■ Sign(おまけ)


室井を自宅に連れてくることなど、もう二度とないと思っていた。
ところが不思議なことに、今室井は青島の部屋にいる。
上着を脱ぎ、床に胡坐を掻いて座っていた。
洗面所で顔を洗ってきた青島は、タオルで顔を拭いながらその後ろ姿をぼんやりと眺めていた。
「寄って行ってもいいか」
タクシーの中でいくらか緊張した面持ちで聞かれて、青島はもちろん頷いた。
室井が一緒にいたいと思ってくれているのだ、嬉しいに決まっている。
嬉しいに決まっているが、まだ内心動揺してもいた。
室井も青島を好きだと言ってくれた。
それが信じられないというような思いもある。
室井の言葉を疑っているわけではない。
こんな日がくるとは思ってもいなかったから、頭がついていかないだけだ。
実感が沸かない、というのが正直なところだった。
実感が沸かなくても、室井が自ら青島の部屋にやってきた。
それは事実だった。

背後で佇んでいる青島に気付いたのか、室井が肩越しに振り返る。
「大丈夫か?」
具合が悪くないかという意味だろう。
青島は苦笑して頷いた。
「もう、平気っす。出すもん出しましたから」
身も蓋もない言い方をしたせいか、室井も苦笑した。
「そうか」
「なんか飲みます?ビールならありますよ」
「いや、いい……君も今日はもうやめろよ」
「分かってますって」
釘を刺されるまでもない。
今の気分だけで言えば、しばらく酒は遠慮したかった。
どうせすぐに忘れてしまうのだが、酷い二日酔いをした時などは短い間そんなことを思うものだ。
「何もいらないから、少し座らないか?」
室井が言うから、ドキリとした。
ただ座って話そうと言われただけなのに、ドキドキする。
そんなに室井を好きなのかと思うと、ちょっとおかしかった。
それは今に始まったことではなかったが。
「青島…?」
動かない青島を不思議に思ってか、室井が名を呼ぶ。
青島は思い出したように足を動かし、室井の傍に腰を下ろした。
座ってみたら思ったよりも近づき過ぎた気がして、テーブルの上の煙草を取るついでに少し離れて座り直す。
傍に寄りたくないわけではないのに、傍に寄れば落ち着かなかった。
「青島、少し聞いてもいいか」
頷きながら、煙草をくわえる。
「いつからだ?」
尋問くさいなと思って、ちょっと笑った。
嫌な感じはしない。
青島を見る目が穏やかだからか、真面目くさった言い方を室井らしく思うからか。
「さぁ、気付いたら好きになってたって感じっすよ。少なくても、一目惚れじゃなかったな」
室井が眉間に皺を寄せる。
「それはそうだろうな。好いてもらえるような、第一印象じゃなかった」
被害者の遺族だった雪乃に対する態度を見た時は、なんて男だと思った。
市民を守るのが警察の仕事じゃないのか、事件解決のためなら何をしてもいいのか、キャリアがそんなに偉いのか、そんなふうに思っていた。
警官になりたてだった青島は警察そのものに憧れや希望を持っていたから、余計に憤っていたのかもしれない。
室井にというよりは、警察そのものに失望していた。
失望したままで終わらせなかったのは、室井の存在だった。
室井なら、いつか上に立ち、警察を変えてくれるだろう。
融通が利かず頭が固いのは出会ったときから変わらないが、だからこそ室井は本庁の中にいても自分の信念を曲げずにいられるのだ。
肝心なところでは所轄を信じてくれる。
青島も室井を信じた。
この男の下でなら、信じて働けると思った。
そんな思いがどこではみ出したのか、正確にはわからなかった。
「初めて室井さんの部屋に泊まった時、焦りましたよ」
煙草を弄びながら、苦笑する。
「起きたら、室井さんいんだもん。なんかやらかしたかなーと思って」
泥酔してしまい記憶が曖昧だったから、勢いで室井に何かを強いたのではないかと焦ったのだ。
そんな欲求を持っていた自覚もあったから、尚更だった。
室井に触れて、知りたいことがたくさんあった。
青島の言葉の意味を察したのか、室井の顔が少し強張る。
青島は煙草の煙を深く吸って、ゆっくり吐き出した。
「室井さん」
真剣に室井を見つめる。
「俺はそういうふうに室井さんが好きなんです」
息を飲んだ室井と視線を合わせたまま、穏やかに続ける。
「俺と恋愛、できますか?」
「君を好きだと言ったはずだぞ」
返事は即答だった。
この人ほど嘘がつけない人を、青島は知らない。
真っ直ぐな眼差しが、じわじわと青島の中に染み込んでくる気がした。
室井が、青島を好きだと言う。
言うからには、室井は青島を好きなのだ。
「はは…そうでしたね」
「信じてなかったのか?」
「いや、そうじゃないけど…」
どうしようもなく、笑みが込みあげてくる。
大声で笑い出したいような、床を全力で叩きたいような。
どちらも、室井の手前、やるわけにはいかない。
でも、どうしようもなく嬉しい。
青島は床に手をつき少し身を乗り出すと、目を剥いた室井の唇を軽く奪った。
「もう、キスしても、怒られないっすよね?」
室井は眉間に皺を寄せたが、怒っているわけではなさそうだった。
証拠に、退こうとした青島の身体を抱き寄せてくる。
そのまま、唇が重なった。
三度目のキスは室井からで、青島は少しだけ目の奥が熱くなるのを感じた。
「…元々、怒ってはいなかった」
唇を離し、至近距離で囁く。
青島が勝手にしたキスを、怒ってはいなかったのだろう。
青島を好きだというのだから、それで当然かもしれない。
「そうっすか」
照れ笑いを浮かべた青島を、室井がしっかりと抱き締める。
少し驚いたが、そうされて嬉しかった。
室井の肩に額を押し当て、おずおずと背中に手で触れる。
抱き合っても当り前の関係になったのだと思うと、堪らなかった。
「すまない」
耳元で、室井が呟いた。
潔い謝罪は彼らしいが、こんな状況で謝罪される理由が分からない。
青島は首を傾げて室井の顔を覗き込んだ。
「何が?」
「鈍くて、すまない」
変な謝罪に、思わず吹き出す。
青島の気持ちに気付かなかったことや、自分の気持ちに気付かなかったことを考えれば、確かに室井は鈍い。
それを自覚してはいるらしい。
青島は微笑みながら、室井の背中を撫ぜた。
「鈍いとこも、好きっすよ」
室井の視線を避けるように、その肩に顔を埋めた。
ようやく、声を大にして言える。
「好きです」
室井の手が、青島の背中を強く抱き、乱暴に頭を撫ぜた。
無言で何度も頭を撫ぜられて、少しだけ顔をあげる。
室井を見れば、眉間に皺をよせて怖い顔をしていた。
照れているのか、顔が若干赤い。
相変わらず無言で、ただ青島の頭を撫ぜる。
今の室井の、精一杯の愛情表現のような気がした。
青島は声を立てて笑いながら、室井をしっかりと抱きしめた。
「好きです」
「それ以上言うな」
言葉は素っ気ないのに、抱き締める力はますます強くなる。
拒まれている気は全くしなかったから、安心して青島は室井に身を寄せていられた。
「どうやって返したらいいのか、わからない。今までの分も含めて」
青島が寄せた愛情に対して、ということだろうか。
「別にいいですよ、そのままで」
返してもらうべきものはない。
同じだけ好きだと言ってくれれば良いというものではないし、欲しかったのは言葉でもなかった。
好きだと連呼しなくたって、室井の気持ちはちゃんと伝わっている。
ただ、室井が青島を好いていてくれるなら、それでいいのだ。
「口下手なとこも好きだし」
「…だから」
「真面目なとこも、頑固なとこも、嘘がつけないとこも」
微笑みながら頬にキスをすると、室井は益々眉間に皺を寄せた。
でも何も言わない。
もしかしたら、青島の好きなところを考えてくれているのかもしれない。
いつかは、青島が耳を塞ぎたくなるような愛の告白が聞けるだろうか。
別にいいとは言ったが、聞いてみたくないわけではない。
いや、聞けるものなら、聞いてみたいと思う。
いつかでいいから。
そんなことを思いながら、繰り返す。
「好きっすよ」
噛みつくようなキスが唇に返って来て、目を閉じながらやっぱり言葉はいらないのかもしれないと思った。


「腕時計」
思いの外長くて深いキスの後、室井がぽつりと言った。
室井の肩に額を預けていた青島は、ゆっくりと顔をあげた。
まだいくらか火照っている気がする。
「なに?」
「腕時計、本当に貰ってもいいか」
一瞬何の話しか分からなくて首を傾げたが、すぐに思い出した。
室井が青島の部屋に泊まった時に、青島が言ったことだった。
―なんか気に入ったのあったら、持っていっていいっすよ。
軽く言えば、きっと聞き流してもらえると思った。
欲しいとは言わないだろうなと思ったが、社交辞令だったわけでも適当に言ったわけでもない。
持っていてくれたら嬉しいと思ったから出た言葉だった。
最後だと決めていたから、余計にそう思ったのかもしれない。
「ダメか?」
中々返事をしなかったせいか、室井が気まずそうに尋ねてくる。
青島は慌てて首を振った。
「まさか!…でも、本当に欲しいの?室井さん」
室井が持っていてくれるというのならそれは嬉しいが、青島とこうなったせいで変な気遣いをさせているのなら、申し訳ないとも思った。
余計なものを溜め込むタイプの人ではないことは、シンプルな部屋を見れば分かる。
好みと違う時計なら持っていても邪魔なだけかもしれない。
そう思ったが、不安そうな青島をよそに、室井の目が柔らかくなった。
「欲しいと思ったんだ」
「え?」
「あの時は何故かが分からなかったけど、青島の時計を確かに欲しいと思ったんだ」
今ならその理由が分かるという。
それは青島にも分かった。
青島が室井に持っていてほしいと思った理由と、きっと同じだ。
「もう、好きなだけ持ってってよ」
青島は笑ったつもりだったが、口元が歪み眉が下がってしまったから、上手な笑顔にはならなかった。
ごまかすために、また室井の肩に顔を埋める。
室井の手が、青島の頭を優しく撫ぜた。
「一本で十分だ」
少し笑った声を聞きながら、青島は目を閉じた。


どれでもいいという室井に、青島は普段している時計の次に良く使っていた時計を室井にあげた。
「二番目にお気に入りです、大事にしてくださいね」
一番をあげたいが、きっと室井が遠慮する。
だから二番だ。
「安もんですけど」
茶化すように付け足すと、じっと腕時計を見つめていた室井が青島に視線を寄こした。
「君から貰うこの時計は、この世にコレひとつだろ」
「…まあ、そうっすね」
「それなら、貴重品だ」
真顔で言う室井に、青島は少し呆けて、笑みを溢した。
やっぱり好きだと思った。










END

2008.7.27

あとがき


幸せそうな青島君が書きたーい!というわけで、
最終話のすぐ後をちょこっと追加しました。
毎回毎回、青島君の幸せに固執していてすみません(笑)

くっついたばかりで、戸惑いつつ浮かれ気分な感じでしょうか。
本当はもうちょっと室井さんが「青島が好きで好きでもうたまらん!」
というところが書きたかったのですが、
自覚したてだし、口下手な方が室井さんらしいかなーと思ったりして、
こんな感じになりました。
青島君の頭を撫ぜる室井さんの頭の中ではきっと、
「めんこいヤツめ!愛いヤツ愛いヤツ!」と悪代官のように大興奮です。
別人になっちゃってますけども(笑)

そのうち青島君が聞くに堪えない睦言でも囁いてもらうといいですよ!
ベッドの中とかで!(おっさんくさい)


これにて、本当におしまい。
ありがとうございました(^^)


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