■ 最良の日の一日
青島は突然の衝撃で目を覚ました。
目覚めが良い方ではないが、この朝ばかりは一気に目が覚めた。
「大丈夫か、青島」
頭上から見下ろす室井を見上げ、青島は苦笑した。
ベッドの上にいる室井を見上げる形になったのは、青島が床にいるからだ。
寝返りを打った弾みに、ベッドから落ちたらしい。
青島の部屋のシングルベッドでは、二人で寝るには少し不都合があるようだ。
普段は室井の部屋にあるセミダブルのベッドで抱きあっている。
青島は頭を掻きながら起き上がり、ベッドに腰をかけた。
「びっくりした」
呟く青島に、室井が呆れた顔をする。
「こっちの台詞だ」
室井も青島がベッドから落ちた音で目が覚めたらしい。
隣で寝ていた恋人が突然ベッドから落ちれば驚きもするだろう。
青島は愛想笑いを浮かべた。
「二人で寝るには、このベッドじゃさすがに狭いですね」
「俺の部屋に移れば良かったな」
「そんな時間もくれなかったのは、誰でしたっけね」
青島が笑いながら顔を覗き込むと、室井は眉間に皺を寄せて嫌な顔をした。
だが、柔らかく青島を引き寄せ、抱き締めてくる。
「さあ、誰だろうな」
嘯く室井に声を立てて笑いながら、青島は室井に抱き付いた。
ついでにそのまま押し倒す。
青島を見上げる室井が愛しげに目を細めた。
「おはよう、室井さん」
挨拶と一緒に軽いキスを贈ると、短い返事と一緒に長いキスが返ってきた。
二人は青島の腹が鳴るまでベッドに入ったまま休日の朝を満喫した。
昨夜は、珍しく青島の自室で一緒に過ごした。
一人で寝る時以外には滅多に使われない部屋だが、店を閉めた後に二人で青島の部屋にあるテレビゲームで遊んでいたからだ。
子供の頃しかテレビゲームはやったことがないという室井とレースゲームで遊び、思いの他不器用にコントローラーを握る室井がそれを投げ出し意趣返しにと伸し掛かってくるまで遊んでいた。
おかげで青島が普段使っているシングルベッドを二人で使うはめになり、翌朝気持ち良く眠っていた青島は見事にベッドから落っこちた。
ベッドの中で抱き合いながら、「今度は俺が壁側ね」と言ったら、室井は苦笑して頷いてくれた。
たまになら狭いベッドで二人で眠るのも悪くない、そう思ったのは青島だけではなかったようだ。
そういえば、初めて身体を重ねたのもこのベッドである。
良い想い出もちゃんとあった。
シャワーを浴びて遅い朝食を取ると、青島はソファでゴロゴロしていた。
室井はというと、食事の後片付けのため台所にいた。
じゃんけんで室井が負けたからである。
家事は分担しているが、二人とも暇な時には遊び心を出してじゃんけんして決めてみたりしていた。
青島は片付けを室井に任せて、一服しようと煙草を手にしそれが最後の一本であることに気が付いた。
しまったなあと思いつつ往生際悪く空の箱を覗き込む。
買い置きが無くなっていて買わなくちゃと思っていたことを今思い出した。
目視で空であることを確認し、青島は仕方なく箱を握り潰しゴミ箱に捨てた。
煙草に火を点けて一息吐くと、台所を覗く。
シンクに向かう背中に呼び掛ける。
「室井さん」
「なんだ」
「煙草切らしたから、コンビニ行ってきます」
「そうか、気をつけろよ」
「室井さんも何かいるものある?ついでに買ってきますよ」
「いや…」
言いかけて、室井は考えるように間を取った。
返事を待っていると、室井が肩越しに振り返った。
「少し待っててくれるか?」
何故だろうと思いつつも、青島は気軽に頷いた。
煙草がないと困る青島だが、少しくらい待つことはなんの問題もない。
最後の一本も、まだ十分味わえる。
リビングに戻った青島が煙草を吸い終わった頃、室井も台所から引き上げてきた。
「俺も一緒に行こう」
エプロンを外しながらそう言うから、青島は笑顔を返した。
すぐ近くのコンビニに行くだけなのだが、さして用事もないであろう室井が着いて来てくれるという。
そんなことが妙に嬉しかった。
外に出ると、見事な秋晴れだった。
暑くもなく寒くもない気温が、気持ち良かった。
色付き始めた街路樹を見るとはなしに眺めながら、室井と二人コンビニに向かって並んで歩く。
「天気良いですね」
「昼まで寝ていて勿体なかったか」
「そうですね…でもま、あれはあれでね」
青島が笑いかけると、室井はつられたように目許を和らげた。
折角の休日なのだから、ダラダラと惰眠を貪らずどこかに出かけるというのも、きっと有意義な休暇の過ごし方だろう。
だが、平日は忙しく働いている室井を独占できる休日の朝が、青島は特に好きだった。
時間を気にせず、人目も気にせず、思う様寄り添っていられる。
そのこと一つ取ってみても、一緒に暮らせて良かったと思う。
「煙草を買ったら、少し寄り道して帰るか」
室井が軽く空を見上げて呟いた。
晴天に心惹かれたのかもしれない。
青島にも異論はない。
「いいですね、どこに行きますか?」
「…どこに行こうな」
特に考えがあったわけではないらしい室井に青島は破顔した。
あまり思い付きで口を開く人ではないから、室井の気持ちが緩んでいるのが分かる。
愛しいなと思いつつ、たまには目的のない散歩もいいんじゃないかと提案すると、室井も頷いてくれた。
二人はコンビニでアメスピを買うと、そのまま当てのないデートに向かった。
当てはないので、普段はあまり通らない道を歩くことだけを決めて歩いた。
そしたら新しいマンションが建っていたり、知らない店がオープンしていたりと、意外と新発見があった。
青島は子どもの頃から今の家に住んでいるから、当時は近所でも随分遊んだものだが、店を継いでからはほとんど散策することはなかったから知らないことも多かった。
気まぐれで歩いて回っただけだが、思いの他楽しい時間を過ごした。
「あ、なんかお洒落カフェですよ」
普段通らない道路沿いに、可愛らしいカフェがあった。
真新しい店構えだったし、青島も初めて見るから、最近オープンしたカフェなのかもしれない。
窓ガラスから覗ける店内は、中々賑わっているようだった。
「ちょっと寄って行きません?」
休憩もしたかったし、喉も渇いていた。
「構わないが…」
「が?」
言いかけて止めたらしい室井に問い返すと、室井は何でもないと言った。
何でもないと言われても、いい掛けられたら気になるものである。
「どうしたんですか?この店はイヤ?喉渇いてない?」
首を傾げてしつこく尋ねたら、室井は眉間に皺を寄せた。
「君のコーヒーの方が美味いだろうなと思っただけだ」
ぶっきらぼうに言われた言葉に青島は目を丸くした。
青島の視線を避けるように横を向く室井を見れば、自然と笑えてくる。
「素晴らしい贔屓目ですね」
「贔屓してるわけじゃない、本音を言っただけだ」
笑って茶化せば、開き直ったようにムキになり睨まれる。
十分に贔屓目だと思ったが、本音というのもきっと正しい。
室井は本当にそう思ってくれているのだ。
外でなければ唇の一つも奪ってやりたいところだったが、そういうわけにもいかない。
「嬉しいですよ。ありがとう、室井さん」
照れくさいが嬉しくて素直な笑みを浮かべた青島を、室井はどこか眩しそうに見つめていた。
外でなければと思っていたのは、実はお互い様だった。
「敵情視察も兼ねて、休んで行きましょうよ」
気分を変えるように青島がふざけると、室井も苦笑して頷いた。
「今日は君も休暇だしな」
「そうそう、俺のコーヒーはまた明日ね」
なんて言いながらも、室井が喜んでくれるなら、コーヒーくらいいつでも淹れてやるつもりの青島だった。
半分以上埋っている客席は、カップルや女性のグループ客が多かった。
通された窓際の席に座り、室井はブレンドコーヒーを、青島はカフェラテを注文した。
普段はブラックコーヒーを飲むことの多い青島だが、なんとなく糖分が欲しくなりラテにした。
程なくして出てきたカップを見て、青島は目を輝かせた。
「お、くまですよ」
ラテアートが施されていた。
今時珍しくもないが、余所の喫茶店に行くこと自体が珍しい青島には目新しかった。
楽しげにカップを覗く青島に、ウェイトレスが小さく笑って立ち去った。
若い女性に微笑ましげな視線を貰ってしまった青島が苦笑いで肩を竦めると、室井も苦笑した。
「うまいもんだな」
「ねえ。うちの店でもやろうかな」
「できるのか?」
「やったことないけど、きっとできますよ」
「やったことがないのに、何故分かる?」
「大丈夫大丈夫、きっとできますって」
つまりなんの根拠もないのである。
それに気付いた室井は呆れた顔を見せたが、小さく溜め息を吐くと「まずは練習だな」と呟いた。
「付き合ってくれるんですか?」
「君が飽きるまでならな」
「どういう意味ですか、どういう」
半眼になって室井を睨んでみたが、自分でもすぐに飽きそうな気もした。
昔から好奇心は旺盛だが、長続きしたものは多くはなかった。
だが、ラテアートのやり方を覚えて、すみれや雪乃に出してみたい気もする。
青島がそんなことを考えていると、ふと隣の席から女性の楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
ちらりと視線を向けると、若いカップルが仲良さげにお茶していた。
彼女が食べていたショートケーキの苺をフォークでさし、彼に差し出す。
彼は照れくさそうに笑って、苺を口に含んだ。
楽しげに笑い合っているカップルは微笑ましいが、見てるこっちまで照れくさくなった。
若いっていいねと爺臭いことを考えつつ室井に視線を戻すと、室井は難しい顔でコーヒーを飲んでいた。
室井も隣のカップルの仲睦まじさに気付いているのだろう。
呆れているのか気恥ずかしいのか。
青島は笑いながら身を乗り出し、小声で囁いた。
「あれも、後からやってみます?苺買って帰って」
室井が眉間に深い皺を寄せるから、青島は笑みを深めた。
嫌がる室井は、男二人で苺を食べさせあう滑稽な絵面でも思い浮かべていたのかもしれない。
確かに、青島が想像してみても滑稽な絵にしかならない。
だけど、相手が室井だと思うと、それも悪くないから不思議だ。
きっと楽しいと思ってしまった。
「なんか、家が恋しくなってきちゃったな」
早く帰りましょうと言って、くまの姿が曖昧になったカフェラテに口をつける。
「…苺は買わないぞ」
室井が釘を刺して来るから、青島は吹き出しそうになるのを堪え、悪戯っぽい眼差しを室井に向けた。
「要りませんよ、ただ二人きりになりたいだけだから」
目を剥いた室井に笑みを返し、青島は温くなり始めたカフェラテをゆっくりと飲み干した。
無言で青島に倣う室井は照れているようだったが、密かにカップが空になるのは室井の方が早かった。
薄暗い部屋の中で、青島は目を覚ました。
眠った記憶もなかったが一瞬だけ眠ってしまったようで、見下ろしていた室井と視線が合った。
「大丈夫か?」
朝と似た状況だなと思ったが、今度は青島もベッドの上で室井は青島の上にいた。
「俺、寝てました?」
「少しだけな」
「気持ち良かったもんで、つい」
青島が笑うと、室井は苦笑して軽く唇を合わせてから身体を退けた。
「それならいい」
無理をさせたかと心配していたようだった。
確かにさっきの室井はいつもより少し性急だった。
玄関に入った途端に抱き締められ、求められたことなど初めてだった。
なんとかベッドがいいとお願いすれば、室井も聞きいれてくれて場所だけは移してくれたが、そのまますぐに抱きあった。
玄関にはきっと靴が散乱し、買ったばかりのアメスピが転がっていることだろう。
嵐のような時間を思い起こせば若干気恥かしいが、行為は気持ち良かったし室井の強い想いは嬉しかった。
この時間込みで、今日は良い休日だったと思えた。
だからこそ、脱ぎ散らかした衣類を拾っている室井の背中を引きとめたくなる。
「室井さん、もうちょっと」
腕を掴むと、少し驚いた顔で室井が振り返った。
明らかに甘えている自分を自覚しているだけに気恥かしいが、今更引けない。
「もう少し、ベッドに居てくださいよ」
ひっついていたいのだという青島の気持ちが通じたのか、室井は衣類を再び放りだすとベッドに戻り青島を抱きしめた。
吐息が耳元にかかり、ついでのように押しつけられる唇がくすぐったい。
青島が声も出さずに笑っていると、室井が囁いた。
「煙草」
「え?」
「玄関に落ちてる煙草を取って来ようと思ったんだ。欲しくないか?」
「あー…ありがとうございます。でも、今はいいです」
「そっか」
「もう少し」
「ああ」
優しく笑った瞳と視線が合い、青島はこれ以上ないくらいの幸せを噛みしめながら目を閉じた。
次の休日が楽しみだな。
その日の休日もまだ終わっていないと言うのに気の早い青島の戯言を、室井は笑いもせずに真顔で同意してくれた。
END
2013.9.14
あとがき
随分とお待たせしてしまいましたが、40万HITのお礼リクで、
「喫茶店パラレルで休日の室青」でした。
本当はもっとデートらしいデートをしている二人を考えていたのですが、
まとまらなかったので単調な休日になってしまいました。
でも、糖度だけ物凄い高い気がしますが!
申し訳ありません…(^^;
変なタイトルになってしまいましたが、
いっぱいある最良の日のうちの1日という意図でございます。
もっとも良い日がいっぱいあってもいいじゃない!ということで(笑)
リクエストをくださったお客様、ありがとうございました!
お待たせしてすみませんでした!
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