■ Special day4
改札から流れ出てくる人波を眺めながら、室井は少し緊張していた。
それでも視線を巡らせ、しっかりと緑のコートを見つける。
室井に気付いた青島が大きく手を振って寄越した。
室井が振り返す間もなく、大股で駆け寄ってくる。
目の前にいる青島を見て、本物だなと馬鹿なことを思った。
「おめでとうございます、室井さん」
満面の笑みの第一声に、嬉しさと照れで苦笑いしてしまう。
青島は思い出したように付け足した。
「今のは誕生日のおめでとう、ね。それから、明けましておめでとうございます」
ぺこりと頭を下げた青島は、顔を上げても笑顔だった。
ずっと見たかった笑顔だと実感し、胸が詰まる。
ついじっと見つめていると、青島は少し戸惑ったように上目遣いで室井を見た。
「ええと…俺の顔になんかついてます?」
身惚れていただけだ、とは言えるわけもない。
「いや、ありがとう…今年もよろしく」
祝いの礼と新年の挨拶をすると、青島はまた笑顔を見せた。
可愛いなと思ったが、今度は同じ失敗はせずに自然に視線を逸らすと、青島が手にしていた大きめの鞄を引き取り歩き出す。
青島はすぐに後ろをついてきた。
青島は本当に1月3日に会いに来てくれた。
明日も休暇を取ってくれているので、今日は泊まって行ってくれる。
もちろん室井も青島に併せて休暇をとっていた。
実は1日2日は休暇をとり秋田の実家に帰省する予定だったのだが、3日4日の休暇を確保するためにそちらはキャンセルしている。
がっかりしているであろう両親には申し訳ないが、この埋め合わせは近日中に必ずすることにして、今年の正月ばかりは勘弁してもらうことにした。
このことは青島にも話していない。
言えば、絶対に遠慮されるからだ。
想いが通じあって初めて青島と会えるチャンスを、どうしても逃したくなかった。
ソファに座る青島にマグカップを手渡すと、室井も隣に腰を下ろした。
「本当にどこにも寄らなくて良かったのか?」
駅からまっすぐ室井の自宅に戻っていた。
青島は広島に来るのが初めてだという。
車で迎えに行ったからついでにどこかに寄り道して観光でもするかと誘ってはみたが、意外にも青島は「室井さんの家に行きたい」としか言わなかった。
「観光もしたいけど、また今度にします」
言ってから、少し室井の顔色を窺うような視線を寄越す。
「また来ても、いいんですよね?」
「当たり前だろ」
思わず力をこめて応えると、青島は破顔して頷いた。
「今日はほら、室井さんに会いに来ただけだから」
それだけが目的だと言われれば、歳甲斐もなく舞い上がるような喜びを感じる。
それが面に出ないのが玉にきずなのか、幸いなのか。
こんなに嬉しい誕生日は、室井のこれまでの人生の中には存在しなかった。
「これ、プレゼントです」
大したもんじゃないっすけど、と言って手渡されたのはキレイにラッピングされた小さな箱だった。
「来てくれるだけでいいと言ったのに…」
そう言いながらも、青島からのプレゼントは素直に嬉しかった。
初めてハンカチを貰った時から、この感動は変わらない。
例えそれが義理を含んだ贈り物だったとしても、青島が毎年室井のために用意してくれるプレゼントが嬉しかった。
しかも、今年に至っては義理でもなんでもなく、正真正銘恋人としての心のこもったプレゼントだ。
嬉しくないわけがなかった。
「ありがとう、開けていいか?」
「もちろん」
本当に大したもんじゃないっすからね、と念を押す青島は照れているようだった。
小さな箱を開けると、中には財布が入っていた。
黒い長財布は奇を衒わないスタンダードなデザインだったが、肌触りのいい柔らかい革が安いものではないことを物語っている。
それなりに値の張る腕時計を贈った室井が言うのもなんだが、例年とはまるで違った気負いのあるプレゼントだった。
物の価値で感情を測るつもりは毛頭ないが、大事ではない人に高価なプレゼントを贈ることは考え難い。
青島のプレゼントは、青島にとって室井が特別な人間である証だった。
室井が黙って財布を眺めていると、気まずいのか青島がべらべらと話し出した。
「何がいいのか考えたら、やっぱり毎日使うものがいいなって思って。時計じゃ芸がないし、申し訳ないないけど、貰った時計みたいな高価なやつは買えないし。靴とか服はサイズ分かんないし、アクセサリーはつけるとは思えないし…」
室井が青島を見ると、青島は不安と期待が混ざった表情で室井を見ていた。
不安など、感じる必要がどこにある。
「ありがとう、毎日使う」
嘘でも大袈裟でもなく真剣に宣言すると、青島はホッとしたように笑みを零した。
「良かったら、使ってやってください」
「ああ、明日から早速使わせてもらう」
内心使うのも勿体ないなという気持ちが無くもなかったが、青島が毎日使えるという理由で選んでくれた財布だった。
手に馴染むくらい使い込んだ方が、いいに決まっている。
室井は触り心地の良い革を撫ぜて、とりあえずそっと箱に戻した。
「無理したんじゃないのか?」
「全然…とはいわないけど、今年くらいは奮発したくてね」
青島は見栄をはることはせず、そう言って笑った。
室井が玉砕覚悟で贈ったプレゼントに、プレゼントで応えてくれたのかもしれない。
「気を遣わせてしまったな…」
「気なんか遣ってませんよ」
青島は悪戯っぽく目を輝かせ、室井の顔を覗き込んできた。
「気持ちは込めましたけどね」
何よりのプレゼントだと思った。
室井は衝動のまま青島の頬に手を伸ばした。
手の平に自分と違う体温と柔らかな感触。
こんなふうに青島に触れたのは、当然だが初めてだった。
嬉しいことに、青島は逃げていかない。
室井に頬を触らせたまま、じっとしている。
恋人になったのだから当然といえば当然だが、触れられるという事実に感動した。
そのまま顔を寄せるが、青島はやっぱり逃げていかずに、ただ瞼を落とした。
そっと唇を合わせ、触れるだけで離れる。
もっとと青島を求める声が自分の内にあることを知っているが、嫌がられないかどうかが心配だった。
目を開けた青島ははにかむような笑みを見せた。
「なんか、照れくさいですね…」
そう言いながらも、今度は青島から顔を寄せてくる。
柔らかく触れてくる唇に、全く嫌がられていないことを知ると、室井は離れていこうとする青島の唇を追いかけ塞いだ。
角度を変えて何度も重ねて、青島の唇を求めた。
青島が逃げださずにいてくれたおかげで、彼と交わす初めてのキスは意図せず長いものになった。
触れるだけに止めたのは、室井の理性の勝利である。
青島と深く唇を合わせると我慢出来なくなる予感があった。
ゆっくりと唇を離すと、青島はほんのりと顔を上気させていた。
室井の喉が上下したことになど気付くこともなく、青島は室井の肩に額を押し付けた。
「室井さんとこんなことするなんてね…」
信じられないとしみじみ呟く声には、彼の照れを感じて愛しく思った。
気持ちのまま、ぎこちない仕草ではあったが、青島の髪を撫ぜて背中を抱いた。
「イヤか?」
「そんなわけないでしょ、でもちょっと変な感じかな」
「確かに…ちょっと不思議だな」
青島とこうしていることが未だに少し信じられない。
長い夢だと言われたら、そう信じてしまうかもしれない。
「都合のいい夢、見てるだけだったりして」
青島が室井の肩に顔を埋めたままそう呟くから、室井は思わず笑ってしまった。
二人揃って同じ夢を見ているのだとしたら、それはそれで幸せかもしれない。
だけど、これは紛れも無い現実だ。
室井は暖かい青島の身体をしっかりと抱き締めた。
青島が来てくれると知ってから連れて行こうと思っていたカキ鍋の美味い店があったが、結局夕飯は室井の自宅で食べた。
青島が望んだからだ。
どこかに行くよりも二人でいたいと言われれば、室井もカキ鍋などどうでも良くなった。
軽く酒を飲み交わしながら、いつにも増して饒舌だった青島は、室井の話を随分と聞きたがった。
互いに知らないことが多すぎる。
青島がこの短い逢瀬で出来るだけ距離を縮めたがっているのが分かったのは、室井が敏いからではなくただ単に同じ気持ちだったからだ。
室井は精一杯誠実に青島に応え、口下手なりに言葉を尽くした。
それは、青島に会うこともままならなかった室井にとっては、幸せな作業だった。
「風呂、ありがとうございました」
風呂場から出て来た青島が寝室に入ってきたから、室井は緊張を悟られないように気をつけて更に緊張した。
青島用の布団を、室井のベッドの横に敷いてある。
ここで一緒に一晩過ごすのだから、室井の緊張も無理は無かった。
思いも寄らず青島の気持ちが手に入った幸運だけで、今のところ満足している。
だが、青島を欲しいという気持ちはずっと前からあった。
この先を急ぐほど若くはないし理性にも自信があったが、何分青島と一晩を過ごすことなど初体験だった。
焦って失敗したくない。
つまり青島に嫌われたくないだけだったが、室井にとっては重要なことだった。
「気持ち良かったです」
「そうか」
「先にすいません」
「客なんだから、気にするな」
遠慮を見せる青島にやんわり言って、室井は力まないように小さく息を吐いた。
「布団、隣に敷いたがいいか?」
緊張が伝わらなければいいと願った。
「あ、はい、ありがとうございます」
青島が笑顔で頷いてくれるからホッとした。
恋人同士とはいえ、成り立てほやほやで、距離感が掴めない。
枕を並べて寝ることには青島も抵抗がないようで安心した。
「俺も風呂に入ってくるから、先に寝ててくれ」
青島にそう声をかけ、室井は風呂に向かった。
いつもより心持ち短い入浴を済ませた室井が風呂場から出てくると、リビングに青島の姿があった。
ソファに座り、煙草を吹かしている。
テーブルに置いてある灰皿は、この日のために用意したものだった。
青島のためだけの灰皿だ。
風呂から上がった室井に気付き、青島は煙草を掲げて見せた。
「すいません、一服してました」
「煙草くらい好きに吸え、一々断らなくていい」
言ってから、思い直して付け足す。
「いや、だからって、吸い過ぎるなよ」
煙たいからという苦情ではなく、青島の健康が気になっての余計な世話だった。
それに気付いているのか、青島は笑って煙草を消した。
室井を待っていたとばかりに腰をあげた青島と共に寝室に向かう。
「先に寝ていて良かったのに」
「ん、まあ、折角なんで…」
青島はごにょごにょと呟いて言葉尻をごまかした。
照れくさそうな顔を見て、折角という言葉に意味などないのだと判断した。
室井と一緒に寝ようとして待っていてくれたのだろうと思い、室井は小さく笑った。
少し乱暴に青島の頭を撫ぜて、驚いている青島から手を引いた。
こんなふうに当たり前に触れられることが、堪らなく嬉しかった。
「寝よう」
室井は浮れている気持ちを悟られる前に布団に入ろうとしたが、青島が腕を掴んで引き止めた。
驚いて青島を見上げたが、青島はどこか困ったような顔で室井を見ていた。
「青島?どうかしたのか?」
「いや、その…」
酷く言い辛そうに口を開いた青島だったが、少し躊躇ってから、室井に顔を寄せてきた。
驚いた室井が瞼を落とす暇もなく、唇が触れ、離れていった。
「ね、室井さん、…いやですか?」
青島が不安そうに聞くから、室井は首を振った。
「いやなわけないだろ」
室井が青島の頬を掴み唇を寄せると、青島が苦笑した。
「違う、室井さん、そうじゃなくて…」
キスを遮られて、室井は思わず眉を寄せた。
「青島?」
「だから、そのー…」
「…?なんだ、はっきり言え」
「えーと、あのー、だから…」
青島は意を決したように、室井をベッドに座らせ、両肩に手を置いて、室井を見下ろした。
「明日別れたら、またしばらく会えません」
青島が分かりきってはいるが切ないことを言うから、室井は眉をひそめた。
「そうだな…」
青島の両手が室井に頬に触れ、至近距離で見つめられる。
熱っぽい眼差しに、室井は背中がぞくりとした。
室井だって木石ではないから、愛しい人に欲情しないわけがない。
この態勢はまずいと思ったが、青島の手を振り払うことなど室井には出来なかった。
「やっと恋人になれてやっと会えたのに、今夜しか一緒にいられないんです」
それが不満だとばかりに呟く青島が、唇を重ねてくる。
何度も重ねられるそれに、室井は理性が揺らぐのを感じ、慌てて青島の手を掴んで顔を離した。
「青島、ちょっと待て…」
「いやですか?」
もう一度聞かれて、それがキスのことではないとようやく気付き、室井は目を剥いた。
驚愕している室井を見下ろし、青島は気まずそうに笑った。
「俺はもっと室井さんのことが知りたいです」
でも時間が足りないと、青島が呟く。
室井の膝に乗り上げるように迫る青島に、室井は耳の裏が熱くなった。
「今すぐもっと知りたいって言ったら、迷惑ですか?」
青島にそこまで言われれば、理性などどこかに行ってしまう。
また、我慢している理由もなかった。
室井は青島の後頭部に手を回した。
「俺も知りたい、ずっと知りたかった」
軽く唇を合わせると、青島は嬉しそうな笑みを見せた。
「奇遇っすね」
ついばむようなキスを繰り返しながら、青島が体重をかけてくる。
密着した身体から感じる熱に、頭が何かを考えることを止めた。
心や身体が望むまま青島の肩を掴むと、抱き寄せる。
そのまま身体を入れ替えベッドに押し倒すと、ぽかんとしている青島と目が合った。
「抱きたい、いいか?」
真顔で逆に問いかけたら、青島は益々目を丸くしてしまった。
しばらくあーとかうーとか言っていた青島だったが、やがて苦笑気味に笑った。
「室井さんがしたいなら、俺はそれでいいですけど…」
誕生日プレゼントが俺とかそんなベタな…とかなんとかぶつぶつ呟く青島は照れているようで、室井の首に腕を回ししがみついてきた。
室井はその身体をきつく抱き返しながら、小さく笑った。
「最高の誕生日プレゼントだ」
「見送りありがとうございました」
改札口のところで、青島が軽く頭を下げた。
青島はもう東京に帰ってしまう。
帰したくないという気持ちがどうしても溢れてくるが、そんなわけにはいかない。
気持ちを隠すように、眉間に皺を寄せて頷いた。
「こっちこそ、遠いのに来てくれてありがとう」
「俺が来たかっただけだから」
「…そっか」
「そうです」
益々眉間の皺を深くした室井に笑って、青島は右手を差し出した。
握手を求めるその手に、そっと触れる。
ぎゅっと握り返されたのは一瞬で、すぐにその手が離れた。
それに寂しさを覚えたが、
「あんまり手握ってると、連れて帰りたくなっちゃうから」
と青島が小さく呟くから、同じ気持ちでいてくれることが分かる。
ずっと一緒に居ることは出来ないけれど、同じ気持ちでいられれば十分だった。
室井はまた一つ頷くと、青島に少しだけ触れた手をぎゅっと握りしめた。
「気を付けて帰れよ」
「はい」
「また連絡する」
「俺もしますね」
青島は室井に微笑んでから、腕時計を見た。
もうそろそろ新幹線の時間だった。
「青島」
青島に一つだけ言っておきたいことがあった。
「待っていてくれ、必ず戻るから」
顔を上げた青島は室井を見て、当然とばかりに深く頷いた。
「待ってますよ」
強い眼差しは、室井にならやれると無条件で信じてくれている証だ。
出会った頃と変わらない信頼が心強い。
意志は強い方だと自身でも思うが、青島からの信頼だけは絶対に裏切れないという思いもある。
青島は室井が警察官で居続ける理由の一つだった。
青島がいれば、室井はまだまだ上を目指せる。
変わらない信頼を確認し満足した室井に、青島は不意に悪戯っぽい笑みを見せた。
少し腰をかがめて室井に顔を近付け、耳元で囁く。
「待ってるから、浮気しないでさっさと帰って来てくださいね」
目を剥いた室井に、青島は手を振って改札を通って行った。
去って行く後ろ姿に思わず声をかける。
「青島っ」
青島は振り返ってくれたが、それ以上の言葉が続かない。
まさか大きな声で君こそ浮気するなよとは言えない。
声をかけたくせに口ごもる室井に笑って、青島は大きく手を振って見せた。
室井が小さく振り返すと、青島の笑みが深くなる。
その顔が見られただけでも、呼びとめて良かったのかもしれない。
青島は子供みたいにぶんぶんと手を振って、人波に消えて行った。
緑のコートが見えなくなると急に寂しさが膨れ上がるが、微笑ましい青島の姿が頭に浮かびつい笑ってしまう。
室井はこみ上げる笑いを噛み殺しながら、岐路に着いた。
青島が自宅に着く頃、電話してみよう。
そう思うだけで、幸せな気分になった。
END
2012.1.3
あとがき
室井さん、お誕生日おめでとうー!!
…なんとか間にあいました(^^;良かった〜
幸せボケしてる感じの室井さんでしたが(うちの室井さんはいつでも大体そうですが)
お誕生日なので幸せに越したことはないですよねーと誤魔化してみます(笑)
東京⇔広島間の交通費が高くてびっくり!
陸続きでも高いんですねえ…。
青島君は室井さんにお車代でも出してもらうといいですね。
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