■ 幸せな夜
クローゼットに衣類を仕舞いこむと、室井は一息吐いた。
室井の自宅から運び込んだものは大体片付いた。
とはいえ、持ち込んだものは大してない。
衣類や靴や鞄、それに仕事で使う書籍類や少しの趣味の雑貨くらいだ。
生活必需品やパソコンなどは、先の仮同居の時から持ち込んでいたので、そのままだった。
冷蔵庫やベッド等の大きな家具は青島の自宅にもあるのでほとんど処分してきたが、青島が望むのでソファとテレビだけは持ち込んだ。
どちらも最近買い、しかもろくに使っていないため、真新しかったからだ。
青島の自宅のリビングで使うことにしていた。
それらを運び込み引越し業者が引き上げていくと、片付けはほとんど終わってしまった。
室井は自分の私物が増えた部屋の中を見渡し、感慨深い気持ちになった。
ギプスが取れてすぐの休日に、室井は引越しを決めた。
骨折が治るまでの仮同居から、そのまま正式な同居に移した。
青島が一緒に暮らしてもいいと思ってくれているなら、それが例え一日でも二日でも青島と離れて暮らす理由が室井にはなかった。
室井の部屋は、室井が骨折していた間中寝泊まりさせてもらっていた部屋を、そのまま使用することになった。
青島の両親が使っていた部屋である。
そこに収まるということは、青島と家族になるということではないかと思う。
大袈裟かもしれないが、それくらいの想いで室井はいた。
室井はドアを閉めると、玄関の鍵を手に家を出た。
表に回って喫茶店に向かう。
喫茶店は自宅とドア一枚で繋がっていたから、自宅から直接店内に入ることもできたが、営業時間中にそこから移動するのは気が引けた。
喫茶店のドアを開けると、カウンターの中にいた青島が顔を上げた。
室井を見て微笑んでくれる。
室井は小さく微笑み返して、カウンターに座った。
「片付け、終わりました?」
「大体な」
「俺も手伝ったのに」
青島は店を休んで引越しを手伝うと言ってくれたが、室井はそれを断っていた。
引越しとはいえ運び込む荷物は少なく、一人でやってもさほど手間はかからない。
骨折していた時ならいざ知らず、怪我が完治した今青島に仕事を休んでもらってまで手伝ってもらう必要はなかった。
気持ちだけで十分だった。
「君の方が忙しそうだ」
店内を見ればテーブル席はほとんど埋まっていて、カウンターにも一人客の姿があった。
「珍しくね」
青島は自分で言って、舌を出して見せる。
「有り難いことです」
客の入りが多いのは、確かに有り難いことだろう。
室井は頷いて、聞いてみた。
「手伝おうか?」
接客に向いているとは思っていないが、皿洗いくらいなら室井でも役に立てる。
だが、案の定青島は首を横に振った。
「大丈夫です、もう一段落ついたし。それより、休憩に来てくれたんでしょ」
ゆっくりしてくださいと、青島が微笑んだ。
休憩に来たのは間違いないが、半分は青島の顔を見に来ただけである。
引越しが終わり、青島とは今夜からずっと一緒だ。
それなのに、わざわざ顔を見たくなる自分がおかしくて、室井は内心で苦笑した。
24時をいくらか過ぎると、青島が自宅に戻ってきた。
物音で気付いた室井が玄関に顔を出すと、靴を脱いでいた青島が笑みを見せた。
「ただいま」
ただの挨拶なのに何故か嬉しそうな青島を見れば、室井の存在を喜んでくれているのがなんとなく分かる。
そんなことが、室井にも嬉しかった。
「おかえり。疲れたろ?風呂沸いてるぞ」
「あ、やった〜」
「悪いが、先に入らせてもらった」
律儀に断ると、青島はもちろんと頷いた。
「遠慮とか、しなくていいっすからね。今日からここは室井さんちでもあるんだから」
有り難くも嬉しい一言に、室井は青島に手を伸ばして少し乱暴に頭を撫ぜた。
されるがままになりながら、青島はくすぐったそうに首を竦めた。
可愛いなと思いつつも、手を離す。
放っておけばいつまでも青島に触れたがる自身に気付いていた。
恋人なのだからそれでも構わないのだが、さすがに浮かれすぎな気がしなくもない。
青島とずっと一緒に暮らせることになり、室井はらしくもなく、年甲斐もなく浮かれていた。
青島にそれと知られるのも気恥ずかしいので、できるだけ平静を装いたかった。
「早く風呂入ってこい」
まだ温かいはずだからと青島に勧めるが、青島は少し思案してソファに腰を下ろした。
「室井さん、ちょっと話が」
なんだろうと思いながらも、室井も青島の隣に腰を下ろす。
「どうした?」
「ええと…今日一日考えてたんですけど」
「ああ」
「これから日曜日は定休日にしようかと思って」
青島の言葉に室井は驚いた。
青島の喫茶店には定休日がなかった。
予定があれば不定期に店を閉めているが、それも滅多にあることではなかったようだ。
通い詰めていた室井だから、それは良く知っていた。
それなのに、急に定休日を設けると言い出したのは、室井がいるからだろう。
間違いなく、室井の休暇に合わせてくれているのだ。
正直にいえば嬉しいが、自分の生活スタイルに合わせてもらうのは気が引けた。
「なにも俺に合わせてくれなくていいんだぞ?」
青島に無理をさせるのは本意ではない。
共に暮らすからには、互いに妥協しなければならないことも出てくるだろうが、喫茶店の経営は青島の大事な仕事だ。
室井の存在で左右させてはいけない気がした。
「合わせちゃ、ダメっすか?」
青島が上目遣いで様子を伺ってくるから、室井は慌てて首を振った。
「そうじゃなくて」
「前は定休日あってもすることないしって思ってたけど、今はしたいこといっぱいある」
青島が手を伸ばしてくるから、その手をそっと握った。
指を絡めるように室井の手を握り、青島はどこか満足そうに微笑んだ。
また、可愛いなと思いながら、黙って青島を見つめる。
「室井さんと色んなことしたいです。出来るだけ、一緒にいたい」
「…俺だって」
そのための定休日だと言われれば、遠慮でも断れなくなる。
「本当にいいのか?」
確認すると、青島は大きく頷いた。
「俺がそうしたいんです」
室井が絡めた指に力をこめてギュッと握ると、青島は照れ笑いを浮かべた。
視線を合わせ、室井も小さく笑みを浮かべた。
愛しい気持ちでいっぱいで胸が詰まる。
青島といると、そんな時ばかりだ。
もちろん、幸せなことだった。
不意に青島は手を離すと、ソファから下りた。
目を丸くした室井に構わず、正座し床に手をついて真顔で室井を見上げた。
「至らないこともあると思いますけど、これから宜しくお願いします」
そう言って、頭を下げる。
一瞬惚けたが、室井も青島に倣って床に正座し頭を下げた。
「こちらこそ、よろしく頼む」
頭を下げたまま少し待って室井が顔を上げると、青島もゆっくりと顔を上げた。
室井と視線を合わせると、その顔が綻ぶ。
嬉しそうな、楽しそうな笑顔。
ただ幸せだと教えてくれる笑顔に、堪らなくなる。
室井が青島に触れずにいられないのは、多分に青島のせいだ。
青島を愛しく思う気持ちは、付き合い出した頃よりもずっと強くなっている。
夢中になって恋をしていた片思いの時よりも、今の方がずっと青島を好きだった。
室井は我慢出来ずに両手を伸ばして青島の頬を包み顔を寄せた。
思いのまま何度も唇を重ねると、青島の手が室井の手に触れた。
「ん、室井、さん、急に、どうし、たの」
途切れ途切れなのは、室井がしつこく啄むからだ。
それがおかしかったのか、青島は笑いながら室井の唇を受け入れていた。
室井は唇を離すと、青島の腰を掴んだ。
きょとんとしている青島の腰を持ち上げ、そのまま担ぎ上げる。
「うわっ、ちょっと室井さんっ」
足が宙に浮き驚いている青島に構わず、そのまま自分の部屋に連れていく。
さすがに重たいが、そんなことは気にならない。
室井の目的が分かっているのかいないのか。
「室井さん、腰、腰大丈夫?俺なんか持ち上げたら、腰悪くしますよ。てか腕は?腕痛いでしょう」
室井の心配ばかりしている青島に思わず微笑みながら、室井は青島をベッドに下ろした。
そのまま押し倒して、上に伸し掛かる。
急なことに青島はぽかんとしていたが、やがて照れくさそうに少し目を伏せた。
「室井さん、風呂入りたい…」
室井は青島の頬や耳元にキスをした。
「後じゃダメか?」
暗に待てないと言いながらキスを繰り返し、青島のシャツの襟首を開く。
そこに唇を這わすと、青島は息をつめた。
「この間の礼をさせてくれ」
「ん…?」
「この間は、君が気持ちよくしてくれただろう」
ギプスが外れる数日前、我慢できなくなった室井が求めたら、青島はいつになく積極的に応じてくれた。
手や唇、身体全部を使って、室井を気持ちよくしてくれようとしたのだ。
今までに見たことがなかった青島の姿態に興奮したが、それ以上に青島の愛情を感じて感動した。
室井が感じた喜びを、青島にも感じてもらいたかった。
「あー…いや、礼なんて別にいらないっすよ」
ぼそっと呟く青島の頬に赤みがさしていて、彼が照れていることが分かるが、いらないと言われれば黙ってもいられない。
「受け取ってくれないのか?」
気まずげに逸らされていた青島の視線が戻ってくる。
室井を見上げて、苦笑気味な笑みを見せた。
「そういうことじゃなくて」
「うん?」
「いつも十分良くしてもらってますから、礼なんて必要ないです」
予想外の一言に、面を食らう。
「…そうか」
「そうなんです」
視線を合わせたまま青島がはにかむから、室井もつられて笑みを浮かべた。
室井といることで青島の心や身体がいつも満たされているのなら、こんなに嬉しいことはない。
自分ばかりが幸せなわけではないことに、幸せを感じる。
十分幸せを感じるのに、もっとと望むのは強欲過ぎるだろうか。
それでも、許されることを知っているから、求めずにはいられない。
「青島」
頬に触れた手はそのままで、指先で唇に触れる。
青島は視線だけで返事を寄越した。
「愛したい」
礼でもなんでもなく、ましてやただの欲求の解消ではなく、ただ青島を愛したかった。
自己満足かもしれないが、青島を愛することが今の室井の幸せであり最高の快感だった。
青島はわずかに目を見開いて室井を見上げていたが、やがて笑いながら室井の背中をきつく抱いた。
「そりゃあもう、喜んで」
嬉しそうな青島の声に微笑んで、室井は青島に顔を寄せ目を閉じた。
「俺にも愛させてくださいね」
キスの合間に、青島が囁いた。
馬鹿正直に大歓迎だと答えたら、青島は声を漏らして笑った。
幸せな夜は、始まったばかり。
END
2010.10.11
あとがき
室井さん幸せそうだなあ(笑)
幸せな夜は、この夜ばかりではないといいです。
ずっと幸せな夜だといいなーと思います。
書きたかったところは、床に手をつき「よろしくお願いします」と言う青島君と、
幸せのあまり青島君を担いでベッドに運んじゃう浮かれた室井さんです(笑)
体格は青島君の方が良いですが、室井さんも男の人なので、
少しくらいの距離なら青島君を担いで歩くくらいしてくれるでしょう!
青島君の喫茶店には定休日がありませんでした。
「いつ行っても青島君のいるお店なんて素敵!」くらいの気持ちでいたのですが、
室井さんとの同居を機に、プライベートを充実させるべく、
定休日を作ってもらいました。
たまにはデートとかするといいです(^^)
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