■ find out


「もう下がっていいぞ、室井君」
刑事局長の言葉に、室井は奥歯をグッと噛み締め、頭を下げた。
踵を返して、退出する。
局長のやり方に納得はしていないし、言いたいことはいっぱいあった。
だけど今の室井が何を言ってもどこにも響かないし、聞き入れてもらえないのは分かりきったことだった。
自分の不甲斐なさにも腹が立つし、政治と体裁を整えることに夢中な上層部にも腹が立つ。
室井が信じた正義は、上層部にとっては疎ましいことに過ぎないらしい。
今にみていろと思う。
―必ず警察を変えてやる。
捜査から政治を取り除き、本庁と所轄の壁を取り払って、捜査員が正しいと思える捜査が可能な環境にするのだ。
そのためには、室井は何がなんでも偉くならなければならない。
上司に噛み付いていても、悲しいことになんの結果ももたらさないのだ。
言うべきことは言ったが、今現在効果を望めないのなら、次の手段を探さなければならない。
できる限り、可能な限り、正しい解決ができるように。
今の室井にできることと言えば、それくらいだ。
そう思うと、余計に自分が不甲斐ない。
力が入り過ぎて歯ぎしりしそうになりながら廊下を歩いていると、胸ポケットで携帯が鳴る。
室井は一つ深呼吸して、そんなことくらいでは納まりそうもないイライラを抱えながら、通話ボタンを押した。
相手は捜査一課の刑事だった。
『湾岸署管内で殺人事件です』
室井の眉が尚更寄る。
湾岸署と聞いて、何故か浮かぶのはあの男の笑顔。
それが苛立った心に拍車をかける。
青島にしてみれば、「勝手に思い出したのアンタでしょ」と言いたいところだろう。
が、もちろん青島の知る由もないこと。
室井はなるべく声を抑えて返事を返した。
「わかった。すぐに湾岸署に向かう」



***



例によってお世辞とヨイショに余念のない署長らを適当に流し、早々に準備された会議室にて、一回目の捜査会議が行われた。
事件の概要と初動捜査の報告をしたくらいで、まだそれほど情報もない。
全てはこれからだ。
個別待機を言い渡して解散した後、室井は会議室に残って捜査方針を考えていた。
「怖い顔だな」
捜査資料を睨んでいた室井に、一倉が声をかけてくる。
「また、上に虐められたか?」
ジロリと一倉を睨むと、苦笑していた。
「気持ちは解らなくもないが、あまりムキにならないことだ」
「…分かってる」
「て、面でもないがな」
言いながら、一倉は室井の手から資料を取り上げた。
顔をしかめる室井に手をふってくる。
言葉では言わなかったが「シッシッ」と犬や猫でも追い払うような態度である。
「ちょっと休憩してこい」
「バカ言うな、捜査が始まったばかりだぞ」
「お前こそ、バカ言うな。たっぷり休んでこいなんて言ってないぞ」
10分したら帰ってこいと言われて、室井はしかめ面で首をふった。
「時間が勿体ない」
「10分急いでもなにも変わらんよ」
「10分休んでもなにも変わらん」
「コーヒーでも飲んで、深呼吸して、頭からっぽにしたら、なんか変わるさ」
それができるならとうにしてる。
そう思ったのが顔に出たのか、一倉は今度は欝陶しそうに顔をしかめた。
「いいから、行ってこい。辛気臭いし、邪魔くさいんだ。ちょっとあっち行ってろ」
あまりの言い草に怒る気力もない。
また、一倉がここまで言うところを見ると、余程酷い顔をしているのだろう。
確かに捜査員の士気にも関わる。
一倉の暴言で、室井は少しだけ平常心を取り戻すと、立ち上がった。
ここでいらない緊張感を撒き散らすより、一倉の言う通り深呼吸でもする方が得策だと判断したのだ。
行きかけた室井に、一倉が言った。
「本当に10分だぞ」
室井がいなくて困るのは、部下である捜査一課長の一倉だ。
それを考えれば、休憩してこいというのは一倉なりの優しさだろう。
それは理解できるが素直に感謝する気はないし、したところでどうせ一倉も気持ち悪いだろう。
―15分は粘りたい。
室井は良く分からない意地を張りながら、会議室を後にした。


湾岸署の喫煙室は、わりといつでも空いている。
禁煙ブームの昨今、湾岸署でも喫煙人口は減っているのかもしれない。
極一部に、禁煙とは無縁な人間もいるが。
室井はまた青島のことを思い出し、眉を寄せながら喫煙室の椅子に腰を下ろした。
彼と約束を交わしているせいか、やたらと青島の顔が浮かぶ。
しかも笑顔ばかり。
それが室井には辛かった。
青島の信頼を知っているからこそ、彼の好意が心苦しく感じるのかもしれない。
青島との約束は、まだ全く形になっていないのだ。
裏切っているとは思っていないが、気持ちに応えられてる気も全くしない。
「はぁ…」
室井は俯いて額を押さえた。
こんなときに頭を空にするなど、やはり無理があった。
「あれ?こんなところで何してんすか?」
室井の肩がピクリと動く。
突然かけられた明るい声には聞き覚えがあった。
顔を見なくても誰かは分かったが、室井は顔を上げた。
「青島…」
室井の目の前に立った青島を見上げる。
青島はニッコリ笑った。
「休憩っすか?」
「捜査会議には、いなかったな」
思わず口をついた。
捜査会議の時に青島の姿を見かけなかったことが、意識せずとも室井の中に引っ掛かっていたらしい。
青島は悪びれたように頭をかいた。
「あ、バレました?呼び戻されてはいたんですけど、別件で容疑者尾行してて」
すいませんと小さく頭を下げる青島に、室井は緩く首を振った。
特別合同捜査本部の捜査会議も青島の仕事だが、容疑者の尾行も青島の仕事だ。
咎める理由はない。
「…なんか、疲れてます?」
青島が少し腰を曲げ、室井の顔を覗き見てくる。
室井は自分の顔が引き攣った気がした。
顔面が痙攣するくらいだから余程疲れているのかもしれない。
室井は自分のことなのに他人事のように思った。
「たいしたことはない」
「そうですか?あんま、無理しないで」
青島が柔らかく笑う。
「笑うな」
思わず室井の口をついた。
言われた青島は目を剥いている。
いきなり笑うなと言われたら、誰だって驚く。
言った室井も、何故青島にこんなことを言っているのか分からない。
だけど自然と口をついた。
そして、止まらない。
「君は何故俺に笑うんだ」
「何故って…」
「嬉しくも楽しくもないだろう」
吐き捨てるように言うとまた俯いた。
自分と一緒にいて嬉しいはずが無いし、楽しいわけが無いと思った。
室井は青島にしてみれば上司だ。
しかも堅物で融通の利かない、生真面目だけが取り得の男である。
一緒にいて面白いことなどあるわけがない。
であれば、青島の笑顔は無駄なモノ。
室井にとってではなくて、青島にとってだ。
「俺なんかに笑うな、勿体無い」
勿体無いのは青島の労力か、それとも笑顔そのものか。
言った本人にも良く分からなかった。
俯いている室井の頭上で、青島の溜息が聞こえた。
呆れられたのかもしれない。
呆れられても当然だった。
笑うのも笑わないのも青島の自由で、そんなことは室井が口を出す筋合いではない。
いわば、室井の単なる八つ当たりである。
どうしようもない苛立ちを青島に押し付けているだけ。
―最低だ。
後悔はあまりしない性質だったが、今は言った後から悔やまれる。
謝るべきだろうかと室井が悩んでいると、青島が目の前でしゃがみ込んだ。
「室井さんさぁ」
名前を呼ばれて視線を向けると、思ったよりもずっと近くに青島がいて驚いた。
目の前で顔を覗きこまれる。
「俺のこと好きでしょ?」
キレイな目だとぼんやりと思っていたから、一瞬青島に何を言われたのか理解できなかった。
きょとんとしている室井に、青島は苦笑する。
「室井さん気付いてないみたいだったからさ、きっと気付かない方が良いんだろうなーって思ってたんだけど」
「俺が……青島を?」
「あ、まだ気付いてない」
青島は可笑しそうに、だけどどこか切なそうに笑った。
「俺はさ、いいんだけど。自分で言うのもなんだけど楽天的な性格だから。でも室井さんは厳しいでしょ?」
室井はまだ青島の言っていることが理解できない。
―青島は何が「いい」のだろうか。
―自分は何が「厳しい」のだろうか。
困惑している室井に構わず、青島は続けた。
「だから気付かないフリでいたんです。アンタの気持ちにも……俺の気持ちにも」
室井の心臓が跳ねた。
「このままでいられれば文句は無かったし、それもいいかなって思ってたんだけど。テンパってる室井さん見てたら、言いたくなっちゃって」
言葉を発せられなくなってしまった室井に、青島は笑いながら立ち上がった。
「俺の言ってること、理解できなかったらしなくてもいいです」
立ち上がった青島を、機械的な動作で見上げる。
青島はやっぱり笑顔だった。
「室井さんは抱えてるモノが多すぎる。俺のことは抱える必要ないですよ」
最後の小さな呟きは、青島が背中を向けたからはっきりとは聞こえなかった。
それでも室井の耳は、
「俺と室井さんのことは、俺が抱えてますから」
確かにそう捉えた。
室井は立ち上がると、行きかけていた青島の腕を掴んだ。
驚いて振り返った青島の腕をそのままひっぱり、通路から隠れるように壁に身体を押し付ける。
「むろ…っ」
目を剥いた青島の唇を塞いだ。
無防備だった唇は簡単に室井の舌を招き入れてくれる。
青島が無反応だったのは、ほんの一瞬だった。
掴まれていない方の腕を室井の背中に回して、すぐに舌を絡めてくる。
室井は夢中で青島にキスをした。
暫くして、青島の手が室井の背中を叩く。
それを合図に、室井はようやく青島を解放した。
至近距離で見る青島は、頬をほんのり上気させていて、酷く色っぽく見えた。
青島をそんな目で見たのは初めてだったが、室井が今まで気付かなかっただけなのかもしれない。
「室井さんって、いっつも突然ですよねぇ」
茶化すように言いながら、手の甲で唇を拭っている。
嫌悪ではなくて照れだろうということは、鈍い室井にもよく分かった。
「君のせいだぞ」
静かな声で告げると、青島は苦笑した。
「でしょうね」
「責任を取れ」
今度は驚いたらしく、息を飲んだ。
一拍置いて、飲んだ息をゆっくり吐き出す。
「責任を取るのはやぶさかじゃないんですけど……取っていいんすか?」
顎を少し引いて、室井を見つめる。
少しだけ口角の持ち上がった唇が、抑えている青島の喜びを伝えてくれる。
―可愛いな。
初めて思ったが、これもまた初めて気付いただけかもしれない。
「取ってくれ」
室井は掴んでいた腕を引き寄せて、もう一度近付こうとした。
が、青島の手が室井の胸を優しく押し返す。
拒まれたことに眉を寄せると、青島は照れ臭そうに笑った。
「室井さん室井さん、ここ、湾岸署、喫煙室、特捜の真っ最中」
室井は一瞬の間のあと、赤面しながら青島の腕を離した。
すっかり頭が空っぽになってしまっていたが、ここは湾岸署の喫煙室で、特捜の真っ最中、休憩時間だったのだ。
―そんな時に、何をしているんだ自分は。
理性が戻ってくると、突然恥ずかしくなる。
赤面したまま、眉を寄せた。
「すまない」
キスしたことは後悔していないが、こんな場所で迫ったことは申し訳ないと思う。
「ははっ…やっぱり好きだなぁ、室井さん」
あっさりと告白した青島に、室井は目を剥いた。
伝えたい気持ちがないわけじゃないのに、室井の口からは出てこない。
事件に使う頭はあっても、こういう時に働く頭は持っていなかった。
すぐに言葉にならない室井を気にしたふうもなく、青島は軽く自分の頬を叩いた。
気分を変えているらしい。
「捜査、頑張りましょうね。俺も目一杯頑張りますから」
「…張り切りすぎるなよ」
「分かってますって!じゃ、そろそろ戻ります」
青島が先に喫煙室を出る。
入り口で振り返った。
幸せそうな笑顔が、自分に向っている。
今なら勿体無いなんて、絶対に言わない。
この笑顔は、室井のモノだ。
「事件解決したら……続きしましょうね」


会議室に戻った室井に、一倉は溜息を吐いた。
「やっぱり10分くらいじゃ、どうにもならなかったか」
一倉がそう思ったのは、室井が眉間に皺を寄せたまま戻ってきたからだろう。
だけど、室井には先程までの苛立ちは全く無かった。
根本的に何が解決したわけではない。
室井が上に行かない限り警察を変えることはできないし、青島との約束も果たせない。
だから、今は、やれることをやるだけだ。
やる気をくれるのは、青島の笑顔。
青島の笑顔に苛立つことは、もう二度とない。
「一倉」
「なんだ」
「ありがとう」
「……は?」
薄気味悪そうに室井を見る一倉を無視して、室井は席についた。


とりあえず。
この事件は何が何でも解決しなければならなかった。
それも、できるだけ早く―。











END

2006.4.24

あとがき


また馴れ初め…(汗)
でもでも、今回はこれで恋人になっているはずなので、
カンベンしてやってくださいませ!

室井さんが、へなちょこです(おい)
「天然の恋」とはちょっと違うと思うのですが、これはこれで天然なような…。

書きたいテーマがあって書き始めたお話でした。
書いてみたら、随分テーマから遠くなってしまって、
テーマは永遠に秘密です(笑)
個人的には、青島君の「俺のこと好きでしょ?」が書けて満足でした(大笑)



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