■ 酒は飲んでも(3)
青島は過去にこれほど緊張したことがあっただろうかと考えてしまうくらい、カチカチになって室井の部屋にいた。
室井はまだ仕事から帰ってきていない。
部屋の主もいないのに、何に緊張しているのかと言えば、その主の帰宅である。
室井の帰宅を待ちわびているくせに、同時に怖くもあった。
きっと怒っているはずである。
青島はいつのまにか無意識に正座をしていた。
『すいません、せんぱ〜い』
電話をかけてきた真下の第一声が半泣きのそれだったから、青島は室井に知れたことをすぐに悟った。
青島が室井に電話をしてから、一時間足らずのことである。
真下との秘密も、青島の不用意な誤魔化しも、あっけなく室井にバレてしまったらしい。
こうなっては、半泣きの真下を責めても仕方がない。
『あんな焼け焦げそうな目で見られたら、黙っていられません』
涙ながらに、その時の恐怖を真下は語っている。
余程、室井に詰め寄られて怖かったのだろう。
真下に同情を覚えたのは、明日は我が身だったからだろうか。
むしろ室井の風当たりは、真下よりも青島への方が大きいだろう。
間違いなく、室井は怒っているはずだから。
『今度酒…は当分止めるから置いておいて、飯でもご馳走して』
寛大にも真下を許してやり、青島は電話を切った。
寛大もなにも、今度のことは真下に非はない。
むしろ色んな意味で被害者である。
真下に非があるとすれば、小池に愚痴を溢したことくらいだ。
それでも真下は、腑に落ちないながらも青島に食事をご馳走するはめになるだろう。
―今更悔やんでも仕方がない。
室井の帰らない室井の部屋で正座したまま、青島は思った。
真下と酒を飲んだりしなければこんなことにはならなかったのに…と今更後悔しても意味がない。
そもそも酒を飲んだことが悪いのではなく、泥酔したあげく居眠りをして、真下を室井と勘違いしたことが悪いのだ。
寝起きの頭に浮かんだのは室井一人だというのだから、色ボケしているとしか言いようが無い。
思い返せば自分自身でも恥ずかしい限りであるが、自業自得のなにものでもなかった。
だが、怒っている室井と対面しなければならないことは辛くても、その半面これで良かったのかもしれないとも思う。
真下とキスしてしまった事実を知られるのが嫌で無かったことにしようとは思ったが、室井に変な嘘をつくことには抵抗があったのだ。
青島は聖人君子でもなんでもないから時と場合によれば嘘もつくしズルもするが、相手は呆れるほど実直な人である。
青島も室井に対してはなるべくならそうありたいと思った。
謝ってすっきりしたいという思いが、今は強い。
ただ、室井が青島の言葉を信じてくれるかどうか、少し不安でもあった。
真下とのキスは事故でも、それを意図的に隠せば余計に怪しく見えるだろうし、青島が『真下』と言わずに、『友達』と濁したことも不自然に感じるだろう。
真下との関係においてやましい気持ちは万に一つもないが、キスしたことを隠そうとしたことにはやましい気持ちがあったのかもしれない。
だから、とっさに誤魔化してしまった。
そのことを、室井は信じてくれるだろうか。
青島は時計を見た。
もうすぐ二時になる。
室井には室井の自宅に向かう前に一度メールを送った。
『部屋で待ってます』とだけ、送った。
電話をしなかったのは、仕事中だったようだからということもあるが、単純に電話で声だけ聞くのが怖かったからだ。
怒られるにしても、顔を見ながらの方が話しやすかった。
脳裏に、眉間に深い皺を寄せた室井が浮かぶ。
やっぱり怖い。
怖いが、電話の沈黙で怒りを露にされるよりはマシな気もした。
不意に玄関で音がして、青島の背筋が伸びる。
鍵を開けている音がした。
ドアが開き、またドアが閉まる。
靴を脱ぐ音がした時、青島は覚悟を決めた。
リビングのドアが開く直前に、床に手をつき頭を下げる。
「ごめんなさいっ」
先手必勝とばかりの第一声に、少しの間の後、返事があった。
「それは、浮気したと謝っているのか?」
「違うっ」
青島はガバリと頭を上げた。
見上げた先に、不機嫌そうに眉間に皺を寄せているが、想像よりは穏やかな顔をした室井がいた。
「冗談だ」
小さく呟かれて、青島の身体から少しだけ力が抜けた。
室井は鞄をソファーに置き、コートを脱ぐ。
「真下君に、大体聞いた」
わざとではないかもしれないが、室井が立ったままだから、見下ろされると必要以上に威圧間を感じる。
背中に力が入り、妙な汗が吹き出してくる気がした。
青島は小さくなりながら、重ねて詫びた。
「ちゃんと説明しなくてごめんなさい」
「全くだ」
溜め息まじりに言われて、益々小さくなる。
いい加減なことをした青島が全面的に悪い。
言い訳も思い付かない。
ひたすら隠し事を詫びて、真実を話し、室井に信じてもらえることを祈るしかない。
「真下にキスしたのは本当だけど」
顔を顰めた室井にめげず、言葉を重ねる。
「寝惚けてて、真下を室井さんと勘違いしたんです」
そう言葉にしてみたら、思いの他嘘臭く言い訳がましい気がして、青島も顔を顰めた。
これでは、ただの浮気の言い訳にしか聞こえないかもしれないと思った。
どう言えばちゃんと伝わるだろうかと悩む青島の前で、室井が膝を折った。
胡坐を掻いて座り、正面から青島を見据える。
「…君の口から、あったことを話せ」
不機嫌そうな声で続ける。
「君の言葉なら、ちゃんと信じるから」
大変不本意だと書いてある室井の顔を見て、青島はいささか呆けた。
心のどこかでは、簡単に許してたまるかと思っているはずだ。
その証拠にずっと不機嫌面である。
だが、室井の理性は完全に青島を信じている。
青島の話を聞けば、青島の言葉を信じ、安心するのだろう。
それが自分自身でもわかっているから、室井は不本意だったのだ。
青島はこんな時なのに、つい笑みを浮かべてしまった。
眉が八の字になっているから、情けない笑みになる。
室井の手が、軽く青島の頭を小突いた。
「こら、笑うな」
渋い顔で注意されるが、怒ってはいないようだった。
青島が鼻を啜っていたせいかもしれない。
「えへへ…好きですよ〜」
「…知ってるから、さっさと話せ」
もう一度頭を小突かれて、青島はまた笑ってしまった。
話を聞き終えた室井は、深い溜め息をついた。
「不注意過ぎる」
酔っぱらって眠ってしまったことか、真下を室井と間違えたことか。
どちらにせよ、青島には返す言葉もない。
首を竦め俯きがちになる。
「面目ないです…」
正座をしたままだったから足が痺れていたが、それでも足は崩せない。
室井がまた溜め息をついた。
「…約束しろ」
言われて、視線を持ち上げて見ると、室井は眉間に皺を寄せたまま青島を見つめていた。
「酒を飲む時は、もう少し節度を持て」
若い頃ならいざしらず、青島もこの年になれば無茶な酒の飲み方などそうはしない。
だが、今は室井の言葉に反論する気にもならなかった。
青島自身反省もしているし、堪えてもいたのだ。
室井と間違えて真下に迫り、室井を怒らせ嫌な思いをさせてしまった。
室井にありのままを話せず隠そうとしたことも、悔やまれる。
室井に嘘をついたわけではなかったが、似たようなものだった。
「気を付けます。てか、当分酒はいいです」
神妙な顔付きで頷く青島に、室井の表情がいくらか柔らかくなる。
「それから、俺と誰かを間違えないこと」
続いた室井の要求には、慌ててしまう。
それこそ青島の方こそ二度とごめんである。
「いや、こんなこと、もうないです」
「絶対だぞ?」
「はい、それはもう」
念を押されてガクガクと頷く青島に、室井も満足そうに頷く。
「最後に一つ」
そう言った室井が真顔になったから、青島も背筋を伸ばした。
「こういう隠し事は、これっきりにしてくれ」
その一言で、やはり少なからず室井を傷つけたことを知る。
真下の口から聞かされた時には、どんな思いだったのだろうか。
青島が室井に隠し事をしようとしたと知って、きっとショックだっただろう。
青島が室井の立場でも、きっと傷ついた。
室井を信じているだけに、きっと傷付いた。
それは室井だって同じはずだった。
それでもなお、室井は青島の言葉を信じてくれるのだ。
青島はガバリと頭を下げた。
「ごめんなさいっ」
正座したままだったから、土下座に近い。
「もう二度としませんっ」
「…ああ、そうしてくれ」
そう言いながらも、室井の手が青島の身体に触れ、顔をあげさせてくれる。
顔をあげたら、室井が優しい顔をしていたから、青島は胸が熱くなった。
「ああ、もう、抱きつきたいなぁ」
素直な欲求を口にしたら、室井が変な顔をした。
「別に構わないが」
目の前にいるのは、正真正銘の恋人である。
抱きつきたければ「抱きつきたい」などと言っていないで、抱きつけばいい。
室井はそう思ったのだろう。
「…足痺れてて、動けないんです」
目を丸くした室井に、面目ないですと照れ笑いを浮かべる。
室井が帰ってくる前からずっとなれない正座をしていたせいで、青島の足は感覚がなくなるほど痺れていた。
ちょっとでも動くと、衝撃が走る。
室井に抱きつきたいが、今はちょっと難しかった。
「なるほど」
室井は苦笑したが、少し考えるような表情を浮かべた。
ややしばらくしてから、青島の頬に手を伸ばしてくる。
「ところで、青島」
優しい手に、思わず表情が緩む。
「はい」
「真下君とキスしたことは、まだ許してないんだが」
「…はい?」
言われた意味が飲み込めず室井を見つめると、室井が笑った。
その顔を見て、青島は引き攣る。
―怖い。
意地の悪そうな笑顔に、良くない予感がする。
「…室井さん?」
「浮気されたとは思ってないし、君の言い分は信じている」
「は、はぁ」
「だが、正直、すこぶる面白くない」
そりゃあそうだろうとは思うが、それはもう謝って許してもらうしかない。
そう思った青島がまた謝ろうとしたが、室井の言葉に遮られる。
「だから、ペナルティを科そうと思う」
「は…いっ!?」
突然押し倒されて、青島は息を飲んだ。
別に室井に押し倒されることは一向に構わない。
青島にとって衝撃だったのは、痺れた足である。
あまりの衝撃に言葉も出ない。
「君も嫌な思いをすれば、同じことは繰り返さないだろう?」
名案だとばかりに言う室井を涙目で見上げる。
青島の隠し事はもう怒っていないのだろう。
青島のことを信じているという言葉も嘘じゃないはず。
だけど、室井はやっぱり怒っていた。
青島が真下にキスをした。
その事実が、単純に腹立たしかったらしい。
「うあっ、やめ…っ」
仰け反って悲鳴をあげる青島に、室井は覆い被さっていた。
その手が青島の足に触れてくる。
痺れた足を。
「あっ、触んないでってば、痛い、痛いって」
室井の手が容赦なく痺れた足を撫で回してくるのだ。
青島は必死に手で室井の身体を押し返そうとする。
だが、足に触れられるたびに、身体全体に衝撃が走り、抵抗も満足にできない。
「正座しなれないから、こんなことになるんだぞ」
「や、やだってっ」
「今度、痺れ難い座り方、教えてやる」
「ううう…っ」
冷静な室井はどこか楽しそうに青島を見下ろしていた。
自業自得とは分かっているし、室井の怒りもごもっともで、こんなことで室井の気が済むなら好きにしてくれとは思うが、そういう気持ちとは対称的に身体が勝手に限界を訴えてくる。
青島はすっかり息があがり、涙目になっていた。
それでも室井は止めてくれない。
室井の手が青島の足を掴むと、青島はきつく目を閉じて大きく仰け反った。
「ああっ…やだあぁ」
半ば泣き声の混じったような声に、今度は室井の動きがピタリと止まる。
「…はぁ…っ…?」
呼吸を乱したまま室井を見上げると、室井はいくらか赤い顔をしていた。
室井の手が離れたから、痺れた衝撃が少し遠のく。
「室井、さん?」
「……思いの他、色っぽいな」
「はぁ?」
なんの話だと思ったが、それ以上聞くことは叶わなかった。
室井に唇を塞がれたからだ。
遠慮なく入ってきた舌に応じながらも、室井の手がしつこく足に触れてくるのが気になる。
「んっ……あ、ちょっと、もう、触んないでってば」
少し顎を引いて唇を離すと、苦言を申し立てる。
最初よりはマシになったとはいえ、まだ足は痺れていた。
「俺に触られるのがイヤなのか?」
「ちが…っ」
意地悪く言いながら、室井の手が太腿を撫ぜ、ふくらはぎを撫ぜる。
「んんっ、も、分かってるくせに!」
涙目で睨むと、室井は少し嬉しそうな顔を見せた。
キスに集中できないから、室井と触れ合うことに集中できないから、足に触らないで欲しい。
青島の訴えは、ちゃんと分かっているらしかった。
「言っただろ?ペナルティだって」
囁くように言って、柔らかく唇を重ねる。
啄ばむだけで離れると、至近距離で微笑んだ。
「もう二度と、迂闊な失敗をしないように、」
首筋に室井の息がかかる。
「一晩かけて」
そう囁かれて、青島は一気に身体が熱くなった。
素直に期待する身体とは裏腹に、脳みそに冷や汗を掻いた気がした。
嫌な予感に躊躇いながらも、室井の背中に手を伸ばす。
いつになく強気な室井に、何をされるのか分かったものじゃない。
ただ、この一晩は室井に何をされても文句が言える気がしなかった。
―明日の朝を、無事に迎えられるんだろうか!?
青島の胸中は不安でいっぱいだったが、すぐに何も考えられなくなった。
泣かされ、喘がされ、懇願し、強請って、最後には「許して」とまで言わされた。
その結果、翌朝には立場が逆転していた。
室井のベッドの中で動けないでいる青島に、平謝りする室井。
そんな室井に、青島は涙ながらに怒鳴った。
「真下と浮気してやるっ!」
浮気宣言はもちろん実行されることはなかったが、青島にとって余程恥ずかしい一夜となったらしく、その後室井に一ヶ月の禁欲生活を申し渡した。
END
2007.4.7
あとがき
ううーん;
また中途半端ななまはげになってしまったなぁ(涙)
恐らく一番なまはげだったであろうえち部分は書けてないし、
最後の最後では、結局青島君が逆切れしてるし(笑)
私なりに精一杯のなまはげでした;
痺れた足を触られて悶える青島君を書けて、
個人的には楽しかったです…
足が痺れてる時って、身体のどこにも触られたくないですよね。
響く響く(笑)
一月の禁欲生活は、結局辛いのは青島君も一緒だろうなぁ。
怒りの持続しなさそうな青島君のことだから、
途中で前言撤回して室井さんに迫ってるかもしれません(笑)
短い連載でしたが、お付き合いくださって有り難う御座いました!
のらねこ様へ
毎度のことですが、なまはげ室井さんがうまく書けなくって
申し訳ありませんでした〜;
少しでもリクエストを満たせるような室井さんが存在していると良いのですが…。
リクエストを、本当に有り難う御座いました!
template : A Moveable Feast