■ 視線3


取調室から出て来た青島は、肩凝りを覚えて首を回した。
一緒に出て来た中年の男性に「帰っていいですよ」と促す。
一見、身なりの整った紳士に見えるが、狂言自殺の常習犯である。
狂言だと分かっていても、通報があれば駆けつけないわけにもいかず青島たちも困っていた。
注意をすれば反省し、もう二度としないと約束して帰っていくが、忘れた頃にまた騒ぎを起こして通報されてくる。
青島はまた来るんだろうなと思いつつ調書を取って、何度もした注意を繰り返し帰した。
やれやれと一息吐いて自分の席に戻った青島は、暇そうな真下を恨めしげに見た。
「今、何やってんの、お前」
「昇進試験の勉強です」
「いいねえ、お坊ちゃんは」
悪びれもしない真下に、青島は溜息を吐いて羨んだ。
キャリア組の真下は同じ所轄刑事でありながら、その待遇はまるで違う。
青島も警察のそういう慣習には慣れたが、羨ましいものは羨ましい。
青島の恨みがましい視線などどこ吹く風といった空気の真下が身を乗り出してくる。
「そんなことより、先輩」
「なんだよ」
「今夜飲みに行きませんか?」
「勉強はいいのかよ、お坊ちゃん」
からかうように言った青島に、真下は唇を尖らせたが、すぐに笑みを浮かべた。
どこかだらしのない笑みである。
「警務課の子たちと、約束とりつけたんですよ」
なるほど、それでその顔かと、青島は苦笑した。
真下は雪乃のことが好きらしいが、女好きなのは相変わらずだった。
今のところ雪乃に脈がなさそうだから余計なのだろうが、女性と見れば鼻の下を伸ばしている。
それでも本命は雪乃だと言ってはばからない。
そんな真下の恋が実ればいいなと思ったり、先は長そうだと思ったり。
いまいち頼り気のない年下の警察官僚に、青島は苦笑した。
「俺はやめとくよ」
「ええ!困りますよ」
「なんでだよ」
「女の子に青島先輩も誘うからっていう約束で飲み会をセッティングしてもらったんですよ」
情けなくも訴えて来る真下に、青島は呆れた顔をした。
聞けば、余所の所轄の婦警もくるらしく、ようは合コンらしかった。
しかも勝手に青島をダシにしての約束だ。
それで青島がいかないと困ると言われても、青島も困る。
「お願いしますよ、先輩」
真下が情けない顔で助けを求めて来る。
お願いされると弱い青島だったが、こればかりは了承できなかった。
そんなことをしている場合ではなかったし、気分でもなかった。
「悪いな、他を当たってよ」
適当に詫びて真下から逃げるように席を立った。
背後で真下が叫んでる。
「先輩、彼女でも出来たんですかー?」
出来たのは彼氏だよ。
胸中で答えて、青島は刑事課から逃亡した。

室井と付き合いだして、そろそろ一月が経つ。
その間、互いに時間に都合をつけて、度々会っていた。
世間一般的に言うところの蜜月というやつだろう。
だが、二人の関係は、そんなに甘いものではなかった。
ただ二人で会って少し酒を飲み、食事をして、解散するだけ。
付き合いだしてからずっとそうだった。
恋人らしいことは何一つしていない。
キスはもちろん、手に触れることすら、室井に告白された時のあの握手だけだった。
青島は何も室井に手を出されるのを待っているわけではない。
青島だって室井を好きだと思うから、彼の告白を受け入れたのだ。
告白された時に室井に言ったように、遠くで見つめられるより、近くにいて触りたかった。
だが、例え近くにいたって室井に触れることはできなかった。
室井が青島を見なくなったからだ。
向かい合わせで食事をしているのに、視線が合わない。
あれ程人の事を一心に見つめ続けていた男が、青島を全く見ないのだ。
一緒に居ても、楽しそうには見えなかった。
青島の話は聞いてくれるし、話しかければ答えてくれるが、青島と居る時の室井は居心地が悪そうに見えて仕方なかった。
もしかしたら、と思う。
もしかしたら、室井は最早後悔しているのだろうか。
青島と恋人になったことを。
そうだとしたら、腹立たしかった。
室井の視線に翻弄され、気付かなくていいことに気付かされて、悩み、覚悟を決めて受け入れた自分が馬鹿みたいである。
結局室井を好きになったのは青島自身で、そのことまで室井のせいにはできないが、付き合いだして恋人らしいことをする間もなく後悔されたのでは堪らなかった。
今夜また室井と会う約束をしている。
回数を重ねるたびに、室井に会うのが憂鬱になる。
会いたくないわけではないが、会えば辛い思いをするのが分かっていた。
自分を見ようともしない男と、青島は何を話せばいいのだろうか。
こんなことを続けることに意味があるのか。
青島は考え初めていた。


室井を達磨に呼んだ。
二人が曲がりなりにも始めた場所。
思えばあの時が一番室井との心の距離が近かった。
今は付き合う前よりも離れてしまったように感じているのは、青島だけなのだろうか。
前回と同じ個室で待っていた青島に、室井が言った。
「君はこの店が好きなのか?」
短期間に二度も同じ店に呼びだしたせいか、そう捉えたらしい。
好き嫌いでこの店を選らんだわけではなかった。
一度目は室井と待ち合わせをするのに都合が良かったからで、二度目の今日は何故だか自分でも良く分からなかった。
室井と始めようと決めた自分の気持ちを、もう一度確かめたかったのかもしれない。
だが、そんなことは室井に言えなかった。
「嫌いじゃないですよ」
「そうか」
肯定した青島をちらりと見て、室井は視線を逸らした。
今夜もまた合わない視線に、青島はひっそりと溜息を吐いた。

「…でね、真下のやつが勝手に合コンの約束なんか取り付けてきちゃって。もう合コンで盛り上がる歳でもないってのにねえ。室井さん、合コンなんてやりました?あ、やっぱり?室井さんのキャラじゃないよなーって思ってました。別に悪いって言ってんじゃないですよ。無理してやるもんじゃないしね。大体…」
時折相槌を打つ程度の室井を相手に、青島はベラベラと一人で話をした。
普段からここまで饒舌なわけではなかった。
ただ、黙っていられなかった。
真下がもってきた合コン話なんかを室井にわざわざ聞かせているのは、別に妬いてほしいからではない。
室井が青島をどんなふう見ているのか知りたかっただけだ。
普通に考えれば、恋人が合コンに行って嬉しい人はいない。
どうでもいいと思われていなければ、何かしらの反応があるのではないかと思った。
だけど、室井は何も言わない。
眉間に皺を寄せつつも、青島の話を聞き、時折相槌を打つばかりだ。
「仕事中にあれだけ婦警さんに会ってるのに、あいつも良く飽きずに合コンなんかやりますよね」
青島は室井に断って煙草を咥えた。
「あれで、雪乃さんにずっと片想いしてるんだから、自業自得っていうか」
ライターを擦るがガスがもうないのか、中々火が点かない。
「キャリアなんだから、もう少し落ち着けばいいのに」
しつこくライターを擦ったがそれでも火は点かなかった。
青島は諦めたようにライターも、咥えた煙草もテーブルに放りだした。
その時になっても、室井の視線は青島を捉えなかった。
「想像と違いましたか?」
酒に酔った振りで陽気に話をしていたそれまでと打って変わって、低く抑えた声で尋ねると、室井はようやく青島を見た。
「遠くで見てる方が良かったですか」
吐き捨てるように言うと、室井は戸惑った顔をした。
「青島?何を…」
「思ってたのと違うなら、さっさとそう言ってくれればいいんだ。こんな無意味な時間過ごして、どうすんですか」
声を荒げた青島に室井は目を見開いたが、一度高ぶった感情はどうにもならない。
冷静にはなれなかった。
「青島、どういう意味だ?」
「無意味だろ?一緒に居ても、アンタは俺を見ないし、幸せそうでもない。俺は…」
青島は歪む唇で自嘲した。
「俺は片想いより、まだ悪い」
もうやめましょうと言い捨て、青島は腰を上げた。
呼びとめる室井の声がしたが、無視して店を後にした。
店を出てすぐのところでタクシーを捉まえ、その場を離れる。
少し待てば、追いかけて来てくれるような気もした。
それを期待する自分が腹立たしかった。
だから、一刻も早くその場を去りたかった。
運転手に自宅の住所を告げ、シートに身を投げ出す。
視線を投げた窓ガラスが雨で滲んで見えた。
雨など降っていないことに気付き、青島はきつく目を閉じた。


帰宅した青島は着替えもせずに缶ビールを呷っていた。
飲んだところでどうにもならないと分かっているが、飲まずにはいられなかった。
室井の馬鹿みたいに正直な視線に晒されて、好きだと自覚させられたというのに、そうした当人は告白を境に、青島から興味が無くなってしまったようだ。
青島が室井を好きになったのは室井のせいではない。
だが、自身の気持ちに気付かせたのは、室井に他ならない。
やっぱり室井さんのせいだと、青島は胸中で室井を責めた。
そうせずには、やっていられなかった。
何より付き合いだして室井に嫌われたことがショックだった。
青島の何がいけなかったのか分からないが、おそらく遠くで見ていた青島と、恋人になり近くで見る青島とでは、室井には違って見えたのだろう。
より青島の本質を知って幻滅されたのだと思うと、さすがに堪えた。
早々に二本の缶ビールを空にしてしまうと、冷蔵庫から新しい缶を取り出した。
ソファに戻るとインターホンが鳴り、青島はビクリと震えた。
まさかと思う。
室井は青島の部屋に来たことなどない。
そうではなくたって、来るわけがない。
そう思って動けずにいる青島を催促するように、もう一度インターホンが鳴った。
青島はとりあえず缶ビールをテーブルに置いて玄関に向かった。
ドアの前で往生際悪く躊躇ったが、意を決してドアを開けてみると、予想通り室井がいた。
眉間に皺を寄せ難しい表情のまま佇んでいる。
青島は嫌だなと思った。
室井がわざわざ家まで来たということは、青島に話があるということだ。
少なくても、室井はあのまま終わらせるつもりではいない。
そんなことを嬉しく思う自分が嫌だった。
「よくうちが分かりましたね」
気まずそうに佇んだまま何も言わない室井に、青島は素っ気なく尋ねた。
「本庁で照会した」
「あ、そ…なるほどね」
「青島、話がしたい」
青島はじっと室井を見つめた。
逸らされない視線に気が付き、青島からそっと視線を外し目を伏せた。
「どうぞ、入って」
室井を促し、部屋にあげた。
追い返すことなど、考えもしなかった。

テーブルに並んだビールの空き缶を片付け、室井にソファを勧める。
冷蔵庫から新たに缶ビールを取り出し室井に押しつけると、青島はテーブルに置いてあった缶を手に床に腰を下ろした。
ビールに口を付け、煙草を咥える。
室井の話は聞きたかったが、憤りは消えて無くなってはいない。
自分から態度を軟化させることが出来なかった。
「話しってなんですか」
煙を吐きながら聞いたら、室井は眉間に皺を寄せたまま青島を見つめた。
「別れたくない」
視線と同じくらい真っ直ぐな言葉だった。
室井に想いを残している青島の心が揺れないわけはないが、だからと言って簡単に前言を撤回することはできない。
視線すら合わない人と恋人でいる意味がないと思ったから、青島は別れを決めたのだ。
今になって、そんなに真っ直ぐ見つめられても困る。
青島は唇に曖昧な笑みを浮かべた。
「付き合ってても仕方ないでしょ?室井さんちっとも楽しそうじゃなかったし」
「そんなわけないだろ」
「そうは見えなかったって言ってんですよ」
青島は肩を竦めて、投げやりに言った。
「俺のこと、見もしなくなったじゃない」
興味が無くなったとしか思えないと言ったら、室井が少し強い口調で言った。
「お前が言ったんだぞ」
「俺が?何を?」
「あまり見るなと…恥ずかしいからあまり見つめないでくれと、君が言ったんだ」
そう言いながら、真剣に見つめてくる。
唖然としている青島から視線を逸らそうとしない。
青島は口を開けっ放しにして、室井を見つめ返した。
確かに言った。
付き合いだしてすぐに、室井に言ったのだ。
無意識らしいが、室井は青島のことをただじっと見つめていることが多々あった。
それで青島は室井の気持ちに気付いたくらいである。
どれだけ熱心に見つめているのか、考えるまでもない。
遠くからでも注がれている視線に気付いた時の青島の気恥ずかしさったらなかったのだ。
だから、言った。
あまり見つめないでくれと。
「言ったけどっ、確かに言いましたけどっ」
青島は煙草を灰皿におき、信じられないという気持ちで、真っ直ぐに見つめてくる室井を見返した。
「まさかそれが理由ですか?最近、目を合わせてくれなかったのって…」
室井が深く頷くから、青島は呆気に取られながら全力で脱力し、床に手をつき項垂れた。
ついで、新たな怒りが沸いてくる。
勢いよく顔を上げて室井を睨んだ。
「あ、アンタなんでそんな極端なんだよっ、限度ってもんがあんでしょうがっ」
つい声を荒げたら、室井もムキになって言い返してきた。
「仕方ないだろ、お前がいればどうしたって見つめてしまうっ」
顔ごと背けるしか無かったんだと言われて、青島はまた口を閉じることを忘れた。
言われた言葉を反芻して、じわじわと顔が熱くなった。
そういえば、室井は青島を見つめていて楽しいと言っていた。
何が楽しいのか青島にはさっぱり分からないが、楽しいと思うからには見つめたくなっても仕方がないのかもしれない。
仕方がないのかもしれないが、そんなことを堂々と言い切られても、青島も困る。
室井も気まずくなったのか、声を落としてぼそっと呟いた。
「少しだけ君を見るなんてできるか」
不器用な人だとは思っていたが、まさかここまでとは。
青島の素直な感想だった。
だが、呆れはするものの、怒りや苛立ちはすっかり消えていた。
室井の気持ちがまだ自分にあると知れたからだ。
青島を見ようとしなかったのも、室井の行き過ぎた愛情からくるものなのだ。
見つめ過ぎてみたり、かたくなに視線を逸らしてみたり、不器用にもほどがあるとは思うが、不器用なところも愛しく思うのだから仕方がない。
青島は深い溜め息を吐いた。
「俺、なんでこんな人に惚れちゃったかなぁ」
自分にすら呆れる勢いで零したら、室井は苦しげに眉をひそめた。
「…嫌いになったか」
「なってたら、とっとと追い返して、さっさと寝てますよ」
投げやりに応えたら、室井は微かに表情を和らげた。
青島の気持ちがまだ室井にある。
それを知って喜んでいるのだ。
今更なことを、二人して今夜再確認したらしい。
そう思ったら、なんだか笑えてきた。
青島は苦笑しながら、灰皿の上でただひたすら灰に変わっていた煙草を取り上げ、一口だけ吸って揉み消した。
「何やってんでしょうね、俺たち」
立ち上がって、室井の隣に座り直す。
そっと手を伸ばしたら、室井から握ってくれた。
「すまなかった」
視線を逸らし続けたことで青島を傷つけたことは理解してくれているのだろう。
「うまくやれなくてすまない」
しっかりと手を握りそんなふうに謝られて、胸が熱くなる。
理由はどうあれ青島は傷付いたし、室井の態度は怒って当然のものだったと思うが、もう怒れない。
むしろ愛しく思ってしまうのだから、もうどうしようもなかった。
握った手を一度解き、指を絡めて握り直す。
「上手に恋愛する室井さんなんて、想像つかないや」
軽く肩を竦めた青島に、室井は複雑な表情を浮かべた。
その顔がおかしくて、青島は思わず笑った。
「もうずっと俺のこと見ててくださいよ」
室井は目を瞠ったが、すぐに小さく笑みを浮かべた。
嬉しそうな瞳に惹かれ、青島は顔を寄せてみた。
室井も青島を待たずに、距離を縮めてくれた。
目を閉じて、そっと唇を重ねる。
なんだかくすぐったくて、笑いを堪えながら顔をひこうとしたが、室井が追いかけてくるから、唇は中々離れない。
青島は堪えきれずに笑い声を漏らしながら、室井の背中を抱いた。










END

2012.11.10

あとがき


室井さんがまた随分とアレな感じになってしまって申し訳なく…;
まあ、拙宅の室井さんはいつも大体こうですが…(それもどうだろう)
私は室井さんのことをカッコイイ人と信じてやまないのですが、
どうしたことかちーっともカッコよくなりませんね。
どうしたことでしょう(他人事か)

この後からは、きっといやってほどラブラブでしょうね!


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