■ 幸せの形


side M


玄関のドアを開けて、室井は表情を緩めた。
冷え切った部屋ではなく、温かく明るい部屋に帰ってくるのは、やはり心地の良いものだった。
ドアが開く音でも聞こえたのか、青島がリビングから顔を出した。
赤い無地のエプロンを付けている。
「おかえりなさい」
満面の笑みで出迎えられて、室井も微笑みを返した。
「ただいま」
一緒に暮らし始めてから挨拶が、「お疲れ様」から「おかえりただいま」にいつの間にか変わっていた。
そんな当たり前の小さなことが、室井には嬉しい。
「ちょっと早く帰れたんで、飯作ってました」
味噌汁の匂いは、室井にも感じられた。
二人とも食事は不規則なので、できる方ができる時に作るということになっている。
お互いに無理はしないと、最初に約束していた。
「焼き魚とサラダだけですけどね」
「ありがとう」
青島は嬉しそうに笑って首を振ると、魚を焼いてきますねと言って台所に戻って行った。
室井も普段着に着替えてから、台所に顔を出す。
「手伝おうか?」
「何もすること無いです…あ、いや、魚の焼き加減見てもらえます?」
焼けているのかいないのか、分からないらしい。
苦笑して、室井は頷いた。
「本当は煮物くらいと思ったんですけどね、そこまで手が回りませんでした」
冷蔵庫からビールを出したり、皿を並べたりしながら青島は零した。
一緒に暮らすまでそれほど料理のしていなかった青島だから、手際が良くないのだろう。
室井は魚をひっくり返しながら、首を振る。
「充分だ」
「ならいいんですけどね。…ああ、塩辛あったな」
青島が冷蔵庫を漁りながら呟く。
室井も青島も酒好きなので、酒のつまみならいつも冷蔵庫に常備してあるのだ。
焼けた魚を持ってリビングに行くと、青島がグラスにビールを注いで待っていてくれた。
「んじゃ、食いますか」
「頂きます」


一緒に暮らし始めて、明らかに一緒に過ごす時間が増えた。
仕事柄擦れ違うことはもちろんある。
だけど、大抵は同じベッドで眠るのだ。
それは大きな違いだった。
「室井さん?どうかしました?」
少し物思いに耽っていた室井に、グラスを置いた青島が心配そうな顔をする。
「もしかして、疲れてます?」
自分を心配してくれる存在が素直に嬉しい。
「いや、結婚して良かったなと思っただけだ」
青島が目を剥いたから、室井は苦笑した。
結婚したと言っても、それは室井と青島の気持ちの上でというだけのことで、実際は何が変わったわけではない。
ただ一緒に暮らしているだけ。
それでも室井にとっては―恐らく青島にとっても、充分意味のあることだった。
「もっと早くに、プロポーズするんだったな」
素直に思ったことを口にすると、青島は照れ臭そうに微笑んだ。
「なんすか、急に」
「…今まで以上に、家の居心地が良く感じるんだ」
君のお陰だなと言うと、さすがに赤面した。
「今更、口説かないでくださいよ」
言われて見れば確かに自分の配偶者を口説いているようで可笑しかった。
それでも。
「本当に、そう思うんだ」
テーブルの上に置かれていた青島の手にそっと触れる。
「傍にいてくれて、ありがとう」
―本当に今更なことだけど、青島は何年も前からずっと傍にいてくれたけど。
―心から感謝しているから。
少し力を込めて青島の手を握ると、青島が嬉しそうな恥ずかしそうな、複雑な表情を浮かべた。
「あーうーええと…」
意味の成さない言葉を繰り返して、青島は頭を掻いた。
「室井さん」
「ん?」
「そっちに行っても?」
そっちとは室井の隣に、ということだ。
室井は当然のように、笑って頷いた。


side A


帰宅が深夜になってしまった青島は、室井を起こさないようにそっとドアを開けた。
もう何時間かしたら起きなければならないような時刻なので、室井の睡眠の邪魔はしたくない。
電気をつけてリビングに入ると、スーツを脱いでネクタイを引き抜いた。
ふとテーブルの上に、おにぎりが置いてあるのが目に入る。
室井が青島のために用意してくれておいたのだろう。
感謝しながら手を伸ばすと、置き手紙があることに気がついた。
『お疲れ様。食えたら食べてくれ。無理はしなくていいから。残ったら明日の朝一緒に食べよう』
青島は思わず一人微笑む。
室井の優しさに嬉しくなった。
胃が訴えるに任せて一つだけ頂くと、後はお言葉に甘えて残した。
明日の朝、室井と一緒に食べればいい。
風呂も明日の朝に入ることにして、さっさとパジャマに着替えて就寝の準備をすると、静かに寝室へ向かった。
廊下の電気を消してそっとドアを開けると、当然大きなベッドに室井が一人で眠っている。
いつもの癖か右側に寄っていて、ちゃんと青島の場所を開けてくれていた。
起こさないようにベッドに潜り込み、密かに寄り添う。
と、室井の手が青島の肩に掛かり抱き寄せられた。
「遅かったな…」
室井の胸に抱き込まれて、青島は驚いた。
「す、すいません。起こしちゃいました?」
室井は青島と違って眠りは浅い方だ。
たがら気をつけたつもりだったが、意味は無かったようだ。
「気にしないでいい…」
室井の唇が額に押し付けられた。
ちらりと見上げると、室井は目をつぶったままだった。
半分寝ながら、青島を抱きしめているのだ。
青島は忍び笑いを漏らしながら、室井の背を抱き返した。
「…怪我、して来なかったか?」
青島は吹き出しそうになるのを堪える。
心配してくれているのだから笑えないが、青島は遊んで帰って来た子供にでもなった気分だった。
「大丈夫っすよ」
「そうか…なら良かった」
安心したように呟いて、背中を撫ぜられる。
疲れた心と身体には心地よすぎて、すぐにでも眠れそうだった。
「おにぎり、ありがとうございました」
「いや…余計なお世話かとも思ったんだが…」
「そんなこと。…美味かったです」
「ん…」
青島は少しだけ伸び上がって、室井の唇を掠め取った。
「おやすみなさい、室井さん」
ぎゅっと抱きしめられた。
「青島…」
「はい?」
「おかえり」
間を置かずして、青島の耳に室井の寝息が届く。
もう眠ってしまったらしい。
―こんなに幸せでいいのかな。
一瞬だけ、思った。
見上げた室井の寝顔があまりにも穏やかだったから、幸せなのが自分だけじゃないと知れた。
だからこれでいいのだと、青島は素直に思った。
「…ただいま」
青島は目を閉じた。










END

2005.4.18

あとがき


副題は「新婚さんいらっしゃい」です(笑)
幸せらしいです。
無駄にラブラブなのは、新婚さんだからです。
既婚者の皆様、「新婚でもこんなことはしないよ」と思われても
心の中にひっそりと収めておいてやってくださいませ…(^^;

だんだんと「決意」の面影がなくなっていく、室青結婚話(苦笑)
まあ、ただただ同棲しているだけなんですけどね。
二人が幸せなら、それでいいかなぁと思います。



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