■ その日がきたら
ベッドの中で目を覚ました青島は、常にない温もりを感じて重たい瞼を持ち上げた。
目の前に広がった、愛しい人の顔。
「ああ…そっか」
夕べは室井が泊まっていったのだ。
青島は室井の胸に寄せていた身体を起こし、伸びをして遠慮のない欠伸を零す。
そのまま視線を室井に落として、その穏やかな寝顔に思わず微笑む。
「珍し…俺の方が早く起きたんだなぁ…」
青島は少し身を屈めて、室井の額に唇を押し付けた。
そして鳥肌を立てる。
別に自分の行動に寒くなったわけではない。
恋人と二人きりの時間くらい、いちゃいちゃしてたって誰に迷惑を掛けるわけでもない。
誰に遠慮する必要もないのだ。
「うーーー…寒い寒い」
青島は剥き出しになった両腕を擦りながらベッドから降りると、脱ぎ捨ててあったパジャマを身に着ける。
自分が抜けて寒そうな室井の胸元には、布団を引き寄せて掛けてやった。
12月になって一番の冷え込みだったかもしれない。
「裸で寝るには厳しくなったな…」
呟いて、まあ滅多にないんだけど、とも思った。
それはそれで、ちょっと寂しい。
青島は朝から愚にも付かないことを考えながら、室井を起こさないようにそっと寝室を出る。
冷えたフローリングのおかげで、足元から余計に冷えてくる。
青島は片手で自分の腕を擦りながら、ヒーターを入れた。
ついでにテーブルの上からアメスピを取り上げて一本引き抜くと、ライターで火をつける。
深く吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。
以前に室井に「この瞬間の煙草が一番美味い」と言ったら、「君はいつ吸ったって美味そうに吸ってるぞ」と呆れられた。
指摘されてみれば、そうかもしれない。
だけどやっぱり、こんな朝の目覚めの一服は、特別美味しいと感じられた。
だって、室井といっぱい愛し合って、一緒に眠って、気持ち良く自然に目覚めた朝だ。
言わば最高と言える中での一服である。
美味いに決まっているのだ。
青島は煙草を咥えたまま、窓際に寄った。
カーテンを開いて、目を丸くする。
雪が積もっていた。
東京だって雪くらい降るが、一面真っ白になるほど降るのは珍しい。
今は止んでいるようだが、ついさっきまで降っていたのか、路面はきれいなままだった。
「どーりで寒いわけだ」
青島は思わず呟いた。
「雪降ってるのか?」
背後から声を掛けられて振り返ると、室井が立っていた。
「あ、起こしちゃいました?」
「気にしないでくれ……結構降ったな」
青島の隣に並ぶと、室井も外を眺めながら呟いた。
すこし憂鬱そうな声の響きに、青島は首を傾げる。
「雪国生まれなら、これくらい大したことないんじゃないんですか?」
室井は視線を外から青島に移し、肩を竦めた。
「寒さはなんともないが、これじゃあ折角の非番が台無しだろう」
今日は一緒の非番だったから、出かける約束をしていたのだ。
青島は目を丸くした。
「え?出かけますよ?」
言ったら、今度は室井の方が目を丸くした。
「出かけると言ったって……灰、落ちるぞ」
「あ、すいません」
室井が取ってくれた灰皿を受け取り、そこに灰を落とした。
「この路面じゃ、厳しいだろう」
「大丈夫でしょ、どうせすぐ溶けるし」
「…どうだろうな。結構寒いぞ」
室内がこれだけ冷えていたのだから、確かに外も寒いだろう。
一面の雪景色が余計に寒そうに見せた。
青島は少し外を眺めていたが、煙草を灰皿に押し付けて消してしまうと、ニコッと笑った。
「大丈夫大丈夫、折角の非番ですよ?出かけましょうよ」
室井と部屋で二人きりで過ごすのは、もちろん構わない。
そういう時間も大好きだ。
だけど今日は何日も前から、映画に行く約束をしていた。
たまには室井と一緒に何かをしたいという気持ちもあった。
同じことをして同じことを感じる時間も、大切だと思うのだ。
青島の気持ちが伝わったのか、室井自身もそう思ってくれたのか。
室井はちょっと苦笑すると、頷いた。
「そうだな…そうするか」
「ええっ」
映画を見て、映画の話をしながら夕飯を食べて、軽く飲んで店を出た時には、10時を回っていた。
「ううっ、さむーっ」
青島はコートの前を掻き合せるようにして、首を竦めた。
隣の室井はというと、それを見ながら苦笑しているくらいだから、余裕があるようだった。
「朝より気温が下がってるな」
「しかも、また降ったみたいっすね」
足元の雪は日中に溶けたのだが、夕飯を食べるのに店に入っている間にまた降ってしまったらしい。
今朝と同じくらい、また積もっている。
室井は注意して歩きながら、足元を確かめた。
「一度溶けてるから滑りやすくなってるかもしれないな…足元」
気をつけろよ、とは最後まで言えなかった。
「わっ!」
青島の悲鳴に遮られたからだ。
室井の忠告も虚しく、青島は見事に足を滑らせてひっくり返った。
半端に溶けた雪がこの寒さで凍ってしまったのだろう。
新雪の下が、存外滑りやすくなっていた。
「…てぇ…」
地面に座り込んで眉を寄せた青島に、室井が手を伸ばしてくれる。
「大丈夫か?ほら…」
「すいません」
室井の手を借りて、何とか立ち上がる。
「油断しない方がいいぞ。雪の下になって見えないだけで、路面が凍っているようだ」
「うぇ〜」
コートについた雪をパタパタと払いながら、青島は顔を顰めた。
室井が歩き出すのにあわせて、青島も足を踏み出す。
一歩一歩慎重に歩いていたら、数歩先まで進んだ室井が振り返って思わずというふうに笑みを零した。
「腰、引けてるぞ」
「バカにして」
ちょっと雪国育ちだからって…とブツブツ零しながら、青島はゆっくり室井に近付く。
「力を入れすぎるんだ。それだと疲れるだろう」
「そんなこと言ったって…うわっ」
漸く室井に近付いて、また足を滑らす青島に室井も慌てて手を伸ばしてくれる。
それに思わずつかまったが、体格で勝る青島である。
体勢を崩した青島に引っ張られて、室井も一緒になって転倒してしまう。
「うわっ」
今度は室井が悲鳴を上げた。
室井は半ば青島に覆い被さるように倒れた。
「いててててて……あ、室井さん、大丈夫です?」
声を掛けると、室井が青島の上で渋面になっていたから、ちょっと慌てる。
「す、すいません、巻き添えにしちゃって」
「いい、怒ってない…」
室井は青島の上から退きながら、眉を寄せた。
「支えてやれなくて、悪かったな」
座ったまま室井を見上げて、青島は破顔した。
室井が怒って見えたのは巻き添えにした青島に対して怒っていたからではなく、青島を支えきれなかった自分を不甲斐ないと思ったからだったらしい。
笑って首を振る青島に、室井は表情を和らげた。
「ほら、いつまで座ってる。冷たいだろ」
「あ、そうですね」
「待て、慌てて立つなよ。また転ぶぞ」
「……了解」
子ども扱いされている気がしないでもないが、立て続けに二度も転んでおいて文句の言いようもない。
素直に従って、そっと立ち上がる。
またあちこちに付いた雪を手で払いながら、室井を見る。
「室井さんの靴の裏、何かついてます?」
何で室井さんは滑られないんだろうと、不思議に思ったのだ。
「まさか…秋田にいる時ならいざ知らず、東京に住んでいる今は普通の革靴だぞ」
「そうっすよねぇ」
雪国で市販されている冬靴は、大抵滑り難いように工夫がされていて、靴底が深い溝模様付きのゴムになっている。
もちろん東京で暮らして長い室井がそんな靴を履いているわけもなく、条件は青島と一緒である。
ならば歩き方が違うのだろう。
「着地する時はつま先の方から下ろして、なるべく中心に力を入れて歩くんだ」
室井が教えてくれるので、つま先から下ろして歩いてみる。
ちょっと歩き辛い。
「歩幅は狭い方がいいぞ」
「へぇ…俺大股で歩いちゃうからなぁ」
「勢い良く歩くなよ。飛んだり走ったりしたら、一発だぞ」
「……それくらい、俺だって分かりますよ」
言いながらも、やっぱりへっぴり腰で歩く。
二度も転べば、青島だって多少は学習するのである。
とにかく気を抜かないこと。
真剣な表情で雪道を歩く青島に、室井は小さく微笑んだ。
「手でも引こうか」
室井の一言に目を剥いた青島は、慌てて首を振った。
二人きりの室内ならいざしらず、外でなんて手を繋げるわけがない。
室井も冗談で言ったのだろうが、らしくないことを言ったと思ったようで、表情が硬くなる。
照れて、青島の少し前に出た。
表情が見えなくなり、青島は苦笑する。
―照れるくらいなら言わなきゃいいのに。
室井の背中を見ながら、青島は歩く。
「大丈夫か?」
肩越しに少しだけ振り返って、室井が視線をくれた。
青島は微笑んで胸を張った。
「余裕……うわっ」
青島の学習能力は本当にあるのか。
三度足を滑らせた青島だったが、室井が振り返るよりも前に目の前のモノにつかまって、何とか転倒せずにやり過ごした。
目の前のモノ。
室井のコートである。
派手に滑らなかったせいもあって、今度は室井を巻き添えにすることもなく、少し室井が後に仰け反った程度ですんだ。
「…っ…す、すいません」
「い、いや…大丈夫か?」
「ええ……あれ?」
青島はそのままの体勢で首を捻った。
「どうした?」
「いや……」
支えがあると安定するものだなと思ったのだ。
室井のコートにつかまっているだけで、案外バランスが取れるものである。
―ああ…倒立するより三角倒立の方が簡単だもんね。
ちょっと的の外れたことを考えながら、青島は納得した。
「青島?どうした?」
いつまでも室井のコートにつかまったままの青島に、室井が不思議そうに声をかけてくる。
青島はダメ元で言ってみた。
「室井さん」
「ん?」
「このまま歩いたら、まずいです?」
肩越しに勢い良く振り返った室井は、目を丸くして青島を見た。
半ば冗談で、半ば本気である。
室井が嫌がったら、手を引けばいい。
青島はそう思っていた。
「このままって……このままか?」
「このままです」
室井は眉間に皺を寄せたが、青島が呑気に笑ってみせたら、諦めたのかそのまま歩き出した。
ペースは青島に合わせてか、ゆっくりである。
歩いてみると、やはり先程より安定感がある。
「……手を繋ぐのと、大差ない気がするが」
サクサクと雪を踏みつけて歩きながら、少し余裕の出てきた青島は軽口を叩いた。
「そうですかね?何なら腕組みます〜?」
「…腰抱くぞ」
「それはカンベンしてください」
からかったつもりが逆にからかわれて、青島は苦笑した。
室井も声を出さずに笑ったのが、掴んだコートから伝わる。
「……いつか」
静かな室井の声に、青島は足元を見ていた顔を上げた。
室井の背中を見つめる。
「いつか一緒に……秋田に行こう」
少しの間が空いたのは、「実家に」と言いたかったからではないだろうか。
青島はその背中に抱きつく代わりに、握ったコートを軽く引っ張った。
「絶対ですよ」
振り返った室井が嬉しそうに微笑んでくれたから、青島はちゃんと歩けるようにしておかないとなぁと思った。
本当にそんな日がくるかは分からない。
だけど、二人が今そう思っているのは事実。
それだけでも、十分嬉しかった。
―信じていれば、いつか、きっと……なんてね。
室井のコートを掴んだまま、青島はひっそりと微笑んだ。
END
2005.7.18
あとがき
那智様より頂いた、
69000HIT「室井さんに雪道の歩き方を教えてもらう青島君」です。
ず、随分お待たせしてしまったせいか、今時期に12月のお話でごめんなさい(^^;
東京がどの程度雪が降るのか分からず、どれくらい寒いのかも分からず。
あやふやで申し訳ありません〜!
滑るようなことにはならないのかな…(汗)
雪道の歩き方も、自分では普段意識して歩いていないので、
ネットで探してみたり(笑)
「つま先から歩く」とか「歩幅は小さく」とか
「膝を曲げて歩く」というのが雪道にはいいらしいです。
多分、そうやって私も歩いてるんでしょうね…(笑)
折角雪国に住んでるのに、自分で分からないなんて…・なんて使えない(><)
雪のあまり降らない地方では冬靴の概念がないんですってね!
そりゃあそうか…滑らなかったら靴底なんて関係ないですもんね。
カルチャーショックです(大袈裟)
リクエストと関係ないところで、異常に糖度の高いお話になってしまったような気もします…。
那智様。
大変お待たせ致しました!
こんなデキ申し訳ありませんが、また何かありましたらリクエストしてやってくださいませ(^^)
この度はありがとうございました。
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