室井の声だった。
「熱がかなり高いから、汗をとって、小まめに着替えさせてください」
「分かった」
「水分も充分取らせるように」
「ああ」
「ところで、室井さん」
「なんだ」
「この男、誰です?」
事務的な口調のまま男が言う。
この男というのが自分のことだということは分かるから、青島は目を開けようかどうしようか迷った。
寝たふりをする意思はなかったが、目を開けるのも億劫で結局動かずにいると、室井が言った。
「青島だ、一緒に暮らしてる」
「あなたが人間と同居してる…?」
男の声に意外そうな響きがあったが、室井は淡々としていた。
「ああ」
「珍しいこともあるものだ。よほど上質の食料なんですか」
男が誰だか知らないが、室井が吸血鬼だということは知っているらしいから、室井とは親しい間柄なのかもしれない。
青島がぼやけた頭の片隅でそんなことを思っていると、室井が平坦な声で言った。
「恋人だ」
「…は?」
「青島は俺の恋人だ。だからここにいる」
淡々と告げられた事実に、驚いたのは何もそれが初耳であろう男だけではない。
青島も十分驚いた。
ただでさえ熱い頭が更に熱くなった気がした。
室井が青島を恋人だと言った。
ちゃんと気持ちを通わせていたが、室井の口からそう言ってもらえるとは思っていなかった。
室井がそう思っていないというわけではなく、言葉にするようなことはないと思っていた。
また、それで良いと思っていた。
室井の気持ちが青島にあるのは、ちゃんと分かっている。
それだけで十分だった。
それなのに、思わぬところで、思わぬ言葉を聞いた。
どうしよう、と思う。
具合が悪いというのに顔が笑いそうになるほど嬉しかった。
寒気ではなく身体が震える。
「恋人…あなたの?」
男が意外そうに言ったが、室井は変わらず淡々としていた。
「ああ」
「本当に珍しい」
「そうだな」
「人間に興味ないんじゃなかったんですか?」
「人に興味はない」
「なら、この男は?」
その質問に室井は答えなかった。
「診察料はいくらだ、新城」
用は済んだからさっさと帰れと言わんばかりの室井の声。
医者と思われる男は鼻で笑ったようだったが、それ以上何も言わなかった。
二人が寝室から出て行く気配がして、青島はそっと目を開けた。
見慣れた寝室の中には誰もいなかった。
「…夢じゃないよね?」
熱に浮かされたわけじゃないよなと、自分の意識を確認した。
確認して、なおも緩む口元を隠すように布団を引き上げた。
こんなことが、驚くくらい嬉しかった。
室井からの言葉を望んだことはないつもりだったが、欲しくなかったわけではなかったようだ。
ほどなくして、再び寝室のドアが開いた。
室井が戻ってきた。
目を開いている青島に気付いたらしく、枕元に寄ってきた。
「気付いたのか」
「ん…」
「今、医者に診てもらった、風邪だそうだ。薬を貰ったから、後で飲め」
室井のひんやりした手が額に触れ、頭を撫ぜる。
その触れ方が優しくて気持ちいい。
「室井さん」
掠れた声で室井を呼ぶと、室井は少し青島に顔を近付けた。
「なんだ」
「俺、恋人?」
目を剥いた室井に、青島は布団の下で笑みを零した。
「聞いてたのか…」
眉間に皺を寄せたが、室井は青島に触れた手を引かなかった。
そのまま青島を不機嫌そうに見下ろす。
「文句あるか?」
「あるわけないでしょ」
青島は布団から顔を出して、微笑んだ。
本当に嬉しかったのだ。
それをどうやって伝えようか迷って、だるい腕をなんとか室井に伸ばした。
室井の頬に触れるが引き寄せるほどの力は入らない。
それを察してくれたのか、室井から近付いてきた。
ねだるように持ち上げた顎を掴み唇を重ねてくれるから、青島の気持ちは伝わっているのかもしれない。
軽く触れ合わせただけだったが望みが叶えられたことに満足し、青島は目を閉じた。
「風邪ひいて良かったかも」
思わぬ言葉を室井の口から聞けた。
こんな機会は中々ない。
「ばか言うな……早く治せ」
室井の手はずっと青島の額に触れたままで、青島は目を閉じたまま笑った。
医者設定の新城さん初登場、ほんのちょっとだけですが。
中々素直に気持ちを口にできない室井さんですが、
ちょっとずつ変わっていっているのではないかと思います。
是非とも青島君に好きだと言わせたい!(笑)
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