■ 痛み
「はいはい。暴れないの」
暴れる被疑者を押さえつけながら、青島が呆れたように言って聞かせる。
目の前では、すみれが仁王立ちしていた。
「全く、手間掛けさせるんだから。それにしても青島君がいてくれてよかったわ」
私一人じゃさすがにね、と呟く。
店で窃盗犯を捕まえたとの通報があったのだが、窃盗犯係にいたのは運悪くすみれ一人。
そこにこれまた運悪く刑事課で暇そうにしていた青島が借り出されたというわけだ。
現場に行ってみれば、青島がいて正解だった。
通報されたことが気に入らないご様子の窃盗犯が大暴れしていたのだ。
すみれ一人ではどうにもならなかっただろう。
「すみれさん、手錠かして」
「持ってきてないの?」
「忘れちゃったみたい」
えへ。と笑う青島に、呆れ顔のすみれが手錠を差し出す。
青島が犯人から片手を離した瞬間、再び犯人が暴れ出した。
「おわっ!」
身体をひっくり返されて、体勢を立て直そうとした青島の視界に入ったのは、犯人が手にしたナイフだった。
隠し持っていたらしい。
さすがに青島の顔色が変わる。
「危ない!青島君!」
すみれが悲鳴をあげた。
「いででででで」
青島が情けない声をあげる。
「男でしょー?我慢しなさいよ」
青島の左腕の傷に消毒液を塗っていたすみれに怒られる。
湾岸署の医務室だった。
犯人が振りかぶったナイフをとっさに身体を捻って避けたため、ナイフは青島の腕を掠っただけで済んだ。
それだけで済んだのは、すみれが真横から犯人の横っ面に蹴りを入れたせいだったのだが。
結果的に、すみれに助けてもらったようなものである。
消毒の終わった傷の上にガーゼを当てて上から包帯を巻いていく。
「室井さんに知れたら、また怒られるわよ」
「あははは。ね」
「ね、じゃないわよ、全く…」
困ったように笑う青島に、すみれは呆れ気味だ。
「どうせしばらく会えそうもないし、会ったとしても服でも脱がなきゃバレることはないでしょ」
外傷が他にないので、確かに普通にしていればバレることはない。
「脱がなきゃ、ね」
意味ありげに言ったすみれに、青島は眉間に皺を寄せる。
「…すみれさん。それ、セクハラ」
「こりゃ、失敬」
すみれは大して悪びれもせずに謝罪を寄こした。
それから、ちょっと考えて口を開く。
「…でも、」
「ん?」
「手伝わせて、悪かったわね。おかげで怪我までさせちゃったし」
手際よく包帯を巻き終えたすみれが青島を伺うように見る。
破けたシャツをそのまま着こんで、青島は笑った。
「すみれさんが怪我しなくて良かったよ。俺もすみれさんに助けてもらったしね」
「…まぁね」
すみれも小さく笑う。
二人がやけにのん気な雰囲気を醸し出していると、突然医務室のドアが開いた。
現れた人物に青島もすみれも口をポカンとあける。
「室井さん!」
見事に二人の声がハモった。
呼ばれた室井の方はというと、よほど急いで来たらしく呼吸を乱したまま青島とすみれを交互に見た。
「……刑事課で、青島が刺されたと聞いたのだが」
刑事課の誰かに「青島が刺されて医務室に運ばれた」と言われて飛んできたようだ。
良く考えれば本当に刺されていれば医務室どころか救急車で病院送りだろうが、慌てていた室井はそこまで頭が回らなかったようだ。
青島が見た感じとても元気なため少々困惑気味の室井に、青島は苦笑する。
「刺されたなんて大げさです。ちょっと掠っただけですよ」
青島がそういうと、途端に室井の眉間に皺がよった。
無言でつかつか歩み寄ってくると、シャツから包帯が透けて見える左腕を掴んだ。
「っ!」
「刺されたことには違いないんじゃないか」
「いや、本当、大したこと…」
「刺されたのに?大したことないだって?」
いつになく低い声を出す室井に、青島も慌てる。
「ストップ」
言い争いでもしそうな二人に、すみれが口を挟んだ。
眉間に皺を寄せたまま、室井がすみれを見る。
「痴話喧嘩は外でやって。青島君、病院行くから早退ってことにしとくわよ」
「え?あ、あ、うん。ありがと」
面倒は外でやれということではなく、ややこしくなりそうだから二人っきりにしてやろうということなのだろう。
渋面の室井は二人に何も言わずに踵を返し、医務室を出て行く。
青島とすみれは顔を見合わせた。
こんな室井は見たことが無かった。
青島は上着を掴むとすぐに室井を追った。
青島は湾岸署を出てスタスタと歩いて行ってしまう室井の後を追いかける。
「待ってくださいよ、室井さん!」
室井がまともに話を聞いてくれないほど怒るのは珍しい。
青島は大股で走って室井に追いつくと、その肩を掴んだ。
「室井さん!」
「……」
漸く振り向いてくれた室井の表情を見て、青島は思わず一歩引いた。
怖い。
かなり怒っているようだ。
「…すいませんでした」
ここはとりあえず謝るべきだろうと深く考えずに謝ると、室井の眉間により一層皺が寄った。
「何を謝る?」
「え?」
「何に対して謝ってるんだ、君は」
イライラしたように言われて、困惑する。
「な、にって…」
「口先だけで誤魔化そうとするな」
青島は絶句した。
室井にこんな口調で責められたことは無かった。
軽いショックに青島が硬直していると、室井が再び背を向けて歩き出す。
今まで怪我のことでは無茶をしすぎると何度か注意をされていたが、取り繕うように笑う青島に呆れつつも誤魔化されてくれていた。
きっとある程度は仕方ないことと理解してくれていたのだろう。
身体を張ることは、強行犯係にいれば避けられない。
だけど今回は笑って誤魔化されてはくれないらしい。
青島も眉間に皺を寄せた。
「室井さん!」
憤ったような青島の声に、室井も足だけは止めてくれる。
「俺だって怪我なんか進んでしたいわけじゃないけど、怪我怖がって一歩引いてたんじゃ、犯人なんか捕まえられない」
振り返らない室井の肩が小さく揺れる。
「身体張ることも、俺たちの仕事なんです」
ナイフを見れば青島だって逃げ出したい。
怪我なんて出来るだけしたくないし、もう二度と死ぬような思いをするのだってごめんだ。
だけど、自分たちが捕まえなければ誰かが怪我をするかもしれない。
誰かが殺されるかもしれない。
だから身体を張るのだ。
そういう仕事についていることを、青島は誇りに思っていた。
室井だって分かっていてくれるはず。
青島はそんな思いで、室井の背中に話しかけていた。
室井が無言で振り返る。
先程のような怒りは消えていて、代わりに酷く悲しそうな顔をしていた。
「……君が刺されたと聞いた時の俺の気持ちが、君に分かるか?」
青島は息を飲んだ。
少し離れていた室井が、ゆっくり青島に歩み寄ってくる。
「君が仕事に誇りを持っていることは知っている。俺も君のそういうところを尊敬している」
相変わらず眉間の皺は消えない。
「理解はしているつもりだが、いざ君が怪我をすれば納得なんか出来ないんだ」
「むろいさ…」
「今回はたまたま傷が浅かった。でも次は?また軽傷で済む保障なんかどこにある?」
死なない保障がどこにある。
そう聞かれて、青島は返事が出来なかった。
室井は悲しそうに目を伏せて、軽く青島の胸を拳で突いた。
「君がいなくなるかもしれないと思った俺の気持ちも考えてみろ…」
触れた拳より、室井の言葉が青島の心に響く。
青島はそっとその手に触れた。
「俺、この仕事凄く好きで、身体張って誰かを守れているなら凄く嬉しいです」
「そんなこと…、良く知ってる」
「そうっすね。室井さん、俺のこと良く知っててくれてる」
場違いに嬉しそうに笑う青島に、室井が少しだけ顔をあげた。
室井と視線を合わせると笑みを引っ込め、真剣な眼差しで見つめる。
「でも、今回は俺の不注意でした。もっと気をつけるべきだった」
青島が室井の手を軽く握ったまま、頭を下げた。
「心配掛けてごめんなさい」
身体を張ることは当然で、多少の怪我は否めない。
青島は自分の仕事はそうであるべきだと思っている。
だけど、室井にここまで心配を掛けておいて青島の事情を理解してもらおうと思うなら、青島も室井に少しでも心配を掛けないよう精一杯努力しなければならないはずだ。
今回はどこかに油断があったから、突然出されたナイフに対応できなかった。
もっと気をつけるべきだった。
青島自身は結果オーライと思ってしまう性質だが、室井のことを思えばそれではいけないのだ。
「青島…」
青島は顔を上げると微笑んだ。
「犯人と向かい合うときは、必ず思い出します」
「…何を?」
「俺が傷ついたら、もっと傷つく人がいるってこと」
青島がそういうと、室井はようやく力を抜いた。
深いため息を吐くと、苦笑する。
「約束だぞ」
「はい、絶対に」
痛いのは自分の傷じゃなくて、室井の心。
青島はそれを忘れてはいけないと思った。
END
2004.5.5
あとがき
5000HITのお礼に、宗助さまよりリクエストしていただきました!
リク内容は「怪我話」ということだったのですが…。
ど、どうでしょうか〜???(汗)
もっとテンションの高いお話になる予定だったのですが、
室井さんを静かに怒らせたために中途半端なシリアスに…。
私の書くシリアスが中途半端なのはいつものことなのですが(笑)
ご希望に添えていませんでしたら、大変申し訳ありません!!
この室井さん、ちょっと我侭でしょうか。
青島君がやるべきことは理解しているけれど、大事な人が傷つくのは耐えられない。
それは当然の感情でしょうけどね…。
それにしても路上で何してるんでしょうね、この二人(笑)
template : A Moveable Feast