■ 天然の恋(6)
昼食後に喫煙室で一服していた青島の元に、室井からメールが届いた。
室井とは夜に会う約束をしていたから待ち合わせのことかと思ったが、今日の約束がダメになったという連絡だった。
風邪を引いてしまったという原因と、こちらから誘ったのに申し訳ないという謝辞が書かれてある。
体調不良ならしんどい最中だろうに、律儀なことである。
青島は煙草を吹かしながら、お大事にとメールの返事を出して、携帯電話を胸ポケットにしまった。
風邪なら仕方がない。
無理をせず、安静にしていた方が良い。
そういえば、室井も独身の一人暮らしだが大丈夫なのだろうか。
そんなことを考えながら一服を終えると、刑事課に戻った。
席につくと、すみれが顔を覗き込んでくる。
なんだろうと思った青島だったが、
「どうしたの?」
逆にすみれに聞かれて首を傾げた。
「何が?」
「なんか浮かない顔ー」
指摘されて、思わず頬を撫でる。
「そう?」
「うん、元気なさげ」
どうしたのともう一度聞かれて、青島は苦笑した。
元気がないのは室井であって青島ではない。
「いや、室井さんがさ、風邪引いたみたいで」
約束があったからそのキャンセルのメールがきたのだと伝える。
「あら、酷いの?」
「さぁ」
「さぁって何よ、薄情ねぇ」
冷たいと言われて、青島は唇を尖らせた。
「だって、メールにそこまで書いて無かったんだもん」
室井の律儀だが簡素なメールでは、詳しい容態までは分からない。
室井のことだから、多少のことで約束をキャンセルするとは思えないし、わざわざ心配をかけるようなことは書かないだろうから、簡素なメールが軽い風邪ではないと伝えているような気がしないでもない。
だからこそ、青島だって内心心配していたのだ。
それが、浮かない顔に繋がっていたのだろう。
「お見舞いくらい、行ってあげれば?心配でしょ?」
すみれが何気無く言った一言に、青島は驚いた。
別に驚くほど奇抜なアイデアではなかったが、考えてもみなかっただけに驚いた。
「いや、でもさ、俺がしていいもの?」
見舞いに行きたくないわけではないが、行っていいのかどうか分からなかった。
室井の見舞いに行くということは当然自宅に行くわけで、さすがに馴れ馴れしいような気もする。
今更キャリアだなんだと気にするのもおかしいが、室井の生活圏に踏み込む気がして、少し気が引けた。
―室井さんと俺はそんな間柄じゃないし。
心のどこかでそう思う。
だったら室井のことなど気にしなければいい。
青島にしてみれば、食事に行く約束が一つ流れただけである。
そう割り切ればいいのに、それも出来ずにいた。
「いいんじゃないの?別に。親しいんだし」
青島の葛藤を知ってか知らずか、すみれが気楽に言う。
青島はすみれを見ながら首を傾げた。
「俺と室井さんって、親しいのかなぁ」
「それを本気で言ってるんだったら、それこそ薄情ね」
言葉こそ冷たかったが、すみれの口調はどこか柔らかかった。
「…相変わらず、悩んでんの?」
苦笑気味に問われて、青島は頬を強張らせた。
すみれには室井に告白された時に相談を持ちかけたが、その後は何も話していなかった。
話せるようなことも特にない。
室井とは、相変わらずだ。
青島は答えを出せないまま、室井は青島を想ったまま。
時々連絡がきて、時々一緒に食事をしている。
それが嫌なわけではない。
室井は普通にしてくれているし、恐らく辛いのは室井の方だろう。
ただ室井と一緒にいると、息が詰まるような瞬間があった。
そんな時だけは、楽天的な青島でも、このままでいいんだろうかと考えた。
「ま、悩んでてもいいけどさ」
青島が何も答えられずにいると、すみれが言った。
「もう少し、自分の気持ちを素直に見つめてみたら?」
「それって……どういう意味?」
意味が分からず真顔で聞き返したら、すみれは肩を竦めた。
「お見舞いに行きたいか行きたくないかくらいは、簡単に答えが出るんじゃないのっていう話し」
そう言って、すみれは青島に手を振って仕事に戻っていった。
その後ろ姿を見送って、なるほどと思う。
難しく考えることはないのだ。
今、青島が考えなければいけないのは、二人の行き詰まった関係の行方ではなく、室井の見舞いに行きたいかどうかということだけである。
それくらいなら、簡単に答えが出せる。
―行ってみて、迷惑そうだったらすぐに帰ろう。
青島はそう決めた。
やはり、室井のことが心配だったのだ。
何とか仕事を定時で上がると、室井の住所を調べてから署を出た。
先に連絡しようかとも思ったが、なんとなくしづらくて止めた。
途中でコンビニに寄り、ポカリスエットや果物の缶詰など、思い付く見舞いの品を買い、室井の住む官舎へ向かう。
官舎になっているマンションを見上げて、青島は「はぁ」と妙な溜め息を漏らした。
室井の住んでいる場所。
もちろん、青島は初めて足を踏み入れる。
そう考えると、何故か少し緊張した。
その理由はなんだろう。
そんなことを考えて、青島は首を振った。
ここまで来て、またごちゃごちゃと考えそうになる。
悩むためにここまで来たわけではない。
室井の見舞いに来たのだ。
青島は「ヨシッ」と見舞いには不必要な気合いを入れて、マンションに入って行った。
室井の部屋のインターホンを押す。
少し待つが、音沙汰はない。
良く考えれば、具合いが悪いのだから寝ているに決まっている。
やはり連絡してから来るべきだっただろうか。
だからと言って、ドアの前にいると連絡するのも躊躇われる。
具合が悪い人間を催促するのも申し訳ないが、もう一度インターホンを押してみた。
今度は少ししてから反応があった。
『……はい』
掠れた低い声。
インターホン越しにでも、不調なのが伝わってくる。
青島は勝手に見舞いに来たことが申し訳ない気持ちになってきて、頭を掻いた。
「すいません、青島です〜」
一瞬間が空いて、室井の動揺した声が返って来た。
『あ、青島?なんで…どうした?』
どうしたと聞かれれば、答えは一つしかない。
「見舞いです」
言いながら、半笑いになった。
今になって、やはり自分の見舞いが不自然なような気がしてきたのだ。
室井の声を聞いたら、途端にそんな気になった。
『見舞い…そ、そうか。ちょっと、待ってくれ』
慌てているらしく、ガチャリと乱暴にインターホンが切れる。
青島はまた頭を掻いた。
すぐにドアが開く。
現れた室井はやはり驚いた顔をしていた。
それよりも、青島はいつもと違う雰囲気の室井が気になった。
いつもはオールバックの髪の毛がおりていて、眼差しにあまり力が無い。
顔も赤いから、きっと熱があるのだろう。
動揺のせいか熱のせいか分からないが、ドアは開けてくれたものの呆然としている室井に、青島はペコリと頭を下げた。
「すいません、突然来て」
それで青島に気が付いたかのように、室井は慌てて首を振った。
「いや、ありがとう、入ってくれ」
勧められるがまま、青島は部屋に入った。
通されたリビングはキレイに片付いていたが、ソファーの上に室井のスーツやコートが投げ出してあった。
着替えてそのまま放置したという感じだが、衣類はそれしか散らかっていないところを見ると、普段からこうなのではないのだろう。
テーブルの上には病院で処方された薬と、グラスに入った水が置いてあった。
「すまない、ちょっと散らかっているが」
「どこがっすか?充分キレイっすよ」
これで散らかっているのなら俺の部屋はどうするんですかと無意味に自慢すると、室井は少し笑った。
その表情も力なくしんどそうで、体調がかなり良くないことが分かる。
「具合どうっすか?熱は?」
「大したことはない」
大したことはないという面構えにはとても見えなかったが、泣き言を言わない方が室井らしくはあった。
顔が赤いし、どこかぼんやりしているし、もしかしたら結構な高熱ではないかと勝手に予想する。
立ち話などしていないで、早くベッドに戻してやるべきだろう。
青島がそんなことを考えているというのに、室井は全く別のことを気にしていた。
「こんな格好ですまない」
室井はパジャマを着て、その上にカーディガンを羽織っていた。
それは極普通のことで、風邪を引いて寝込んでいるのにスーツで出迎えられる方がよっぽど可笑しい。
青島は思わず笑って言った。
「病人なんだから、当たり前ですよ」
青島の声がちゃんと聞こえているのかいないのか。
室井は頷きながら続けた。
「コーヒーでもいれよう」
「いや、お構いなく」
「夕飯は済ませて来たのか?」
「あの、室井さん」
今にも台所に向いそうな室井の腕を掴んだ。
このままでは病人に食事をご馳走になりかねず、何をしに来たんだか分かったものではない。
室井にはちゃんと寝ていてもらわなければならない。
「いいから、ベッド行きましょうよ」
青島がそうお願いすると、室井は一瞬驚いた顔をして更に顔を赤くした。
それを見た青島は「おや?」と首を傾げるが、自分の言った言葉を頭の中で反芻して、一緒になって赤面した。
「あ、いや、室井さんがってことです、病人なんだから寝ててくださいってことです」
慌てて手を離しそう訴えたら、余計に恥ずかしい気がしてきた。
ベッドに誘っているわけではないのだと、言い訳をしているからだ。
内心で、室井さんが赤面なんかするからおかしなことになるんだ!と一方的に罵ったが、室井自身も気まずいのか視線をそらして頷いた。
「分かってる、ありがとう」
「とにかく、ベッド行ってください」
「ああ」
素直に寝室に向かう室井に青島もついていくが、入る瞬間にはさすがに躊躇って室井に尋ねる。
「入っても?」
「…どうぞ」
妙に丁寧な室井が可笑しくてちょっと笑いながら、青島も寝室にお邪魔した。
ベッドと机、クローゼットなんかがあり、寝室もリビング同様キレイに片付いているが、なんとなく生活感は感じられた。
ここで、室井が寝起きしているのである。
実際は何を知ったわけでもないが、生活の一部を垣間見た気がして、初めて入る室井の部屋は一々新鮮だった。
室井がベッドに戻るのを待って、青島は尋ねた。
「そういや、室井さんこそ、夕飯食いました?」
「いや…どうも面倒くさくてな」
苦笑気味に言う室井に、青島も笑ってしまう。
そのくせ人の夕飯を気にしたのかと思って可笑しかったのだが、それも室井の愛情かと思えば笑ってもいられないなと思いなおした。
そして、自分が何をしに来たのか思い出した。
「これ、見舞いです。適当に買って来たから、適当に食ってください」
ビニール袋を掲げると、室井は微笑した。
「わざわざありがとう」
「冷蔵庫に勝手にしまってもいいです?」
「頼む」
「それと、お粥作ってもいい?」
そう尋ねると、今度は驚いた顔をした。
寝ているところを邪魔しにきたのではなくて、見舞いに来たのである。
折角だからできることをして帰ろうと思ったのだが、室井は首を振った。
「いや、それは…」
「あ、迷惑?食いたくない?」
「そんなことはないっ」
掠れた声で喋り辛そうに話していたというのに、いきなり大きな声で力強く否定されて青島は目を丸くした。
が、言った室井自身も驚いたらしく、少し気まずそうに眉を寄せた。
「迷惑なんかじゃないが……そこまでしてもらうのは申し訳ない」
「全然気にしないでいいっすよ。大体、俺が勝手に見舞いに来たんですよ?」
青島は笑いながら言った。
「困った時はお互い様でしょ?」
室井は少しの間青島を黙って見上げていたが、やがて小さく微笑んだ。
「ありがとう」
「…台所借ります」
穏やかな表情の室井が妙に照れ臭く、青島は笑ったままそっと視線を逸らした。
青島はお粥を作ると、寝室に戻った。
ベッドの中の室井は、目を閉じて、薄く唇を開き、浅い呼吸を静かに繰り返している。
ちょっと苦しそうな表情に同情しつつ、可哀想だが室井を起こした。
「室井さん、起きれます?飯食って、薬飲んだ方がいいですよ」
声をかけると、そっと室井が目をあけた。
ぼんやりとした視線とぶつかって、しんどそうな室井を可哀想だと思うのに、ちょっと可笑しかった。
力ない室井を可愛いと思ってしまったのだ。
「ん……すまない」
室井は起き上がろうとして額のものに気付いたらしく、不思議そうに手を伸ばした。
その前に青島が手を伸ばし、室井の額から自分のハンカチを取り上げる。
「熱、高そうだったから、冷してました」
室井が寝てしまってから熱の高さが気になって、額を冷そうと思ったのだがタオルの位置が分からず、自分のハンカチを濡らして室井の額に当てていたのだ。
「後で、タオルでちゃんと冷した方がいいっすよ」
タオルの場所教えてくださいと言って、ハンカチを引こうとしたら、室井にその手を掴まれた。
驚いて室井を見る。
「室井さん?」
「ハンカチ、洗って返す」
「は……ああ、いや、いいっすよ、別に」
病気の時ですら律儀な室井に苦笑したが、気まずそうに青島の手を強く握る室井に、それだけではないことを思い出した。
「…ちゃんと、洗って返したい」
青島は逡巡したが、室井の手をそっと払って、悲しそうな室井の眼差しは見ないことにして、自分のハンカチをサイドテーブルの上に置いた。
青島はどっちだって構わないのだから、室井がそうしたいのならそうしてくれればいい。
「じゃ、ここ置いておきますから」
そう言うと室井が少し嬉しそうな顔をしたが、それも見なかったことにした。
お粥を鍋から茶碗によそい、室井に手渡してやる。
「飯、食えるだけ食ってください。味はあんまり保障できませんけど」
「ああ、ありがとう…美味そうだ」
たまごとネギが浮いているだけの質素なお粥だが、病人には食べやすくていいかもしれない。
人に料理を振舞った経験はあまりなかったからちょっと緊張したが、室井がもそもそと口に運びながら「美味い」と言ってくれたから、青島も安心した。
室井の食が進まなくなるのを待ってから、手を差し出す。
「無理に食わなくていいっすよ?」
「…美味かった、ありがとう」
残すことに申し訳なそうにしながら、室井が差し出してくる茶碗を受け取って、青島は一度台所に戻った。
食器を片付けると、薬とタオルを持って寝室に戻る。
「薬飲んで、また寝てくださいね」
「ああ…」
素直に薬を飲み横になる室井見て、室井の世話を焼いている自分がなんだか可笑しかった。
いつもとは、ある意味逆である。
看病をしてもらったことはないが、室井には世話になっている印象の方が強かった。
青島にも室井にしてあげられることがあるのだということが、妙に嬉しかった。
「他に、何かして欲しいことあります?」
尋ねると、室井がぼんやりとした視線を青島に向けた。
「何か欲しいものあります?」
必要なものがあれば揃えて帰ろうと思ったのだ。
室井からの返事はなく、ただじっと見つめられる。
考えているのかと思ったが、そうではないのだということを思い知らされる。
青島を見つめる眼差しが、切なすぎる。
何かを言いたそうな眼差し、開きかけた唇に、青島の心臓が跳ねた。
だが、結局室井は何も言わなかった。
微笑して、首を振る。
「大丈夫だ、ありがとう」
きっと室井が言葉にしたかったのは、そんな言葉ではなかったはず。
熱を出している時ですらどこか理性的な室井が、青島には悲しかった。
言葉にされなかった室井の気持ちが気になる。
―俺に、何を望んでいるんだろう。
―何を我慢してるんだろう。
我慢させているのは自分で、望まれても応えてやれないのも自分だ。
それなのに、自分のせいなのに、青島には室井が悲しく見えた仕方が無かった。
「この礼は、必ず」
室井がもう一度ありがとうと繰り返す。
早く帰らなきゃと思った。
いつまでもここにいてはいけない。
室井の身体に障る。
帰らなきゃと思って、手にしたままのタオルに気付いた。
室井の額に手を伸ばす。
意図に気付いたのか、室井が反射的に目を閉じた。
前髪をかき上げて、額に触れると、室井の瞼が小さく痙攣した。
それを見た瞬間、青島の中で何かが動いた気がした。
触れた手で額を撫ぜ、そこに唇を押し付ける。
無意識にしていた行動に気が付いたのは、室井の両目が見開かれたせいだ。
転がり落ちてきそうな室井の目に気付いて、青島はハッとした。
「あ…青島…?」
呆然としている室井の額にタオルを押し付けると、慌てて身を翻す。
「じゃ、俺帰ります」
「ちょっと待て、青島っ」
「おおおお大事にっ」
コートを掴み、一目散に室井の部屋から逃げ出した。
ドアを閉めた途端に、青島の顔が真っ赤になった。
「俺、今、何した…?」
閉めたドアに寄りかかり、口元に手を当てる。
青島が立ったまま気絶して夢を見ていたのでなければ、室井の額にキスをしたような気がする。
そんなバカなと思った。
―額にキスだって?
―普通するか?
―相手は、上司だぞ?おっさんだぞ?男だぞ?
青島のことを好きだという、だけど男だ。
その男に、今、何をした。
自分のしたことが信じられない。
頭がどうかしてしまったのではないかと思った。
室井の気持ちには応えられないと思っているくせに、室井に触れた。
一瞬、気の迷いという便利な言葉を思い出した。
だが、どう迷えば、室井の額にキスなんぞするというのか。
何故室井の額にキスをしたのかは、自分でも分からない。
した瞬間は、きっと何も考えていなかった。
でも、衝動はあった。
でなければ、青島が動くはずもない。
キスしたいと思わなければ、触れたりしなかった。
青島はズルズルとその場にしゃがみこんで頭を抱えた。
「どうしたんだ、俺―」
END
2007.11.20
あとがき
青島君がテンパって参りました(笑)
自覚したのかしてないのか、微妙ですが。
そろそろくっつけてあげたいような、
まだまだ(主に室井さんを)ぐるぐるさせたいような。
青島君風邪話は書いたけど、室井さんのは(多分)書いたことなかったなーと思って
書き始めたお話でした。
書いてみたら、ちょっと進展したような気がします!
青島君にでこちゅーされて、室井さんは幸せモノです。
きっと悔いはありません(何に)
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