■ いつでも


夏休みというには遅い秋口。
青島は二泊三日の休暇を取り、ちょっとした旅行に出た。
その前日まで忙しく働いていたせいか特に旅行に出るという感慨もなかったが、小さめの旅行鞄を手に玄関を出る瞬間にはようやく実感が湧いたのか、酷く心が躍っていることに気がついた。
駅で新幹線を待つ間に一度メールを送信し、新幹線に乗る直前に受信した短いメールに顔を綻ばせた。
新幹線の中で読もうと思っていた雑誌は数ページ捲ったところで早々に畳んで鞄にしまい、窓の外を眺めては意味もなく携帯電話を開き、缶コーヒーを飲んでは、また窓の外を眺める。
そわそわしている自分に気がつくと、青島は苦笑し、黙って窓の外に視線を流し続けた。
新幹線を降りると、元々大きな歩幅を更に大きくし、改札を出た。




「青島」
振り返ると、見慣れた、だけど久しぶりに見る男の顔があった。
すぐに青島の顔に笑みが浮かぶ。
「室井さん」
青島の笑みにつられたのか、単純に会えて嬉しいからか、室井の表情も緩んだ。
そばに歩み寄ってくると、青島の手から鞄を取り上げ促すように歩き出す。
青島はその後をすぐに追った。
「お疲れ様、遠かったろ」
「平気っすよ。俺、広島って初めてなんですよねー」
物珍しそうに、駅構内をきょろきょろと見回す。
青島は休暇を取って、広島に旅行に来ていた。
もちろん、それと同じ日程だけ室井も休暇を取ってくれている。
室井が広島に異動になってから、初めてのことだった。
「どうせすぐに東京に帰ってくるんだから、なるべく早い方がいい」
そう言って、室井に今回の旅行を強請ったのは青島だった。
室井は電話の向こうで一瞬黙ったものの、すぐに「そうだな」と言ってくれた。
その力強い声に、室井がいつまでも広島にいるつもりはないという決意が込められている気がして、青島は満足そうに笑った。
それから一月後。
約束の旅行が実現できたのだ。


「いいところだぞ」
「観光して周った?」
「そんな暇はなかったな」
「でしょうね、んなら、いいところって?」
「酒が美味い」
「アンタ、酒さえあればどこでも一緒?」
「…飯も美味いぞ。今夜、何食いたい?」
美味いものでも食いに行こうと言ってくれるが、青島はニコッと笑って首を振った。
「室井さんちで、きりたんぽ鍋食いたい」
予想外だったのか、室井は目を剥いた。
「広島まで来てか?」
「広島でも、どこでも、室井さんの飯が食いたい」
室井は更に目を剥いたが、照れたのか頬を強張らせて青島から視線を逸らした。
「ほんじなす」
「あ、作るの面倒だったら、いいですよー」
「君も手伝え」
そっけなく、作ってやると言われているらしい。
青島は笑みを深めると、どーもと口の中で呟いた。
久しぶりに会う室井は当たり前だが相変わらずで、青島の良く知る室井だった。
電話では近況を聞いているし、声を聞けば元気かそうではないかくらいは分かるが、顔を見られる安心感はやはり違う。
例え中々会えなくたって、室井のことは信じているし、室井を信じていられるうちは青島も頑張れる。
離れていても、傍にはいなくても、室井を信じて頑張れる。
だけど、顔を見て実感することもある。
「会いたかったんだなぁ…」
どこか他人事のように呟くと、室井が怪訝そうに振り返った。
「何か言ったか?」
「ん?んーん、なにも。室井さんち、駅から近い?」
首を振った青島をじっと見つめて、室井はまた視線を逸らした。
「…君がいなければ、どこにいようと一緒だ」
ぼそりと呟いた言葉は青島の耳に届かない大きさではなかったが、聞き返したくなるような内容ではあった。
「……え、え?何?」
「駅から遠くない。ほら、行くぞ」
「ちょっと待ってよ、室井さんてばっ」


初めて入る広島の室井の自宅だったが、やはりキレイに片付いていた。
片付いてもいるが、それよりも荷物が少ない。
元々家具や雑貨を多く持つ男ではないが、東京にいた頃よりも更に少ない気がした。
これも長居はしない、という室井なりの意思表示だろうか。
窮屈に過ごしていなければいいとは思うが、誰よりも室井に期待しているのは青島である。
室井の意思表示は黙って受け取っておいた。
「へー…結構広いっすね」
「一人で住むには勿体無いな」
使っていない部屋が余っているという。
「なら、俺が越してこようかな」
「来い」
冗談で言ったら、あっさり返されて、青島は苦笑した。
「あれ?照れたりしないんですか?」
「からかってたのか?」
「いや、まさか。そうできたらなーっていうのは、本心っすよ」
できるわけがないしする気もないが、一緒に暮らせたらいいのになぁという思いは嘘ではない。
「俺も一緒だ」
だから「来い」かと、青島も納得する。
なるほどと頷く青島に、室井も苦笑すると「コーヒーいれてくる」と言って台所に消えた。
それを見送って、また部屋の中に視線をめぐらせると、窓際に目を留める。
大きくは無い水槽があった。
室井の部屋では見慣れないものである。
首を傾げながら覗き込むと、小さな魚が見えた。
詳しくは無い青島だが、熱帯魚だろうかとあたりをつける。
50センチ幅くらいの水槽に10センチ程度の熱帯魚が一匹だけ泳いでいる。
青島が腰を曲げて覗き込むと、口をパクパクと開けて、エサを要求するような仕草を見せるから、思わず笑みが零れた。
可愛いと言えるような見た目ではないが、愛嬌がなくもない。
青島は身体を起こすと、台所に向って声をかけた。
「室井さーん、どうしたのこれー?」
「ん…?ああ、熱帯魚か」
マグカップを二つ手にして戻ってきた室井は、青島が指を差している水槽を見て頷いた。
「室井さんが飼ってんですか?」
「ああ…貰い物なんだが」
室井の今の部下に熱帯魚が好きな男がいるらしい。
室井が独身で一人暮らしと知ると、何を思ったのか一匹プレゼントしてくれたのだという。
「一人じゃ寂しいだろうと、同情されてしまった」
苦笑する室井に、青島もつられる。
少し嬉しかったのは、遠い地で、室井を気にかけてくれている人がいると知れたこと。
早く本庁に戻ってきてもらわねばならないが、室井の今の幸せを願わないわけがない。
できることなら、少しでもやりやすい環境で仕事ができていればいい。
青島はそう思った。
「いらないなら、断れば良かったのに」
「ちょっと、和久さんに似た人なんだ」
「あ…じゃあ、断り辛いっすね」
青島も随分前に和久が見舞いにくれた小さな盆栽は断れなかった。
今も自宅のテレビの脇に置いてある。
なんとなく、その好意を遠慮したくない人とはいるものだ。
「……いれば、愛着も湧くもんだな」
言いながら室井が差し出すマグカップを受け取ると、青島は水槽を見て、もう一度室井を見た。
「浮気しないでくださいよ?」
室井が嫌そうな顔をするのを見ると、青島は笑ってまた水槽を覗き込んだ。
指先で軽く水槽に触れると、熱帯魚が近付いてくる。
「ふーん……可愛いもんだ」
青島は「あ」と呟いて、ソファーに腰を下ろした室井を振り返った。
「名前は?こいつの」
一匹しかいない熱帯魚なら名前くらい付けるものだろうと思ったのだが、相手は室井である。
もしかしたらまだ無いかもしれないし、それなら俺がつけようと思ったのだが、室井の頬が強張ったから青島はあれ?と思う。
ちゃんと名前をつけてあげているのかと思ったが、室井は難しい顔でマグカップに口をつけて否定した。
「いや、特に決めてない」
表情を隠すような動作に、青島は眉を動かす。
―怪しい。
嘘の下手な室井が、青島を誤魔化そうだなんて10年早いのである。
10年経ったところで、室井は室井のままだろうが。
「嘘、名前あんでしょ?」
「う、嘘じゃない。名前なんか決めてない」
「なんで隠すの?知られたくない名前?」
「だから、隠してないって」
「嘘だ」
「嘘じゃない」
頑なに否定をするが、室井の眉がピクピクと動くたび、青島の疑惑は大きくなる。
露骨に疑いの眼差しで室井を見ると、室井は顔を引き攣らせた。
「な、なんだ」
「他所の女の名前でもついてんじゃないでしょうねー」
「ばっ…」
焦ってマグカップを取り落としそうになる室井に、青島は内心で笑った。
本当に室井を疑っているわけではない。
それこそ、嘘のつけない室井である。
他に好きな相手ができたら、熱帯魚に名前など付けて愛でていないで、青島にそれと教えてくれるはずだ。
それは分かっているが、真面目な室井が面白いので、もう少しからかってみる。
「熱帯魚くれたのも、和久さん似じゃなくて、沖田さんみたいな美人なんじゃないのー?」
沖田であれば、別の意味で断り辛いだろう。
「私の好意が受け取れないのですか?」と笑顔で聞かれれば、「ありがとうございます」と言わずにいられない。
もちろんこれも本気で言ったわけではないが、ムキになって否定してくる室井が愛しい。
「そんなわけないだろっ」
「どうだかー」
「青島…」
眉間に深い皺を刻んでしまった室井を見て、青島はこれ以上からかっても可哀想かと思いなおした。
「冗談っすよ、冗談……あ」
もう一つからかうネタが浮かんで、青島は人差し指を立てた。
「もしかして、俺の名前だったりして」
「あつっ…!」
突然室井が叫ぶから驚いて見ると、室井の手にコーヒーがかかっていた。
「わ、ちょっと何してんの、火傷し……室井さん?」
慌ててポケットから出したハンカチでその手を拭いながら、青島は動きを止めた。
室井が真っ赤な顔であらぬ方を向いていたからだ。
熱かったせいかと思ったが、それにしては赤面しすぎである。
今更青島が手に触ったからといってここまで照れはしないだろう。
―照れる?
今、室井が照れているとしたら、理由は一つしかないのではないだろうか。
青島は唐突に思い至って、驚きのあまり少し後に仰け反った。
「え?え?本当に?あれ、俺の名前ついてんの?マジで?」
「ちが…っ」
室井も一応否定はするが、それ以上の言葉は出てこない。
真っ赤になって言葉をなくしている姿を見れば、青島の言葉を肯定しているようなものである。
青島は室井を見下ろし、水槽の中の魚を振り返った。
「ええと……しゅんさくって言うんですか?」
「…………違う」
「往生際悪いよ、室井さん」
「…………しまだ」
「しまだ?しまだ君なの?あれ」
「違う……あおしまだ」
諦めたのか、溜息交じりに室井が吐き出した。
俯いているのでその表情は見えないが、かすかに見える耳がまだ赤い。
よほど恥ずかしいのだろう。
それはそうだろう。
室井みたいな男が、熱帯魚に恋人の名前をつけて飼っているだなんて。
想像もつかないし、言ってしまえば少し薄ら寒い。
なのに、そんな室井が愛しくてしかたないのだから、青島も相当薄ら寒いのだ。
青島は腰を曲げると、室井の頭にキスをした。
「なんでしゅんさくにしないの?ペットに名字ってこともないでしょ」
少しだけ頭を持ち上げた室井は、怖いくらい眉間に皺を寄せていた。
「……呼べない」
「なんでさ」
「君のこともそう呼んでないのに、呼べるか」
青島は目を丸くすると、笑いながら室井の頭を抱いた。
「ははっ…確かにそうっすね、俺も熱帯魚に先越されんのはやだな」
「……くそ」
小さく呟いて、室井も青島の背中を抱き返してくる。
「元々は、君と電話した後に、あれにエサをやろうして、うっかり名前を呼んでしまったからなんだ」
「珍しい」
「…何が」
「室井さんが言い訳してる」
背中を思い切り叩かれて、青島は眉を寄せた。
それでも顔は笑っている。
「笑うな」
青島が笑い続けていることを震える身体で感じたのか、室井がいじけたように呟いた。
「馬鹿にしてるわけじゃないっすよ」
言って、室井の頬に唇を押し付ける。
横目で見上げてくる室井を視線がぶつかると、青島は照れ笑いを浮かべた。
「アンタの中、俺でいっぱいだ」
それが嬉しいと言ってもう一度唇を寄せると、今度は室井の手に引き寄せられ唇が重なった。
そのままソファーに押し倒され、室井を見上げることになる。
「今更知ったのか?」
室井の手が青島の前髪を梳く。
むき出しの額に唇が触れた。
久しぶりに感じる温もりに、青島の身体も心も熱くなった。
「室井さん…」
「俺の中がどんなことになってるか、教えてやる」
数時間後には、熱帯魚の名前どころじゃない室井の想いを再認識することになる。


***


「あおしま君、おーい、エサだぞ、あおしま君」
水槽にへばりついた青島が、嬉しそうにそう声をかけて熱帯魚を呼ぶ。
青島はすっかり熱帯魚のあおしま君を気に入ってしまい、室井の部屋に泊まっている間中彼のエサやりは青島の仕事になっていた。
「青島…頼むから勘弁してくれ…」
俺が悪かったからと頭を下げそうな勢いの室井に、青島は笑って首を振った。
「俺が帰っても、名前変えないでくださいね」
室井にしてみれば羞恥プレイのようなものだが、生憎と青島に悪気は無い。
ただ純粋に、喜んでいるだけだ。
室井が青島をずっと傍に置いてくれていることを。
室井の中に青島がずっといることを。
それを認識して、ただ喜んでいるだけだった。
青島はあおしま君を見つめて、室井を振り返った。
「あおしま君、大事にしてくださいよ」
室井は眉間に皺を寄せたまま開き直ったように言った。
「君の次くらいに、大事にすることにする」
それなら、あおしま君の人生は大分幸せな人生になるだろう。










END

2007.8.22

あとがき


Nさんとのメールで浮かんだネタを元に書いてみました。
(Nさん早速書いちゃったよ!笑)

書きたかったのは、室井さんが「あおしま」と名づけたペットを飼っているところです。
それと、最後に青島君が「あおしま君」と呼ぶところです(笑)

書き初めがしっとりした感じになってしまって、
前半と後半であまりにもテンションの違うお話になったらどうしようかと思ったのですが、
そんなでもないかなぁと…ど、どうでしょうね(^^;

青島君が大好きな室井さんが大好きです(もう分かったよー)



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