■ Love so Sweet


『誕生日は、何がしたい?』

室井にそう聞かれて、青島はテレビのリモコンをいじっていた手を止めた。
だらしなくソファーに横になりテレビを見ながら、室井と電話をしている最中だった。
室井さんに初めて聞かれたなぁなどと思って、妙に感慨深い。
それもそのはず。
暮れにある自分の誕生日に休暇を取ったのは、室井と出会って10年になるが初めてのことだった。
これまでだって毎年お祝いはしてもらっていたが、前後何日かずれていたり真夜中に滑り込みセーフで乾杯したりと、当日にゆっくりお祝いなど夢のまた夢だった。
互いに忙しい毎日だし仕事優先で当然だと思っているから、そんなことは諦めていた。
第一、青島も室井ももういい歳で、誕生日に特別なこだわりなどない。
お祝いしてもらえたらもちろん嬉しいが、無理してまでお祝いしたいなどとは思わない。
なのに、今年の誕生日はちょっと違った。

「意地でも休暇を取りましょう!」と持ちかけたのは、青島の方である。
ふと気付けば、出会って10年経つ。
だからなんだというわけではないが、なんとなく節目な気がする。
それこそ特別なイベントではないしお祝いするようなことでもないかもしれないが、普段は縁が薄いのだから、こんな時くらい、気が向いた時くらい、贅沢にお祝いをしても良いのではないかという気になったのだ。
ただの気まぐれ。
だけどきっと想い出にはなる。
10年目の誕生日に、二人きりで過ごした特別な時間が。

持ちかけた時は少し驚いていたが、室井も休暇を取れるよう努力すると約束してくれた。
青島がこの手のわがままを言うことは珍しかったので、付き合ってくれる気になったのかもしれない。
そのため二人とも、二ヶ月以上も前から12月13日と1月3日の休暇願いを出していた。
年末年始は不眠不休で働くからという少し誇張した説得に折れた袴田から、青島は無事に休暇をもぎとってきた。
室井もなにかしら多少の無理を通して、休暇を取ってきてくれたらしい。
互いの休暇がはっきりしたので、電話で誕生日の予定を立てているところだった。

『何かしたいことないか?』
室井にまた聞かれて、青島は身を起こしソファーに座り直した。
「一日休みだもんね、何でもできるな」
わくわくしている青島に反して、室井は冷静だった。
『いや、何でもは無理だと思うが』
律儀な訂正に、青島はいじけたように唇を尖らせる。
人の楽しみに水をさすようなことを言わないでよと文句を言おうと思ったが、
『何でもは無理だが、君の誕生日だ。出来る限りのことはしよう』
そう言われれば、文句も言えなくなる。
律儀で真面目で誠実。
彼の性格そのままに、青島は愛されている。
それが分かるから、嬉しくてつい顔が緩んだ。
『何か希望はないのか?』
緩んだ頬を撫ぜながら、改めて考える。
「そうっすねぇ…」
室井と二人、休暇を取ってまでしたいこと。
実は具体的な案があるわけではなかった。
ただひたすらに、誕生日には休暇を取って室井さんと二人で過ごすんだ!、と決めていただけである。
そう考えれば、青島がしたかったことは、それが全てである。
取り立てて、誕生日当日にしたいことがあるわけではなかった。
だけど、休暇を取れと室井にまで強要したのは青島だ。
何もしたいことがないなんて言い辛い。
だからといって、適当なことは言いたくない。
初めて室井と過ごせる、ちゃんとした誕生日になるかもしれないのだ。
大事にしたい。
「ええと、そうだなぁ…」
だが、一生懸命考えるが、これといって浮かばなかった。
『…青島』
黙って待っていてくれた室井が、待ちくたびれたのか口を開いた。
『希望がないのなら、俺に任せてもらってもいいか?』
意外な申し出に、青島はきょとんとした。
珍しいなとは思ったが、申し出自体は一向に構わない。
これといって浮かばない青島にはありがたくもあったし、室井が積極的にお祝いしてくれている気がして嬉しくもあった。
「あ、マジっすか?じゃあ、お任せしよっかな」
『君がいやじゃないなら』
「俺はもう、室井さんがいて、一緒に過ごせるなら、なんだっていいっすから」
言ってしまってから、少し恥ずかしいことを言ったかなと思ったが、口から出てしまったものは仕方がない。
青島は照れ隠しに笑いながら言った。
「ま、そんなわけで、よろしくお願いします〜」
少しの沈黙の後、
『良い誕生日にしよう、必ず』
妙に力の入った返事が返ってきて、青島は頬を掻いた。


***


12月12日。

仕事から逃げるように定時で上がり、室井と待ち合わせた駅に向かう。
青島が到着すると、室井は既に来ていた。
「すいません、待ちました?」
駆け寄ると、室井は緩く首を振った。
「大丈夫だ。君こそ、仕事大丈夫か?」
「ええ」
頷いてから、
「休み明けは死ぬほど働かされるかもしれないけど」
と、付け足す。
それは恐らく室井も一緒だ。
目を合わすと、どちらからともなく、苦笑が漏れた。
「それも仕方がないか」
「ですね」
忙しい中無理をして取った休暇だ。
どこかに皺寄せがくるのも当然である。
明後日からどんなに仕事が忙しくても文句は言えないなと思う。
しばらくの間だけは。

とりあえず、これから明日いっぱいは仕事のことは忘れるつもりだ。
折角の誕生日、二人きりで過ごし、室井のことだけ考えていたい。
そのための、休暇だ。
青島は笑みを浮かべると、鞄を背負い直した。
「で、どこ行くんですか?」
青島はまだ室井がどこに連れて行ってくれるつもりなのか、聞いてはいない。
当日まで秘密だなんてロマンチックなことを言ったわけではなかったが、室井が頑なに教えてくれなかったのだ。
だから青島も、「楽しみにしていろ」ということだと勝手に受け止めて、この日を待ち詫びていた。
身一つで来いと室井が言ってくれたので、青島は本当に手ぶらである。
通勤に使っている鞄が一つだけだ。
その代わりかどうなのか、室井は小さな旅行鞄を一つ手にしていた。
「タクシーに乗ろう」
室井は青島の質問には答えず、歩き出した。
青島もその後を追う。
駅を出てすぐにタクシーを捕まえ、室井に促されて先に乗った。
青島の後に乗り込んだ室井が目的地を言う。
それを聞いて、青島はぎょっとした。
室井が運転手に告げたのはホテルの名前だった。
青島の記憶では、ただ泊まるだけで七万も八万もするような高級ホテルである。
泊まったことはないし、今後泊まる予定もないが、それくらいは青島でも知っていた。
動き出したタクシーの中で、青島は一人ちょっと焦る。
「室井さん…?」
「任せてくれると言ったから、好きにさせてもらった」
真っ直ぐ前を見ている室井の横顔を、穴が開くほど見つめる。
「レストラン、予約してくれたとか?」
はりこんで高級なレストランに連れて行ってくれるつもりなのかもしれない。
そう思って尋ねるが、室井は前を向いたままこちらを見ない。
「レストランも、予約してある」
も、とは微妙な言い回しである。
つまりレストラン以外にも予約してあるということだ。
青島は恐る恐る、また尋ねた。
「まさかとは思うけど、泊まる気じゃないでしょうね」
すると、ようやく室井が視線をくれた。
青島の言い方がおかしかったのか、ちょっとだけ笑って見せるが、何も答えない。
それが答えだ。
「ええっ?まじで?」
「そんなに驚くことか?」
「だ、だって……高いんでしょ?」
出資者に聞くには遠慮のない質問だったが、室井は気にもせず真顔で応じた。
「お祝いなんだ、たまにはいいだろ」
「そりゃあ…嬉しいけど…」
ごにょごにょと小さく呟く。
青島の声を拾ってか、室井は表情を和らげた。
「良かった」
「え?」
聞き返したが、室井は首を振るだけでそれ以上何も言わない。
その代わりか、左手をそっと握られる。
青島が目を丸くして室井を見ると、気まずいのか視線をそらされた。
そのまま窓の外を見るから、青島は小さく笑った。
タクシーの中でなければ、頬にキスの一つでもして、こちらに振り向かせたいところであるが、室井の精一杯は伝わっていた。
青島も室井に倣って窓の外に視線を向ける。
運転手の視線には入らない低い位置で、手を重ねたまま。


タクシーを降りると、青島は間抜けな面でホテルを見上げた。
「はぁ…」
遠くからなら見たことはあるが、この位置まで来たことがない。
まず、用事がなかった。
「たっかいなぁ〜」
最上階が50階を越えるというホテルを見上げたまま呟くと、室井が小さく笑った。
「行くぞ、青島」
「あ、はいはい」
促されて中に入ると、丁寧で愛想の良いスタッフに出迎えられた。
青島が曖昧に微笑み返していると、すぐにベルスタッフが室井の荷物を預かってくれる。
青島の良く知るビジネスホテルとは、訳が違った。
「チェックインしてくるから、ロビーで待っていてくれ」
俺も行きますよ、と言いかけて一人で待てない子供じゃないんだからと思いなおし、室井に軽く手を振った。
コンシェルジュデスクに向う室井を見送って、意味もなくそわそわと辺りを見回し、ロビーにある大層な椅子に視線をとめると、腰を下ろした。
なんとなく、所在が無い。
物珍しくて、ついついあちこちに視線が泳ぐ。
もう二度と来ることがないかもしれないと言ったら大袈裟だろうか。
たった一晩のために無理をして、頑張れば来れないこともないかもしれない。
とにかく、青島の経済力では気軽に来れるホテルではないことは確かだ。
―室井さんは、このホテルに来たことあんのかな…。
ふっと思って、思ったことをすぐに後悔した。
折角室井が連れて来てくれたというのに、いやなことを考えている。
室井が青島をこのホテルに連れてきてくれたのは、青島を喜ばせたいからだ。
それを嬉しく思ったのだから、素直に喜んでおけばいい。
くだらない小さな嫉妬など、今はするだけ時間の無駄だ。
楽しまなくちゃと気負うつもりはないが、大事にはしたい。
大体、気負わなくても、楽しいに決まっている。
室井と一緒だ。
「青島」
チェックインが終わったのか、室井が少し離れたところから青島を呼んだ。
青島は自然と浮かんだ笑みを溢しながら、立ち上がった。


部屋に入り、青島は唖然とした。
驚きで、中々声がでない。
どんどん上がっていくエレベーターの中で、嫌な予感はしていたのだ。
ベルスタッフが案内してくれた部屋は、最上階まで後いくつもない階にあった。
高級ホテルの高層階にある部屋といえば―。
「ごゆっくりどうぞ」
ベルスタッフが微笑んで出て行くと、青島はようやく声を出した。
「…室井さん」
硬い声で名を呼ぶと、室井がちらりと青島を見た。
「ここって、まさか」
まさかも何もない。
目の前に広がる部屋を見れば、一目瞭然だ。
「スイートルームってやつじゃないの?」
「一番グレードは低いけどな」
低かろうが高かろうが、スイートルームには間違いない。
青島は目を丸くして室井を凝視し、ゆっくりと部屋に視線を巡らす。
生まれて初めて生で見るスイートルーム。
立派なソファーに大きなプラズマテレビ、ダイニングテーブルまである。
普通なら部屋の大半を占めるはずのベッドが見当たらないが、続き部屋にベッドがあるのが見えた。
一部屋だけではないのだ。
青島は視線を室井に戻した。
相変わらず、目はまんまるだ。
「何してんの、室井さんっ」
思わず声を荒げた青島に、室井は頬をこわばらせ、眉をひくりと動かした。
それでも、堂々と分かりきったことを言う。
「君の誕生日祝いだが」
「いわ、祝うにしたって、あんた、こんな、ちょっと、部屋、だって」
忙しなく、部屋と室井を交互に見やる。
「青島、ちょっと落ち着け」
室井に言われて、一度深呼吸をする。
落ち着いて、呼吸を整えて、改めて室井を見ながら部屋を指差した。
「高いんでしょ?」
さっきからそればかりで申し訳ないが、普通に一泊するだけで数万円が消えるホテルである。
そこのスイートルームに泊まるというのだ。
この一晩に室井がいくら使ったのか、考えるのも空恐ろしい。
だが、出資者の室井は落ち着いたものである。
「滅多にあることじゃないんだ、たまにはいいだろ」
確かに滅多にあることではない。
10年目の誕生日、折角だから特別なお祝いがしたいと言ったのは、青島の方だ。
だからと言って、ここまでして欲しかったわけではない。
青島が望んだのは、誕生日を二人で過ごすこと。
そして、出来たら想い出に残したい。
ただ、それだけだった。
青島が呆然としていると、室井が少し困った顔をした。
「迷惑、だったか?」
青島は瞬きをして室井を見つめた。
「なんで?」
「だって……迷惑そうだ」
自信なさそうに、室井が呟く。
不意にタクシーの中で手を握ってくれた室井のことを思い出した。
青島が「嬉しい」と言っただけで、喜んでくれた。
ちょっと豪華なスイートルームに驚いた衝撃で忘れてしまったが、室井はただ青島を喜ばせたかっただけなのだ。
根本的なことをまた思い出すと、青島は苦笑した。
今日は室井が青島を祝ってくれる日。
正確には後数時間あるが、青島が無条件で祝われて良い日のはずである。
しかも、室井に任せると約束していた。
任せた結果、精一杯考えて、精一杯の贅沢をしようとスイートルームを用意していてくれたのだろう。
この部屋は、室井が青島のために用意してくれた、10年目の誕生日プレゼントだ。
それが―。
「迷惑なわけないでしょ」
素直な気持ちを伝えると、青島は室井の傍に寄る。
軽く室井の手に触れるとすぐに握り返してくれるから、青島は笑みを溢した。
そのまま、室井の頬にキスをする。
「いつも俺には無駄遣いするなって言うくせに」
至近距離で視線を合わせると、室井は真顔で言った。
「これは無駄遣いじゃない」
「たった一晩泊まるだけなのに?」
「君の誕生日だぞ」
まるで、それが理由ならどんな特別なことでも許されて当たり前のように言うから、青島は眉を下げて苦笑した。
しょうがない人だなぁと思うが、それが嬉しくて照れくさく、頬に赤みがさす。
その頬に室井の手が触れた。
撫ぜられて、気持ちが良くて、目を細める。
「おめでとう」
言った後に、室井の唇が触れた。
室井の背中に腕を回しながら微笑む。
「ありがと、室井さん」
おめでとうにはまだちょっと早かったが、そんなことはどうでもいいことだった。
室井をぎゅっと力いっぱい抱き締めてから、パッと両手を離した。
「ね、ちょっと、あちこち見て回っていいです?俺、スイートなんか来んの初めてで」
甘い雰囲気を一変させて急にわくわくしだした青島に、室井は少し呆けた顔をしていたが苦笑すると頷いた。
「俺も初めてなんだがな」
「あ、そうなんすか?このホテルに泊まるのは?」
「それも初めてだ、用事がない、こんなところ」
「じゃあ、一緒っすね」
若干声が弾んでしまった気がして、青島は内心苦笑した。
室井が連れてきてくれたくせに「こんなところ」という言い草も可笑しいが、室井も初めて来たのだという事実が青島には妙に嬉しかった。
贅沢をしようと決めて、いいホテルを雑誌やインターネットで探してくれたらしい。
「君がいないなら、来ることもなかっただろう」
贅沢に興味がない室井らしい言葉だったが、他の誰とも来るつもりはないと言われているような気もした。
青島は首を傾けて掠め取るように、もう一度室井の唇を奪った。
室井が動く前に身を翻し、早速部屋の中を意味なく歩き周る。

「デカイテレビっすね!これで何インチなんだろ?俺の部屋だったら入んないんじゃないかなぁ。あ、DVDプレーヤーもある。室井さん、DVD持ってきた?…いや、折角だから観ようかと思って……時間の無駄?そりゃ、そうだ。家でも出来るもんね。はー、コーヒーカップも高そう。ビジネスホテルの落としても割れそうにない湯のみとはわけが違いますね。ん?ウェルカムギフトだって。チョコレート置いてありますよ…あ、美味い。甘い。こっちはなんだろ…ウォークインクローゼットってやつか。こっちは?……うわっ、室井さん室井さんっ」

バスルームのドアを開けたまま、室井を手招きで呼んだ。
苦笑しながらも素直に近付いてくる室井に、バスルームの中を見せる。
「凄くないです?超豪華っ」
「そうだな」
「シャワーブースが別になってますよ」
バスルームの中にシャワーブースが独立して設置されてあった。
バスタブは広くて深いし、シンクも二つあるし、テレビもある。
バスタブの向こうに大きな窓があり、夜景まで見えた。
「すげ……後で、風呂入りましょうね」
「ああ」
「一緒にね」
苦笑していた室井が目を剥いたが、そんなことにはお構いなしに、テンションが上がりきった青島はすぐにバスルームを後にし、今度は寝室に向かった。
大股で寝室に移動し、また目を丸くする。
「デカいベッド!」
ダブルベッドが二つあるように見えるのは、青島の気のせいか。
スイートルームのツインルームは、ベッドまでが贅沢である。
青島はぼすんと勢い良く横になった。
天井を見上げ、青島に着いて来てくれた室井を見る。
「凄いっすよ、このベッド」
「そうか?」
室井も青島の横に腰を下ろす。
確かに…などと呟いている室井の腰にしがみ付いて、そのまま室井をベッドに押し倒した。
「っ…こら」
室井に覆い被さってキスをすると、室井の口から苦情が出てこなくなる。
もう一度キスをして、青島はニッと笑った。
「決めました」
「何を」
「今日は、寝ません」
怪訝そうな室井の上からどけて、立ち上がる。
「勿体無いから、寝ません。寝ないで、朝まで過ごしますっ」
高らかに宣言したが、宣言するようなことでもない。
要は、貧乏性だとアピールしているようなものである。
室井も身体を起こしながら、少し眉を顰めた。
「勿体無いって…」
「勿体無いでしょ、これだけの部屋に泊まるのに、寝て過ごすだなんて」
「いや、ホテルとはそもそも寝るところじゃないのか?」
「寝ることは、家に帰ればいくらでもできますから」
この部屋を目一杯満喫して帰るんだ!と息巻く青島に、室井もほだされたのか頷いた。
「眠くならなければ、そうすればいい」
「いーや、眠くなったって、寝ませんから」
「……ところで、青島」
室井が時計を差し出してくる。
「そろそろ飯食いに行かないか。8時に予約してあるんだが」
時計を見れば、もうすぐ8時になる。
飯と聞いて、突然空腹を覚えてきた。
青島は満面の笑みを浮かべると、もちろんと頷いた。


室井が予約しておいてくれたレストランは、フレンチレストランだった。
室井と来るのは初めてかもしれない。
ドレスコードはあるようだったが、二人ともスーツだったから特に問題はなかった。
もちろん、青島のいつものコートは部屋に置いて行った。
席に通された最初こそ、男二人でフレンチを食べている違和感を感じなくはなかったが、続く料理に夢中になっているうちに、そんなことはどうでも良くなった。
室井が選んでくれたワインも申し分なく、美味しかった。
もう一本頼もうかと言ってくれた室井に、「腹いっぱいになって、飲みすぎたら、絶対寝ちゃうから、もういいです」と応じたら苦笑されてしまったが、「それに、後から部屋で飲みなおすほうがいいです、二人で」と付け足したら、真顔で「それもそうだな」と返されて今度は青島が苦笑する番だった。


「あー、食ったー」
部屋に帰るなり、青島はソファーに沈んだ。
腹をさすりながら伸びていると、室井も隣に腰を下ろす。
「この歳になると、フルコースは厳しいな」
青島のようにだれてはいないが、満腹で苦しいらしい。
青島は室井の肩に寄り添って、笑みを浮かべた。
「美味かったです、ご馳走様」
「…なら、良かった」
首を傾けた室井が顔を寄せてくるから、青島も首を伸ばした。
目を閉じて、軽く触れるだけのキスを何度か繰り返す。
唇が離れると、そっと目を開けた。
近くに室井の顔がある。
見つめる眼差しに熱を感じて、青島は小さく笑った。
室井の頬を掴んで、もう一度キスをする。
「青島…」
室井の手が青島の首にかかり、ネクタイを緩める。
「ん…ねぇ、室井さん…」
「うん?」
「先に、風呂入りましょうよ」
焦らしたいわけではないし、室井とするのが嫌なわけでもない。
青島だってもちろんしたいわけだが、その前に風呂に入りたかった。
あんな豪華な風呂に入れる機会はもう二度とないかもしれないと思うと、意地でも満喫してやろうじゃないかと思ってしまう。
「一緒に入りましょうよ」
甘えるように小首を傾げて誘う青島に、室井は一瞬眉をひそめ苦悩した。
一緒の風呂は嬉しいが、その気になりかけていたところを止められるのは辛い。
そんなところだろうか。
結局は青島の頬に一つキスをして頷いた。
「君の誕生日だ、君のいいようにしよう」
優しい眼差しに笑みを返し、青島はソファーから立ち上がった。
「お湯入れてきますね」
室井を残し、バスルームに向かう。
それにしても、立派な風呂だった。
全体的にアイボリーを基調としたバスルームで、とにかく広かった。
手前にシンクがあり、シャワーブースとトイレブースがあり、一番奥の窓側にバスタブがある。
バスタブに湯を張りながら、青島は窓の外を見た。
大きな窓から東京の夜景が一望できる。
「はぁ…すげぇなぁ…」
ぼんやりと呟き、行儀悪くバスタブの縁に立ち、窓際に寄った。
ホテルの中にいると忘れがちだが、地上200メートルという位置にいるのだということを、唐突に思い出す。
そこで、これから風呂に入ろうというのだ。
「贅沢だね、こりゃあ」
「そうだな」
振り返ると、室井がいた。
手に、洋酒のボトルとグラスを持っている。
青島が目でどうしたのかと尋ねると、室井はボトルを掲げて見せた。
「シャンパン、用意しておいてくれるように、ホテルに頼んでおいたんだ」
青島は瞬きをしながら、バスタブの縁から降りた。
室井らしからぬ気障な行動である。
口には出さなかったが、青島の気持ちに気付いたのか、室井が気まずそうな顔をした。
「らしくなくて、悪かったな」
青島は眉を下げると、相好を崩した。
愛しいなぁと思った。
「悪くないっすよ、嬉しいし」
室井の手からグラスを受け取って、微笑む。
「らしくはないけど……今日は特別、なんだもんね」
自分の誕生日を特別だなんて言うのは照れ臭いが、室井がそう思っていてくれているのは確かだ。
こんな豪華な演出がなくたってそんなことは分かりきったことだが、らしくもなく室井が用意してくれたスイートルームもレストランもシャンパンも、特別な日を祝うためだけのもの。
勿体ないなどとは、もう思わない。
「風呂に入りながら、乾杯しましょうか」
ネクタイを外しながら誘うと、室井も小さく微笑んだ。


バスタブに向かい合わせになって浸かり、グラスを小さくぶつける。
「おめでとう」
室井がまた言ってくれる。
今日、三度目だ。
レストランで乾杯した時にも言ってくれた。
だけど、今が一番ムードがあるかもしれない。
夜景の見えるバスルームで、湯に浸かりながらシャンパンで乾杯。
室井との10年でもちろん初めてのことだが、もっと言えば青島の人生において初体験だ。
昔の恋人とロマンチックなイベントを過ごしたことが全くないとは言わないが、こんな経験は初めてだった。
その相手が室井慎次だと言うのだから、やはりらしくなくておかしい。
でも、室井がくれる『特別』は嬉しかった。
「ありがとうございます」
照れ笑いを浮かべながら、グラスに口をつける。
上等なシャンパンは口当たりが良くほどよい甘みだった。
「美味いっすね」
「…そうだな」
室井の返事に間があったのは、悩んだせいだろう。
美味いのかそうでないのか、良く分からなかったに違いない。
お祝いだからか自身で用意したからか、室井はシャンパンの味に満足したというより、納得することにしたらしい。
そんな室井にちょっと笑って、青島は窓の外に視線を向けた。
「凄いっすね、外…」
「地上が遠いな」
「空中にいる気分になる」
「気分、いいか?」
青島は室井に視線を向けると、もちろんと微笑む。
「そうか」
今度は満足そうに頷く。
その顔を見ていたら、胸にじんわりと広がるものがあった。
それは、どこからともなく湧いてくる幸福感。
美味いものが食べられて幸せ、素敵なプレゼントをもらえて幸せ、甘い言葉をもらって幸せ。
そんなふうに言葉では表現できないような、幸せもある。
「室井さん」
「ん?」
「好きですよ」
唐突に告白すると、室井は目を瞠った。
それに微笑んで、ちらりと窓の外に視線を向ける。
「地上200メートルで言うのは、初めてでしょ?」
だから言っておきたくなったと伝えるが、それは後付けだった。
ただただ、想いを言葉にして伝えたくなっただけだ。
室井を愛しく思う素直な気持ちを。
「俺も好きだぞ」
青島の言葉を信じたのか、室井が真顔で返してくれる。
地上200メートルでの室井の告白も、もちろん初めてだ。
想い出がまた一つ増えたと、内心で喜ぶ。
今更などとは思わない。
好きな人にどんなに好きだと言われても、聞き飽きたりはしないから。
室井はシャンパンを飲み干すと、グラスをバスタブの縁に置いた。
「青島」
「はい?」
「そっち行ってもいいか?」
断る必要はどこにもないのに、そう思いながら青島もグラスを空けた。
「ダメ」
顔をこわばらせた室井に、悪戯っぽく笑う。
「俺がそっちいくから」
グラスを置くと、縁に手をつき、ゆっくりと室井の傍に寄った。
室井の手が腰に伸びてきて、そのまま引き寄せられる。
青島は膝立ちになり、室井の頬に両手で触れた。
視線を合わすと室井の目が細められるから、誘われるままにゆっくりと唇を重ねる。
同じようにゆっくりと離れると、唇が触れる距離で室井が囁いた。
「…これも、初めてか?」
「キスなら、したでしょ」
それこそ自宅にいたのではこんなにしないというくらい、このホテルに来てから何度もキスをした気がする。
「地上200メートルの風呂場で、キスするのは初めてだろ」
室井がしれっと言うから、青島は破顔した。
そんなことを言いだせばキリがないが、悪くはないと思った。
室井としたことがないことが減っていくのだ。
初めてのカウントは、たくさんあってもいいのかもしれない。
青島は室井の首に両手を回した。
「まだ、他にもいっぱい、あるんじゃない?」
「…いいのか?」
ダメなら誘うかと思いながら、青島は室井の唇を塞いだ。


少し呼吸を乱しながら抱き合っていると、室井が青島の背中を叩いた。
肩に埋めていた顔を上げると、室井が優しい顔をしていた。
「おめでとう」
唐突に言われて、自分の誕生日だと言うことを思い出した。
この短時間で忘れたわけではない。
ただ、ちょっとの間、それどころではなくなっていただけである。
青島は室井の頬に唇を押し付けて、苦笑した。
「もう何回も聞きましたよ」
四度目だと数えているくらいだから、青島も喜んでいるわけだが。
「今が、正解だ」
室井が自信満々に言って、壁を指差した。
目で追うと、時計があった。
正午を五分くらい過ぎていた。

12月13日。

いつの間にと思ったが、それなら確かに今が正解である。
ありがとうと応じようとしたが、なぜか先に室井が言った。
「ありがとう」
青島は首を傾げた。
「それ、俺の台詞だけど」
「いや、俺の台詞だ」
言い切って、青島をぎゅっと抱きしめてくれる。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
青島は言葉もなく、ただ室井を抱き返した。


10年目の誕生日。
忘れられない想い出が、いっぱいできた。










END

2007.12.13


忙しい二人のお誕生日は、最悪なことに年末年始。
きっと、いちゃいちゃするのもままならないんじゃないかと思いますが、
折角の10年目のお誕生日。
盛大にお祝いしても良いんじゃないかしらということで、
リカさんと相談してこんなお話に。

青島君に贅沢をしてもらえて満足です!(笑)
きっと室井さんも満足なはず。


青島君、お誕生日おめでとう。

心からおめでとう!


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