■ Next door to me(5)
『すまないが、いけない』
青島は携帯を眺めながら、溜め息を吐いた。
室井を誘って、三回続けて断られた。
これ以上青島から誘う勇気は、さすがに無かった。
「嫌われた、かな…」
原因として思い当たる節は一つ。
室井の部屋で酒を飲んだときに、青島が酔いつぶれてしまったことだ。
確かに青島の不注意だった。
いくら室井がうるさくない男だとしても、仮にも相手はキャリアの上司である。
青島が気を抜きすぎたせいで、舐められていると室井が感じていてもおかしくはない。
青島は間違えても室井を軽く見ているわけではない。
知れば知るほど信用に値する人物だと思うし、ちゃんと尊敬もしていた。
だが、青島にとって室井と過ごすことは、上司と部下という関係以上のものがあったのだ。
一緒にいると楽しかった。
それが、いけなかったのかもしれない。
青島が室井に心を許して気を抜いた分だけ、室井にとっては馴れ馴れしい無礼な男に見えたのかもしれない。
普通に考えればそう思ったが、青島には単純にそうとも思えなかった。
室井がそんなことを思う男だとは思えなかったのだ。
そんな男だったら、青島は室井と酒を飲んでいて酔いつぶれるなんてことは絶対にしなかった。
元営業マンなのだから、自分の酒量くらいはちゃんと知っている。
室井と飲んでいて酔いつぶれたのは、気が緩んでいたせいもあるが、興奮していたせいでもあった。
―また、作ってやる。
自分でも驚くほど、室井のその言葉が嬉しかったのだ。
嬉しさに任せて浮かれて飲み続けた結果、泥酔してしまった。
それが室井の勘に触ったのかどうかははっきりしないが、あの日を境に室井が青島を避けていることは確かだった。
―どうしよう…。
考えてはみたが、特にどうする必要もないのだろうと思った。
青島が室井を酒に誘い室井がそれを断らなかったから、今まで続いていた関係だった。
室井に拒まれればそれで終わっても仕方がない関係である。
青島にしてみれば室井に対して確かな好意があったが、室井がどうだったかなど知りようもない。
その事実に、青島は今更ながらショックを受けた。
室井の友人にでもなった気でいたのだろうか。
それともなりたかったのだろうか。
しっくりいかない思考に戸惑いながら、青島はもう一度手の中の携帯を見つめた。
嫌われたのなら仕方が無い、青島にはどうしてもそう割り切れなかった。
青島自身が悪かったのなら、謝って許してもらうことはできないのだろうか。
それでも許して貰えなければ、せめて理由だけでも知っておきたい。
そうでなければ、納得がいなかい。
室井は愛想のないそっけない話し方をするが、意外と面倒見が良くて優しい。
最近では時々は笑ってもくれるし、色んな話をしてくれるようになった。
そんな室井に避けられるほどのことを、泥酔した自分がしたのだろうか。
青島は何度考えても埒の明かないことを考えて、また溜息を吐いた。
この2週間、青島は室井のことばかり考えていた。
『すまないが、いけない』
そっけないメールを返して、室井は溜息を吐いた。
青島からの誘いを、三回続けて断った。
これが最後だったかもしれないと思いながら、室井は安堵した。
それと同時に酷く切なくなってくる。
あの人懐っこい男と一緒に酒を飲むことなど、もうないのだろう。
本音を言えばそれが悲しかったが、室井にはどうすることもできなかった。
青島に惚れているのかもしれない。
曖昧にだったがそう思った瞬間に、もう一緒にいてはいけないと思った。
きっと一緒にいれば、もっと好きになってしまう。
鈍感な室井にもそれくらいの予感はあった。
それに一緒にいれば、聡い青島にいずれ気付かれてしまうだろう。
それだけは避けたかった。
男の自分が男の青島に惚れるなど、青島が知ったら虫唾が走るだろう。
悟られていない今なら、唯の上司と部下に戻れる。
その方が、自分はもちろん青島のためでもある。
恋愛経験が豊富とはいえない室井だが、抱えていたってどうにもならない想いがあることくらいは、ちゃんと知っている。
割り切ることは難しくない。
室井はそう思っていた。
心に閊えている想いの代わりに小さな咳を繰り返して、室井は深呼吸をした。
最近寝不足が続いているせいか、風邪を引いたようだった。
数日前から咳が気になっていたが、今朝になったら少し身体がだるかった。
気分が晴れないのは、きっとそのせいだと室井は思う。
わざわざ青島を遠ざけて心の平穏を選んだのだから、いつまでも引きずってはいられない。
―会わなければ、こんな気持ちも忘れてしまうだろう。
時間が解決してくれる。
この2週間、ざわついた心が落ち着いたことなど一度もないのに、室井は無理やり自分に言い聞かせた。
先程室井が帰宅したことは、聞き耳を立てて確認した。
青島は意を決して、室井との間にあるドアをノックした。
「室井さん」
声を掛けるが、返事が無い。
「室井さん」
もう一度呼ぶが、隣室はしんとしていて、物音一つ聞こえてこなかった。
挫けそうになるが、青島ももう引けなかった。
返事が無いのを承知で、話し始める。
室井の回答は貰えないかもしれないが、聞くだけでも聞いて欲しかった。
「この間は迷惑を掛けてすみませんでした」
そのことに関しては、翌朝すぐに謝った。
気にしていないと短い返事をくれたが、その時にはすでに室井の態度は硬かった。
「俺…室井さんといると、気が抜けちゃって、ハメ外しちゃって…あの、すみませんでした」
「…気にするな」
やっと返ってきた返事だったが、それじゃあと納得して済むような答えではなかった。
青島は開かないドアを見つめた。
「俺、他にも何かしました?室井さん、怒らせるようなこと」
「いや」
堪らず、思い切って聞いた。
「じゃあ、何で避けてるんですか」
室井が青島を怒っていないのなら、やはりこの態度はおかしい。
他に原因があるなら、青島はちゃんと知りたかった。
室井とこれきりになるなんて、青島はどうしても嫌だったのだ。
「…避けてなんかない」
「朝も今までより早く出勤してるのに?顔を合わせることも、話をすることもなくなったのに?」
「俺だって、そんなに暇じゃないんだ」
鋭く言われて、青島は言葉を飲み込んだ。
呆然として、いくらか時間をかけてようやく室井の言葉を理解した。
青島に時間を割いている暇はないということだろう。
何故室井が急にそんなふうに思ったのかは分からないが、そう言われてしまえば青島に否定など出来ない。
邪魔だったんだと気が付くだけだ。
―なんだ、結局嫌われたんじゃないか。
絶句していた青島に、不意に室井が声を掛けてきた。
「すまない、言い過ぎた」
青島は深呼吸をして、声に力を入れた。
気を抜いたら、泣きそうだったからだ。
「いえ、分かりました。迷惑を掛けてすみませんでした」
「青島」
「なるべく早く、ドアを直してもらいますから」
今度は一方的に会話を打ち切ろうとした青島に、室井の方が声を掛けてきた。
「あお…っ」
青島を呼ぶ声が途切れるのとほぼ同時に、大きな音がした。
まるで重たいものが倒れたような音に、ドアから離れかけていた青島は足を止めた。
「…室井さん?」
ドアに向かって声をかけるが、反応はない。
あまり良い予感がしなかったから、青島はちょっとだけ躊躇ってからドアに手を掛けた。
「あけますよ、室井さん」
やっぱり返事が無いのを気にせずに、青島はドアを開けた。
「…!室井さんっ」
室井がソファーに寄りかかるように倒れているのを見て、青島は目を剥いた。
帰ってきたところをすぐに青島が声をかけたせいか、室井はコートを脱いだだけの格好だった。
慌てて近寄ると、身体を起こした。
それだけで、室井の身体が熱いことが分かった。
「すごい熱じゃないですかっ」
「大したこと…」
ないなんて言われても納得できるはずがない。
肩を貸して歩かせると、覚束ない足取りで室井はベッドに向かった。
「ええと、着替えしないとだめですね。着替えられます?」
「あお…」
ベッドに室井を座らせて、ベッドの上に畳んであったパジャマを渡した。
「着替えて寝てください。風邪薬なんてあります?体温計とか」
俺んちにあったかなと呟く青島の腕を室井が掴んだ。
「大丈夫だから」
だから放っておけということだろう。
尚も拒絶される痛みに、青島は顔を顰めた。
だが、傷ついている場合ではない。
「どこがですか。そんなに熱い身体して」
「青島」
「とにかく寝てください」
「だい…」
「いいから、言うこと聞けっ」
青島が怒鳴ると、室井は呆然と青島を見つめた。
熱のせいで力の入らない瞳を丸くしている。
青島は視線を逸らして、俯いた。
「俺のことは嫌いで構わないから…今だけ」
そう言うと、室井の手をそっと払った。
薬を探してきますと言って、室井に背を向けた。
「青島」
振り返らずに青島は足を止めた。
「嫌いじゃない」
振りかえると、ベッドの上に座ったままの室井が、青島を真っ直ぐに見つめていた。
目を瞠った青島を見つめたまま、もう一度繰り返す。
「君のことは嫌いじゃない」
青島は微笑んだ。
微笑んだつもりだったが、その笑みは嫌われていないという安堵と嬉しさから泣きそうに歪んでしまい、慌てて視線を逸らした。
「良かった」
顔を背け表情を見られないように誤魔化し自分の部屋に戻ろうとしたが、室井に腕を掴まれ引き寄せられた。
気付けば熱い胸に抱きしめられていて、青島は訳が分からず目を白黒させた。
「え…あ、え?」
「青島」
「は、はい?」
動揺する青島を他所に、室井は落ち着いていた。
本当はむしろどこかがキレてしまっていたのだが、そんなことは動揺している青島に気付けるはずもない。
「嫌いじゃないんだ」
「あ、はい。嬉しいです。嫌われたと思ってたんでホッと…」
「違うんだ」
「何がですか?」
抱きしめられていた腕は外されたが、目の前に室井の端正な顔があった。
「君が、好きなんだ」
「!」
青島を見つめる室井の目は、どこまでも真剣だった。
こうなれば青島にだって、室井の言う「好き」が友人や部下に対する親愛の情ではないことくらい伝わった。
―室井さんが、俺を?え?マジで?え、ええ?何で???
青島は混乱したが、室井が嘘を吐くわけがなく、またこんな嘘を吐く意味もなかった。
何より今の室井を見れば、それが本心だと容易に伝わる。
驚きのあまり声もない青島に、室井は失笑した。
「気持ちが悪いだろう?君にバレるのが嫌で、避けた」
自嘲するように笑う室井に、青島は言葉もなくただ首を横に振った。
混乱が激しくて、まだ言葉が出なかった。
何が起こっているのか良く分からなかったが、室井が青島を好きだと言ったのは確かだった。
―気持ちが悪い?いや、全然。そんなことないよな。むしろ、嬉しい。……嬉しい?
ポンッと音がしそうな勢いで、青島は赤面した。
青島の変化をどう受けとったのか、室井は目を伏せ視線を逸らした。
「すまなかった。迷惑を掛けた」
「…じゃないです」
「…?何だ?」
「だから、迷惑、じゃ、ない、です」
なんとか途切れ途切れの回答をした青島は、熱のある室井よりも真っ赤な顔をしていた。
青島を見つめた室井の目が、驚きに見開かれる。
「その、正直言うと、室井さんのことをどう思ってるのか、良く分かんないんですけど」
顔が異常に熱いことを自覚しながら、青島は笑った。
「嬉しいと、思います」
「青島…」
「ははっ…ええと、と、とりあえず、薬探してきますから」
照れ臭さのあまりとりあえず離れようとした青島の身体を、室井がもう一度捕まえた。
腕をとられ引き寄せられたかと思ったら、ベッドに身体を押し付けられて上から見下ろされた。
さすがに青島も慌てた。
「ちょ、ちょっ、ちょっと、室っ」
「青島」
「はいっ?」
「キスしてもいいか」
「キッ」
猿のような奇声を上げて、また赤くなった。
別人のように積極的な室井に、すぐにはついていけない。
「嫌なら、そう言ってくれ」
青島に圧し掛かった室井の身体が異常に熱い。
熱のせいもあってこんな行動に出たのだろうが、室井の真剣な眼差しは熱に犯されている目ではなかった。
青島は逡巡して、心を決めた。
聞かれてすぐに「嫌」と思わなかったということが、室井の気持ちに対する答えのような気がしたのだ。
はっきりと「室井を好きだ」と自覚できたわけではないが、室井がキスしたいと言うなら別に構わないと思った。
「…どうぞ」
短く答えると、室井は目を見開いた。
それも一瞬ですぐに真顔に戻り、そっと青島に顔を近づけてきた。
―わっ…近い、ってキスするんだから当たり前だけど。
―ちょ、ちょっと、コレはどきどきするかも…。
いくらか混乱したままの思考で思いながら、青島は近づいてくる男の顔を見つめていた。
―でも…やっぱり、悪い感じじゃない…。
青島が目を閉じようと細めた瞬間に、室井が身体を止めた。
「…むろいさん?」
「風邪…」
「は?」
「風邪、うつるだろうか」
この期に及んで何を言うんだこの男は。
青島は呆れた顔をしたが、すぐに苦笑した。
こういうところは、やっぱり室井だった。
「ここまできて止められると、俺も困るんですけど」
心の準備とか色々と…とブツブツ零すと、室井も苦笑した。
「…それじゃ」
改めて唇を寄せてくる室井に、青島は緊張気味に頷いて目を閉じた。
唇に小さな温もりを感じたと思ったら、それはすぐに離れていった。
目を開けると目の前には室井の真面目な顔があり、数回瞬きを繰り返して、青島は耳元まで赤面した。
―うわー。うわー。こ、これは、ちょっと、まずいかも…。
―いや、室井さん、俺をスキだって言ってるんだからまずかないけど…いやでも…。
子供みたいな触れるだけのキスに動揺してしまう。
「青島?」
茹蛸のような青島に、室井も驚いていた。
青島は慌てて室井を押しのけて起き上がろうとしたが、室井はどけてくれない。
「終わりましたよねっ。じゃあ…」
「青島」
「な、何ですか」
「顔、真っ赤だぞ」
「…風邪、うつったんです」
「早いな」
ふっと室井が微笑した。
どこか余裕の出てきた室井と、いっぱいいっぱいの青島がいた。
いつの間にか青島の方が追い詰められていた。
「〜〜〜〜もう、離しっ」
声を荒げた青島の唇が再び塞がれた。
今度は触れるだけではなく、何度も角度を変えて重ねられ、優しく吸われた。
深く求められて驚きはしたものの、青島も抵抗はしなかった。
室井の舌を受け入れると、ぎこちなく自分のそれを絡めた。
どこに置いたら良いか分からずさ迷っていた手が、室井のシャツを掴む。
「…っ…ん…」
室井の唇の熱さに、青島は眩暈を起こしそうだった。
ただ必死に室井にしがみ付いて、口付けに応えていた。
青島の力が抜けてしまうと、ようやく室井は唇を離した。
「青島…大丈夫か?」
それはこちらの台詞だ、この病人。
本当はそう言ってやりたかったのだが、言葉にはしなかった。
単なる負け惜しみだからだ。
結局、室井のいいように翻弄されてしまった。
ぼうっとする頭を何とか起こすと、室井も今度は邪魔をせずに身体をどけてくれた。
「…気持ち悪かったか?」
青島は呆れた顔で室井を見たが、室井はいたって真剣そのものである。
これで青島が頷いたら、きっと悲しい顔をするだろう。
―あれだけ好きなように貪っておいて、良く言うよ…。
しかも、青島もちゃんと応じたというのに。
青島はベッドに片手をついて、身体を室井に近づけた。
そして、唇に軽くキスを送る。
「今度こそ、寝てくださいよ」
目を丸くしている室井に舌をだして、今度こそベッドから立ち上がる。
「青島」
「イイコにしてたら、朝までついててあげます」
腰に手を当ててわざとに偉そうに言うと、呆けていた室井が苦笑した。
「…ありがとう」
結局この日、青島は室井に「好きだ」と言わなかったが、そう遠くない未来に告げることになる。
END
2004.11.21
あとがき
何とか終わりました!
最後大分長くなってしましました;
微妙に流されてる青島君(笑)
いや、気持ちがあるからなんですけどね。
そして、いきなりキスする室井さん(大笑)
4話目では室井さんが、5話目では青島君が乙女に…。
ていうか、倒れたわりに全然元気じゃねーか、
なんてことは言わないであげてください(滝汗)
すみません〜。
こなゆき様、大変お待たせいたしました!
長いことお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
なのに、こんな出来で申し訳ないです〜(><)
折角の萌えネタだったのにっ。
少しでもリクに適っていることを願っております…。
リクエスト、ありがとうございました。
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