存在の証明


「青島…」
そっと呼ぶ声に、青島は目を覚ました。
意識を飛ばしていたのはほんの数秒のようで、身体はまだ熱かった。
覆い被さったままの室井が、見下ろしていた。
「すまない、大丈夫か」
大丈夫じゃないよこのやろうと怒鳴りつけてやりたかったが、青島は何とか言葉を飲み込んだ。
実際、もう無理だ止めてくれと室井の胸を叩いて、抗った腕を掴まれ押さえ付けられて強引に押し入られた時には、終わったら絶対殴ると心に誓っていたが、最早そんな元気はない。
元気があっても、こんな室井は殴れなかっただろう。
青島を見下ろす室井は、今にも死にそうな顔をしていた。
むしろついさっきまで死にそうだったのはこっちの方なのにと腹が立つが、その文句の言葉も口から出さなかった。
今夜は、会った時から室井の様子がおかしかった。
約束通りの時間に青島の部屋に現れたが、酷く顔色が悪く眉間の皺も深かった。
その顔を見れば、仕事で何かあったのだろうと容易に想像はついたが、だからといって室井に尋ねてみても「何でもない」と答えるばかりだ。
愚痴を簡単に零せる人ではない。
重役についている室井だから、話したくても話せないこともあるだろう。
問い詰めるような真似をして、室井を更に苦しめることだけはしなかった。
室井は憂鬱そうではあったものの、酒が過ぎるまでは比較的平常心を保っていた。
きっと意識して保とうとしていたのだ。
青島に気遣わせないため、心配をかけさせないためだ。
その姿が痛々しく悲しくて、いっそ酔わせて潰してしまえと思ったのは青島だ。
それで室井が苦悩から解放されるわけではないことくらい、楽天的な青島にもよく分かっているが、自分と二人でいるほんの一時くらい、室井を全てのことから解放してやりたかった。
その双肩に、約束という名の何より重い荷物を背負わせている青島だからこそ、恋人として過ごす時間だけでも彼を癒してやりたかった。
そうはいっても、現状は予定外である。
いや、酔っ払った室井に押し倒された時には抵抗しなかったし、これはこれでありだなと思った。
スッキリすれば気分も変わるかもしれないし、青島だって室井とセックスするのは好きだしなんの問題もなかった。
ただ、程度に問題があった。
強く激しく求められた行為自体は、気持ちが良かった。
二度三度と交わった時点で青島の身体は満足していたが、それでももう一度と圧し掛かってくる室井を拒まなかった。
彼がしたいならと過ぎる行為も我慢をしたが、そこから更に数回求められて本当に限界を感じ、そこで初めて青島は抗った。
室井はその青島を押さえ付けるようにして、半ば強引に抱いた。
そこまでいくと青島には苦痛でしかない行為で、室井が果てた瞬間にはやっと終わったという安堵しかなかった。
安堵して、そのまま意識を飛ばしたようだ。
やるだけやってさすがに冷静になったのか、意識を飛ばした青島を見て不安になったのか、青島を見下ろす室井は青島の部屋に来た時とはまた違う暗い顔をしていた。
「すまない、青島…」
ぼんやりと見上げる青島に、室井は重たい口調で謝罪を繰り返した。
明らかに、恋人に無理を強いたことを後悔していた。
青島も行為の最後の方は確かに腹が立っていたはずなのだが、自身の不甲斐なさを悔いている男を見ていれば、それに追い討ちをかけてぶつける程の怒りが自身の中にはないことに気付く。
俺を責め立てることで、この人は少しは楽になれたんだろうか。
そうであればいいなと思うからこそ、室井にこれ以上謝罪の言葉を繰り返させるのも青島の願いとは違う気がした。
青島は少し考えて、これまた重い口を開いた。
「…水」
掠れて酷い声だった。
眉間に深い皺を寄せたが、室井はすぐにベッドから降りて下着だけ身につけると寝室を出て行った。
それを見送った青島が疲労に負けて重たい瞼を軽く落としていると、待つほどもなく室井は戻ってきた。
「青島」
呼ばれて目を開けたら、ペットボトルとタオルを持った室井が立っていた。
「起きられるか?」
「動きたくない…」
「そうか」
室井はベッドに上がると、青島を抱き起こし、背後から背中を支えるように抱えた。
ペットボトルの蓋を開けて青島の手に持たせてくれる。
青島は水を口に含むと、身体が欲しがるまま流し込んだ。
喉がカラカラだったことに、終わってから気付いた。
青島が口にペットボトルを運ばなくなると、室井はそれを取り上げて自身も喉を潤し蓋を閉めてベッドに転がした。
そっと額に当てられたタオルが、上気した顔を優しく滑る。
流れていた汗を丁寧に拭われて気持ちが良かった。
「煙草も吸いたいです」
「分かった」
室井は青島を背後から抱き込んだまま、ベッド脇にあるサイドボードの上から煙草と灰皿を取ると、自ら咥えて火を点けた。
その煙草を青島の口元に運んでくれる。
至れり尽くせりだなと思い綻ばせた唇で、青島は煙草を咥えた。
灰皿を乗せた室井の手が、青島の太ももの上に置かれていた。
煙を吸い込めば、先程まで酷使していた肺には刺激が強かったのか、思い切りむせた。
衝撃が響いて、節々まで痛む。
室井が背中をさすってくれた。
「大丈夫か?煙草、止めた方が良くないか」
「ん、大丈夫…」
今度は殊更ゆっくり吸って、ゆっくり吐き出した。
むせることなく呼吸と一緒に煙を吐き出すと、室井も安心したのか背中を撫ぜる手を離し、青島を抱え直した。
青島は完全に室井に背中を預けて煙草を味わった。
「他にして欲しいことはないか」
室井が囁くから青島は声もなく笑った。
何かしてやりたいと思っていたのは俺の方なのになと思ったら、おかしかった。
青島を甘やかしているうちに、室井は少し元気を取り戻したようだ。
背中を預けているから表情は見えないが、声にそれが現れていた。
あれこれ室井に世話をやかす青島が、室井の無体に対してそれほど怒っていないと気付いたからかもしれない。
今の室井は、少々甲斐甲斐し過ぎることを除けば、平素の彼に近い。
仕事上の鬱屈も、少しは忘れられたのかもしれない。
忘れられないまでも、忘れたフリをしようと思える程度に気持ちが回復したのなら、青島がここにいる意味もあるだろうか。
何があったのかは分からないが、室井には何があっても頑張って前に進んでもらわなければならない。
志し半ば、夢の途中だ。
こんなところで挫けてもらっては困る。
室井は青島にとってかけがえのない大切な想い人で、こうしている今も室井の幸せを願ってやまないのに、実際に青島が彼に望むことは辛いことばかりだ。
それが歯痒いが、もう辞めていいとも諦めましょうとも、青島にはどうしても言えない。
室井はいつまで経っても、青島や青島たち所轄刑事の希望の星だ。
夢が叶うその時まで、約束が果たされるその時まで。
その時が来るまで、室井に一人耐えさせるのだ。
青島はぐっと唇を噛むと灰皿に煙草を捨てて、腹に回っていた室井の腕を掴んだ。
励ましたいのか縋りつきたいのか、自分でも分からなかった。
ここにいると伝えたかったのか、ここにいてと伝えたかったのか、それすら分からなかったが、室井がその手を取り強く握ってくれるから、どちらでも同じことだったかもしれない。
指を絡めて手を繋ぎ、背後から強く抱きしめられているだけで、酷く安心した。
室井もそうであればいいと願った。
「室井さんこそなんかないの、俺にして欲しいこと」
今ならサービスしてあげると冗談交じりにできる限り明るく聞き返せば、少しの間の後、室井は肩口に顔を埋めた。
「許してくれるだけでいい」
「怒ってないですよ、そんなには」
「つまり少しは怒ってるんだな」
「はは、冗談ですよ…もう怒ってません」
「すまない」
「必要ないです、俺に謝らないで」
「…ありがとう」
耳に届いた微かに震えた声に、青島の視界も僅かに緩む。
無力だな。
心の底からそう思えば、泣きそうだった。
それでも、握る手や抱き締める腕の強さが、室井に必要とされていると教えてくれる。
これは青島にとっての救いだ。
そして、きっと室井にとっても。
「好きですよ、室井さん」
室井のために身一つしか差し出せない自分だが、自分が差し出せる全ては室井のものだ。
「何があっても、俺は室井さんだけだから」
室井からの返事は何もなかった。
変わりに押し殺したような息使いだけが耳に届いた。
ああまた耐えているのかと思うと、最早青島にも言葉はない。
今は自分の気持ちを口にすればするほど、その分だけ室井を苦しめるような気がして、ただ傍にいようと決める。
せめて二人でいる時くらい、何も我慢をさせたくない。
もどかしい青島の思いが通じたわけでもないのだろうが、やがて僅かだが温かく濡れた肩に、青島は少しだけ喜んだ。




翌朝、遅刻するギリギリの時間まで、二人はベッドで過ごした。
あまり眠れはしなかったが、ただ寄り添って、時々キスして、目が合えば笑みを交わして時間が来るのを待った。
ベッドから出る時には、しぶる青島を室井がひっぱり出してくれた。
礼だとキスをすればこの日一番の笑みが返ってきて、もう一度ベッドに引きずり込みたくなったが我慢した。
室井の目に力が戻っていたからだ。
今の室井に、青島がしてやれることはきっともう何もない。

支度を整えて一緒に玄関を出る直前。
「青島」
「はい?」
「俺も好きだぞ」
「うん?」
「夕べ、返事をしそびれた」
「ああ…」
青島は笑うと、律儀な恋人に頷いた。
「知ってます」
「俺も君だけだ」
「はい」
「君だけいればいい、夕べつくづく思った。他に何もいらない」
「…うん?」
「自分がこれほど他人に依存して生きていると思わなかった」
「あの、」
「君が好きだ、自分でも信じられないくらい」
「ちょっと、もういいったら!朝っぱらから、勘弁して!」
あまり寝てないからテンションが高いのか!?と思いつつ、朝っぱらから盛大に口説いてくれる恋人に赤面して、青島は室井の背中を押した。
昨夜もそれなりに恥ずかしいこと言ったりやったりしていたが、朝に仕切り直されると照れくさいことこの上ない。
照れてバシバシ背中を叩く青島を首だけで振り返り、室井が小さく笑った。
優しい笑みに、青島の手が止まる。
「君がいて良かった」
ドアを開けて先に出て行く室井の背中を見送り、瞼がどうしようもなく熱くなった。
青島は顔を顰めると、閉じたドアに向かって吠えた。
「〜〜〜不意打ちはずるい!」
すぐにドアを開けて、室井を追った。

追いついた時には、笑顔だった。










END

2014.1.19

あとがき


先日素敵上映会で秋スペ→OD1と久しぶりに見まして。
室井さんしんどいなあ(涙)と思いまして、
室井さんを幸せにしたい!と書き殴ったお話でした。
青島君に癒されるっていうか、
青島君にいやらしいことして癒されるっていうか(おい)、
青島君がいれば室井さんはそれでしあわせだよねっていうか…
あれ?いつも通りだな…

まあまあ、いつも通りの室青になってしまいましたが、
青島君に救われる室井さんを書けて楽しかったです。

秋スペ→OD1は、室井さんも青島君もすみれさんも皆切ないですよねえ。
しんどいです。面白いけどしんどい。
秋スペ見たら、OD1まではセットで見ないと落ち着きません(笑)


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