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「あ、おはよ。青島君」
刑事課に姿を現した青島を見て、すみれが挨拶をしてくる。
が、青島はちょっと笑って片手をあげて挨拶を返しただけだった。
礼儀正しいとは言えないが、いつも挨拶はちゃんとする青島にしては珍しい。
不審に思ったのか、自分の机に腰を掛けた青島にすみれが近づいてくる。
青島は口を開きかけて困った顔をする。
それから、腰を屈めてすみれに顔を近づけた。
「……こえでない」
掠れているというよりほとんど息だけで音を出した青島に、すみれは目を丸くした。
「…珍しい。風邪引いたのぉ?」
その声に和久まで寄ってくる。
「何?青島がか?そんなはずないのになぁ」
「ねぇ。馬鹿は風邪引かないって言うのにねぇ」
「夏でもないのになぁ」
「ねぇ。夏風邪は馬鹿が引くって言うのにねぇ」
失礼極まりない和久とすみれの会話に突っ込みを入れる気力も無い青島は、咳き込みつつ言われるがままになっている。
起きてから何度か声を出そうと試してみたが、息を吐くだけでも喉が痛いし咳も出るのだ。
出来る限り喋りたくない。
咳が治まって荒い呼吸を繰り返す青島がさすがに不憫になったのか、和久もすみれも軽口を叩くのを止めた。
「熱はないの?」
たぶん、と思いながら青島は頷く。
測っていないから分からないというのが正しい解答だが、声に出すのも面倒くさい。
「今日は大人しくしてるんだな」
和久らしい気遣いの言葉に、青島は再度頷いた。
他に意思表示の方法がないのだ。
今日はジェスチャーで会話することになりそうだと思ってうんざりしていると、辺りが少々賑やかになる。
「あ、室井さん」
すみれの声に振り返ると、刑事課の入り口に本店の刑事らしい人間を一人だけ連れた室井が立っていた。
室井と視線が合うと、ちょっと笑って頭を下げる。
室井も青島の態度に違和感を感じたらしく、礼を返しながら怪訝そうな表情を見せた。
いつもなら姿を見かければ嬉しそうに話しかけてくるから、室井が違和感を感じるのも無理は無い。
傍に行って風邪を引いたと言うべきかな、と青島が思案しているうちに袴田課長に先を越される。
「これはこれは、室井管理官!」
「…どうも」
室井はちらりと青島を見やってから、袴田に視線を移した。
こうなっては、しばらく室井は解放されない。
青島は苦笑した。
―後で話せたら言い訳しとこ。
そう思ったが、その必要は無くなった。
突然青島が盛大に咳き込んだからだ。
「げほっ」
「ちょっと、大丈夫〜?」
すみれが心配そうに青島の背中を擦ってくれる。
そのすみれの肩越しに驚いた室井と視線があった。
まさか室井まで青島が風邪を引くなんて有り得ないと思ったわけじゃないだろうなぁとぼうっとする頭で考えていると、室井の表情が見る見る険しくなったのでそうじゃなさそうだと思い直した。
心配してくれているらしい。
咳は落ち着いたが、くらくらとする頭でそんなのん気なことを考えていた。
「青島君?」
「…へーき。といれ」
心配そうなすみれに片手でお礼を言って、手でドアの方を指差してトイレに言ってくると伝える。
青島はドアに向かって歩き出したが、少し歩いて「ガンッ」という音に気付き足を止めた。
いや、その一瞬後の衝撃に足が止まったというのが正しい。
「〜〜〜〜!!!???」
額を押さえて蹲る。
ガラス戸に額を思いっきりぶつけたのだ。
ぼうっとするあまり、全く前を見ていなかったのだ。
「ちょっと!青島君!」
しゃがみこんだ青島にすみれが駆け寄って来る。
「何してんのよ、もう〜」
青島の向かいに同じくしゃがみ込んだすみれが、青島の顔を上げさせる。
涙目だ。
額も赤くなっている。
「………いたい」
「当たり前でしょぉ」
そう言いつつも心配そうに、そっと青島の額の様子を見てくれる。
華奢な手のひらが額に触れると、青島は随分すみれの手が冷たいことに気が付いた。
すみれは青島の額に触れたまま、目を見開いた。
「…青島君、熱い」
はい?と返事をしたつもりが、相変わらず青島の口から出るのは空気ばかり。
「もう、熱あるんじゃないのよ!」
しゃがみこんで向かいあったまますみれに怒られ、青島も驚く。
―そうか、熱があったのか…。
などとのん気に思う辺り、熱で頭が働いていない証拠だ。
「青島君、早退決定」
すみれがそう断言した途端、青島の右腕が引かれ強引に立たされる。
「!」
「送ってやる」
室井だった。
腕をとられたまま呆然とする青島には構わずに、さっさと袴田の許可を取る。
管理官には余程の事が無い限り逆らわない袴田は、至極あっさり青島の早退許可を出した。
「しかし、管理官が送らずとも…」
「本庁の車で来ています。ついでに乗せて行きます」
それだけ言うと、今だ呆然としたままの青島を引っ張って刑事課を出て行く。
室井が連れの刑事に車を回すように指示を出しているのを聞いて、やっと青島は思考が戻ってきた。
「むろいさん」
「全く…、何をしてるんだ君は」
玄関に向かって歩きながら、室井が呆れたように呟いた。
熱があることくらい自分で気づけと言われて、青島は苦笑する。
言い方がどうであれ、心配してくれていることが青島には良く分かっている。
そうでなければ、わざわざ室井が送る必要などどこにもないのだ。
ぶつぶつ言う室井のお小言も、青島には嬉しかったりする。
「むろいさん、しごとは?」
「無理に喋るな。…署長に用事があったんだが、不在だった。急に来たからな、後で連絡してまた来る」
近くまで来たからついでに用事を済まそうとしたのだという。
結果、病気の青島を発見し仕事を増やしてしまったのだ。
室井は眉間に皺を寄せて青島を軽く見上げた。
「酷い声だな…大丈夫か?」
返事をしようと口を開いた青島を片手で止める。
「すまない。返事はしなくていい。喋るなと言ったのは俺だったな」
青島は笑顔で首を左右に振る。
室井の気遣いが嬉しかったから、そのまま声を出すのを止めて黙って笑った。


自宅まで車で送ってもらい、室井が玄関先まで送ってくれる。
青島は過保護だと思って何だか可笑しかったが、声に出さずに好意に甘えた。
「帰りにまた来るから、ちゃんと寝てるんだぞ」
玄関で釘を刺す室井に、青島は笑って頷く。
忙しい室井の時間を割いてもらって申し訳なく思うが、やはり病気の時に恋人が傍にいてくれるのは嬉しい。
また来てくれるという申し訳なくも有難い室井の申し出を、青島は断れなかった。
青島が同意したのを見届けると、室井は「また後で」と言って玄関を出ようとする。
その腕を、青島は思わず掴んだ。
何事かと振り返った室井の耳元に唇を寄せた。
ちょっと間を空けて、青島は小さな声を出す。
「ありがとう」
吐息だけの礼に、室井は固まる。
青島は微笑んで室井の腕を離したが、室井が眉間に皺を寄せているのを見て首を捻る。
―お礼を言っただけなんだけどな。
そう思っていると、室井は溜息をついて苦笑した。
「いや……どういたしました」
片手で挨拶をして、今度こそ室井は出て行った。
青島はなんだったんだろうと思いつつも、身体はキツイし室井と約束もしたのでさっさと着替えてベッドに沈む。
そんな青島は気付いていない。
耳元で声にならない吐息で喋られては、誘われているようにしか思えない。
などと室井が思っていたことは。





額の冷たい感触で、青島は目を覚ました。
瞼を開けると見慣れた薄暗い部屋が視界に入る。
「青島?」
起きたのかと、室井が顔を覗き込んでくる。
室井の名前を呼ぼうと口を開いて、相変わらず声が出ない事に気付き、青島は苦笑した。
「無理するな」
そっと前髪をかきあげてくれる室井の手を、優しい手だなぁとぼんやり思う。
「丁度良かった、起そうと思ってたんだ。お粥を作った。食欲はないだろうが薬が飲めないから、少しでもいいから食べてくれ」
青島は首を縦に振って身体を起す。
室井さんの作ったものだったらいくらでも食べます、くらいの軽口を叩きたかったのだが、如何せん声が出ない。
大人しい青島に室井は苦笑して、皿を差し出す。
「…食わせてやろうか?」
言った室井の目を見ると笑っているから、冗談なのだろう。
青島もつられて笑う。
スプーンも受け取って両手で挟み合唱すると、心の中で「いただきます」と言ってお粥を口に運んだ。
「………うまい」
実際のところ、味覚なんてあったものじゃないから何の味もしないのだが、室井が作ったものと思えばそれだけで美味かった。
それは室井も承知なのだろう、苦笑して頷く。
「そっか、なら良かった。…無理に全部食べるなよ」
「はい」
ゆっくり噛んで飲み込む。
それでも3分の2くらいをたいらげて、青島は礼を言って室井に皿を返した。
仕事帰りに買って来てくれたらしい薬を渡される。
飲み込んでから、青島は幸せだなぁと何となく思った。
忙しくて滅多に会えない恋人が傍にいてくれる。
室井には申し訳ないが、少しだけ風邪を引いたことに感謝した。
「……おぼえなきゃ」
「うん?何を?」
青島は室井を見上げて笑う。
「おかゆ、むろいさんのために」
室井は目を丸くした。
室井が風邪を引いた時のために、その時は自分が看病できるように、お粥くらい作れるようにならないと。
そう言いたかったのだ。
室井は微笑むと青島を再びベッドに寝かせて掛け布団を首までかけてやる。
そして、軽く青島の額に唇を落とす。
「…早く治せ」
視線を上げて室井と合わせると、もう一度落とされる。
「君の声がないと寂しい」
青島は声を出さずに笑った。










END


2004.2.28

あとがき

いつもお世話になっている宗助さまにリクエストをしていただきました!
「風邪でぶっ倒れた青島君を面倒見る室井さん」というリクエストだったのですが…。
す、すいません。あまり看病してません、室井さん(汗)
宗助さま!こんな駄文で申し訳ありません!!
お暇つぶしにでもなれば幸いです…。



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