■ 深淵(12)


空いていた会議室に連れこまれて、青島は膨れっ面になった。
室井に怒られる覚えはない。
大好きな相手でも、理不尽な態度には腹も立つ。
「なんなんすか、一体」
広い部屋に、青島の不満たっぷりな声が響いた。
室井は相変わらず怖い顔だ。
「新城が結婚すると聞いた」
唐突に言われて、青島は首を傾げる。
室井の怒りと、会話が繋がっていない気がした。
「みたいっすね、」
それがどうかしたのかとは続けられなかった。
室井に両肩を力強く掴まれる。
突き刺さって痛いくらい真剣な眼差しで見つめられて驚いたが、室井との距離の近さに気付いて少し慌てる。
「ちょ…ちょっと、離してくださいよ…」
痛いですってばと室井の手を嫌がる振りで身じろぐが、室井は手を離してくれない。
益々室井の手に力がこもり、本気で痛みを感じ青島は眉を顰めた。
「室井さん?一体どうし…」
「新城なんかやめろ」
室井が苦々しく吐き捨てる。
やめろと言われても、何をやめろと言われているのか分からない。
困惑する青島をよそに、室井は続けた。
「新城なんかといても、君にとっていいことなど何もない」
珍しいなと思った。
室井と新城が仲良しだとは思っていなかったが、ここまで露骨に嫌っているとは思っていなかった。
それに、新城の全てを否定するような言い方は、室井らしくない。
新城との間に何かあったのだろうかと思いながら、青島はやんわりと新城を庇った。
「そんなことないっすよ、あれで優しいとこもあるし…」
室井が眉を寄せた。
また怒らせたのかと思ったが、その目はどこか悲しげで痛ましい。
「室井さん?」
「優しいだと…?」
室井の声が一段と低くなる。
「君をおいて、結婚するのにか?」
「…はい?」
「君を愛人にすることがアイツの優しさだというのか?」
室井はどこまでも真剣に話しているのに、聞いている青島には何一つ理解できない。
青島をおいて、新城が結婚する。
それは普通のことで、何の問題もないように思えた。
連れだって結婚する方が、どうしたっておかしい。
室井が何を問題視しているのかすら、青島には分からない。
ましてや、誰が、誰の愛人になるというのか。
室井の言うことがあまりにもとんちんかんで、青島は混乱する一方である。
返事を返すに返せないでいる青島に、室井は焦れたように言葉を重ねた。
「俺は我慢ができない」
「な、何が…」
「君を一番に想えないようなヤツに、君を渡したくない」
相変わらず室井の言うことは、訳が分からない。
訳も分からないまま、青島の顔が赤く染まっていく。
室井が言いたいことは分からなくとも、話している言葉自体は告白のように聞こえた。
勘違いするな誤解するなと、自分に言い聞かせる。
「室井さん、ちょっと…ちょっと待って」
とりあえず近すぎる身体を遠ざけたくて室井の身体を押し返すが、離れてはくれない。
「俺ではダメか?」
真っ直ぐに見つめてくる眼差しに射抜かれて、青島は動きを止めた。
「俺の方がずっと、君のことを大事に思ってる」
何がだめかと聞かれているのか。
どう大事だと言われているのか。
青島が考える隙もなく、室井が答えをくれた。
「君が好きなんだ…っ」
言葉と同時に抱き締められる。
力強い腕と、触れる温もりと、耳元にかかる室井の吐息。
青島の顔が益々熱くなった。
―何がどうなってるんだ?
―新城さんの話しじゃなかったのか?
―室井さんが俺を?
―好きだって?
頬を上気させながらも、尚も落ち着けと自分に言い聞かせて、室井の肩を忙しなく叩いた。
「室井さん、待って、俺には話しが全く見えないんだけど…」
「君は俺が嫌いか」
「んあ?」
青島の肩口に顔を埋めたまま室井が突拍子もないことを言うから、変な声が出た。
抱きすくめられて困惑したまま、青島は首を振った。
「そんなわけ、ないでしょ」
「新城のことが好きなのか」
「待って」
青島が慌てて遮ると、室井が顔を上げた。
不安そうな室井の眼差しを不思議に思いながら、青島はずっと気になっていたことをようやく聞いた。
「さっきから思ってたんですけど、何で新城さん?」
「…なに?」
「いや、だから、さっきから新城さんの名前出てきますけど、何で?しかも室井さん、新城さんになんか怒ってるみたいだけど、それって、俺関係ないですよね?」
新城のことで青島が怒られる覚えはない。
青島にしてみればこれ以上ないくらい理不尽なことで当たり前の疑問だったのだが、室井は不審そうに眉を顰めた。
「新城の結婚なら、君も無関係じゃないだろ」
思いもよらないことを断定されて、面を食らってしまう。
「なんで?」
短く聞き返すと、今度は室井の方が面を食らったようだ。
言葉に詰まる。
「なんでって…」
「おめでたいことだから、お祝いくらいはしてあげたいと思ってますけど。お世話になってる人だし」
「世話に?」
「何回か飯をご馳走になったりしたんでね。仕事でも世話になってるし……ま、仕事では随分迷惑もかけられましたけどね」
苦笑いをすると、室井は何故か呆然としていた。
「それだけ…?」
他になにかあったかと首を傾げる。
青島に思い当たる節がないと悟ったのか、室井は呆然としたままとんでもないことを言った。
「君と新城は、恋人なんじゃないのか?」
青島は三秒ばかし時間をかけて言葉の意味を理解すると、深く頷いた。
「はい」
目を剥いた室井に、青島の方が驚く。
「あ、当たり前でしょ!何で新城さんと俺?どこをどうすると、そんな誤解すんの!」
驚きのあまり、曖昧な敬語すら出てこなくなる。
室井も慌て出した。
「本当に違うのか?」
「当たり前だっつってんでしょっ」
「そ、その……全く、何もないのか」
「何かって何?」
不機嫌になった青島の声に、室井は言葉を詰まらせた。
「俺と新城さんの間で、一体何が起こるって言うのさ」
困惑している室井に、言ってみろとばかりに顎をそらして言った。
「し、しかし、新城が…」
何かをいいかけて、室井が言葉を飲み込む。
「何?」
先を促すが、考えこんでいる室井は何も答えない。
しばらくしてから、深い溜息を吐いた。
「…いや、俺が騙されたんだな…」
一人で、何かを納得している。
冗談は言わないが嘘なら吐くと宣言した新城に、何やら騙されたらしい。
一体どんな騙され方をしたんだと思ったが、あらぬ誤解が解けて青島はホッとした。
ホッとしたら、途端に有り得ない現状に気付く。
室井に抱き締められたままなのだ。
青島は思い出したように頬を染めながら、室井の胸を押し返した。
「とりあえず、離れてくださいよ…」
室井も言われて思い出したようで、少したじろいだ。
だが、また眉間に皺を寄せると、きつく抱き締めてくる。
「嫌だ」
「嫌って…」
だだをこねる室井に呆れながらも、顔がどんどん赤くなる。
離してほしいのに、離したくないという室井の言葉が嬉しくて仕方がなかった。
「いらぬ誤解をしたことは謝るが、まだ返事を貰ってない」
「返事?」
「告白、したろ」
目を見開いて、室井を凝視した。
眉間に皺を寄せた室井が、また怖い顔で青島を睨んでいる。
いや、おそらく見つめているのだ。
その目を見つめ返して、青島はようやく理解した。
さっきのあれは、やはり室井の告白なのだったのだ。
「室井さんが…俺を?」
確認するように問うと、室井は頷いた。
おかしくもないのに、何故か青島の口からは笑いが漏れる。
「あ…あは、あはは」
「なんで笑う」
「いや、だって、いや、ないよ、絶対」
なぜか青島が、室井の気持ちを否定してしまう。
平常心ではとてもじゃないがいられなかった。
動揺しすぎて、何を喋っているのか分からない。
「室井さんが俺を?嘘でしょ?」
「嘘じゃない」
「いやいや、有り得ないって」
「青島」
引き攣るように笑っていた青島の言葉を、室井が遮った。
青島を見る目はいつの間にか穏やかになっている。
ただ真っ直ぐに青島を見つめて、静かな声で告げた。
「好きだ」
真剣にもう一度言われて、青島の顔から笑みが消えた。
室井は青島のことが好きなのだ。
室井が青島に嘘を吐くはずがないから。
それはまぎれもない事実だった。
―俺も何か言わなくちゃ。
折角思いが通じあったのだ。
室井の告白に応じなければならない。
そう思って口を開こうとするが、情けないことに上手く言葉が出ない。
唇が微かに震えている。
―やばい、泣きそうだ。
ぐっと堪えると、室井が暗い顔をした。
「どんな返事でも、受け入れるから」
青島が困っていると思ったのかもしれない。
覚悟を決めたような室井に、青島は慌てて首を振った。
「室井さん、俺…」
言いかけた青島を、室井が思い出したように遮った。
「いや、でも新城だけはだめだぞ」
まだ言うかと呆れつつも、青島は顔をくしゃりと歪めて笑った。
室井が新城に対して怒っていたのは、青島に不義理を働いていると思ったからだ。
青島を大切に思うから、怒ってくれていたのだ。
青島を好きだから―。

青島は首を傾けると、間近にあった室井の唇を掠め取った。
ほんの一瞬触れただけだが、室井の目が溢れ落ちんばかりに見開かれた。
「だめじゃ、ないです」
小さく笑みを浮かべて言う。
まだ驚いている室井と目を合わせ、見ていられなくて視線を落とした。
「…じゃなくて、室井さんがいいです」
言葉にできたのはそれだけだった。
後はどうやっても、口から出てこない。
ずっと好きだったことをちゃんと伝えたいのに、どうしても言葉にならない。
俯いた青島の頭を、室井が抱き寄せる。
室井の肩に押し付けられるようにされて、初めて青島は室井の背中を抱きかえした。
「泣いているのか?」
小さく問われて、青島は「まさか」と応じる。
言ったしりから鼻を啜った。
「青島…?」
少し困惑した室井の声。
「泣いてないってば」
言って、ぐりぐりと室井の肩に額を押し付ける。
嘘は言っていない。
泣いてはいなかった。
どうしようもなく、泣きそうなだけだ。


この人を好きになって良かったと、心の底から思う。
室井が好いてくれたからというだけではなく。
こんなにも自分のことを大切に想ってくれる人を好きになれて、本当に良かったと思った。


何も言わずにただしがみ付いてくる青島の頭を、室井の手がぎこちなく撫ぜてくれる。
ずっと好きだったことを伝えたら、室井はどんな顔をするだろうか。
きっと、今みたいに心底驚くだろう。
そんなことを考えたら、ちょっと笑えてきた。
「青島、泣くか笑うか、どっちかにしないか」
途方にくれているようだったが、そう言う室井の声も少し笑っている。
きっと、想いが通じ合った嬉しいくすぐったさは、どちらも一緒だ。
青島は顔を上げると、室井の耳元近くに唇を押し付けた。
室井の身体がビクリと反応する。
「あ、青島…?」
耳を薄っすらと赤く染めながら室井が硬直しているのが分かる。
―ああ、やっぱりこの人、俺のこと好きなんだ。
今更なことを再確認して、青島は笑みを溢した。
もう涙を堪えてはいない。
「覚悟してくださいね、室井さん」
隠す必要のない想い。
ずっと忘れたいと思っていた。
疎ましくさえ思っていた室井を想う青島の気持ちが、今、やっと救われた。


―俺がどんだけアンタを好きだったか、これからいっぱい伝えるから。










END

2007.10.31

あとがき


長々とお付き合いくださって、有り難う御座いました!
これにて、「深淵」は終了です。

ちゃんと終われてますかね;うーん…
いつものことですが、
またどこか盛り上がらないお話になってしまって申し訳ないです…。
なんでかなー;どうしてだろうー;

でも、書きたかった場面は大体書けた気がして、
それだけは個人的に満足です(^^)
やっぱり青島君には幸せにいてもらわないとっ。
青島君が幸せなら、世の中幸せです(どんな世の中だ)
少なくても、青島君が幸せなら室井さんは幸せ。
素晴らしい世界です(だからどんな世界だ)

しつこいですが、新城さんは別のお話で幸せにしてあげたいです!


続きというほどではないですが、
後日談的なお話をもうひとつ書けたらいいなぁなんて思っています。
書けたら、いいな…(笑)


リクエストをくださった美月様。
大分遅く、そして大分長くなってしまって申し訳ありませんでした。
リクエスト、有り難う御座いました!



template : A Moveable Feast