■ 決意


室井が見合いをしたという話を聞いた時、青島はとうとうきたかと思った。
恋人が結婚するかもしれないというのに、青島にとってそれは当然のことだった。
だから、家まで押しかけて室井に言った。


「おめでとうございます」
「…何がだ」
室井はそう尋ねたが、青島が何に対して祝いの言葉を言ったのか分かっているはずだ。
眉間に深いシワが刻まれている。
青島は微笑を浮かべた。
「結婚に決まってるでしょ。室井さんの」
室井の表情が更に厳しくなる。
「見合いの話を聞いたんだな?」
「ええ、だからおめでとうって言ったんです」
「見合いは断る」
きっぱり言った室井に青島は首を緩く振った。
「そんな勿体ないことしないでください」
「勿体ない…?」
「刑事局長の紹介なんでしょ?」
今までにも見合いの話はいっぱいあった。
でも室井はずっと断り続けていた。
青島がいたからだ。
でも、今回は断らずに見合いをした。
「…君は俺が出世に目が眩んで見合いをしたと思っているのか?」
必死に抑えた室井の声に、彼の怒りが感じられる。
青島はあくまでも穏やかに答えた。
「今までは断っていたのに今回は受けた。それを俺に話してもくれなかった」
青島はこの話を噂好きの真下から聞いた。
室井からは知らされなかったのだ。
ショックじゃなかったといえば嘘になるが、本当はそんなことどうでも良かった。
「それは…確かに俺の落ち度だ。どうせ断る見合いだから、君の耳に入れる必要は無いと思ったんだ」
「そうですか。でも折角じゃないですか。こんな良い話、他にありませんよ」
「青島!」
たまり兼ねたように室井が声をあげる。
そして青島を見つめると、辛そうに吐き出した。
「俺と別れたいのか?」
「それに頷いたら、室井さんは結婚するんですか?」
「しないと言ってる!」
「じゃあ、何で見合いしたんですか?」
断れなかったから。
理由はただそれだけだろう。
そして刑事局長からの頼みであれば断れないことくらい、青島にも分かっている。
青島は我が儘を言って室井を困らせたかったわけではない。
ただ、室井にこのまま結婚して欲しかっただけだった。
言い訳をするのが得意ではない室井が言葉を飲み込んでいるうちに、青島は続けた。
「これはいい機会だと思うんです」
「…何?」
「俺達は部下と上司に戻った方がいい」
「青島!」
「何も室井さんが見合いをしたから言ってるわけじゃない。切欠にはなったけど、もうずっと考えてました」
「ずっと…?」
室井の顔が苦痛に歪む。
「君は俺と別れたかったのか?」

違う。
違うが違うとは言えない。
言ったら室井と別れられない。

「そうです」
「俺の見合いをいい機会に別れたいということか?」
「…そうです」
頑なに頷いた青島を室井は真っ直ぐに見つめた。
青島も目を逸らしたりせずに真っ直ぐ見返す。
室井をこんなふうに見つめるのはこれが最後かもしれない。
そんなことを考えながら。
「分かった」
室井がそう言うのを目の前で聞きながら、どこか遠くで聞いているような気がした。
「後日連絡して、君の家にある荷物を取りに行く」
「あ…いえ。宅急便で送りますよ。」
「いや、自宅にいないことの方が多いから」
言われてそれもそうだと思って、青島は頷いた。
「それじゃあ」
「ああ」
青島は室井の家を出て、ほうっと溜息をついた。
別れる時がこんなにあっさりしたものだとは、思いもしなかった。
拍子抜けしたくらいだ。
室井に泣いて縋って欲しかったわけではないが、もう少し揉めるかとは思っていた。
―室井さんの方がいい機会だと思ったのかもしれない。
青島は自嘲した。
そんなことを思うほど、室井を信じられなくなっていたのだろうか。
どちらにしても、もう限界だった。
室井を好きになればなるほど、いつか必ず訪れる別れが怖くて溜まらなかった。
二人で過ごす時間が幸せであればあるほど、それが失われるのが怖かった。
室井はいつか誰かと結婚するだろう。
またしなければならないはずだ。
室井が自分を好きだと言ってくれるその気持ちは信じられたのに、二人一緒の未来があるとは到底思えなかった。
別れたかったわけではない。
だが、いつ来るか分からない別れに怯えているくらいなら、早く別れてしまいたかった。
今日になって、室井が見合いをした話を聞いて、やっと言えた。
心底ホッとした。
もうこれで室井との別れに怯えることはない。
室井を失うことを恐れることはない。
これで楽になれたはずだった。
なのに涙が止まらないのは何故だろう。
青島は立ち止まり頬を拭った。


涙のわけはハッキリしている。
後悔しているのだ。
―言わなければ良かった。
不安でも怖くても。
室井と一緒にいられれば。
それだけで良かったのに。
別れを切り出した気持ちと激しく矛盾するが、それが青島の本音だったのだ。
室井と別れて、はっきりと分かった。
青島は室井が「嫌だ」と言ってくれることを期待していたのだ。
それで確認したかったのかもしれない。
この人は自分のものだと。
室井が今も自分を好きでいてくれると。
今更気付いてももう遅い。
室井は了承してしまった。
別れることを。
青島は今来た道を振り返る。
もう室井の家は見えない。
もう、戻れない。


確かにこの先室井を失うことを不安に思うことは二度とない。
だが、今のこの痛みはどうしたらよいのか。
どうしたら耐えられるのか。
青島には分からなかった。





***





『今日の夜、荷物を取りに行ってもいいか?』
別れ話をして3日後、室井から連絡があって、青島は了承した。
これが室井からの最後の電話になるだろう。
そして、個人的に顔を合わせるのは今夜が最後になる。
別れを切り出したのは青島の方だったというのに、全く気持ちの整理ができていないのは青島の方だった。
落ち着かずに室井を待ち、インターホンが鳴ると手にしていた煙草を取り落とす始末だ。
カーペットに焦げ跡を作ってしまったが、そんなことは気にならない。
―後悔していることだけは、顔に出さないようにしなくちゃ…。
やや緊張した面持ちでドアを開けると、やっぱり緊張した顔の室井が立っていた。
「こんばんは…どうぞ」
とりあえず上がってもらって、室井の持ち物を確認してもらわないといけなかった。
室井との交際は7年近くになる。
その間、青島の家にやってきた室井の荷物は増え続けて、どれが室井のものでどれが青島のものだか、判別がつかなくなっているのだ。
そんな事実も、今の青島にとっては痛いだけだった。
中に促そうとした青島の手を、室井が突然掴んだ。
驚いて身体を硬くする青島に、室井は一言だけ言った。
「少し、付き合ってくれ」


外に待たせてあったらしいタクシーに乗せられて、向かった先は青島の知らないマンションだった。
真新しい外壁を見る限り、新築のようだった。
「室井さん?何ですか、一体…」
室井に連れ出されてから、何度も同じ質問を繰り返している。
「いいから、ついて来てくれ」
そして、返ってくる答えも一緒。
ついて行くも何も、腕はずっと室井に掴まれっぱなしである。
タクシーの中でもずっと。
室井との別れを後悔している青島に、その手を振り解くことなど出来なかった。
訳が分からないまま、室井について行く。
室井はそのままマンションに入っていった。
やはり新築らしく、新しい建物の匂いがする。
「…誰かに会いにいくんですか?」
返事はない。
仕方なく黙って室井について、エレベーターに乗る。
最上階の7階で降りると、一室の前で室井が鍵を出した。
青島はぎょっとする。
「む、室井さん、引っ越したんですか!?」
やっぱり返事が無い。
まさかと思って青島は青褪める。
―まさか、新居とかじゃ…。
落ち着いて考えれば見合いをしただけで、まだ結婚も決まっていないのに新居が決まっているわけがないのだが、青島は一瞬本気でゾッとした。
「入ってくれ」
室井に促されて、青島は進まない足を何とか進めて部屋に上がった。
廊下を進んでリビングに出ると、室井が電気を付けたので部屋の中が明るくなった。
室内には何もない。
まだ誰も住んでいないのだろう。
「…何ですか、一体…ここは?」
青島が落ち着かずに視線をさ迷わせると、室井が真面目な顔で何かを差し出した。
それを見て、青島は絶句する。
室井の手の中には、二つの指輪。
両方とも大きさから、男物だと分かる。
「俺たちは男同士だから」
室井が一つの指輪を手にとって青島の手を掴んだ。
青島の身体が小さく跳ねる。
衝撃から立ち直れず、未だに声が出ない。
「婚姻届が出せるわけじゃない」
室井は青島の手の平に指輪を乗せた。
「でも、ずっと一緒にいることは出来る」
青島に指輪を握らせて、その上から室井が手を重ねてきた。
そして、真っ直ぐ見つめられる。
「結婚しよう」
青島に出来たことは、唇を振るわせることだけ。
やっぱり声がでない。
答えのない青島に、室井は一人で喋り始めた。
「養子縁組するという手もあるらしいんだが、それをするには時間が足りなかった」
とんでもないことを言い出す室井に、青島はただただ呆然とするだけ。
「この部屋を借りて指輪を用意するだけで精一杯だった。ああ、指輪は多分サイズが合ってないから、後で直しに行こう」
室井は青島を見て、微笑した。
そして、握っていた青島の手に力を込める。
「青島」
空いた手で、青島の頬を撫ぜてくれる。
それでも涙が止まらない。
青島は無言で涙を流し続けていた。
「君が不安に思ってることは知っていた。……俺も不安だったしな」
苦笑して頬を撫ぜてくれる。
室井を好きな青島が不安で仕方が無かったように、青島を好きだった室井が不安じゃないはずが無かったのだ。
青島は、今更それに気が付いた。
「俺たちのどちらかが女性だったら、さっさと結婚して君を自分のものにしてしまえたんだがな。男同士ではそれも難しい。俺たちの不安は多分ずっと消えないんだと思う」
結婚という形で結ばれれば、永遠を望める。
例えそれが難しいことで別れる可能性があるとしても、少なくても希望が持てる。
男同士ではそれすら出来ない。
だから室井は結婚に近い形を、少しでも二人が安心できる環境を作ろうとしてくれたのだ。
青島は別れるということで逃げ出そうとしたのに、室井は逃げずに一緒にいられる未来を作ろうとしてくれたのだ。
「だけど、一緒にいることは出来る。俺が君を好きで、君が俺を好きなら」
口で言うよりずっと難しいこと。
だけど、室井だってそれを承知で言ってくれているのだ。
承知の上で、青島を迎えに来てくれたのだ。
「青島…何か言ってくれ」
一人で喋って照れくさくなったのか、室井が困ったように青島を見てくる。
青島はどうしても震えてしまう声を抑えるのに苦労しながら、小さく言った。
「…室井さん、困ったことになる…きっと」
「構わない。覚悟はしている。それより君がいない方がずっと困る」
「そんなこと」
「ちょっとくらいの遠回りは今更だ。約束は必ず果たす」
「…ちょっと、どころじゃない」
「俺は諦めが悪いんだ。君と一緒で」
「ひでぇ…」
青島は相変わらず泣き顔だったが、やっと小さな笑みを浮かべた。
それを見て、室井も微笑する。
「青島、返事くれないのか?」
「…室井さんの人生、変わっちゃう」
「それこそ今更だ。大体変わるのは俺の人生だけじゃないだろう。君も一緒だ」
「……そっか」
「二人で一緒なら、悪くないだろう?」
青島は室井の首に腕を回した。
室井も当然のように抱き返してくれる。
「ごめん…室井さん」
「!」
耳元で謝ると、それがプロポーズの返事だと思ったらしく室井の身体が硬直した。
ただ夢中で室井にしがみ付いていた青島は、その誤解には気付かなかった。
「別れるなんて言って、ごめん…」
「青島…」
「こんな、好きなのに…ごめ…」
後は上手く声にならない謝罪に、室井はキツク青島を抱きしめてくれる。
「君が別れると言って俺が頷いた時、君がどんな顔をしていたか知ってるか?」
「……ぇ」
ちゃんと俺を好きだって顔に書いてあった。
そう言って室井が笑うから、青島は室井にしがみ付いたまままた泣いた。





青島は眩しさに目を覚ました。
瞼が異常に重い。
あれだけ泣いたのだから、当然だ。
今まで生きてきた分くらいの涙は流したのではないかと思う。
青島が何とか目を開けると、目の前には室井の顔があった。
裸で抱き合ったまま床の上で眠っていたらしい。
二人の脱いだ服が適当にかけてあったから、恐らく室井がかけてくれたのだろう。
青島は首を伸ばして室井の眉間に唇を落とすと、身体を起こした。
今更ながら、カーテンもないこの部屋で、よくあんなことをしたものだ。
軽く赤面しつつ、半身を起こしたままの体勢で、窓の外を見た。
眩しいはずである。
カーテンがない挙句、外は快晴である。
「…二人とも遅刻だな、これは」
それも今日はいいだろうと、青島は思う。
袴田課長に怒鳴られるな…と思いつつ、酷く幸せだった。
室井に視線を落とすと、窓から差し込む光を浴びながら、気持ち良さそうに眠っていた。
思わず手を伸ばして髪を梳く。
逃げ出したくなることは、この先もあるだろう。
問題は山積みだ。
その度にまた不安になるかもしれない。
でも、大丈夫だと青島は思う。
「…アンタと一緒なら…」


青島は小さく笑って、室井が起きるまでずっと髪を梳いていた。










END

2004.11.23

あとがき


「サウダージをイメージした話」のつもりです。
ぜ、前半部は…。ていうか、前半部すら怪しい;
申し訳ないです(><)

無駄に長くて、無駄にくどくてすみません。
副題は「嫁に来ないか」です。
もう、「サウダージどこ行った!」って感じです。
重ね重ね申し訳ありませんっ!



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