■ またここで(10)
時間は24時を少しだけ回っている。
もう閉まっているかもしれないと思ったが、明かりはまだついていた。
躊躇わずにドアを開けると、テーブルを拭いていた青島がこちらを見た。
見て、硬直する。
そんなに驚かせただろうかと、室井も少し驚く。
確かに二週間ばかり来なかったが、当分来ないと青島に宣言していたわけじゃなかった。
「むろいさん…」
青島は呆然としたまま呟いた。
勢い良く乗り込んで来たが、何をどう話したら良いのか、室井にも分からなかった。
まさか「経営ヤバイんだって?」と軽く口にするわけにもいかない。
「…久しぶりだな」
とりあえず言って、室井は改めて時計を見た。
慌ててやって来たが、良く考えたら閉店後に来ても迷惑になるだけだったのだ。
動転していた室井は、今更それに気が付いた。
「閉店後なのに、すまない」
思わず謝ると、青島は目を見張った。
大きな丸い瞳が室井を見つめている。
気まずさを大きく上回る喜び。
青島の視線一つで、室井は青島にどれだけ会いたかったのかを悟った。
視線を外せなくて、大きな瞳を見返して、室井は絶句した。
青島の目から、ポタポタと大粒の涙が零れ落ちる。
目を剥いている室井に、青島は頬を濡らしたまま、微笑んだ。
「ありがとう…」
「え?」
「来てくれて、ありがとうございました」
青島は目元を隠すように手を当てた。
震えているのは声にも身体にも現れている。
痛々しい姿に、室井は思わず一歩踏み出した。
「青島?」
「会いに来てくれただけで充分…」
確かに泣いているのに、見えている唇はしっかりと微笑んでいた。
「もう充分です」
堪らず腕を伸ばして青島の腕を掴むと、力強く引き寄せる。
青島の身体が強張ったが、室井はそのまま抱きしめた。
「む、室井さ…?」
上擦った青島の声が、耳に響く。
もう黙っていられなかった。
「君が好きだ」
気持ちをぶつけるように、力いっぱい抱きしめる。
青島の反応など、気にしている余裕は無い。
拒まれる前に、言いたいことを言わなければ。
室井はそう思っていた。
「だから、君の助けになりたい」
もちろんその見返りが欲しいなどと言うわけではない。
ただ室井が青島のために何かしてやりたいと思う、その理由だけは知っていて欲しかった。
こんなにも愛しく思う、その気持ちだけは。
「俺で良ければ毎日通う。友人は多くは無いが誘えるだけ誘おう。会社の連中もここなら近いし」
「ま、待って、室井さん…」
「父親の形見なんだろう?」
青島が大学を辞めてまで継いだ喫茶店だ。
青島にとって大事じゃないわけがない。
それに室井にとっても、この喫茶店は大事な場所だった。
青島に会えた、場所だから。
室井は青島をキツク抱きしめながら、眼差しに力を込めた。
「俺もできる限りのことはするから、一緒に頑張ろう」
「…っ」
息を詰めると、青島が室井の背中を抱き返してくる。
額を室井の肩に擦りつけてくるから、その頭を優しく撫でた。
余程一人で辛かったのだろうと思い、青島をしっかりと抱きとめた室井は、やっぱりどこまでも真剣だった。
「……室井さん」
「何だ?」
「何か…激しい勘違い、してません?」
青島の髪を梳いていた手が、ピタリと止まる。
「なに?」
室井の強張った声に、青島は顔を上げると困った顔で室井を見た。
「もしかして、うちの店が危ないとか思ってません?」
「違うのか?」
目を剥いて尋ねると、青島はとうとう苦笑した。
「違いますよ。まあ、儲けて儲けて困ってるってことはないですけど、俺一人生活していくのに、何の問題も無い程度には黒字経営ですよ」
「……」
「親父が死んだ時点で、店舗と住宅のローンは返済済みですし…少しだけど保険金も残ったし」
「……他に、困ったことは?」
室井は半ば呆然としながら尋ねた。
てっきり青島が借金取りだか地上げ屋だか苦しんでいるのだと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。
青島は首を傾げながら、いささか申し訳無さそうに言った。
「特に、無いです」
「……そうか」
それならそれに越したことはない。
青島が苦しんでいるんじゃなければ、それでいいのだ。
しかし、じゃあ、あの電話はなんだったんだ?と思いながら、室井はハッとする。
それどころじゃなかったから気にしていなかったが、室井は青島を抱きしめていたのだ。
目の前にある青島の顔を見て、急速に頬が赤くなる。
顔どころか体中熱くなった気がして慌てて身体を離すと、青島が目を丸くして室井を見ていた。
室井は口元を手で押さえる。
勢いに乗って、とんでもないことを口走ってしまった。
それに気が付くと、自然と足が回れ右をする。
「…失礼したっ」
ドアに向かって歩いていく室井の腕を、青島が掴んだ。
「ま、待って」
掴まれた腕を振り払えるわけもなくて、室井はピタリと足を止める。
「あの、ええと」
言いよどむ青島だったが、室井にも何が聞きたいのかは良く分かった。
室井は深い息を吐く。
こんな時にまで、往生際悪く逃げ出そうとした自分が情けない。
だけどどうしても、青島に笑ってもらえなくなることが、怖かったのだ。
―もう、誤魔化せるわけがないか。
一度目を閉じて深呼吸をすると、室井は振り返った。
青島の目を真っ直ぐに見つめて、静かに言った。
「ずっと、君が好きだった」
二度目の告白だったが、青島はやっぱり息を飲んだ。
室井は少しだけ微笑む。
「何を望んでるわけでもないんだ。迷惑じゃなければ、これまで通り客として通わせて欲しい」
もしそれがダメなら、青島が気持ち悪いというのなら、これっきりでも仕方が無いと思う。
一倉の言うとおり、きっちり精算しておくべきなのかもしれないと、ようやく思えた。
呆然としている青島からは返事がなく、ただただ室井を凝視している。
室井は苦く笑うと、自分の腕を掴んでいる青島の手にそっと触れた。
ビクリと反応した青島に少し悲しくなりながら、触れた手を静かに離させた。
一度だけ握り締めると、すぐに解放する。
が、離そうとした手を、逆に青島が握り締めてくる。
室井は訝しげに青島を見た。
「青島…?」
「……本当に?」
「え?」
「今の、本当?」
不安そうに、だけどどこか縋るような瞳に、室井は脈が少し速くなった気がした。
期待するなと自分に言い聞かせながら、頷く。
室井の手を握る青島の力が、強くなる。
赤い瞳がまた緩んでいて、室井は性懲りもなく抱きしめたくなった。
「嘘だ」
しかし、青島の口から出た言葉に、室井は目を剥く。
逃げ出そうとしたくせに、否定されてしまうと面白くない。
振られるのは仕方が無いことだが、気持ちまで否定されたくはなかった。
「嘘じゃない。本気だ」
室井の迫力に押されてか、青島は手を握り締めたまま、少し身体を逸らした。
「だって、室井さん」
「何だ?」
「だって…結婚決まったんでしょ?」
会話の流れから言って答えなど決まっていたが、一応確認をしてみた。
「……誰の」
「室井さんの」
―いつのまに。
などと悠長に思っている場合ではない。
「結婚する予定などない」
「ええっ?」
驚きの声をあげる青島だったが、むしろ室井の方が驚きだ。
「なんだって、そんな話になるんだ」
「でも、だって、一倉さんが言ったんですよ?室井さんが結婚するって…」
「一倉が?」
室井は顔をしかめた。
それこそ、「いつのまに」だ。
一倉のことは後で本人に直接確かめるとして、室井がまずしなければならないのは、青島の誤解を解くことだった。
「俺は結婚する気は無い」
「本当に?」
「君が好きなんだぞ」
それなのに誰と結婚できるというんだ、と開きなおって言ったら、青島は目を剥いた。
そして、カッと頬を染める。
「ええ…と、マジですか…?」
「マジだ」
「一倉さんの、嘘?」
「そうなるな……どうしてそんな嘘を吐いたのか、ちょっと分からないのだが」
室井が眉間に皺を寄せて答えると、青島は深い溜息を吐いた。
「あ〜〜〜も〜〜〜、何だよ〜〜〜」
脱力した声を出すと、空いた手で頭を乱暴に掻く。
「騙された…すっごい悩んだのに…」
俯いてもう一度深い溜息を吐いた青島に、室井は何だか申し訳なくなってきた。
何を悩んだのか分からなかったが、一倉が迷惑を掛けたらしい。
「青島…」
室井が言いかけると、青島は視線を持ち上げて室井を見た。
「もしかして」
「うん?」
「俺の気持ちなんか、一つも伝わってなかった?」
「…君の気持ち?」
何のことか分からずに首を傾げて尋ねたら、青島は今度こそ力が抜けたらしく、膝を折ってしまった。
「ああああああなんだよもぉ〜〜〜」
「あ、青島?」
手は相変わらず繋いだままなので、室井も前屈みになる。
そのまま床に膝を付いた。
「俺、室井さんが結婚すると思ってたんです」
青島は俯いたまま、ぼそぼそと喋り出した。
「だから、言ったんですよ…『失恋した』って」
言われて、室井は目を剥く。
そして、頭の中ではあの時の会話が、凄い勢いでグルグルと回りだした。
―お見合いで、結婚が決まったばかりの人です。
―その話しを聞いて、初めて自分の気持ちに気が付いたんですけどね。
―気付いたのはつい最近なんですけど、多分もっと前から好きだったんだろうな。
―どうこうしたいとか言うんじゃないんです。ただ…。
―今までと変わらず、ここに会いに来てくれれば、それだけで充分。
「あ、あれは俺のことだったのか?」
唖然としたまま呟くと、青島がそっと頭を持ち上げた。
室井を窺うように見つめてくる。
その顔が朱に染まっていた。
「……です」
短い返事だったが、室井を喜ばすには充分すぎた。
何も考えずに、身体が勝手に握っていた手を引っ張る。
「わっ」
いきなりで驚いたのだろうが、そのまま青島は室井の腕になだれ込んできた。
室井は完全に床に座り込むと、青島の身体を抱きとめる。
「室井さ…」
室井は自分の心が望むまま、青島をしっかりと抱きしめた。
腕の中の暖かい身体が、すぐ近くで感じる呼吸が、愛しくてたまらない。
思考回路はまだついてこないが、一つだけはっきりしていることがる。
「君が好きだ」
これだけは、ずっとはっきりしていたから、考えることなく口をついた。
やがて、青島の両腕が室井の背中に回った。
密着している胸から伝わる鼓動が、不自然に早くなる。
回した腕で、背中が震えていることに気が付いた。
―泣いてる。
理由は良く分からなかったが、青島が泣いていることだけは分かった。
悲しんでいるんじゃなければ良いと思いながら、室井は背中を摩り頭を撫ぜてやった。
青島はしがみ付くように、室井に抱きついたまま、しばらく静かに泣いていた。
照れ臭そうにしながら、青島は身体を少し離した。
「いつか、言ったでしょ?」
「うん…?」
室井は少し乱れた青島の髪を直してやりながら、青島の話を促す。
「今のままがいいって」
「ああ…そうだな、そんな話をしたな」
「平凡でも平坦でもいいから、何も起こらない穏やかな毎日が続けば、それでいいと思ってたんです」
その気持ちは分からなくもなかった。
何事も起きない毎日は、本人が自覚するしないはあるにせよ、きっと幸せなことだ。
「何も手に入れなければ失うことがないから…だから特別な人なんかいらなかった」
切なそうに、小さく微笑んだ。
好きにならなければ嫌いになることはないし、恋人にならなければ別れることはない。
青島が言いたいことは、そんなことだと理解をした。
「でも、それじゃあ、寂しすぎるだろう」
室井は青島の髪を梳いていた手を、頬に滑らせる。
嫌がることなく、青島は少しだけ照れ臭そうに目を伏せた。
「失うときの寂しさよりは、マシだと思ってたんです」
「青島…」
頬を撫ぜると、青島は視線を持ち上げて、室井を見つめた。
その瞳は柔らかくて、どこまでも明るい。
「そんなわけで、覚悟してくださいね」
そう言って、大きく笑った。
「一生離してあげませんから」
冗談っぽい台詞だったが、室井は当然のように真剣に受けとめた。
両手で頬を包むと、青島の頬が熱くなる。
手の平に青島の気持ちが直接伝わってくる気がして、室井は優しく微笑んだ。
「君が望む限り、ずっと傍にいる」
揺れる青島の瞳の中に、自分の姿が映っている。
だけど青島には、もうはっきりとは室井の姿が見えていないだろう。
青島には笑っていて欲しい。
ずっとそう思ってきたが、目の前で涙を流す青島は愛しくて仕方がなかった。
素直になれる場所。
これから青島にとって、室井がそういう存在になっていければ良い。
そう思った。
頬を撫ぜながらそっと顔を近づけると、触れ合う瞬間に青島が震える唇で呟いた。
「約束ですからね」
「ああ、約束だ」
誓いのキスではなかったけれど、この約束はきっと果たされる。
END
2005.10.21
あとがき
終わった!終わりました!
長々とお付き合いくださった皆様、本当に有難う御座いました!
こんなに引っ張ったわりに…なラストだったかもしれません;
ラストに向けて盛り上がりに欠けるのはいつものことなのですが(大問題)
それでも、青島君は幸せになれたんじゃないかなと思います。
ていうか、幸せにします(笑)
日記で宣言しておりましたが、皆様の暖かい声援に後押しされまして、
この2人の初体験を書き始めております(大笑)
裏になりますが、エロを抜いてお話にできたら
表にもアップしようと思っておりますので、
期待なさらずにお待ち頂けると嬉しいです。
…青島君を幸せにしたいという、自己満足だけで鋭意製作中でございます(笑)
真緒様。
長々とお待たせして、申し訳ありませんでした!
連載が始まってからも、一月近く経っておりますね(汗)
本当に申し訳ありませんでした。
この度は嬉しいリクエストを有難う御座いました(^^)
少しでも楽しんで頂けていることをお祈りしております。
template : A Moveable Feast