■ 視線2


捜査会議が終わると、刑事たちがぞろぞろと会議室から出て行く。
それを見るともなしに眺めながら、室井はひっそりと溜息を吐いた。
中々進展のみえない捜査にも溜息が出るが、室井が憂鬱なのは他にも理由があった。
捜査会議に姿のなかった青島のことだ。
数日前の捜査会議にも参加しておらず、あの捜査好きな男にしては珍しいことだった。
つい気になって袴田に聞いてみると、他の事件で外出中だと言われたが、それが本当のことかどうか分からなかった。
何故室井がそんなことを疑うかといえば、青島に避けられる身に覚えがあるからだ。
―いや、俺はまだ何もしてないが…。
手にしていた捜査資料を適当にまとめながら、憮然と思う。
確かに室井は青島に何もしていないし、何も言っていない。
言ったのは、「話がある」という言葉だけだ。
だから、青島に避けられるようなことは、まだ何も言っていない。
しかし、と思う。
青島は勘働きの良い男である。
室井がわざわざ改まって口にした「話がある」という言葉の意味を悟っているのかもしれない。
悟られるのは構わなかった。
どっちみち青島に伝えると心に決めている。
伝わっているのなら、青島にとっては迷惑かもしれないが、それはそれでいい。
だが、その結果として青島に避けられているのだとしたら、室井は青島に何を伝えるまでもない。
―俺は振られたのか。
そう思うだけで、室井の眉間に深い溝ができた。

好きだと気付いたのは、最近だった。
それまでは、やけに視界に入ってくる男だと思っていただけだった。
青島という男は、良くも悪くも目立つ男である。
湾岸署での騒ぎの中心には、いつもと言っていいくらい彼の姿があった。
だから湾岸署に行くたび室井の視界に青島が入ってくるのは当然だと思っていた。
そのことに違和感を覚えたのは、そこにはない青島の姿を探している自分に気付いた時だった。
袴田に用事があり刑事課を訪れたのにも関わらず、室井が最初に探したのは青島だった。
刑事課にその姿はなくガッカリした自分に驚いた。
青島には用事もなかったのに会えないことにガッカリしたのは、青島にただ会いたかったからだ。
顔が見たい、声が聞きたいと、無意識に願っていたのだ。
そんなことを願う理由は一つしか思い当たらない。
恋愛事に疎い室井でも、それくらいは理解できた。
青島を好きなのだと気付いたら、益々視線を逸らせなくなった。
だが、こんな気持ちを青島に悟られては困るという気持ちもあった。
相手は同じ警察官であり、最悪なことに同性である。
知られれば気持ちが悪いと思われても嫌われても文句は言えなかった。
だから、露骨な態度を取らないように意識したつもりだったが、間が悪いことに湾岸署で特捜本部が立ってしまった。
青島と共に捜査が出来ることは室井にとっては決して悪いことではなかったが、今はそうも言っていられない事情が室井にある。
室井は青島のことが好きなのだ。
青島の姿が視界に入れば、どうしても見ずにはいられなかった。
捜査会議中など最も酷く、ふと気付くと視線が青島のところで止まっているということが多々あった。
幸いにも、所轄刑事は後方の席に座らなければならないという如何ともし難い習慣があったため、気付かれる心配はないと思っていたが、青島にはなんとなく室井の視線に気付いている節があった。
「良く見てますね」と呟いた青島は、室井を深く追求しようとはしなかった。
だけど、何かを言いたげな表情を見せていたから、きっと室井の視線には気付いているのだ。
そう思ったら、もう隠してはおけないと思った。
ちゃんと自分の口で伝えたかったのだ。
うまくいくことはなくても、うやむやのまま自分の気持ちをなかったことにはしたくなかった。
だが、告白しようにも、湾岸署では特捜の真っただ中で、室井も青島も本来はそれどころではないはずだった。
それどころではないはずなのに捜査会議の最中に青島ばかり見つめてしまったのは不覚としか言いようがないが、無意識だったのだから仕方がない。
頭では事件のことを考えているのに、器用にも視線だけは青島を追っていた。
それだけ、室井は青島のことが好きだった。
だからこそ、室井は告白することを決めた。
事件解決を優先させたのは室井の生真面目さからだったが、無事に解決した暁には青島に告げるつもりだった。


夕方になり、室井は一旦湾岸署から引き上げることになった。
本庁に戻らねばならない用事があったからだ。
数名の部下と本庁に戻ろうと湾岸署のエントランスを出たところで、青島に会った。
外出しているという袴田の言葉は嘘ではなかったらしく、青島は今戻ってきたところだったようだ。
予期せぬ青島の出現に目を瞠っている室井に、青島も驚いていた。
それは一瞬で、すぐに愛想笑いのような笑みを浮かべる。
「お疲れ様です」
「…お疲れ様」
「本庁に戻るんですか?忙しいっすね、室井さんも」
彼らしい、何気ない会話だった。
青島はいつもキャリアの室井にも物怖じせず、屈託なく話しかけてくる。
それが室井には心地よかったが、今日はどこか余所余所しく感じられた。
室井が意識するあまりに勝手にそう感じているだけかもしれないが、青島に作りものめいた笑顔を向けられるのは辛かった。
「先に車に行ってくれ」
部下にそう指示を出すと、室井は青島と向き直った。
ふと青島の顔から笑みが消えて、戸惑いが浮かんだ。
「君も忙しそうだな」
捜査会議に現れなかったことを指して言うと、青島が苦笑した。
「すいません、捜査会議に間に合わなくて」
「君たちの仕事があったんだろう、謝る必要はない」
湾岸署の強行犯係には特捜本部の捜査を手伝ってもらっているが、だからといってその間所轄の仕事を後回しにするべきだとは室井は考えない。
彼らが優先すべきと考えた仕事に口を挟むつもりはなかった。
青島が室井を避けていないのであれば、の話ではあるが。
青島は少し視線を落としてから、室井を見た。
どこか困った顔に見えたが、愛想笑いよりも何倍もマシだと思えた。
「次の会議にはちゃんと出ますよ」
青島が居心地悪そうにしながらそう言った。
「そうか」
室井は満足して頷くと、「失礼する」と断ってエントランスを出た。
部下が待つ車に乗り込み、湾岸署を後にする。
青島が室井を避けているのかどうか、室井には判断が出来なかった。


約束通り、次の捜査会議の時には青島の姿があった。
遠くにその姿を見つけて少しホッとしたが、それもつかの間のことだった。
青島は会議の間中、室井に頭頂部しか見せずに、ずっと下を向いていた。
今までの捜査会議に青島がそんな態度で臨んだことなどなかったから、室井の発言が原因であることは容易に想像がついた。
室井と目が合うことを恐れているのか、室井の顔など見たくもないということか。
告げることを決めたのは室井なりのけじめだったし、室井の視線に気付いているであろう青島に下手な誤魔化しをしたくなかったからだ。
青島との関係をあやふやにして、不信感を残すようなことはしたくなかった。
あっさりした気性の青島のことだから、室井を振った後も今まで通りの付き合いをしてくれるのではないかと思ったが、もしかしたら告げるだけでも青島にとっては迷惑極まりないのかもしれない。
室井の真っ直ぐな性格上、一度こうと心に決めたことは貫き通したかったが、室井を避けるような青島を見ているとさすがに心が折れそうだった。
室井は暗く沈みそうになる気持ちを、なんとか事件に向けて、集中することで持ちこたえた。




神田署長の相変わらず分かりやすいよいしょを聞き流しながら、室井は捜査協力の礼を述べて刑事課を後にした。
容疑者として事情聴取した男が犯行を自供したために事件は無事に解決したが、結局あれから青島と口を聞くことはなかった。
口を聞くどころか、視線すら合わない。
今までなら顔を合わせればなんの衒いもなく話しかけてきた男が、室井の姿を見掛けると逃げるようにその場を去った。
実際、逃げられていたのだろうと思う。
室井の話など聞きたくもないという意思表示かもしれない。
ここまで、嫌悪を態度で示されれば、初志貫徹は出来そうになかった。
室井自身告白することさえできないのは辛かったが、何よりそこまで拒絶している青島に意地になって室井の気持ちを聞かせるようなマネはしたくなかった。
室井がどんなに真剣に想ったとしても、青島にとっては嫌がらせに過ぎない。
このまま諦めるしかないのかと思うと、事件が解決したとはとても思えない鬱々とした気分だった。
部下の運転する車に乗ってすぐに、着信があった。
また事件かと益々憂鬱になるが、出ないわけにもいかない。
「室井です」
『何か忘れてませんか』
もの凄くふて腐れたような声ではあったが、その声は間違いなく青島のもので、室井は目を剥いた。
驚きのあまり咄嗟に言葉が出てこない。
室井の沈黙をどう受け取ったのか、青島の声が更に沈んだ。
『忘れてないなら、もういいです』
「待て…っ」
青島が電話を切る気だと気付いて、慌てて引き止める。
幸いにも電話は切られなかった。
室井は青島に「話がある」と言ったことを忘れていたわけでも、無かったことにしたいわけでもない。
そうしたいのは青島の方だと思ったのだ。
だが、わざわざ青島から電話をかけてきたということは、そうではなかったということか。
動悸の激しくなった室井は、落ち着くように深呼吸した。
「話したいことがあるんだ」
改めて、もう一度言った。
『…室井さん、今どこっすか?』
「本庁に戻る車の中だ」
だからここでは言えないのだと言外に伝えると、青島はちゃんと分かってくれたらしく、今すぐ話せとは言わなかった。
『達磨、分かりますか?』
達磨という居酒屋は湾岸署の御用達らしく、湾岸署の接待を受ける上司に付き合わされて室井も行ったことがあった。
「分かる」
『じゃあ、今夜達磨で待ってます』
「ああ、必ず行く」
力強く約束したら、少しの間の後青島はもう一度待ってますと言って電話を切った。
室井も携帯を胸ポケットにしまい、何事かと興味深そうにちらちらと視線を寄越す部下にも構わず、眉間に皺を寄せ目を閉じた。
そうしなければ、顔が緩みそうだった。
地獄から天国といったら大袈裟だろうか。
だが、室井の心境としてはそれに近かった。
青島の心の内は分からない。
それでも、室井の言葉を聞くのも嫌だというわけではないらしい。
そんなことが、室井には凄く嬉しかった。


落ち着かない気持ちのまま何とか滞りなく仕事を終えて、室井は達磨に向かった。
中に入ると見覚えのある男がカウンターの向こうから睨んで来た。
いらっしゃいませと言って強面に笑みを浮かべるから、怒っているわけでもないらしい。
室井は小さく目礼を返し、視線を店内に泳がせた。
青島の姿は無かったが、ふいに声をかけられた。
「室井さん」
振り返ると、襖を開けた青島が個室から顔を出していた。
手招きされて、室井も個室に収まる。
別に接待のつもりはないのだろうが、営業マン時代の名残か青島はきっちりと下座に座っていた。
「ビールでいいっすか?」
室井が頷くと青島はすぐに店員にビールを注文してくれた。
青島の前には既に半分空いたビールのジョッキが置いてあった。
「すいません、先にやってました」
「構わない」
室井が言うと、青島はちょっとだけ笑みを見せた。
だが、室井のビールが来るのを待っているのか、それ以上ビールに口をつけようとはしなかった。
会話が途切れて、沈黙が降りる。
青島は手持ち無沙汰なのか汗を掻いたジョッキを弄んでいた。
少しだけその手を眺めて、室井は視線を持ち上げた。
室井が口を開くより先に、青島が言った。
「忘れちゃったのかと思いました」
青島が頬杖をついて室井を見た。
「話があるとか言ってたのに、捜査本部解散したらすぐ帰っちゃうんだもん」
やはり怒っていたのか、ふて腐れたように唇を尖らす青島は可愛かったが、のんびり眺めている場合でもない。
「忘れてない」
「どうですかねー、俺が電話しなかったら話しする気無かったんじゃないですかー」
半ば図星だったが、そうさせたのはどこの誰だと思う。
室井は眉間に皺を寄せた。
「君が俺を避けるからだろ」
恨めしげに言うと、青島は少し目を瞠ってから、気まずそうに顔を逸らした。
「だって…仕方ないでしょ、そんなの」
らしくもなく小さな声で言い訳する。
「どんな顔でアンタを見たらいいのか分かんなかったんですよ」
そう言う青島の横顔を、室井は思わず凝視した。
目元が赤く染まって見えるのは気のせいか。
室井の都合のいい勘違いでなければ、青島が照れているように見えた。
言葉もなく青島を見つめていると、青島がちらりと室井を見た。
「話、何ですか」
室井は真っ直ぐに青島を見つめた。
「青島、俺は…」
言いかけた途端に、襖が開いて驚いた。
店員が愛想良く笑って、室井のビールをテーブルの上に置く。
緊張で張り詰めていた空気が一気に弛緩した。
料理のご注文はと尋ねる店員に、青島は苦笑いで「後でね」と断りを入れた。
店員が引き上げ襖が閉まると、青島は肩を竦めた。
「とりあえず、乾杯しましょうか」
「君が好きだ」
これ以上黙っていられないとばかりに告げると、青島の目が丸くなった。
ジョッキを掲げようとしていた手が止り、固まっている。
青島は仕切り直ししようとしたようだったが、室井には悠長にそんなことをする余裕がなくなっていた。
室井が青島に話したかったことはこれだけである。
後は青島次第だ。
室井はじっと青島が口を開くのを待った。
「…俺のことやけに見てたのは、そのせい?」
おずおずと言われて、やはり青島には気付かれていたのだと思い苦笑した。
「そうだな…意識してやっていたわけじゃないが」
「俺なんか見て、何が楽しいんすか」
「分からない。でも楽しいな」
馬鹿正直に応えたら、青島が笑った。
愛想笑いではない、室井の好きな明るい笑顔だ。
「室井さん、趣味悪いっすね」
好きだと言った相手にそう言われても返事に困る。
青島は笑っているし、もう怒ってもいないようだったから、嫌味というわけでもなさそうだった。
だから、室井はまた素直に答えた。
「俺はそうでもないと思っているが」
青島は大きな目で瞬きをし、照れくさそうに頬を掻いた。
そして、右手を室井に向かって差し出してくる。
戸惑った室井がその意味を尋ねるように見ると、青島は肩を竦めた。
「俺は遠くで見られるよりも、話したり触ったりできる距離に居てもらった方が嬉しいです」
それはつまり―。
室井は信じられない思いでいっぱいだったが、咄嗟に差し出された手を取っていた。
その手を見て、青島ははにかむような笑みを見せた。
「俺も室井さんが好きみたいです」










END

2011.7.13

あとがき


続きを!とありがたいお声をかけてくださった方が何名かいらっしゃったので、
いそいそと書いてしまいました…(苦笑)

へこむ室井さんと居た堪れない青島君でした。
でも両思い。
なんか付き合いだしてからも、青島君は室井さんの視線の暴力(違うってば)に
耐えることになりそうな気もします(笑)

とりあえず、これでおしまいなので、短編に置いておこうかと思います。
うっかり続きを書いちゃったら移動します〜(^^;


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