■ 悪いのは誰?


illustration by Licca Kimura



「いたっ」
青島が思わず漏らすと、後ろの席のすみれが振り返った。
「あーまたやってる。ほら、血が出てるわよ〜」
言われて、青島は舌で唇を舐めた。
口の中に鉄臭さが広がって、思わず眉を寄せる。
すみれが呆れた顔をした。
「唇の皮なんか剥くからよ」
「んー、だってなんか気になっちゃって」
青島は肩を竦めた。
唇が荒れてくると、つい皮を剥いてしまう癖があるのだ。
血が滲んだ唇を舐めていると、すみれに顎を掴まれてぎょっとする。
「な、何?」
「舐めても治んないわよ。仕方ないからリップクリーム塗ってあげる」
「ええ?いいよ〜」
ちょっと身を捩ったが、そんなことを気にするすみれじゃない。
青島の顎を掴んだままポケットからリップクリームを取り出した。
「いいってば」
「私の厚意が受けとれないって言うの?」
睨まれて、口ごもる。
―すみれさん、やくざみたい…。
思ったが、懸命にも声には出さなかった。
「少し口開けてて」
青島は諦めて、少し唇を開いた。
すみれが丁寧にリップクリームを塗ってくれる。
このベタつく感じが好きじゃないのだが、すみれには逆らえない。
「これで大丈……あ」
本当に思わず、と言った感じですみれが声を上げた。
青島もちょっと慌てる。
「え?あ?何?どうしたのさ?」
「……ん〜ん、何でもない」
ニコッと微笑まれたが、何でもないとはとても思えない。
青島は怪訝そうな顔ですみれを見た。
問い質そうとした瞬間に、「青島君、ちょっと」と袴田に呼ばれる。
青島は袴田とすみれを交互に見て、仕方が無いから立ち上がった。
背後ですみれがひっそりと笑っていたことに、青島は全く気が付いていなかった。




袴田のお使いで本庁に出向いた青島は、入口で顔見知りに会った。
珍しくスーツなんかを着ているから一瞬誰だか分からなかったが、青島を更に上回る長身と強面な顔は見間違いようも無い。
「お久しぶりです、草壁さ〜ん」
ニコッと微笑んだ青島に、草壁は少し引き攣った。
草壁が青島を得意としていないことは気が付いていたので青島はあまり気にしなかったが、草壁が引き攣った理由はそれだけじゃなかった。
「スーツを着ることもあるんすね」
「……常に隊服を着てるわけじゃない」
「そりゃあ、そうだ」
青島が可笑しそうに笑うと草壁があからさまに視線を逸らした。
青島は首を傾げる。
「え、と…草壁さん?」
そこまで嫌われているのだろうかと些か不安げに見上げると、草壁はちらっと青島を見てまた引き攣った。
「お、お前っ」
「はい?」
「なんかっ……今日おかしくないか?」
語尾が消えそうに小さくなっている。
青島は困惑した顔で自分の身体を見回した。
「お、おかしいですか?ええと…どこが?」
青島が思い当たる範囲では、いつもと何ら変わりがないはずだった。
落ち着かないように視線を泳がせる青島に、草壁は首を振った。
「い、いや……すまない。 忘れてくれ」
「え?あ、ちょ、草壁さーん?」
呆気に取られた青島を余所に、草壁はさっさと離れて行ってしまった。
青島はそれを呆然と見送る。
そして、首を傾げたまま歩きだした。
ぼうっとしていても仕方がない。


エレベーターを待っていると、「青島さん?」と声を掛けられる。
振り返ると、やはり青島よりも長身の大林が立っていた。
「お久しぶりです、大林さん」
草壁にした挨拶を繰り返す。
実際、草壁や大林に会うことは滅多にない。
大きな事件でもない限り会うこともないのだ。
「お久しぶりです」
律義な返事を寄越しつつ、まじまじと見つめてくるから、青島は少し顎を引いた。
自然と上目使いになる。
「あの…な、何か?」
青島がおっかなびっくり尋ねると、大林はゆっくり視線を逸らした。
「いえ……どうぞ」
待っていたエレベーターのドアが開くと、そのドアを押さえて青島を先に乗せてくれる。
青島は礼を言って、慌てて乗った。
「捜査一課で宜しいですか」
「あ、はい、ありがとうございます」
大林はその先に行くらしく、二つの階のボタンを押してくれた。
ほんの少しの間だが、会話が無いのが切ない。
青島は大林が嫌いなわけではないが、接点が少なすぎて話すことが無いのだ。
青島が降りる階になり、大林に軽く会釈をしてエレベーターを降りると、大林に呼び止められた。
「青島さん」
「はい?」
「室井管理官に会いに行くのですよね?」
「はい…?あ、ええ、そうですけど」
青島が頷くと、大林が少しホッとしたように見えたのは、気のせいだろうか。
「そうですか。では失礼致します」
頭を下げられて、青島も反射的に礼を返す。
そっと顔を上げると、既にエレベーターのドアは閉まっていた。
「???」
首を傾げたままドアを見つめ、腑に落ちないまま歩き始める。
一体何の確認だったのか。
青島にはさっぱり分からなかった。


捜査一課の前まで行くと、丁度良いのか悪いのか、一倉が中から出て来た。
青島を見た一倉は、目を丸くした。
「どうもです」
そんなに驚かせただろうかと思いながら、適当な挨拶をして軽く頭を下げる。
一倉とはそれなりに付き合いがあるから、今更折り目正しくする必要はない。
どういうわけか、一倉は少しの間青島をじっと見つめてから、ニヤリと笑った。
「室井に会いに来たのか?」
質問内容は大林のそれと大差ないが、ニュアンスが幾分違う。
青島が思わず唇を尖らすと、一倉は喉の奥で笑った。
「そういう顔すんの、止めた方がいいぞ」
「どうせガキ臭いって言うんでしょ」
何を言われるのかは大体分かっているので、尚更面白くない。
軽く唇を噛むと、意外なことに一倉は首を振った。
「色っぽいから止めた方がいいって言ってんだ」
青島は目を丸くして口をポカンと開けた。
「は…?何言って…?」
「時に、青島」
「は、はい?」
「唇に、なんか塗ってないか?」
いきなりの話題変更にも驚くが、一倉の指摘にも驚く。
「唇切れちゃってるからって、すみれさんがリップクリームを塗ってくれましたけど…」
「なるほど、な」
「何で一目で分かるんです?」
思わずといった態で唇を舐める。
軽く目を見張った一倉は、やがて堪え切れないといったふうに笑い出した。
何が何だか分からない青島は目を白黒させる。
「一倉さん??」
「…本当に飽きないなぁ、お前」
「はぁ?」
「待ってろ、今、室井も出てくるから」
どうやら一緒に外出する予定があるらしい。
一倉の言葉通り、大して待つこともなく捜査一課のドアが開いた。
出て来た室井は青島を見て少し驚いた顔をした。
一倉が室井に近づいて、肩を叩く。
「歩くフェロモンがお前に用事だとさ」
「…何?」
室井が眉間に皺を寄せ、一倉を睨み青島を見た。
そしてハッとしたらしく、目を剥いた。
一倉は笑いながら室井の肩をもう一度叩く。
そしてぐっと耳元に近づいて囁いた。
「誰かに奪われる前に何とかした方がいいと思うぞ」
室井は眉間に力を込めると、ツカツカと青島に歩み寄る。
明らかに怒っているような室井に、青島も焦る。
「む、室井さん?」
「…ちょっと来い」
ガシッと腕を掴まれて、引きずるように引っ張られる。
ニヤニヤと笑う一倉に見送られながら連れて行かれたのは、空いている会議室だった。
「ちょっと室井さぁん。何ですか一体…」
混乱したまま尋ねるが、室井に睨まれ口を噤む。
青島の質問に答える変わりに、室井はいきなり手の甲で青島の唇を拭った。
「…っ!」
痛みが走って、青島は慌てて身を引いた。
「ってぇ…何すんですかっ……て、え?」
怒鳴り掛けた青島は室井が翳してみせた手の甲に注目して言葉を飲んだ。
ピンク色の塗料が淡く発色している。
青島は指先で恐る恐る自分の唇に触れた。
ベタつく感触。
「あ?…マジで?」
指先についたピンク色を眺めながら、青島は呆然と呟いた。
正体は当然すみれが塗ってくれたリップクリームである。
青島には知る由もないが、無色のリップクリームでも塗ると発色するものもあるのだ。
すみれはそれを忘れていて青島の唇に塗り、青島の色付いた唇を見て思い出したのだが悪戯心が勝ってしまったらしく、青島に教えてはくれなかった。
結局青島は色付いた唇のまま、のこのこ本庁までやってきてしまったというわけだ。
青島は赤くなるやら青くなるやらだ。
「うわぁ…俺、この面でここまで来ちゃったよ…」
おまけに草壁や大林にも会っている。
―おかしな趣味でもあると思われてたらどうしょう…。
「……それ、どうしたんだ?」
室井がいくらか強張った声で聞いてくる。
青島は慌てて室井に説明した。
室井にまで誤解されては生きていけない。
説明し終えると、室井は呆れたように溜息をつく。
「恩田刑事にも困ったもんだな」
青島は室井が怒るのも当然だと思い、慌てて謝罪した。
「すみません、こんなみっともない姿で来ちゃって…」
警察官らしからぬ恰好で現れたから、怒っているのだと思ったのだ。
大分的が外れている。
室井は苛立ったように首を振った。
「じゃなくてっ」
「はい?」
「だからっ」
「はい」
きょとんとした顔で室井の言葉を待っていた青島に、室井は何かを言おうとして、躊躇って、結局諦めた。
「……もういい」
深い溜息とともに吐き出されて、青島は困った顔で室井を見つめた。
―呆れられちゃったかな…。
不安そうな青島の顔を見て、室井は少し表情を緩めた。
そして青島に手を伸ばしてくる。
そっと、指先で唇に触れてきた。
「唇、切れてたんだな…すまない」
優しく指先で撫でられて、青島は薄っすらと頬を染めた。
どうにも照れ臭い。
「大丈夫ですよ」
「でも痛かっただろう。血が滲んでる」
「大したこと……」
言いかけて、言葉を飲み込む。
室井が近づいてきたからだ。
じっと目を見つめられて、青島は慌てて瞼を閉じた。
ゆっくりと唇を重ねられる。
少し痛かったが、それよりはるかに気持ちが良い。
室井の舌が青島の切れた唇をなぞる。
青島はくすぐったさに身体を震わせた。
「ふ…室井さん…」
「…ん?」
「舐めても、治りませんよ…」
クスクス笑いながら唇を触れ合わせる。
目を開けると、至近距離で室井が微笑していた。
青島は室井の背中を抱いた。
その途端、いきなりノックの音が響いて、二人とも慌てて離れる。
「お楽しみのところ申し訳ないが、時間だぞ室井」
台詞ほど申し訳なさそうじゃない声は一倉だ。
やはり室井と一緒に出かける予定があったらしい。
室井は思わずといった感じでドアを睨んでいたが、一倉に文句を言うのもお門違いと思ったのか、すぐに力を抜いた。
「すぐ行く」
ドアに向かって声を掛けて、青島を振り返った。
青島は慌てて鞄から書類を取り出す。
「これ、袴田課長からです」
「ありがとう」
受け取っ中身を確認すると、室井はそれを鞄にしまった。
色々あったが、お使いは無事に終了したらしい。
「……気をつけて帰れよ」
それはもう様々なことに気をつけてくれと言っているのだが、相変わらず鈍い青島は一つも気付かない。
言葉通りに受け取って、朗らかに手を振った。
「はいっ、室井さんも気をつけて〜」
室井は苦笑して、踵を返した。
行きかけて振り返る。
「恩田刑事にも、気をつけろよ」
これだけは正確に伝わったので、青島は真顔で頷いた。
「胆に命じておきます」


後日、室井に叱られたすみれに、何故か青島がランチをご馳走するはめになる。










END


2005.6.1

あとがき


脱力系…(笑)
一応、「悪いのはどっち?」と同系列のお話かなぁと思いまして、
そんなタイトルです。
青島君アイドル系のお話ですね(大笑)

今回は草壁さんと大林さんにも参戦して頂きました。
何かが違うことは分かったけど、何が違うの分からず動揺した草壁さんと。
指摘して良いものかどうか迷って、結局室井さんに任せようと思ったのが大林さん。
大林さんは「室井管理官に会いに行くなら、危険はないだろう」くらいに思ってそうです。
保護者か(笑)

書きたかったのは、室井さんが青島君の唇を手の甲で拭うところでした。
そのためだけに、この長さ(苦笑)

お目汚しで、申し訳ないです!


ちなみに青島君の癖は私の癖です〜(^^;
絶対痛いって分かってるのに、やっちゃうんだよなぁ・・・



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