■ ハロウィン
室井が喫茶店に訪れると、青島はカウンターで一人の客と談笑していた。
―うん?
入った瞬間に店内に少し違和感を覚える。
何かがいつもと違う気がした。
だが、入ってきた室井を見て青島が顔を綻ばせるから、すぐに忘れてしまった。
「いらっしゃいませ、室井さん」
頷くように挨拶を返して、いつものようにカウンターに腰を下ろす。
他の客は、青島が談笑していた年輩の男性が一人いるだけだった。
青島や室井とは親子くらいの年齢差がありそうである。
室井は初めて見る顔だったが、青島が親しそうに話していたから常連なのだろうと思った。
青島は客に対していつも愛想がいいが、親しい人の前では一層態度が砕ける。
「室井さん、丁度良かった」
いい時にきたと喜ぶ青島に、室井は首を傾げた。
「どうかしたのか?」
「今ね、和久さんにいいもの貰ったんです」
「和久さん?」
カウンターの下でごそごそしていた青島は慌てて顔を上げた。
「あれ?初めて会うんでしたっけ?」
室井と男性を交互に見る。
その男性が和久なのだと、室井にも分かった。
視線がぶつかったので小さく頭を下げると、和久からも返ってくる。
目尻に寄った皺が、優しく見えた。
「ええと、この人が和久さんで、俺の大学時代の恩師です」
「よーく言うよ。恩師だなんて思っちゃいねぇくせによ」
「思ってますって、一応」
「ほらな?こいつは礼儀知らずなヤツでなー」
困ったもんだと室井に話しかけてくるが、言葉とは裏腹に和久の表情は柔らかい。
青島も一応などと言ったが、それが単なる冗談であることは、青島の顔を見ていれば容易に伝わった。
青島が心を許している相手であることも。
本当の本当に小さな、物凄く小さな嫉妬を覚えた。
あまりにも馬鹿馬鹿しすぎて、室井は自身で笑い飛ばし、気付かなかったことにした。
そんな意味のない嫉妬をするより、青島が好きなものを一緒に好きになれる方が遥かに幸せである。
「それで、この人がー…」
青島は室井を見て一瞬言いよどむと、曖昧に笑ってみせた。
なんだろう?と思った室井から目を逸らし、和久を見て照れ臭そうに言った。
「この人は室井さんで、恋人です、俺の」
目を剥いたのは和久だけではなく、室井も一緒だった。
青島が面と向かって、誰かに室井をそう紹介したのは初めてだった。
すみれや一倉には行きがかり上すぐに知れることとなったが、後は知っているのは青島の友人の真下や雪乃くらいだ。
和久に言ってしまって良かったのだろうか、青島が困ったことにならないのだろうかと心配になったが、青島が自分を恋人だと堂々と紹介してくれたことは、ただただ嬉しかった。
和久はさすがに驚いた顔で青島と室井を見比べた。
「おめぇは、また、突然…」
「あははは、どうもすいません〜」
頭を掻く青島に、和久は仕方がないというふうに苦笑した。
「謝るこたぁ、ねぇけどよ」
ちらりと視線を向けられて、室井は慌ててもう一度頭を下げた。
ちゃんと挨拶すべきかと思い言葉を探したが、気の利いた言葉など室井の口から出てくるわけもない。
真剣にお付き合いさせて頂いております、と言うのもおかしいだろう。
和久は青島の親ではないのだ。
悩んだ末に、和久の目を真っ直ぐに見て、
「室井です」
と名乗るだけに止まった。
和久は頷くと、笑みを浮かべた。
その笑みは思いの他優しい。
「まぁ、なんだ、こういうことは本人同士の問題だからよ、俺が口挟むのもなんだけどよ……よろしく頼むよ、こいつのこと」
世話やかすと思うけどよと茶化す和久に、青島は苦笑したがどこか嬉しそうだった。
二人の間にある暖かい空気を感じながら、室井はしっかりと頷いた。
「はい、必ず」
真顔で応えると、和久は少し照れ臭そうにしながら室井から視線をそらし、コーヒーを飲んだ。
それでこの話しは終りのようだ。
「でね、和久さんの奥さんが差し入れにって」
青島が思い出したように言って、室井の前に小鉢を置いた。
薄いピンク色の小鉢の中央にあるのは、かぼちゃだった。
「これは…?」
室井がどちらにともなく聞くと、和久が教えてくれた。
「かぼちゃの煮物だよ。ほら、今月はかぼちゃを食うイベントがあんだろ?」
冬至ならまだ先だがと思っていると、青島が突っ込んだ。
「だから、和久さん、それちょっと違ってるってば。ハロウィンは冬至じゃないんだから」
それを聞いて、室井も思い出した。
10月はそんなイベントもあったのだ。
馴染みがなくてすっかり忘れていた。
室井でその程度の認識なのだから、和久の世代になればもっと馴染みがないだろう。
ハロウィンと聞いて、店の中の違和感の正体にも気付いた。
オレンジ色が増えている。
大きく派手な装飾品はないが、ジャック・オ・ランタンと呼ばれるかぼちゃ頭が、テーブルやカウンターにちょこちょこと置いてあった。
「ハロウィンも冬至も似たようなもんだろ」
和久の乱暴な言い分に、青島は肩を竦めた。
「全然違いますよ」
「かぼちゃくりぬいて頭に被るくらいなら、美味しく食った方がいいだろ」
「いや、ハロウィンって別にそんなイベントじゃ……ま、和久さんの奥さん、料理上手だから嬉しいっすけどね」
「おめぇのとこに行くなら持ってけ持ってけと、うるさいんだよ」
「嬉しいなぁ…元気にしてます?変わりない?」
「おお、鬱陶しいくらい元気だよ」
悪態をつきながら、和久はテーブルに金を置いて席を立った。
「あれ?もう帰っちゃうの?」
青島が引き留める。
気を遣わせたかなと、室井も思った。
「近いうちに遊びに来いや」
和久はそう言うと、青島と室井を交互に見た。
「二人でな」
きょとんとする二人に、じゃあなと手を振って出て行ってしまった。
その後ろ姿を見送って、青島は頭を掻いた。
「あー…」
「気を遣わせてしまっただろうか」
「ん、かもですね」
苦笑しながら、青島は室井に割り箸を寄越した。
「美味いっすよ」
「…ああ、ありがとう」
「コーヒーでいいっすか?」
「頼む」
かぼちゃの煮物に合うのか分からなかったが、他に合う飲み物が喫茶店にあるはずもない。
煮物は甘いものだし、意外と合わないこともないような気がした。
元々和食は好きである。
手を合わせて有り難く頂くことにする。
青島は室井のコーヒーの用意をしながら、ちらりと室井を見た。
「すみません」
不意に謝られて、美味いと思いながら動かしていた箸が止まる。
「何がだ?」
「その…勝手に言っちゃったことです」
和久に、室井を恋人だと紹介したことを謝っているらしい。
室井の眉に皺が寄る。
もちろん紹介されたことを不愉快に思ったからではない。
「なんで謝るんだ」
「いや、だって…」
「君が伝えておきたくて和久さんに言ったんだろ?謝る必要はない。第一、俺は嬉しかった」
きっぱりと言ったら、青島は瞬きを繰り返して室井を見た。
少し視線を泳がせて、あーとかうーとか意味のない言葉を発していたが、やがてくしゃりと表情を崩して笑った。
「なら、良かった」
室井が可愛いと思いながら見ていたことに気付いたわけではないのだろうが、青島は話を変えた。
「ハロウィン、忘れてました?」
室井の頭にも無かったことは見抜かれていたらしい。
室井は苦笑すると頷いた。
「君に言われて、ここのかぼちゃにも気付いたくらいだ」
カウンターにちょこんと置かれてあるジャック・オ・ランタンを指先で軽くつついた。
「はは、そうっすか。それ、可愛いでしょ?」
青島が目の前にコーヒーカップを置いてくれる。
美味しそうな香りに目を細めながら、改めてジャック・オ・ランタンを眺めた。
目と口をくりぬかれて笑っているように見える、オレンジ色のかぼちゃの形をしたプラスチックの置物だ。
可愛いと言われれば可愛いのかもしれないが、面妖といえば面妖だ。
「可愛くないこともないかもしれない」
気持ちを素直に伝えようとしたら分かりづらい返事になってしまって、青島は可笑しそうに笑った。
「ほとんどね、すみれさんと雪乃さんがくれたもんなんです」
「全部か?」
随分気前がいいなと思ったら、青島は苦笑した。
「ほら、こういう季節ものの置物って可愛いんですけど、時期が過ぎると途端に邪魔になるんですよ」
「…もしかして、邪魔になったのをくれるのか」
「そこまで鬼じゃないっすよ」
笑いながら首を振る。
毎年可愛いハロウィングッズを見掛けては買って、青島の喫茶店のディスプレイ用にと譲ってくれるのだという。
彼女たちはまめにこの店に来るから、店に飾ってあるのを見て満足しているらしい。
「おかげで季節感も出るし、俺も助かってるんですけどね〜」
もしかしたら、彼女たちなりに青島のために協力してくれているのかもしれないと思った。
思ったら、意識せずに室井の眉間に皺が寄る。
すみれたちからはジャック・オ・ランタン、和久からはかぼちゃの煮物が、青島に贈られている。
「俺も、何かあげたい」
素直な願望が口をついて出た。
他の人が青島のために、例えそれがなんであれ贈り物をしているというのに、恋人である自分が何も贈れないのは悲しい。
唐突過ぎた室井の発言に青島は驚いて呆気にとられていたが、思い出したように首を振った。
「ハロウィンって別にプレゼントを贈り合うようなイベントじゃないはずですよ」
言われてみれば、室井はハロウィンというイベントを良く知らなかった。
子供が仮装して、隣近所の家にお菓子を貰いに行くイベントではなかったか。
室井の曖昧な記憶に、青島が付け足してくれる。
「お菓子くれなきゃ悪戯するぞって言って、子供が大人にお菓子をねだるんですよね」
そうだったと室井も思い出したが、ハロウィンというイベントがどういうものであれ、室井がしたいことはハロウィンのイベントに乗じることではない。
すみれや和久のように、青島のために何かがしたかっただけである。
すみれたちが買ってきてくれるというジャック・オ・ランタンはどこに行けば買えるのだろうか、などと室井が少々的外れなことを考えていると、青島が少し身を乗り出してきた。
「トリック・オア・トリート」
唐突で面を食らうが、楽しげな青島の眼差しに、それがハロウィンの決まり文句だということを思い出した。
思い出したが、生憎と、室井の鞄にもポケットにも菓子など入っていない。
「何も無いんだが、あげられるものが」
「それじゃあ、仕方ない」
カウンターに両腕をついて身を乗り出した青島が、指先で室井を呼ぶ。
なんだか分からなかったが、室井はとりあえず腰を浮かし青島に近付く。
「耳、貸してください」
二人しかいないのになんの内緒話だろうと思いながらも、素直に耳を差し出す。
すると耳元に小さな温もりを感じて、室井の身体がビクリと反応した。
青島が離れるのと同時に温もりが遠ざかり、それがなんだったのかすぐに悟る。
軽く赤面して耳に手を当てた室井に、青島が笑いながら言った。
「お菓子が無いなら悪戯、でしょ?」
室井をからかっているつもりなのだろうが、やっている青島もどこか照れ臭そうだった。
室井の表情を伺うような青島の瞳に、そんな悪戯ならいくらでもと思ったが、さすがに口に出すのは憚られる。
代わりに、「ほんじなす」と故郷のなまりでなじると、青島は柔らかい笑みを溢した。
室井の照れ隠しだと、分かってくれている。
「…別に、何もいりませんよ」
青島が小さく呟いた。
何の話かと目で問うと、青島は笑みを浮かべたまま、少し俯いた。
「室井さんは、そこにいてくれるだけでいいです」
何かをあげたいという室井の気持ちに対する、返事だったのだろう。
室井も幸せそうに笑う青島を見れば、それでいいような気もしてきた。
青島の望み通り、ずっと傍にいられれば、それだけで。
「ここに、いないとだめか?」
室井が問うと、青島は少し驚いた顔をして、本当に少しだけ不安そうな顔をした。
「もっと近くにいったらだめか?」
続けて問うと、途端に青島の表情が崩れた。
笑みを溢し、ちょっと頬を染めて、わざとらしく膨れっ面を作った。
「ダメです」
無碍な返事に、今度は室井が不安になる番だった。
すぐに、青島がはにかむ。
「仕事が終わるまで、後少しだけ、待ってて」
END
2007.10.21
あとがき
久しぶりの、喫茶店話でした。
イベントの時ばかり書いてますが〜(苦笑)
折角のハロウィンネタも、全然いかせておりませんね;
ハロウィンって、でも、恋人同士で盛り上がるイベントでもないですもんね…
でも、可愛くって好きです。
特に色合いが好きなのかも。
ハロウィンってオレンジと黒の組み合わせですよね。
あれが、可愛い。
かぼちゃ頭も(笑)
青島君になら悪戯されたいですよねぇ。
この後は、お店のクローズまで待って、
室井さんが真剣に一生懸命に誠心誠意青島君に悪戯すればいいです。
タイトルが相変わらず酷くてすみません〜;
template : A Moveable Feast