■ 愛しい日々
【一日目】
魚住が少し先を走っていたのは、魚住の足が青島よりも速かったからではない。
ただ魚住が張り込んでいた場所が青島がいた場所よりも、被疑者の逃げ出した方向に近かっただけである。
案の定、数メートルと走らずに、青島は魚住を追い抜いた。
「青島君、後は任せたぁ〜」
頼りない断末魔が遠ざかる。
「おいおい、頑張ってよ、係長…っ」
思わず独り言を言いながら、青島はなおも駆ける。
足には自信があった。
背後を振り返りながら走る被疑者の引き攣った表情まで見て取れるところまで追いついた。
後、一歩。
青島は被疑者の背中に向って叫んだ。
「止まれ!止まらないとーっ」
叫びながら右足で踏み切る。
ジャンプすると、被疑者の背中に飛びついた。
情けない声をあげて、つぶれる被疑者。
それ以上の抵抗も特にない男に、青島は手錠をかけた。
後からバタバタと必死に駆ける足音と、荒い息遣いが聞こえてくる。
青島は振り返って、笑った。
「確保しましたっ」
青島と魚住が湾岸署に帰ると、袴田は被疑者を一瞥し「ご苦労様」と労ってくれた。
被疑者は、三件ばかり続いた連続婦女暴行犯だった。
とはいえ、強姦だとか強盗だとか、そういった凶悪な類のものではない。
男が被害にあった彼女たちに要求したのは「友達になってください」といった内容である。
なぜ暴行犯かというと、彼女たちを呼びとめ、逃げられると追いかけ回し腕を掴んで、揉み合っているうちに転んで怪我をさせたりしたからだ。
ナンパの出来損ないなのかと思えばなんとも悲しい話だが、実際に怪我をしている女性もいるし恐い思いをした女性もいるから、放ってはおけない。
そういうわけで青島と魚住が張り込みをしていたところ、被疑者に出くわして逮捕に至ったというわけである。
「取調室空いてるから」
袴田が取調室を顎で指す。
早く取調べして、報告書を出せということだろう。
「はい、こっちきてー」
青島は疲れたように被疑者の腕を引いて取調室へ促したが、横から魚住の手が伸びてくる。
そのまま被疑者の腕を取ると、魚住はきょとんとしている青島に向ってやけに力の入った表情で言った。
「取調べは僕がやるよ」
「え?でも係長…」
魚住はすこぶる取調べが苦手だった。
被疑者に脅されて、何故か魚住が犯行を認めてしまったことがあるくらいだ。
だから、いつもできる限り取調べに当たることを避けている。
その魚住が自分でやると言っているから、驚いたのだ。
「いや、今日は、青島君に任せっきりだったからね」
力を入れているせいか、魚住の声がいつもよりもいくらか低いイイ声になっている。
魚住はそのまま凛々しい表情で、被疑者を連れて取調室に入っていった。
それを並んで見送って、袴田が些か不安そうな顔をした。
「大丈夫かね、魚住君は」
「…ま、大丈夫でしょ。あの被疑者、係長より気が弱いみたいだから」
肩を竦めた青島に、袴田は苦笑して頷いた。
逃げはしたものの、青島に捕まってからの被疑者は大人しいモノだった。
被害者の彼女たちにも結果として怪我を負わせてしまったが、乱暴する気は全く無かったようだし、気の弱い犯罪者のようだから、魚住でも問題なさそうだ。
「和やかな取調べになるかもね…あ、そうだ、青島君」
「はい?」
「明日の休暇、明後日にしてもらえないかな」
「えっ?」
途端に青島の目が輝いた。
一日とはいえ休暇が延びるのだから、普段なら文句の一つも出るところだが、今日は違う。
休日が一日ずれると、今回は珍しく室井と休みが重なるのだ。
一日ずれていると知ったときは、酷くガッカリしたものである。
説得されるまでもなく、青島としては願ったり叶ったりだ。
「いや、実はね」
事情を説明しようとした袴田の言葉を遮る。
「いいっすよ、明後日ね」
気軽に、むしろ嬉しそうに返事を返した青島に、袴田はちょっと驚いたように目を丸くした。
「あら、いいの?」
「ええ、困った時はお互い様じゃないですか」
ニッコリ笑う青島に、今度は怪訝そうな顔になる。
膨れっ面で文句の一つでも零した後、しぶしぶ承知するような青島の様子を、袴田は想像していたのかもしれない。
しかもここ最近は何かと忙しくて、休暇を楽しみに働いていたと言っても過言ではない。
普段の青島なら、間違いなく膨れていただろう。
でも、今日ばかりは違う。
「任せてください」
青島は上機嫌でそう告げて、自分の席に座った。
それを薄気味悪そうに眺めながら「また暴走しないといいけど…」と、袴田は余計な心配をしていた。
室井とはしばらく会えていない。
電話はたまにしているが、会えない日々が続けばストレスも溜まる。
距離にしたら、それほど離れているわけではない。
会おうと思えばいつでも会える距離にいるはずなのに、それなのに会えないのだ。
室井と交際するようになり、もう何度も経験していることだ。
それに慣れはしたが、平気になったわけではない。
会いたいものはやっぱり会いたいのだ。
降って湧いた幸運に、青島は緩む表情を押さえられない。
代わりに緩んだ頬を手の平で押さえてみる。
「気持ち悪い」
すみれに顔を覗きこまれて、にべもなく言われた。
どうやらニヤニヤしている表情が気持ち悪かったらしい。
青島は当てた手の平で、そのまま頬を伸ばした。
「…失敬な」
「コレのことでも考えてたんでしょ、どうせ」
すみれが指を眉間に押し当てる。
コレってなにさとかエスパーかすみれさんとか思ったが、認めるのも癪なので肩を竦めて誤魔化した。
「別に、そんなんじゃないよ」
「あら、じゃあ、浮気だ」
「なんでさっ」
極論を吐くすみれに、目を丸くする。
「青島君が、えっちぃ顔してから」
「えっちぃ…」
頬を撫ぜながら軽いショックを受けている青島に、すみれは苦笑した。
「まあ、それは冗談だけど」
ポンと軽く肩を叩かれる。
「幸せそうな顔、してたわよー」
そのまますみれは自分の席に戻ってしまった。
その背中をちらりと見て、青島は口角を上げる。
どうやら浮かれすぎて、幸せオーラが顔に駄々漏れていたらしい。
言及しないでくれたすみれに少し感謝したが、もしかしたらただ単に惚気話を聞かされるのを回避しただけかもしれない。
青島は軽く頬を叩くと、机に向う。
楽しみができた。
仕事に張りができた。
今日明日を乗り越えたら、室井さんに会える!
俄然やる気になった青島を見て、袴田がやっぱりいらぬ心配をしていたことに、青島が気付くことは無かった。
【二日目】
「あ、室井さん?俺です。青島です」
お疲れ様。どうした?
「今、どこですか?もう仕事終わりました?」
ちょうど帰って来たとこだ。
「あ、お疲れ様ですー」
ん…ちょっと待っててくれ、今鍵を…。
「あ、はいはい、待ってますから、ゆっくりやってください」
……。
―ガサゴゾ
「……」
……。
―ガサゴソ
「……鍵、無くした?」
あ、いや、あった。ようやく見つけた。
「あははは、そりゃよかった」
大分寒くなったな…部屋に入るとホッとする。
「もうすぐ12月ですからね…って、もう12月か!すぐ年末っすよ!一年て早いなぁ」
…そうだな。
「何笑ってんの?室井さん」
いや、元気だなと思って。
「悪かったですね、どうせ騒々しいですよ」
誰もそこまでは言ってないが。
「いいっすよ、べっつにー」
いじけるな。
そういえば、何か用事があったんじゃないのか?
「あ!そうそう!室井さん、明日休みでしたよね?」
え?
「俺も急に休みになったんですよ〜」
あ、青島。
「休み重なるなんて久しぶりじゃないですか〜。会えません?」
青島、すまない。俺は急に明日仕事になったんだ。
「え?ええっ!マジっすかぁ?」
ああ…。
「うわぁ〜なんだよもぉ〜」
すまない。
「いや、室井さんが謝ることじゃないっすよ。ああ、でもなぁ〜」
こんなことって、あるんだな。
「ですよねぇ。折角会えると思ったのになぁ」
残念だ。
「はぁ…」
……すまない。
「や、だから、室井さんが謝ることないんだってば」
いや、君があまりにもがっかりしてるもんだから、つい。
「がっかりもしますよ」
…そうだな。
「天国から地獄まで真っ逆さまです」
それはさすがに大袈裟じゃないか?
「大袈裟じゃないっすよっ」
そ、そうか。
「はぁぁ」
…す、
「だから、謝らなくていーってば」
……。
「ま、元から会えないはずだったわけですしね」
そうだな。
「すれ違いにもいい加減慣れっこです」
つくづく不規則な仕事だと思うのはこういう時だな。
「こればっかりは仕方ないっすもんね」
ああ。
「近いうちに必ず会いましょうね」
ああ、必ず。
「飯、食いに行きましょう」
時間があったら、うちで鍋にしよう。
「やった!そろそろ鍋の季節ですもんね〜」
ああ、いいな。
「コタツで鍋と日本酒と…」
まだ、コタツは出していないんだが。
「俺が行くまでに出しておいてください、必ず」
…了解した。
「よし、楽しみができた」
そうだな。
「コタツ目指して、頑張るぞー」
ああ……でも、残念だな。
「え?」
明日会えないのが、やっぱり残念だ。
「ちょっと!話を蒸し返さないでくださいよ!人が折角前向きになってるんだから!」
す、すまない。
「あー、もー、くそーっ」
青島?
「会いたいな、ちくしょー」
【三日目】
薄暗いリビングで目を覚ました青島は、寝ぼけた頭でしまったと思った。
折角の休日ではあったが、案の定寝過ごした。
昼過ぎに一度起きたものの、ソファーに横になりぼんやりとテレビを眺めていたら、いつの間にかまた眠ってしまったらしい。
薄暗い部屋は、日がすっかり暮れていることを示していた。
一日を無駄にしたと言っていい。
青島は仰向けに寝転んだまま、天井を仰ぎ見た。
「うぁ…さすがに寝過ぎた〜」
身じろぎすると若干背中が痛いから、余計に情けなくなる。
仕事柄、突然徹夜を余儀なくされることもあるから、寝れる時にはたっぷり寝ておくべきではあるが、それにしたって寝過ぎである。
青島は溜め息をついて、狭いソファーの上で寝返りを打った。
横向きになりテーブルに手を伸ばすと、アメスピの箱を手に取る。
さすかにここまで寝過ぎると、今更慌てても仕方がない。
全てのやる気を失ったまま、青島は煙草を口にした。
室井に断られたのは悲しかったが、こればかりは仕方のないこと。
気持ちを切り替えて、休暇の予定を立てていた。
午前中に洗濯をして、午後からは買い物に行くつもりだった。
ボーナスが近いから時計を新調するつもりだったのだ。
夕飯も久しぶりに作ろうと思い、昨日の仕事帰りにスーパーで材料を買ってあった。
もちろん冷蔵庫で眠ったままである。
ソファーに伸び切った青島を見る限り、今日の出番はないだろう。
また仰向けになり煙草をふかしながら、少し自己嫌悪する。
室井のいない休日を、いつもこんなに怠惰に過ごしているわけではない。
室井と一緒でなくたって、やりたいことややらなければいけないことはちゃんとある。
忙しい所轄刑事にとって、休みは貴重なのだ。
だが今日のこの体たらくっぷりは、室井に振られたことが多分に影響していた。
ガッカリして、ぬか喜びして、またガッカリしたら、気が抜けてしまったのである。
こうなると、室井に依存しているようで、やっぱり情けない。
「だって会えると思ったんだもん…仕方ないよねぇ」
誰に聞かせるわけでもないのに、言い訳をしてみる。
が、部屋に虚しく響くだけで、意味はない。
―今更だけど、洗濯ぐらいしようか。
―材料が勿体ないから料理でもしようか。
考えてはみるが、身体は動かない。
「あーもー今日はこのまま寝ようかなぁー」
などと、青島があまりにもダメ人間なことを考えていると、玄関で物音がした。
ドアの開く音を聞いて最初に思ったことは、鍵を閉め忘れたかな?だったからまだぼんやりとしているようだった。
仰向けに寝そべったまま首だけそらして見ると、逆さまに良く知る男の姿が見えた。
逆さまでも、目を剥いているのが分かる。
「なんだ、いたんだな」
電気が消えていたから出かけてるのかと思ったと言う。
確かに外から見たら、不在に見えただろう。
室井は青島の口から煙草を取り上げると、呆れた顔をした。
「暗闇の中で何をしてるんだ一体。それに寝煙草はやめろと…」
「室井さん?」
オコゴトを遮ったのはわざとではなかった。
青島も驚いていて、タイミングを計ることが出来なかっただけである。
「なんでいんの?」
驚きのあまり愛想も何もなく言うと、室井は苦笑した。
「仕事が早く終わったから、勝手に寄ってみた」
「そう、ですか…」
「迷惑だったか?」
「まさかっ」
「だろうな」
暇そうだと言って、思いがけず優しく笑うから、青島はなんだか急に腹立たしくなってきた。
「一言連絡してくれればよかったのに」
「自宅まで行っていなかったらしようと思ってたんだ」
「俺が遠くに行ってたらどうするんですか」
「帰って来るのを待てば良い…ところで青島」
「何すか」
「首、痛くないか?」
指摘されて、視界の室井が相変わらず逆さまなことに気付く。
そしたら、何となく首が痛い気がしてきた。
黙って身体を起こすと、首をなぜながらソファーに座り直した。
室井は青島から取り上げた煙草を一口吸って灰皿に灰を落とすと、青島の口にそれを戻してくれる。
素直に唇を開いてそれを受け取ると、室井も青島の隣に腰を下ろした。
「…一言、言ってくれたらよかったのに」
くわえ煙草でぼやくと、室井は肩を竦めた。
「だから、いなかったら」
「じゃなくて、仕事早く終わりそうなら、昨日一言言っておいてくれたらよかったのにってことですよ」
青島が今日一日怠惰に過ごしたのは、青島のせいであって室井のせいではない。
だが、室井が一言言ってくれていれば、もう少し違った休日を過ごしていただろう。
室井自身が青島のやる気に少なからず繋がっていることくらい、室井も知っているはずだった。
逆恨みも甚だしいが、室井が一言言ってくれていれば、ソファーで二度寝はきっとしなかっただろう。
少なくても、夕飯の支度くらいは自発的にこなしたはずだった。
それらは全て青島の都合だが、会いに来てくれる心積もりがあるのなら、やっぱり一言くらいあってもよかった気がした。
室井の頬が少し強張る。
その表情を見て、言い辛い事を言おうとしているのだとピンときた。
「…それでもし行けなかったら、君をまたガッカリさせると思って」
言い辛かったのは照れ臭いかららしい。
可愛いことを言う室井に青島は一瞬呆けたが、すぐにいそいそと煙草の火を消した。
「あおし…わっ」
室井の腰めがけてタックルすると、室井をソファーに押し倒してしまう。
「室井さん」
「な、なんだ?」
「室井さん、室井さん、室井さん」
なんとなく堪らない気持ちになって、室井の腹に額を押し付けたまま、意味もなく名前を何度も呼んだ。
会えて嬉しい。
室井の気遣いが嬉しくて、愛しい。
目の前にいる室井が愛しくて堪らない。
言葉にすれば簡単な言葉でしかないけれど、想いはもっと深かった。
だから上手く言葉にはできない。
そのまま腹にしがみ付いていると、室井の手が優しく青島の髪を梳いた。
「…会えて良かった」
少し笑った声が聞こえる。
きっと柔らかな笑みを浮かべているだろうと想像しながら、ゆっくりと顔を上げた。
思った通りの眼差しとぶつかって、青島も笑みを零す。
「俺こそっ」
柔らかい表情のまま、目を細めた室井の顔が近づいてくる。
青島はそっと目を閉じた。
「折角だから、鍋でもするか?」
ソファーでくっついたまま、しばらくまったりとした後で、室井が言った。
青島は少し考えて、笑いながら首を振った。
「鍋は次ぎの約束ですから」
楽しみは、次にとっておかないと。
そう主張すると、室井は苦笑して頷いた。
END
2006.11.5
あとがき
拙宅の20万HITのお礼小説でした(^^)
らぶらぶいちゃいちゃ。
拙宅らしいお話だった気がします、善し悪しは別として(笑)
20万HIT、本当に有り難う御座いました!!
青島君と室井さんの幸せ目指してこれからも頑張りますので、
今後とも宜しくお願い致しますっ。
template : A Moveable Feast