■ mistake(後編)
室井は青島を疑っていたわけではない。
ただ、部下に任せてくれと言ったからには、事実関係をはっきりさせなければならなかった。
そうでなくても、やはり何がどうなってそうなったのかは、室井だって気になる。
だから直接本人に確かめてみることにした。
真下から聞いても良かったのだが、恋人の口からはっきり聞きたいと思ってしまうのも、無理はないだろう。
そんなわけで、翌日に室井は湾岸署に来ていた。
刑事課に向かう途中、喫煙所で見知った後姿を発見して、室井は足を止めた。
目当ての人物をすぐに発見できて良かったのだが、その隣には何と真下がいる。
凄いタイミングで、室井はちょっと驚いた。
二人に話が聞けて丁度良いと言えなくもない。
室井が喫煙所に入ろうとした瞬間、二人の会話が聞こえてきた。
「昨日はすいませんでした」
室井は足を止める。
「もういいよ、俺も悪かったんだし」
どうやら昨日の話らしい。
立ち聞きしたいわけではないのだが、声をかけ辛い。
二人とも入口に背を向けているから、室井の存在には気付いていなかった。
「でも、先輩。まだ身体痛いんでしょ?」
「まぁね。お前が重たいからだよ」
からかうような笑い声に、室井の身体が硬直する。
「あ、酷い。そんなことはないですよ〜」
「ははっ。俺も歳かなぁ。最近身体硬くなったのかも」
「それより、無理な体勢が悪かったんじゃ?」
「かなぁ?確かに夕べはキツかったけど」
室井の頭の中は真っ白だ。
「腰が痛いのは、間違いなくお前のせいだね」
「あははは…それはすみません」
「全く…」
動悸が激しくなり、変な汗が出てくる。
―まさか。まさか。まさか。
室井の頭の中には、それしか浮かばない。
「それよりみっともないから、雪乃さんには秘密ですよ?」
「雪乃さん、そうですか〜とか言って、あんまり気にしなそうだけどなぁ」
「ええ!?それって僕のことなんかどうでもいいってことですか!?」
「ん?いや、ちょっと違うけど…まぁ、いいか。ハイハイ。俺だってわざわざ言いたくないから、心配すんな」
「そうですよね…室井さんに知れたら先輩も困りますもんね」
「別に俺は困んないよ」
「うわっ、余裕の発言!愛されてる自信があるからでるコメントですか?」
「……ばーか」
「あ、酷い」
「別に、言い訳するようなことでもないでしょ」
「そうですか〜?」
「一々言うのもおかしいだろ?」
「僕と寝ましたーって?」
「気色の悪い言い方すんな」
青島が手を伸ばして、真下のおデコを叩いた。
そんな二人を見ながら、室井は何とか足を動かして、踵を返す。
頭は未だに働いていない。
だけど、その場にはいられなかった。
それだけははっきりしていた。
―青島が…真下と…。
そんなバカなことがあるわけがない。
青島が室井を裏切るわけがない。
女性相手なら、理解できないわけじゃない。
不安に思ったことだってあった。
青島だって男だからだ。
誰かを抱きたいと思うことがないとは言い切れないし、それを責めることもできない。
だけど、青島が他の男に抱かれるなど―。
―有り得ないと思っていたのは…俺だけか?
顔色を無くした室井は、そのまま足早に湾岸署を後にした。
***
帰宅した青島は、ドアを開けて目を丸くする。
玄関に青島のものではない紳士物の靴があった。
慌ててリビングに入ると、ソファーの上に室井がいて、青島は思わず表情を緩めた。
思わぬ人に会えて、嬉しかったのだ。
「びっくりした〜来てたんですね」
ニコニコと笑う青島を一瞥して、室井は視線を逸らした。
青島は室井の表情の硬さに気付いて、笑みを引っ込めた。
よく考えれば、室井がいきなりやってくることなど滅多になく、何かあったのかもしれないと察するべきだった。
青島は鞄を放り出し、室井の傍に寄った。
「室井さん?何かありました?」
室井の顔を覗きこむようにすると、ガシッと腕を掴まれる。
その力強さに、青島は驚いた。
「室井さん?」
「青島」
「は、はい?」
「俺に何か話すことはないか?」
静かな押さえた声に、室井の怒りを感じ取って、焦る。
―え?俺?なんかした?
―室井さんを怒らせるような……あ、また、本店で問題起こしてる?
―いやいや、最近は大人しいよなぁ。
室井の怒りの原因が本気で何だか分からない。
目を白黒させている青島に、室井は傷ついた顔をした。
「本気で俺に言う必要が無いと思ってるんだな…」
微かに震えた声。
「む…!?」
突然立ち上がった室井が、青島を床に押し倒した。
呆然としている青島のネクタイを引き抜き、乱暴にシャツを剥ぐ。
ボタンが飛んで、青島は思い出したように抵抗を始める。
「ちょ、室井さんっ…何すんですかっ」
室井の手を掴んで睨み上げる。
青島には乱暴される理由がなかった。
少なくても青島には思い当たらなかった。
見上げた室井の目には怒りしか見えない。
青島を抱く時に見せる優しい色など、どこにもない。
室井が怒っていることは青島にも良く分かった。
だけど理由が分からないのに、こんな形で抱かれることだけはイヤだった。
「室井さん…っ!」
「君に裏切られるなんて思ってもみなかった…っ」
室井が拳を振るった。
息を飲んだ青島に向けられたわけではなく、そのまま床に叩きつけられる。
耳のすぐ傍で、鈍い音がした。
呆然としている青島を見下ろして、室井は表情を歪めた。
痛みからじゃない。
悲しみからだと、青島にもはっきりと伝わった。
「過ちだからか?遊びだからか?それでも…例え本気じゃなくても、他のヤツに抱かれて欲しくなかったっ」
青島にはまだ何が何だか分からない。
だけど、室井が大きな誤解をしていることだけは良く分かった。
「ま、待って、室井さ…」
「俺は君が好きだった」
初めて聞く言葉じゃないのに、青島は目を剥く。
それを口にするのに、こんなに痛々しい室井を見るのは初めてだった。
いつか見た柔らかい微笑が嘘のようだ。
室井は眉を寄せ、唇を噛んだ。
「俺は……君を真下と共有する気はないっ」
真下の名前が出て、青島も漸くハッとする。
室井は青島の手を離すと、立ち上がった。
そのまま青島の身体を跨いで、歩き出す。
出て行く気だと察すると、青島はとっさに手を伸ばして、室井の足首を掴んだ。
室井の足が止まるが、それだけではすまなくて、そのまま前のめりに倒れこむ。
床に手を付いて身体を支えた室井が、振り返って当然のように睨んでくる。
だが、青島はそんなことを気にしているだけの余裕がなかった。
「ち、違う、室井さん、いや、ごめんなさい、」
謝ると、室井が切なそうに眉を顰めるから、青島は慌てて付け加える。
「じゃなくて、誤解、誤解させたことは謝るけど、ごめんなさい、だけど、違う、誤解、それは誤解です」
慌てすぎて、散文的で、いまいち上手く伝わらない。
それでも室井の動きが止まった。
青島は室井の足首を掴んだまま、繰り返した。
「誤解、です」
一向に説明になっていない弁解。
室井も訝しげな視線だが、それでも必死に単語を繋ぐ青島の言葉をちゃんと聞いてくれている。
「…誤解?」
ガクガクと首を縦に振る。
室井の動きが止まっているというのに、青島は室井の足首を掴んだままだった。
「俺、真下と寝てないです。有り得ないです。絶対に」
「でも…君たちは…」
「その、ラブホテルに一緒に泊まったのは本当ですけど、それだけです」
室井が何故そのことを知っているのか分からないが、青島と真下がラブホテルに泊まったことを知って、青島が浮気をしたと室井が思い込んでいると思ったのだ。
事のあらましを包み隠さずに説明する。
「隠すつもりだったわけじゃないけど、わざわざ言う必要もないかと思ってました。すいません……室井さんがこんなに思いつめるなんて思わなくて」
青島は室井の足首を掴んだ手に力を込める。
まさかそんなに室井を傷つける結果になるとは思わなかったのだ。
真下との浮気を青島に確認もせずに疑われてしまったことは、正直悲しかった。
だけど、誤解させるようなマネをしたのは、青島自身だ。
傷ついているのは、室井の方だろう。
室井が自分と別れようとしていたことが、青島にも良く分かった。
だからこそ、青島は掴んだ室井の足首を離せなかった。
室井は青島をじっと見つめて、少し困惑したようだった。
「君は、真下と」
「してない。寝てないです。室井さん以外の男と寝るつもりはないです」
真剣な眼差しに、室井の表情が少しだけ緩む。
それでも、不安そうに尋ねてくる。
「……身体が辛かったと」
「え?」
「真下のせいで……腰が痛いと」
何でそんなことを知っているのだろうと思いながら、青島は素直に言った。
「真下を引きずって歩いたせいで、肩とか腰とか痛くて」
「……」
「スーツ着たまま寝ちゃったから、節々も痛かったんですよ」
室井の表情が見る見る変わる。
一気に脱力してしまった室井に、青島は首を傾げた。
「え…と、室井さん?」
誤解は解けたのだろうか。
室井は青島との別れを撤回してくれるのだろうか。
そればかりが気になった。
脱力して俯いてしまった室井の表情を覗き込むようにすると、丁度青島を見た室井と視線がぶつかる。
その目に先ほどまでの怒りも悲しみもない。
いくらか疲れているように見えたが、視線に柔らかさがあって、青島はホッと息を吐いた。
室井がそっと手を伸ばしてくる。
開けた青島の襟首を少し直して、目を伏せた。
「…すまない」
「い、いや、俺こそ、すいません」
室井に謝ってもらう必要はなかった。
やはり自分が不用意だったのだろうと思う。
だが青島は、これだけは室井に知っていて欲しかった。
無意識に、また室井の足首を掴む手に力が篭る。
「でも、その、俺、男とホテルに泊まっても室井さん以外とは絶対に」
「分かってる」
「は?」
「俺は君が真下とホテルに泊まったのを知って、浮気を疑ったわけじゃないんだ」
「え?」
目を白黒させた青島に、室井が話して聞かせてくれた。
室井が立ち聞きしてしまったという話を聞いて、今度は青島が全力で脱力する。
「あ…あー…確かに、あの会話だけ聞くと、そう聞こえますね…」
気の抜けた声を出した青島に、室井は微苦笑した。
室井は青島の口から出た浮気を仄めかすような発言を聞いて、誤解した。
青島のことを信頼していないわけではなかったのだと、青島は納得した。
漸く笑みを見せてくれた室井に、青島は心からホッとする。
「立ち聞きして、勝手に誤解した。すまない」
「いや、俺がやっぱり不用意でした。すいません」
「青島」
「はい?」
「ソレ、離してくれないか?」
室井が自分の足元を指差した。
視線を落として、ハッとする。
ずっと掴みっぱなしだった、室井の足首。
青島は慌てて手を離した。
「す、すいません」
「いや」
離すまいとしっかり掴んでいたせいか、後が少し残ってしまっている。
気恥ずかしいさに、青島は薄っすらと赤面した。
「すいません…」
室井が小さな笑みを浮かべた。
頬に手が伸びてきて、撫ぜられる。
青島が目を閉じると、優しく唇を重ねてくれた。
長いキスの後。
「青島」
静かな室井の声に、青島は目を開いた。
「はい」
「俺も一倉とラブホテルに泊まることがある」
「…はい?」
「君たちと一緒で、酔っ払って帰るのが面倒くさくなるとな。あれは手軽でいいな」
「は…」
青島は頭が真っ白になった。
―室井さんと一倉さんが?
―いや、まあ、何があるわけもないけど。
―よ、酔っ払えば…室井さんもそんな時が…。
―だけど、意外っていうか…室井さんが?
―一倉さんとラブホテルに?
―室井さんが?
青島だって真下と同じことをしたわけだから、文句は無い。
ただホテルで眠るだけだから、気にすることは無いと思ったのは、大体青島自身である。
同じ事をされて不愉快に思う理由がない。
―不愉快…?
モヤモヤした感情に気が付き、呆然としている青島をちらりと見て、室井が密かに微笑んだ。
室井のささやかな嫌がらせ。
青島が動転さえしていなければ、室井の嘘くらい簡単に見破れただろうに。
自分が同じ事をしただけに、何も言えずに悶々とする青島を他所に。
室井はいつ「そんなわけないだろう」と突っ込もうかと思っていた。
END
2005.8.15
あとがき
シリアスなんだか、ギャグなんだか、わからないお話に(汗)
リクエストもどの程度こなせたんだか…(滝汗)
とっちらかったお話になっちゃて申し訳ありませんでした!
一番悩んだのは、室井さんが立ち聞きした二人の会話でした(^^;
どう言えば疑わしく聞こえるかなぁと。
どうでしょう。それっぽく聞こえますかねぇ?どきどき。
ラストは本当は室井さんにお仕置きされる青島君で締めよう思っていたのですが(嫌な締めだな)
大分室井さんのテンションが下がっていたので、止めました。
「悪い子はいねぇが〜」な方が良かったでしょうか…(笑)
あ、凄くどうでもいいのですが。
室井さんが真下君を呼び捨てにしてるのは、交渉人で室井さんが「真下」と呼んでいたからです。
個人的には、「真下君」の方が好きなのですが(笑)
のらねこ様、この度は、リクエストをありがとうございました!
お待たせしたのに、こんなデキで申し訳ありませんでした…。
template : A Moveable Feast