■ 嘘吐き
湾岸署に顔を見せた室井をみつけて、青島は喫煙所に誘った。
室井に缶コーヒーを手渡して、ソファーに並んで座る。
「聞きましたよ」
「何を?」
青島は煙草に火を点けて一口吸ってから続けた。
「結婚するそうですね」
ある程度予想はしていたのか、室井は「その話か」と言っただけで動揺は見せなかった。
「おめでとうございます」
青島が微笑んで言うと、室井は苦笑した。
「ありがとう」
室井が結婚するという噂を聞いたのは、数日前だった。
見合いだったようだが、相手は警察関係者の身内ということではないらしい。
室井より2・3歳年下の、ごく普通の女性ということだ。
最初にそれを聞いたとき、青島は室井らしいと思った。
やはり政略結婚は出来なかったのかと思うと、何だか可笑しかった。
「結婚式はいつですか?」
「来春、かな。……呼んだら、来てくれるか?」
室井の意外な申し出に、青島は驚いて目を丸くする。
それから、苦笑した。
「嬉しいっすけど、止めておきます。俺が行ったら変に目立っちゃうでしょう」
「そんなことはないが…君には居辛いかもしれないな」
室井は肩を竦めて、納得する。
室井の招待客といえば警察官僚ばかりだ。
そこにいくら友人とは言え、所轄刑事が行けば浮くだろう。
「後で、お祝い贈ります」
青島が言うと、室井は微笑した。
「…ありがとう」
「いえ、他ならぬ室井さんのご結婚ですから」
青島はまだ長いままの煙草を揉み消した。
愛煙家の自分が煙草を美味しいと思えない時もあるんだなと、その時初めて知った。
時計を見て、室井は立ち上がる。
座ったままの青島を振り返った。
「落ち着いたら、一緒に酒でも飲もう」
「ええ、約束ですよ?キリタンポ鍋、食わせてください」
いたずらっぽく笑った青島に、室井は苦笑した。
それは果たされることの無かった約束。
そしてきっと、これからも果たされることは無い。
青島も室井も承知の上で、もう一度約束をした。
頷いた室井が喫煙所を出て行く。
青島はその背が見えなくなるのを待って、手にしていたアメスピのケースを握り潰した。
「嘘吐きだな…」
呟いたのは、室井に対してではなく自分自身に対して。
青島は自嘲気味な笑みを浮かべた。
室井との付き合いはもう随分長い。
二人が約束を反故にしない限り、たぶんこれからも続くだろう。
ずっと、このまま。
気持ちも伝えられないまま。
好きだと一言言っていれば、何か変わっただろうか。
青島は握り締めたせいで形の崩れたアメスピのケースを、室井の出て行った出口に向かって投げつけた。
馬鹿なことを考えていると、自分で思う。
変えたくないから、言わなかったんじゃないか。
変わってしまうのが怖いから、言わなかったんじゃないか。
今更それを後悔して何になる。
両手を膝の上で組んで、祈るように額に当てた。
後悔してももう遅い。
分かってはいるが、やりきれない思いはどうにもならなかった。
あの人は、もうじき誰かのものになる。
室井の選んだ人だ。
きっと幸せになる。
青島にはそれを願うしかなかった。
***
湾岸署を出た室井は、タクシーの中で青島に貰った缶コーヒーをぼんやり眺めていた。
この缶コーヒーは飲めそうにも無かった。
青島を式に誘ったのは社交辞令や義務感で言ったわけではない。
ましてや青島にお祝いをしてもらいたいからではない。
室井自身が踏ん切りをつけるためだ。
青島を式に呼ぶことで、自分なりに気持ちの整理をしたかったのだ。
結果はスッキリするどころか、断られてほっとしている始末だ。
室井は手の中の缶コーヒーを握り締める。
結婚を決めた女性はごく普通の女性だ。
強いて言えば、どうでも良いという思いで見合いに出席した室井をハッとさせるほど、笑顔の印象的な女性だった。
他は何一つ似てないが、笑った雰囲気だけは青島に似ていると後になって思った。
結婚を決めた理由は、決してそれだけではない。
彼女となら幸せになれる。
室井がそう感じたのは嘘ではない。
だから、一つだけ許して欲しい。
彼女に青島との共通点を見つけて後暗い喜びを持ったことを。
勝手なことだと知りながら、室井はそう思っていた。
「おめでとう…か」
ぽつりと呟く。
いつからだったのかは、はっきり分からない。
けれど、気付けば心から離れない存在。
自分にそんな人間が出来るとは思ってもいなかった。
青島への思いに気付いてから死ぬほど悩んだ時もあったが、信じられないほど心穏やかだった時もあった。
辛い時もあったが、幸せだと感じた時のほうが多かった。
例え一方通行の想いでも。
伝えられない想いでも。
結婚をする。
もちろん青島との距離が変わることはこの先ない。
約束がある限り離れてしまうことはないだろうが、これ以上縮まることもない。
それを望むことすら、もう出来ない。
室井は缶コーヒーを握り締めた手を額に当てて俯いた。
唇を噛み締める。
青島を想ったことは何一つ後悔していない。
ただ一つだけ。
絶対に出来ないことだけど。
もしも。
もしも許されるのならば。
一度だけ君に―。
END
2004.5.9
あとがき
今回は潔く続きは書きません(笑)
本当は、青島君の片思いで終わるつもりだったのですが、それじゃあ可哀相なので
室井さんの気持ちも書いて両思いの片思いにしました。
余計可哀相になってしまった気もしますが…(汗)
約束のために政略結婚しても、好意の持てない相手とは結婚できないという理由で
政略結婚しなくても、どちらも生真面目な室井さんらしいかなと思ったりします。
この話では政略結婚にはしませんでした。
※追記(2004.7.3)
続きを書かないなどと書きましたが、書いちゃいました(笑)→お題「今更」
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