■ オレンジ
店内にいた唯一の客、二人連れの女性客が伝票を手に席を立つ。
カウンターの中にいた青島は頭を下げた。
「ありがとうございました」
彼女たちは少しはにかむような笑顔を見せる。
「このお店、何時までやってるんですか?」
「12時までですよー」
「随分遅くまでやってるんですね」
「カフェバーでもないのに、珍しい」
バーも兼ねた喫茶店なら珍しくもないが、純粋な喫茶店としては珍しいかもしれない。
そのことに深い意味はない。
単に需要があるから、遅くまで開けているだけだ。
青島はニコリと笑った。
「夜中にコーヒーが飲みたくなる方、結構いらっしゃるみたいですよ」
夜中の客は少ないが、夜中の常連客はいるのだ。
現に、今も。
ドアが開く軽い音が響いて、すみれが姿を見せた。
「いらっしゃい、すみれさん」
青島が声をかけると、すみれは片手を挙げてみせる。
お会計を済ませた彼女たちは、青島とすみれに軽く頭を下げた。
「また来ますね」
青島は丁寧に返礼をする。
「お待ちしております」
笑顔で彼女たちを送り出すと、すみれを振り返る。
「今日は、遅いね」
と言う前に、「天然タラシ」と何故かなじられる。
青島は眉をひそめた。
真面目に接客していただけなのに、激しく心外である。
「何がさ」
「自覚がないのが問題よね」
「だから、何の話?」
「青島君が天然だって話」
言いながら、すみれはカウンターに腰を下ろした。
青島はまだ腑に落ちない。
天然と言われる覚えはやっぱり無かった。
すみれは苦笑した。
「ま、気にしない気にしない」
「言い出したの、すみれさん」
「コーヒー、ちょーだい」
「……はい」
すみれに勝てた試しはない。
またそれで良いと思っているから、青島の諦めも早い。
すみれに勝てないという状況を、青島は嫌いじゃないのだ。
何となく敵わない人とは、いるものである。
青島がコーヒーを落とし始めると、すみれが声を上げた。
「あら、かわいー」
地声よりも少し高い声。
振り返った青島に、すみれはソレを指でさしてみせた。
「ああ…」
青島は苦笑する。
すみれが指差したのは、カウンターの上に活けてあったオレンジのバラだ。
活けてあると言っても、無造作に花瓶に入れてあるだけだが。
「珍しいね、雪乃さんでも来たの?」
「いや…」
すみれの指摘通り、青島が自分で花を買ってきて飾ることはまずない。
たまにすみれや雪乃が買って来ては活けて行ってくれるが、オレンジのバラは雪乃に貰ったわけではなかった。
「室井さんが、ね」
「室井さん?」
意外だったのか、すみれが目を丸くしている。
貰った青島だって驚いたのだから、無理もないだろう。
青島は頬をかいた。
「良くわかんないけど…この間室井さんが来た時にくれたんだ」
「なんで?」
「だから、良くわかんないんだってば」
その日は誕生日でもなければ記念日でもない。
元から花束なんて贈るようなタイプの男でもなかった。
酷く驚いた青島に、室井は眉を寄せた怖い顔で花束を押し付けた。
その時の室井の言葉を思い出す。
「何となく、とは言ってたけどね」
肩を竦めた青島に、すみれは首を捻った。
「何となくで花なんか贈る?あの男が」
あの男呼ばわりに、青島は苦笑した。
これでいて、すみれが室井をわりと気に入っていることを、青島は知っている。
「やっぱり、なんかの記念日なんじゃないの?青島君が忘れてるだけで」
すみれが顎に指先をあてて言う。
それは青島も考えないではなかった。
自分だけ忘れているのなら申し訳ないと思い、必死に考えた。
が、やっぱりこれといって浮かばない。
「なーんにも無かったと思うんだけどなぁ」
「いつ貰ったの?これ」
「ん?えーと、一昨日だよ」
「一昨日…」
すみれの視線が持ち上がる。
頭の中のカレンダーでも見ているのかもしれない。
「あ」
思わずといった感じで、すみれが呟いた。
「え?なんかわかった?」
「んー…多分ね」
勿体つけるようにニコリと笑ったすみれに、青島は眉を寄せた。
室井が青島にオレンジのバラの花束を贈った理由。
それがあるなら、青島だって是非とも知りたい。
「教えてよ」
「どーしよっかなー」
「コーヒー奢るから」
「チーズケーキ」
「今日はもう出ちゃってないよ」
「なら、次回」
「…了解」
交渉成立と嬉しそうに笑いながら、すみれが教えてくれる。
「4月14日はねー…」
オレンジデー。
『バレンタインデー、ホワイトデーを経て恋人になった二人が、オレンジのプレゼントを持って相手を訪問する日』らしい。
バレンタインデーやホワイトデーの更なる便乗だろう。
だが、青島がしらない程度にはマイナーなイベントなようだった。
14日に珍しくもオレンジのバラなんか買ってきたところをみると、室井はこのイベントを知っていたということになる。
それには驚きだが、ただの偶然とは思えなかった。
室井はオレンジデーを知っていて、青島にオレンジのバラを贈ってくれたのだ。
「でも室井さんもマヌケよねぇ」
「ん?」
「だって青島君がオレンジデーを知らなかったら、何の意味もないじゃない」
一言言ってくれれば良いのに、と苦笑している。
確かに青島はオレンジデーを知らなかった。
もちろんその意味も知らないのだから、すみれに聞くまで室井の意図は全く伝わっていなかった。
青島は笑みを零した。
「俺が知らなきゃ知らないで、それで良いと思ってたんじゃないかなぁ」
青島がオレンジデーを知っていようといまいと、室井にはあまり関係がなかったのだろう。
オレンジデーに、オレンジのプレゼントを持って、恋人を訪問する。
それがしたかっただけではないのだろうか。
ただ、恋人として、青島の元に訪れる。
そのことだけが、室井にとって意味のあることだったのではないだろうかと、青島は思った。
言ってしまえば、ただの室井の自己満足だ。
だけど青島とのつき合いに何の見返りを求めようとしない室井らしい行動な気がした。
あの男が青島に望むことは、室井を好きでいることくらいだ。
「あの人らしいよ…」
思わず呟くと、すみれは苦笑した。
「分かりやすいんだか分かり辛いんだか分かんない恋人ね」
「ん、まぁ、慣れると結構分かりやすいよ」
「ご馳走様〜」
からかうような口調だが、表情は優しい。
青島は頭をかいた。
すみれが帰った後、後片付けをしながら、なんとなくカウンターの端っこに視線を向ける。
オレンジのバラ。
バラは水上がりが悪いから、水切りして切り口を焼いてあげるといいらしい。
すみれが処置をしていってくれた。
少し元気になったように見えたが、ついさっきだから青島の気のせいかもしれない。
でもこれで少しは長持ちするだろう。
「キレイだな…」
青島は小さく笑った。
花はいずれ枯れるもの。
だけど、一日でも長く咲いていれば良いと、青島は思った。
***
翌日。
青島に会いに来た室井は、突然出されたデザートに目を丸くする。
その日のデザートは、青島手作りのオレンジゼリー。
「遅くなりましたけど」
それだけ言うと、室井は意図を察して、照れ臭そうに笑みを零した。
END
2006.4.14
あとがき
折角オレンジデーまでのお菓子企画をやっているというのに、
オレンジデーネタがパラレルですみません(^^;
パラレルじゃなければ企画の方に更新したかったんですが〜。
「オレンジデーにオレンジの花を青島君に贈る室井さん」という
素敵なネタを某様に頂きましたv
それは是非喫茶店の室井さんにやってもらいたい!と思って書きました。
そしたら、室井さんの姿がありません(笑)
どうもすみません…;
花がバラなのは、私の好みです。
オレンジのバラが好きなんです。
可愛いのです(^^)
ああ…同居編も書きたい〜;
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