■ からあげと彼女の事
湾岸署で起きた事件が解決し事後処理も終わって、何度も共に仕事をした仲間の逮捕というショックや痛みが落ち着いた頃になり、青島から誘われて室井は彼の部屋に訪れた。
青島と会うのは、事件解決後に湾岸署の刑事課で顔を合わせて以来のことだった。
青島も相変わらず忙しく、現場を走り回っていると聞いていた。
きっと青島も警察官を続けられる喜びや警察官であることの意味を噛み締めながら、彼らしく誰かのために毎日必死になって身を粉にして働いているのだろう。
勝手にその姿を見ているような気になっていたから、玄関を開けてくれた青島が赤いエプロンを身に着け菜箸を握っているのを見たら、つい笑ってしまった。
会うなり表情を和らげた室井に、青島は首を傾げている。
「なんかいいことありました?」
不思議そうではあるが、室井につられたように少し嬉しげに笑う青島に、室井は「君に会えたからな」と心の中で呟いて、首を振った。
「たいしたことじゃない」
「そうっすか?…ああ、入って入って」
青島が中に促してくれるから部屋にあがると、何やら香ばしい匂いがした。
ガーリックと油の匂いがする。
「夕飯を作っていてくれたのか」
「ええ、ちょっと早く帰れたんでね。今日はお手製ですよー」
鼻歌交じりの青島が台所に消えていく。
何か手伝うかと尋ねたら、もうほとんどできてるから座っててと返事が返ってくる。
その気軽な返事に、機嫌がいいのはお互い様のようだな、と思った。
室井がコートとスーツの上着を脱いで、ついでにネクタイも外して寛いでいると、青島が皿を抱えて現れた。
大皿に盛られたのは、唐揚げである。
「随分張り切って作ったな」
思わず室井がそう言ったのは、唐揚げが山盛りになっていたからだった。
「鶏肉を買い過ぎちゃって」
それなら不必要な分は残して冷凍しておけば良かったのではないかと思ったが、折角室井のために料理をしてくれたというのに水を差すこともない。
「そうか、美味そうだ」
素直にそう言うと、青島が嬉しそうに笑った。
「ちょっとね、自信作なんすよ」
40もとうに超えた男が、唐揚げが上手にできたと自慢している。
普通なら苦笑するところだが、それが青島だと可愛く見えて仕方がないから困る。
室井は表情が緩くならないように気を付けながら、「そうか」と繰り返した。
ビールで乾杯しながら青島お手製の唐揚げを食べてみて、室井は微かに驚いた。
失礼な話だが、とても美味しかった。
青島の作ってくれる料理に文句をつける室井ではないし、作ってもらった料理はいつも美味しく頂くが、前に青島が作ってくれた唐揚げとは味が違うような気がした。
前の唐揚げが美味しくなかったわけではなく、今回の唐揚げが本格的なのだ。
生姜やガーリックが効いた味付けは丁度良く、しっかりと味が染みた肉は柔らかくて、表面もカリッと揚がっていた。
いつの間にこんなに揚げ物が上手になったのだろうかと、室井は思わず青島をまじまじと見つめた。
その青島が、目を輝かせて室井の反応を待っている。
「美味いな」
期待に応えたわけではなく心からそう言うと、青島は破顔した。
「驚いたな…本当にすごく美味いぞ」
「でしょ?隠し味にはちみつを使ってるんです」
「誰かに習ったのか?」
「実は、ほら、こないだの重点張り込みの時にね…」
そういえば少し前に青島から、重点張り込みに入るからしばらく会えないと連絡を貰ったことがあった。
商店街で店員の振りをして張り込むとは聞いていたが、詳しい話を聞くのは今が初めてだった。
商店街で2週間程店を開いて住み込みで働き唐揚げを作って売っていたと聞いて、その成果の唐揚げがこれかと納得がいった。
青島は大雑把にみえるが、何か一つのことをやりだせばこだわるところがあった。
いくら張り込みのための店とはいえ、やるからにはより美味しい唐揚げを作ろうと頑張ったのだろう。
その結果、「黒字になった」と喜ぶ青島に、室井は苦笑してしまった。
「ちゃんと張り込みをしていたんだろうな」
「もちろんですよ、被疑者も捕まえたし」
「それならいいが……それにしても、美味いな」
すぐに二つ目の唐揚げに手を伸ばした室井に、青島は益々嬉しそうな顔をした。
唐揚げが上手く作れて、そして室井に褒められたことが嬉しかったのだろう。
青島自身も箸を動かしながら、上機嫌だった。
「すみれさんには、このまま唐揚げ屋さん続ければってからかわれたんですけどね」
失礼しちゃうけど中々楽しかったと青島は笑う。
「すみれさんと夫婦のふりして張り込んでたんですけどね、本当に下町の唐揚げ屋の亭主になったみたいで面白かったですよ」
そう言われて、室井は驚いた。
すみれと一緒だったことを初めて聞いたからだ。
係が違うとはいえ、同じ所轄の刑事課の刑事だから、一緒に張り込みをすること自体は珍しくもない。
泊まり込みの張り込みの相手が女性だからといって一々妬くほど若くはないし、青島を信用していないわけでもなかった。
だが、すみれと夫婦のふりをしていたという。
そのうえ、楽しかったと笑われれば、内心穏やかではない。
商店街の人を騙しているみたいでちょっと申し訳なかったけどと肩を竦める青島に、室井はなるべく冷静を装って尋ねた。
「恩田君と、2週間泊まり込みだったのか?」
気を付けて尋ねたものの、付き合いの長い青島だから微妙な声音の変化を感じ取ってしまったらしい。
それまで笑ってビールを飲んでいた青島はグラスを置くと、慌てて付け足した。
「あ、泊まり込みでしたけど、もちろん一緒に寝たりはしてないですからね」
青島が寝ている時はすみれが張り込みをし、すみれが寝ている時には青島が張り込みをしていたという。
それはそうだろうと思う。
そうでなければ張り込みの意味がないのだから、それで当然だ。
青島とすみれの間に何かがあるとも思っていないのに、何かが面白くない。
青島がすみれと夫婦役で唐揚げ屋の亭主を演じたことを楽しんでいたのが分かるからか。
つまるところ、ただの嫉妬である。
それに気付いたから、室井は「そうか」とだけ答えて、食事を続けた。
自分の仕事をこなしただけの青島に対して、あまりに情けない嫉妬心であると理解している室井は、これ以上余計なことを聞いて墓穴を掘ることを避けた。
「芝居してるみたいですみれさんとの夫婦役楽しかったですけど、別に夫婦になりたいってんじゃないですからね」
「分かってる」
「俺には室井さんがいるし」
「…ああ」
臆面もない断言に、少し室井の気分も上昇した。
「唐揚げ屋の店主には、ちょっと惹かれますけど」
室井がちらりと青島を見ると、青島は笑っていた。
「第二の人生が唐揚げ屋の店主っていうのも、いいかなと」
警察官を辞める気など、青島にはさらさらない。
室井を信じて、リタイアするまで現場で頑張ってくれるだろう。
だが、リタイア後のことであるなら、青島が唐揚げ屋の店主に納まっていたとしても可笑しくはないような気がした。
青島も本気で言っているわけではなく、ただの冗談なのだろうが。
「君が唐揚げ屋を始めるなら、買いに行こう」
室井が穏やかな表情で青島の戯言に付き合ってやると、青島は首を横に振った。
「だめですよ、室井さんは買いに来ちゃ」
「何故だ」
「だって、一緒にやるんだから、唐揚げ屋さん」
目を見開いた室井に笑って、青島は室井のグラスにビールを注いだ。
「唐揚げの作り方、教えてあげますから」
青島はともかく、自分には唐揚げ屋の店員など向かない気がした。
唐揚げ屋に限らず、接客業という接客業はどれをとっても向いているとは到底思えない。
いや、青島に接客を任せて、自分はひたすら唐揚げを揚げていればいいのか。
ふとそんなことを考えて、何を真面目に考えているんだと、室井は思い直した。
室井を誘っている時点で、青島のその将来設計がただの冗談であると分かる。
もし本気なら、勝手に決めずに室井に相談してくれるからだ。
そんな未来があったら面白くない?
青島はそう思っているだけなのだ。
そして、例え冗談であっても、青島の未来に当然のように自分の姿があることは嬉しかった。
「なら、恩田君に買い叩かれないように気を付けないとな」
室井がそう言うと、青島は大袈裟に頷いてみせた。
「ですね。すみれさんにたかられたら、すぐに店が潰れちゃう」
すみれに聞かれたら怒られそうなことを言い合っていて、室井は一つ思い出した。
「恩田君は、変わりないか?」
室井はすみれから「警察を辞める」と聞かされたことがあった。
その後どうしたかは詳しく聞いていないが、青島の口から彼女が辞職したとは聞いていないから、今も湾岸署で働いているのだろうと思っていた。
青島は僅かに驚いた顔をしたが、少し表情を引き締めると箸を置いた。
「室井さん、もしかしてすみれさんに何か聞いてた?」
室井はすみれに聞かされたことを、青島に話してはいなかった。
すみれが退職を考えていることを、青島に話しているようには思えなかったからだ。
すみれが成り行きで室井に打ち明けたのも、降って湧いた傍迷惑な見合い話を彼女なりにきちんと清算するためだったはずだ。
余計な見合い話がなければ、もちろん室井にも話す気はなかったことだろう。
そして、そんな話は、室井の口から青島にすべきではないと思った。
室井よりも青島はずっとすみれと近い場所にいるのだ。
すみれが知って欲しいと思い相談する気になれば、青島にそうしないわけがない。
室井が余計な口を挟むべき問題ではないと思った。
だが、彼女が進退を決めた今となっては、黙っていることでもない。
室井はすみれとの間にあった短い会話を、青島に話した。
青島はそれを聞き、少し悲しそうに眉を顰めた。
「そうですか…すみれさん、室井さんにも話してたんすね…」
どうして教えてくれなかったのかと怒っているようではないが、全く気にしていないようでもない青島の口調に、室井は付け足した。
「言っておくが、彼女も俺に知っていて欲しいと思って話したわけではないと思うぞ」
「別に嫉妬してるわけじゃないですよ」
苦笑した青島だったが、すぐにまた眉をひそめた。
「ただ、俺、何にも気付いてあげられなかったなと思って」
すみれが退職を決めるほど悩んでいたことを、青島はギリギリまで知らなかった。
元気がない彼女のことにも、気付いてあげられなかった。
そのことを青島は悔いていた。
すみれに困ったことがあれば湾岸署の誰よりも率先して力になろうとしていた男だから、肝心な時に頼りにされなかった、気付いてあげられなかったということがショックだったのだろう。
青島の気持ちは分かるが、そういう青島だからこそすみれは打ち明けられなかったのではないだろうかと思う。
「恩田君が君に何も言わなかったのは、言えば引き留められるのが分かっていたからじゃないのか」
「え?」
「そして、君に引き留められれば辞められなくなることが分かっていたから、相談できなかったんだろう」
気の強いしっかり者のすみれのことだから弱音を吐きたくないという気持ちも強かったかもしれない。
仲間からしてみれば水臭いと思われるかもしれないが、自身の意地を通すすみれのやり方は彼女らしくもあった。
だが、すみれが青島に事前に何の相談もできなかったのは、すみれの性格の問題だけではない気がした。
青島が懇願すればすみれは自分の決意を曲げて辞職を思い留まってしまうことが分かっていたのだろう。
実際、そうなっている。
仮に室井が同じ立場でも、すみれと同様の行動をとったかもしれない。
とにかく、青島に心底乞われれば拒むことが難しいのである。
それは室井が青島への恋心を自覚する前からのことであり、青島に近しいすみれが室井と同じように感じていたとしてもおかしくは無いと思った。
「だとしたら、俺、まんまと引き留めちゃいましたね」
青島が苦笑気味に呟いた。
すみれの決意を無駄にしてしまったことを、申し訳なく思っているのかもしれない。
「後悔しているのか?」
室井が尋ねれば、その質問には案の定力強い眼差しが返ってきた。
「いえ、すみれさんには悪いけど」
青島には、湾岸署には、恩田すみれが必要なのだと、青島は言う。
すみれの断腸の思いで決めた退職を自分の一言で覆させたことは申し訳なく思っても、引き留めたことは後悔していないのだ。
引き留めたことは、間違いなく青島の我が侭だ。
だが、それを許したのはすみれの意思であり、許されるということは青島が彼女を引き留めたことは間違いでもないはずだ。
「そう思うなら、気にするな」
室井はそう言って、三つ目の唐揚げを齧った。
「それでいいんですかね」
「引き留めたのは君でも、決めたのは恩田君自身だ」
「そうですけど」
「仲間が決めたことだ、信じてやれ」
青島はじっと唐揚げの山を見つめていたが、やがて箸を動かした。
二つも三つも室井の取り皿に唐揚げを盛る。
「おい」
「いっぱい食べてくださいね」
室井の言葉で吹っ切れたらしい青島の好意が、唐揚げらしい。
室井は唐揚げと青島を見比べて、苦笑した。
「ありがたく頂こう」
「こっちこそありがとう、室井さん」
慰められたと思っているのか、そう言って笑った。
「どんどん食べてくださいね」
照れたように笑う青島は可愛かったが、
「…頂く、頂くが、もういいから、そんなには食えないから」
取り皿から溢れそうな唐揚げに、室井はさすがに渋面になった。
END
2013.12.30
あとがき
ずっと前に書いて、放置してあったお話でした。
出て来ないけど、これもすみれさんのお話。
酷いタイトルですが、からあげとすみれさんの話題だったので(笑)
私の中ですみれさんはファイナル以降も湾岸署におります。
事件の事後処理はもしかしたら誰よりも大変だったのではないかと思われますが(笑)
すみれさんは湾岸署にいないと!
template : A Moveable Feast