■ 天然の恋(5)
『留守番電話サービスです…』
延々と続く呼び出し音の後に続いた無機質な女性の声に、室井は溜め息をついて電話を切った。
これで何度目だろうと思う。
ここ最近、青島に電話をすると、必ず留守電に繋がる。
仕事中に電話をするのも申し訳ないので遅い時間に電話をするが、まず出てくれない。
今日も本庁から帰宅し、電話するのに非常識にならない程度に遅い時間になるのを待ってから電話をしてみたが、やっぱりだめだった。
いつもメッセージは残していないが、着信が残るので室井からの電話に気付いていないわけではないはずだ。
それでも、折り返しの電話もないところをみると、恐らく避けられているのだろう。
鈍い室井にも、それくらい分かる。
携帯電話を握り締めて、室井は顔を顰めた。
―嫌われたかな。
青島に告白した。
もちろん受け入れはもらえなかったが、青島は室井を露骨に嫌がることはせず、室井の気持ちは迷惑ではないという言葉すらくれた。
だから、今になって避けられている理由が分からない。
今になって、男に好かれるなど気持ちが悪いと思われたのだろうか。
そうだとしたら、室井にはなす術もない。
告白した後も室井が変わらずにいられたのは、青島が変わらずにいてくれたからだ。
正確に言えば、お互いに全く変わっていないわけではない。
室井は青島をそういうふうに好きなのだと意識して見ているし、青島は室井が自分をそういうふうに見ていることを知っている。
何も無かった頃と全く同じではいられない。
ただ、青島が室井の気持ちを知っても室井を嫌わない以上、室井が関係を変えることを望みさえしなければ、変えずにいられるのだ。
告白してからずっと、二人はそう過ごしてきたはずだった。
なのに、この数週間、明らかに避けられている。
―もう関わらないでくれという合図なのだろうか。
避けるということは、そういうことなのかもしれない。
だが、青島がそう思っているとは、どうしても思えなかった。
自意識過剰かもしれないし、自惚れかもしれない。
それでも、青島は室井を好いているはずだった。
それは室井の青島に対する想いとは違うはずだが、少なくとも嫌われているとは思えなかった。
思いたくもない。
「…とにかく、青島にちゃんと確認しよう」
自分の身の振り方を考えるのはそれからだと割りきることにして、青島の携帯電話に電話をするのを諦めた。
捉まらない電話にかけていても埒が明かない。
「どうしたものかな…」
室井は眉間に皺を寄せると腕を組み、蛍光灯はついているのに、空気がやけに暗い部屋の中で一人悶々と考え続けた。
湾岸署に乗り込んで行って捉まえてやろうかと考えた。
そうすれば、袴田たちの目があるから青島も逃げられない。
しかし、湾岸署に用事はないし、あまりにも職権乱用な気がする。
自宅まで押し掛けてやろうかとも考えたが、行ったこともない青島の部屋に突然押し掛けるのも、それはそれでストーカー染みている気もする。
警察官の住まいを調べることはわけないが、だからといって個人的理由で調べるには気が咎めた。
悩んだ末に、室井はまた電話をかけることにした。
今度は青島個人ではなく、湾岸署に。
これも職権乱用だろうが、これくらいは許容範囲と自分に都合良く言い聞かせた。
仕事中に少しだけ休憩と称し席を立つと、室井は携帯電話を片手に人気のない廊下に出た。
普段使われていない空いている会議室に入ると、湾岸署の刑事課に電話をかける。
『はい、湾岸署刑事課です』
幸運と言っていいのか分からないが、電話に出たのは袴田だった。
「本庁の室井です」
『あ、これはこれはっ、お疲れ様でございます』
袴田の声が一オクターブ上がる。
わざとらしいが、湾岸署の幹部は分かりやすいお世辞やごますりをする分、嫌味がない。
もっとも、室井に限らず、どんな相手にもそのごますりが通用しているとも思えないが。
「青島君はいますか?」
なるべく平静を装って尋ねる。
『青島ですか?ええと……あ、いたいた、青島君、ちょっとっ、こら、どこ行くの、和久さん、捕まえてっ』
ええ?めんどくせーなぁと言う和久の声が小さく聞こえる。
普通なら保留にしてやってもらいたいやりとりではあるが、今の室井には有り難かった。
―やはり青島に避けられている。
嬉しくはない事実が、はっきりとした。
『ええと…あのばかが、また何かやりましたかね?』
気まずそうな袴田の声に、室井は真面目に返事をした。
「いえ、違います。少々聞きたいことがあるだけです」
室井からの電話でまた問題児扱いされては、青島も可哀想である。
『そうですか…あ、今、青島と変わります』
ほら粗相のないようにねっと、袴田が青島に電話を押し付けている声がする。
席で取るから回してくださいっと叫んでいるのは青島だ。
それはそうだろう。
袴田の側でできるような話しで室井が電話をしてきていないことくらい、青島も分かっているのだ。
袴田が少々お待ちくださいと断って、今度こそ保留音が流れる。
すぐに通話になった。
『…青島です』
声が幾分低い。
刑事課に電話をしてくるのは卑怯だと言われている気がした。
それを言ったら、室井の電話を再三無視している青島の方が卑怯であるから、室井も気にはしない。
「室井だ」
『…どういったご用件でしょうか』
人目があるせいで、青島は言葉を選んでいるようだった。
室井の方は気楽なものである。
「何故、俺を避けるんだ?」
率直に尋ねたら、電話の向こうで青島が短く沈黙した。
『そんなことはないです。室井さんの勘違いです』
すぐに否定の言葉が返ってくるが、とても信じられない。
「なら、何故電話に出ない、連絡をくれないんだ。今だって逃げようとしただろう。こっちに声が筒抜けだったぞ」
責めるつもりなどないが、つい力が入る。
青島が室井を嫌いになったのなら仕方がないとは思っているが、やはり青島に避けられているという事実に室井も傷付いていたのだ。
なぜ、どうしてと、問いただしたくなる。
『そ、それは…』
電話の向こうで、青島が困っているのが分かる。
それでも、室井もやめられない。
「もう、俺と口も聞きたくないということか?やはり気持ち悪かったのか…」
『違うっ』
怒鳴り声が返ってきて、室井は口をつぐんだ。
青島も黙り込む。
失礼な口を聞くんじゃないっと、袴田が怒鳴る声だけが聞こえる。
『〜〜〜っ、その件に関しましては、折り返しお電話しますっ』
青島は苛立ったように、投げやりに言った。
これ以上、そこでこの話はできないと思ったのだろう。
気持ちはわかるし申し訳ないとは思うが、はいそうですかとは電話を切れない。
今までずっと電話を無視されてきたのである。
折り返しの電話が本当にあるかどうか分かったものじゃない。
「折り返しっていつだ?」
『すぐに、かけなおします』
「絶対だぞ。じゃなかったから、また、そこに電話するぞ」
『…分かってますよっ、失礼しますっ』
がちゃりと乱暴に電話を切られる。
切れた電話に溜め息をついて、室井は青島からの電話を待つ。
かかってこなかったら本当にもう一度電話してやると思いながら、携帯電話を睨みつける。
ほどなくして、携帯電話が鳴った。
すぐに出ると、いきなり怒鳴られる。
『ずるいですよ、湾岸署にかけてくるなんてっ。物凄い、課長に睨まれましたよ。また何やらかしたんだって、疑われるんですからね。俺の身にもなってくださいよ!』
場所をどこかに移したらしく、遠慮なく怒鳴られる。
「…すまない」
さすがに凄い剣幕に圧されて、謝罪した。
袴田がそう心配するのは、青島の日頃の行いにも問題があるのだろうが、今口にすれば火に油を注ぐだけだろう。
そんなことよりも、もっと話したいことがあった。
「電話に出ない理由を、教えて欲しい」
率直に尋ねる。
『たまたま、忙しかったからです』
この後に及んで苦しい言い訳をする青島に、室井は目を伏せた。
「嘘をつくということは、言い辛い事情があるということだな…」
つまり、室井を嫌いになったということか。
室井はそう思ったが、青島はイライラしながら否定した。
『だからっ、違うって言ってるでしょっ、室井さんと話したくないとか、やだとかそんなんじゃなくてっ』
「…なくて、なんだ?」
『………だから、そのー』
言い辛いことには変わりないらしく、青島はごにょごにょと呟いた。
急に声が聞き取り辛くなる。
『室井さん、最近、なんか、その、いきなり…言うし』
「何?何だって…」
『だ、たからっ、室井さん、突然恥ずかしいこと言ったりするからっ、こっちはどうしていいのか分からなくなるんですよっ』
また怒鳴られて室井は目を丸くした。
恥ずかしいことなど言っただろうか?と、思わず考えてしまう。
『なんか、言うでしょ、カ、カッコイイとか可愛いとか、笑った顔がどうとか、どこがす、好きとか嫌いとかなんとか、そういうこと言うでしょ、いきなり、突然』
青島を嫌いと言った覚えはないが、それ以外は身に覚えがあった。
「…本当のことだが」
『それが、恥ずかしいつってんだ!』
きっぱりと力一杯断言されて、室井にもようやく青島の言いたいことが分かってきた。
好きだと伝えてから、室井は素直に青島に気持ちを伝え続けている。
何もかもバカ正直に口にしているわけではないが、可愛いと思えば言わずにはいられなかった。
室井なりの精一杯のアプローチでもあったのだ。
青島はそれを聞くのが恥ずかしいから嫌だと言っているのだ。
だから、電話に出てくれなかったらしい。
『…室井さんと話すのが嫌なわけじゃないけど、そういうことを聞くとなんて言ったらいいのか分からなくなる』
恥ずかしい思いをさせた上に、困らせていたらしい。
自分の言葉のせいで悩ませていたのかと思えば、申し訳なくさえ思う。
「それはすまなかった」
『迷惑じゃない、って言ったの俺だし、それはあれなんだけど』
青島が悪いわけではないが、言い辛そうに言い訳めいた口調で呟く。
室井の告白を迷惑ではないと言ったのは、確かに青島だった。
それを後悔しているのだろうかと思うと、胸が痛くなった。
「…前言撤回するか?」
返事に間が開く。
『室井さんの、ばーか』
「……」
短い罵倒に眉が寄ったが、青島が肯定をしなかったことにはちゃんと気付いた。
青島は、未だに室井を拒んではいない。
それが知れて、ひどく安心した。
それに青島は室井の言葉を「恥ずかしい」と思うだけで「気持ちが悪い」と思っているわけではない。
「恥ずかしい」と感じているということは、少なからず室井を意識しているということではないだろうか。
それはさすがに都合良く考え過ぎだろうか。
そう悩みながらも、室井は期待せずにいられなかった。
『室井さんから電話来ると構えちゃって、色々考えてるうちに切れたり留守電に繋がったりして、そんなこと繰り返してたら、どんどん出づらくなっちゃて。結果、居留守んなっちゃったのは申し訳ないと思ってますけど……聞いてます?室井さん』
聞かれて、室井は見えもしないのに慌てて頷いた。
「あ、ああ、聞いてる」
『…だから、あのー、別に避けるつもりだったわけじゃないんで』
「そうか…それなら、いいんだ」
青島が電話に出ない理由がわかり、それの理由が決して室井と口を聞きたくないからではないということがわかって、室井もとりあえず一安心である。
青島をそこまで悩ませる程度には意識されていることもはっきりした。
これはもしかしたら、少しだけ、ほんの少しだけ二人の関係が前進したということなのかもしれない。
青島に電話に出てもらえなかった時には酷く切ない思いをしたが、今となっては悪くない傾向だったのだと思えた。
ただ、このまま電話を避けられては困る。
青島と話しもできないなんて、嫌に決まっている。
「あまり、余計なことは言わないようにするから、これからも電話していいか?」
『なんですか、その弱気な言い草は』
苦笑気味に返事が返ってくる。
青島に対して弱気な言い草になるのも仕方がなかった。
青島が電話に出てくれないと、室井は青島の声を聞くことすらできないのだ。
電話に限ったことではなく万事において、青島が許容してくれないと、室井にはどうすることもできない。
卑屈になっているわけではないが、片想いの今、室井にとっては青島に許されることが全てだ。
『まぁ、恥ずかしいことは言わないでもらえたら助かります』
そういう青島の声も照れ臭そうで、余程恥ずかしい思いをさせていたのだと知る。
室井は青島を困らせたいわけではない。
「気を付ける」
真摯に応じると、青島が小さく付け足した。
『…俺も室井さんと話せなくなるのは、嫌だしね』
室井の握った携帯電話が嫌な音を立てて軋んだ。
握った手に力が入りすぎたのである。
「青島?今のはどういう…」
『あ!もう、戻らなきゃ!課長に怒られるっ』
そういえば、室井も仕事に戻らなければならない。
だが、その前に、もう少し聞きたかった。
『じゃあ、俺、仕事戻りますね』
「待ってくれ、青島」
『俺からもまた連絡します』
それは有り難く嬉しい限りだ。
だが、しかし。
「青島っ」
『もう、居留守使ったりしませんから』
「ああ、それはよろしく頼む」
変な返事を返した室井に、青島は少し笑った。
『室井さん』
「な、なんだ?」
『こういう電話、署にかけてこないでくださいね』
それだけ言うと、電話が一方的に切れた。
青島が室井からの電話に出なかったのは、室井を嫌いになったからではない。
そのことははっきりして安心したが、新たな悩みが一つ。
「…少しは、前進したのだろうか?」
今度の悩みは、少し明るい。
END
2007.7.14
あとがき
本当にゆっくりゆっくり〜、な二人ですね(笑)
いつくっつくんでしょうか。
でも、青島くんも意識しまくりなので、未来は明るいぞ室井さん!
このお話、気の向くまま、思いついたら書いているので、楽しいのですが、
次を書くまでに前のお話を忘れてしまうという欠点があります。
設定とか状況とか、忘れてしまうんですよね〜;
(4)の話をまるっきり忘れていて、
(5)を書き終えてから矛盾点に気付き修正しました(^^;
あまり忘れないうちに、次ぎのお話を書きたいな…。
template : A Moveable Feast