■ 明日も一緒に(11)


「今夜は遅くなりそうだ。夕飯もいらないから先に寝ててくれ」
玄関先まで見送りに出た青島に室井が言った。
室井は骨折してからというもの、同僚たちの助けや気遣いのおかげで早めに帰宅していたが、どうしても外せない仕事が出来たらしい。
青島は室井に鞄を手渡した。
「待ってますよ?」
少しくらい遅くなったって、青島はそれほど困らない。
気ままな自由業と言ってしまえば聞こえが悪いが、青島はどうせ明日の昼過ぎまでのんびりしていられるのだ。
室井を待っているくらい何でもなかったが、室井は頷かなかった。
「いや、君にも仕事があるんだ。俺に合わせなくてもいい」
素っ気なく言われたわけではなかったのに、青島は妙に寂しい気持ちになった。
だが、室井がいいと言うのに必要以上に食い下がれない。
「そうっすか」
「ああ、たまにはゆっくりしてくれ」
室井は小さく笑って、出て行った。
それは室井の気遣いだったのだろうと思う。
青島を夜中まで待たせることを厭い、青島の手を煩わせないための気遣いだ。
それなのに寂しく感じるのは、青島が贅沢だからだろうか。
―話したいことが、あったんだけどな。
青島はひっそりと溜息を吐いた。
一緒に暮らさないかと言ってみようと思っていた。
だが、タイミングが計れずにいる。
後三日もすれば室井のギブスが取れるはずで、そしたら室井は自宅に帰ってしまう。
一度元の生活に戻ってしまったら、改めて誘える自信がなかった。
このまま一緒に暮らしませんか、そう伝えたかった。
だが、今日は遅くなるという。
室井にはああ言ったが起きて待っていてもいい。
ただ、疲れて帰ってくるであろう室井に、こんな話ができる自信はやっぱりなかった。
青島は室井の後姿が見えなくなると、溜め息を吐いてドアを閉めた。


その日、結局室井は帰らなかった。
夜中に電話があり「徹夜になった」と連絡をくれていた。
おかげで、もちろん室井と同居の話はできていない。
青島は悶々としながら、店を開けていた。
客入りがいつもより多く忙しかったことが、幸いだった。
ぼうっとしている方がきっと余計なことを考えてしまって辛かったはずだ。
「ありがとうございました」
笑顔で客を送り出し、ふっと息を吐く。
夕方になり客足が一段落したようだった。
空いたグラスを下げテーブルを拭いていると、再びドアが開く。
「いらっしゃいませ」
笑顔を向けて、視界に入ったセーラー服に驚いた。
先日の女子高生が立っている。
今日は友人は連れておらず、一人だった。
目を丸くした青島に彼女は気まずそうにしていたが、青島はやんわりと微笑んだ。
「いらっしゃいませ」
もう一度言って、いつも座るテーブル席に案内する。
小さな声で「カフェオレを」と注文した彼女に笑って頷いた。
カウンターの中に戻り、カフェオレの用意をしながら、なんとなく彼女に視線を向ける。
慌てて顔を逸らされて、見つめられていたことを知り、内心で苦笑した。
気持ちにはどうしても応えてあげられないが、振られて会いに来るのは辛いだろうに、それでもまた足を運んでもらえたことは単純に嬉しかった。
カフェオレを淹れて席まで運ぶと、彼女が声をかけてきた。
「あの」
「はい?」
「これ、もらってください」
きょとんとした青島の前に紙袋が差し出された。
思わず受け取ってしまったが、もらって良いのかどうか分からなかった。
「調理実習で作ったクッキーなんです…迷惑じゃなかったら…」
小さくなる語尾に、申し訳ない気持ちになってくる。
受け取るくらいいいのかもしれないと青島が思っていると、不意にドアが開いた。
振り返った青島は驚いて「いらっしゃいませ」を言うのも忘れた。
何故か室井がいた。
珍しい時間だが、徹夜明けだから早く帰って来たのだろう。
青島も驚いたが、室井も驚いていた。
目を剥いて青島と、セーラー服の女子高生を見ている。
その女子高生が青島に告白した女子高生だと気付いているのだろう。
室井の眉間に皺が寄った。
青島は焦ったが、何をどう言ったらいいものか分からない。
青島が困惑していると、彼女が不安そうな声をあげた。
「迷惑ですか?」
視線を室井から彼女に移し、青島は焦りながら言った。
「い、いや、迷惑ってことは…」
「もらってくれますか?」
「…はい」
室井の目の前で彼女からプレゼントをもらうのは、さすがにデリカシーもなにもあったものではない気がしたが、だからといって彼女に迷惑だなんて言えない。
見ず知らずの人ではあったが、自分に好意を寄せてくれている人に対して、冷たくあしらうようなことは青島にはできなかった。
だが、室井のことが気になった。
青島が振り返ると、室井は怖い顔をしていた。
やっぱりまずかっただろうかと思っていると、室井が踵を返して店を出て行ってしまう。
唖然としたが、彼女に一言断って、すぐに後を追った。
「室井さんっ」
背中に声をかけたら、室井は足を止めてくれたが振り返りはしなかった。
「…自宅で待ってる」
それだけ言うと、さっさと自宅の玄関に向かって行ってしまった。
とりあえずどこにも行くわけではないと知り安心したが、安心している場合ではない。
室井が不快に思っていることは確かだった。
「タイミング悪過ぎだよ…」
思わず呟いたが、室井が悪いわけでも彼女が悪いわけでもなかった。


いつもよりも早めに閉店すると、青島は自宅に戻った。
あれから、室井は一度も店に顔を出さなかった。
青島はきちんと仕事はこなしたが、室井がどう思っているのか不安で、仕事の間中落ち着かなかった。
たまたま遊びに来ていた真下に不審そうな顔をされたから、余程不安が顔に出ていたのかもしれない。
少し緊張しながらリビングに向かうと、室井はリビングにいた。
珍しいことに、煙草を吸っていた。
青島に気づくと、室井は眉間に皺を寄せたまま煙草を掲げてみせた。
「勝手にもらった」
室井が吸っていたのは、青島のアメスピだった。
「それはいいんですけど…」
青島はいそいそと室井に近づいた。
「あの…怒ってます?」
「怒られるようなことをした覚えがあるということか?」
低い声で聞き返されて、青島は引きつった。
やっぱり室井は怒っているらしい。
室井に疑われるようなところは何もないが、青島は慌てて弁解した。
「いや、本当にあの子とはなんでもないですからね」
「告白されたのは、あの子なんだな」
冷静な口調は室井らしいが、どこか責めるような冷たさがあって、青島は眉をひそめた。
「そう、ですけど…」
「プレゼントをもらっていたようだが」
「断るの、可哀想だと思って」
「迷惑じゃないとも言っていた」
「迷惑なんて言えないですよ」
「君は迷惑だとも思ってないんじゃないのか」
本音を言えばそうだった。
寄せられた好意は嬉しくて、受け入れられないが迷惑とは思っていなかった。
それを室井に読まれていて、挙句室井はそれが気に入らないらしい。
確かに室井の目の前でプレゼントを受け取ったりするべきではなかったが、あれくらいのことで室井に疑われるのも嫌だった。
「本当に、なんでもないんですって。室井さんが心配するようなことは何もないですから」
室井の表情が益々険しくなり、乱暴に煙草を灰皿に押しつけた。
「それは俺には関係がないってことか」
青島には室井の怒りが正確に理解できなかった。
「そうじゃないけど、室井さんが気にすることじゃ…」
「俺は君のなんだ?君のことを俺が気にしちゃだめなのか?」
きつく問われて、青島は絶句した。
室井は苛立ったようにらしくもなく舌打ちし、呆然としている青島を置き去りにして立ちあがった。
「こんなことがあるなら、一緒に暮さなきゃ良かった」
小さな呟きが、青島の心臓を抉る。
室井はそのまま寝室に入って行った。
それを見るとはなしに見つめながら、青島はなおも呆然としていた。
一緒に暮さなければ良かった。
どういう気持ちで室井がその言葉を口にしたのか理解できなかったが、言葉は言葉のままだろう。
「…そっか」
口から出た言葉はそれだけで、後は震える呼吸しか出てこない。
そのまま突っ立っていたら、唐突に寝室のドアが開いた。
青島は驚いたが、室井の方が驚いていた。
目を剥き、顔を顰める。
今度は怒っているというよりは、辛そうに見えた。
そのまま青島に近づいてくると、右手で抱き寄せてくる。
「言い方が悪かった、すまない」
青島は何も言わずに室井の肩を押し返した。
「青島」
押し返す青島の腕を掴み、室井が声をかけてくる。
さっきまでと違って優しい声、だけどどこか困っていた。
「泣かないでくれ、青島」
言われて初めて自分が泣いていることに気が付いた。
青島は空いている手で乱暴に頬を擦り、掴まれた腕を振りほどこうと身をよじった。
「青島」
「も、いいです…離して…」
「青島、聞いてくれ」
顔を覗き込むように見つめてくる室井の視界から逃れたくて、青島は顔を背けた。
みっともない顔を見られたくなかった。
もしこれが別れ話なら、涙など見せるべきではない。
重荷になりたくなかったのではないかと自分を叱責するが、それでも涙が止まらない。
室井から聞きたくない一言だった。
「青島」
室井の手が首にかかり引き寄せられる。
その肩に顔を埋めると、青島は開けていられなくなった目をきつく閉じた。
「俺は君が好きなんだ」
無意識に室井の背中を抱いた。
俺もですと言う代わりにきつく抱きしめる。
「一緒に暮らしたくなかったわけじゃない」
室井の声が柔らかくなった気がした。
「一緒に暮らしていなければ、君が誰かに想いを寄せられて、ましてや告白なんてされていることも気付かずに済んだと思ったんだ」
青島を宥めるように、室井の手が優しく背中を撫ぜてくる。
「余計な嫉妬をしなくて済んだと思ったんだ」
嫉妬と言われて、青島はそっと目を開けた。
「君は何でもないと言うし、実際何でもないんだとは分かっているが、やっぱり嫌なんだ」
室井が苦しそうに吐き出す。
嫉妬してくれていることは分かっていたつもりだが、青島が想像していた以上に室井を苦しめていたのかもしれない。
室井がそんなに苦しんでいるなら、青島がしたことはやっぱり軽率だったのだろう。
これだけは言っておかないとと思って、青島は室井の肩に顔を埋めたまま言った。
「俺が好きなのは、室井さんですよ」
「…分かってる」
ギプスをはめたままの室井の手が、青島の頬に優しく触れた。
少し顔を起こすと、室井の顔が近付いてくる。
青島は顔を傾けて目を閉じた。
唇が重なり、酷く安心する。
唇が離れても、抉られたような心臓の痛みはもう感じなかった。
「でもやっぱり、君が誰かに想いを寄せられれば気になるし、無関係でいたくないんだ」
「無関係でなんて、俺もいて欲しくないよ」
「でも、君、俺には気にするなって言うだろ」
そこだけは咎めるような口調で言う室井に、青島も自分の言い方が悪かったのだと気が付いた。
青島が好きなのは室井だけで、他の誰も見てはいない。
誰に告白されても、青島の心を動かすのはただ一人だけだ。
だから、室井に安心してほしくてなんの心配もいらないと伝えたかっただけなのだが、それがちゃんと伝わっていなかった。
そもそも、気にするなと言ったって、どうしたって気になるのだろう。
好きな相手のことだ、気にならないわけがない。
やっぱり青島の言い方が悪かったのだ。
「じゃあ、ずっと気にしててください、俺のこと」
青島は室井の頬に唇を押しつけて、微笑んだ。
「でも、覚えておいてください。俺には室井さんだけ、室井さん以外いらないです」
室井の手が青島の後頭部を支え、再び唇を寄せてくる。
今度は触れるだけでは済まず深く求められるが、室井の舌に積極的に自身のそれを絡め青島も求めた。
後頭部を支える室井の手に力がこもり、湿った音を立てて口内を愛撫されて、青島の背中が少し反った。
せりあがってくる快感に少し困っていると、室井が唇を離し、青島の耳元に唇を押しつけた。
「泣かせてすまなかった」
後悔しているのか、囁くような声は少し辛そうだった。
お詫びの印か、室井の唇が首筋に何度も押しつけられる。
青島は小さく微笑んだ。
「俺もごめんなさい。もう、あの子から何か受け取ったりしないから」
室井が顔を上げた。
嬉しいような悲しいような、複雑な表情で青島を見る。
「無理しなくていいぞ、受け取るのが君の優しさだって分かってる」
青島は首を振った。
「もうしない。室井さんが傷つくなら、しない」
自分にとって何が大事か、誰が大事かを考えれば、どうすべきかはっきりしていた。
彼女に申し訳ないとは思うが、青島は室井が好きだった。
室井は青島の頭をもう一度肩に押しつけ、髪を撫ぜた。
「…すまない」
もう、「無理しなくていい」とは言わない室井が愛しい。
青島は笑いながら首を振った。
「室井さん」
「ん?」
「俺と暮らすの、嫌じゃないよね?」
確認すると、室井の手がぎゅっと抱きしめてくれる。
「ずっと一緒にいたいと思ってる」
青島の目の奥がまた熱くなるが、それをぐっと堪えた。
今なら聞けそうな言葉があった。
ずっと聞きたかったのに、聞けなかった言葉があった。
「室井さん、このまま一緒に暮らしませんか?」
一瞬の間の後、室井が弾かれたように顔を上げた。
目を剥いて青島を凝視している。
「いいのか?」
いいのかと聞いてくるということは、室井自身いやではないということだ。
青島が自然に浮かぶ笑顔のまま頷いたら、室井がきつく抱きしめてくれた。
それが青島の問いに対する答えだった。
片手で青島を抱きしめ、それでも足りないのか肩に触れた手に力がこもる。
「…くそ、ギプスが邪魔だ」
両手で抱きしめられないことが不服のようで、青島の首筋に顔を埋めたまま悔しそうに呟いた。
青島は思わず声を漏らして笑った。
「もうすぐ外れますよ。外れたら、いっぱい、ね」
室井がむくりと顔を起こし、熱っぽい視線を寄越した。
「外れるまで、我慢できない」
「え?」
「今すぐ欲しい」
何がと聞くまでもなく、室井の望むものが分かった。
いつになくストレートで性急な室井の欲求に青島は軽く赤面したが、望まれることは嬉しく、差し出すことにも何の問題もなかった。
むしろ、今ならいつもより頑張れそうな気もしている。
青島は室井の頬に軽くキスをして、身体を離し、室井の右手を握った。
そのまま手を引いて寝室に向かう。
「青島」
寝室のドアを開けて、室井を振り返った。
室井は真っ直ぐに青島を見つめて、強く手を握りしめた。
「一緒に暮らしたいと、俺もずっと思ってた」
青島は少しだけ泣きそうな笑顔で室井を抱き寄せ、寝室のドアを閉めた。










END

2010.8.28

あとがき


随分時間が経ってしまいましたが、一応完結いたしました!
良かった〜もう書けないかと思ってました〜;
出来は微妙かも分かりませんが、同居(同棲か?)に至れて良かったです。

「一緒に暮らしましょう!」「そうしよう!」の二言だけで終わるはずのお話が
こんなに長くなってしまった…としか思えない内容ですみません(笑)
二人とも考えすぎの悩みすぎでしたね。
青島君と室井さんなら、もっとすぱっと決めてくれても良かった気がします。

女子高生に告白される青島君を書けたのは、ちょっと楽しかったです(笑)
青島君なら女子高生だろうと女子大生だろうとメロメロです。
ええもう。絶対(力強いな)

続きをと仰ってくださった皆様、ありがとうございました。
こんなまとまり方になってしまいましたが、
ちょっとでも楽しんで頂けていることを祈りつつ。

正式に同居した後の二人もちょっと書きたいです。
そのうちそのうち!


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