■ 恋の途中
パタパタと、血がまな板の上に落ちる。
「っ」
青島が小さく声を上げた。
「やだ、青島君。指切ったの?」
近くにいたすみれが声をかけてくる。
「ん…、平気」
そう言って、切れた指先を口に含んだ。
口の中に独特の鉄臭さが広がって、青島は眉を顰める。
ちょっとしてから指を見てみると、まだ鮮血が流れてくる。
どうやらほんの少しだけ深く切ったらしい。
「あああ、やっぱり青島君に包丁なんか持たせるんじゃなかった」
「失礼な」
嘆くすみれに、指を銜えながら膨れる青島。
料理部の活動中のことだった。
いつもだったらあまり難しいことはさせてもらえないのだが、欠席者が二人もいたので青島も料理に参加していたのだ。
とはいっても、包丁で野菜をみじん切りにしていただけで、普通に考えれば難しいことをしていたわけではない。
それでも指を切るのだから、青島が不器用だということだろう。
「……痛い」
中々出血の収まらない指を眺めてぼやく。
「そりゃあそうでしょうよ。早く、保健室行って来なさいよ」
すみれが血の流れる青島の指を見ながら、顔を顰める。
気持ち悪いと思っているのではなく、一応心配してくれているらしい。
素直じゃない言い方は彼女の癖なので、青島もいちいち気にはしない。
「ええ?いいよ、大げさな。そのうち止まるって」
「バイキン入ったらどうするのよ。ほら、いいから、行ってきなさいよ!」
「ええ〜。だって、」
「何よ」
「ここの学校、男なんだよ?保健のセンセ」
ふざけてぼやいてみせると、すみれが呆れたように溜息を吐いた。
それから半ば強引に調理室から追い出される。
「はいはい。うちの学校には室井さんがいるんだから、それで十分でしょ?」
出て行きがけにそういわれて、青島は思わず言葉に詰る。
すみれが言ったことは事実だが、だからこそ触れて欲しく無かった。
すみれには青島の片思いがバレてしまっていて、たまにこうしてからかわれるのだ。
偶然の出会いから数ヶ月経って、何故だか青島を気に入ってくれた室井のおかげで随分距離は縮まったように思うが、青島の片思いは相変わらずだ。
何か言いたげな青島に、すみれは苦笑して手を振った。
「傷物になったら、困るでしょ〜」
「すみれさん!」
それでも、言われた通りに保健室に向かう青島は、素直な性格なのだろう。
「傷物になっても特に困んないよ…」
どうせ片思いだもん。
ぶつぶつ呟きながら、保健室のドアをノックした。
「しつれいしま〜す」
ドアを開けて青島は目を丸くする。
噂の校医の他に、室井がいたからだ。
校医と向かい合わせになって椅子に座っている。
室井もやっぱり驚いたらしく、目を丸くして青島を見ている。
「室井さん」
「青島?どうかしたのか?」
保健室に来たのだから何かあったのだろう、と思ったのだろう。
気遣わしげに聞かれて、青島はちょっと慌てる。
「ああ、大したことないんですけど。ちょっと切っちゃいまして」
切れた指を見せると室井が眉間に皺を寄せた。
「おい、一倉。見てやれ」
いきなり校医を呼び捨てにする室井に、青島はぎょっとする。
呼ばれた一倉の方は、苦笑して立ち上がった。
「お前ね、仮にも叔父さんを呼び捨てにするなよ。しかも名字で」
「いいから、早く見てやってくれ」
「叔父さん?」
青島が首を傾げると、室井はものすごく不本意そうに頷いた。
「母の弟なんだ、一倉は」
なるほどとは思うが、何故名字で呼び捨てなのかは不思議ではある。
「どれ」
一倉が青島の手を取ったので、理由は聞きそびれてしまった。
隣に並ばれて気付いたが、この一倉という校医は青島よりも更に背が高かった。
「お前が青島か」
「はぁ…」
指先を見ながら聞いてくる一倉に、青島は首を捻った。
名前はさっき室井が言っていたから分かったかも知れないが、以前から青島のことを知っているふうな口ぶりが気になった。
自慢じゃないが健康優良児で、保健室に来たのは今日が初めてである。
「一倉、黙ってやれ」
室井が不機嫌そうに声をかけると、一倉は笑いながら「はいはい」と呟いた。
もしかしたら、室井から何か聞いているのかもしれないと青島は思った。
―悪い噂じゃないといいけどな。
嫌われていないとは思っているが、室井が自分をどう思っているかなんて本人から聞けるわけもない。
自信はあまり無かった。
「この程度なら舐めときゃ治る」
一倉の保健の先生とは思えない発言に、室井は顔を顰め青島は苦笑した。
「俺もそう思ったんですけどね」
「そうか」
「実行したんですけど、血が中々止まらな…」
そこまで言って、青島は絶句した。
「一倉!」
室井の鋭い声に、一倉は笑って見せた。
青島の指を咥えたまま。
「ふん。確かに止まらんな」
わざとらしく、納得した顔をしている。
軽いショックから立ち直ると、青島は呆れた顔をした。
「…だから言ったでしょ」
「一応養護教員なんでね。傷がどれほどのもんか確かめてみたんだよ」
自分で一応と言い切る養護教員もどうかと思うが、それ以上に。
「他に確かめる方法、あるんじゃないっすか?」
絶対あるだろう。
指を舐めて傷の深さを確かめるなんて、聞いたことが無い。
「青島」
いきなり室井に低い声で呼びかけられて、青島は慌てて振り返った。
怖い顔をした室井に睨まれる。
「え?あああの?」
何か怒らせただろうかと思って慌てる。
何かをした覚えは全く無いのだが。
青島がうろたえていると、室井は一倉から青島の手を奪って水道まで引っ張って行った。
無言で蛇口を捻ると、青島の指に水をかける。
「…む、室井さん?」
「消毒だ」
背後でニタニタしている一倉を、室井は無言で睨みつけている。
訳が分からないのは、青島一人。
首を傾げて一倉を見てから、室井に視線を戻した。
「あの」
「なんだ」
「あの先生、病気持ちなんですか?」
突拍子もない青島の台詞に、室井が目を剥いた。
「あ、ええと、だって、消毒っていうから…」
背後で一倉が声を立てて笑っている。
室井はそれを再び睨みつけたから、青島を見た。
「そうだ。だからあいつと関わるな」
「ええ???」
「おい、室井。酷い言い草だな。心配するな、青島。舐めたくらいでうつるような病気は持ってない」
じゃあどんな病気なら持ってるんだ、と思わず突っ込みたくなる。
室井は勝手に薬品の棚を漁ると、消毒液と絆創膏を出してきた。
一倉も特に止めない。
青島が呆気に取られていると、室井に椅子に座るように勧められる。
大人しく座ると、青島の手を取って消毒液を付けてくれる。
少しだけ沁みるその感触に、青島は薄っすらと頬を染めた。
良く考えたら、さっきからずっと室井に手を握られているわけで。
挙句、室井に手当てをしてもらっている。
今結構幸せなのではないだろうかと、青島は思った。
「すいません。室井さん」
「…気にするな」
絆創膏を張りながら答えてくれる。
返事はそっけないが、それだけで室井が照れているのを感じられる。
その程度の変化がわかるくらいの付き合いはあるのだ。
青島の指を見ていた室井がふいに顔をあげたから、視線が合う。
「気にはしなくていいが、気をつけろ。料理部なんだから」
包丁は使わない方が良いんじゃないか、とぶつぶつと言われる。
どうやら心配されているらしい。
嬉しいやらくすぐったいやらで、青島は相好を崩した。
それを見て、室井も苦笑する。
「こら、聞いてるのか?」
「聞いてますよ。気をつけます」
クスクス笑っていると、頭上から一倉の声がする。
「俺は職員室に行くから、帰るときは鍵閉めていけよ、室井」
なんでこの叔父と甥は名字で呼び合っているんだろう?
青島が疑問に思っているうちに、一倉はさっさと保健室を出て行く。
二人がその背を見送っていると、戸口で振り返った。
そしてニヤリと笑う。
「保健室だからって、無茶するなよ。室井」
「!」
室井がカッと頬を染めたが、青島にはなんのことだか分からない。
首を捻って室井を見ると、室井は一倉を睨みつけていた。
「とっとと行け!このエセ養護教員!」
「酷いな。免許は持ってるぞ。じゃあな、青島」
また来いよ、などと言って手を振って去って行った。
青島は呆然とその背を見送るだけだ。
いくら免許があろうと、室井のエセ養護教員発言には納得したくなる。
結局一倉がしたことといえば、青島の指を舐めただけだ。
後は全部室井がしたことだ。
「…えーと、室井さん?」
青島の視線に室井が顔を向けてくれるが、視線は合わせてくれないのは気のせいだろうか。
怪訝そうな青島に、室井は緩く首を振った。
「なんでもないんだ。気にしないでくれ」
気にするなとお願いされている気がして、青島は気にしないことにした。
「ありがとうございました」
青島が礼を言うと、保健室の鍵を閉めていた室井が振り返らずに首を振った。
「いや、大したことはしていない」
「でも、俺は助かりました」
笑顔で答えると、顔をあげた室井と目が合う。
少しだけ微笑まれて、青島はちょっと赤面した。
夕暮れの校舎だから室井に気付かれることはないだろう。
「俺は職員室に鍵を返しに行ってくるが…」
「あ……」
俺も付いて行きますと言いかけて、不自然な気がして飲み込んだ。
でも本音を言えば、もう少し一緒にいたかった。
一瞬考え込んだ青島よりも先に、室井が口を開いた。
「……よかったら、」
「あ、はい?」
「一緒に帰らないか」
まるで女の子を誘うような言い方に、青島は一瞬呆ける。
室井に片思いしている青島にしてみれば動揺させられる一言だ。
なぜか眉間に皺を寄せている室井を見ながら、青島は嬉しそうに笑った。
「はい!」
室井が誘ってくれるということは、嫌われてはいないということ。
今はまだ、こうして隣にいられればそれでいい。
でも、いつか。
気持ちを伝えられたら。
帰り道。
室井と並んで歩きながら、青島はそう思った。
室井が一緒に帰ろうと誘った理由を青島が知るのは、もう少し先のこと。
END
2004.6.6
あとがき
玲様から7777HITのリクエストを頂きました。
「パラレル学園物の続き」というリクだったのですが、
また半端なところで終わってしまってます(汗)
前回は室井さんサイドの片思いだったのですが、今度は青島君サイドの片思いです。
そして、ラストが一緒(笑)
しかも頼まれてもいないのに、一倉さん登場。
一番目立っているということは秘密です。
副生徒会長と校医で悩んで、
結局「読みたい」というお声が多かったセクハラ校医に♪
しかも室井さんとは叔父と甥という関係。
何で名字で呼び合っているかは永遠の謎です(笑)
単に名前で呼び合う室井さんと一倉さんを想像できなかっただけなんですけどね。
玲様。リクエストしてくださって、ありがとうございました!
しょぼい続きで申し訳ありませんでした!(汗)
※追記
パラレルはどちらもリクエストで書かせて頂いたのですが、
どちらも半端で終わらせてしまって申し訳ありません。
折角リクエストして頂いたので、二人がくっつくところまでは書きたいと思っております。
なので、後一話は少なくても書きます。
未熟なパラレル話で恐縮ですが、興味を持ってくださった方々。
時間が掛かかるとは思いますが、気長にお待ちくださると嬉しいです。
template : A Moveable Feast