■ recollection
軽く揺さぶられて、室井は目を覚ました。
運転席に座る青島に起こされたのだ。
「着きましたよ」
辺りを見ると、どこかの駐車場のようだった。
「…ここは?」
「阪急の王子公園駅の近くです。こっからはケーブル駅までタクシーで行きましょう」
言って、早速車を降りる青島に続き、室井もドアを開けた。
寝ている間にすっかり日が落ちていた。
駐車場を出て、タクシーを捉まえるために王子公園駅に向かう。
「すまない、結構寝てたみたいだな」
少しのつもりが思ったよりも深い眠りについていたようで、寝過ごしてしまったことを謝ると、青島は笑って首を振った。
「俺は先に寝かせてもらいましたから」
東京から神戸まで車で来ると、走り続けても7時間以上かかる。
幸い二人とも運転できるから、途中で交代しながら来たため、ほとんど車を停めることなく走って来られた。
室井が寝る前には、青島が助手席で少し眠っていた。
だからお互い様だと青島は言ってくれた。
駅の近くを流していたタクシーを捉まえて乗り込むと、青島が行き先を告げどれくらいの時間がかかるかを運転手に確認した。
目的地までは10分もかからないらしく、近場までの乗車を如才なく謝っている。
気軽に運転手と会話を交わす青島を、室井は半ば感心するように眺めていた。
自身ならこうはいかない。
運転手が今日は天気が良いから夜景がきれいに見えるだろうと愛想良く教えてくれる。
「良かったっすね、室井さん」
青島が嬉しそうに笑った。
それが目的で来ているのだから、確かに良かった。
「遠出した甲斐があったな」
「本当っすね」
鼻歌でも歌いだしそうな青島は機嫌が良かった。
神戸旅行を決めたのは、今朝だった。
本当に珍しく二人揃って連休が取れたため一緒に過ごす約束はしていたが、東京を出る予定は全くなかった。
ところが今朝になって青島が唐突にどこかに行きたいと言い出したのだ。
室井には特に希望がなかったため、君の好きにしろと言ったら、行き先が神戸に決まっていた。
さすがに行き先が遠くて驚いたが、青島はインターネットで観光地を調べあげると午前中のうちに予定を立てて、午後には室井を迎えに来ていた。
青島がそんなに神戸に行きたいのであればその旅行に付き合うことに文句はないが、車で行くのではあまりに時間がかかる。
一応、旅費は持つから飛行機で行かないかと誘ってみたが車で行きたいと言い張るので、結局長距離ドライブになってしまった。
実際にやってみると、時間はかかったがたまには悪くないなと室井も思った。
日頃見慣れない景色を眺めながら、青島と二人で車を走らせるということが、思いの他楽しかったのだ。
初めての経験だったからか、日常から離れたせいか、新鮮でもあった。
一泊二日ではあれどその大半を移動に費やし、旅行と言えるかどうかは微妙な旅になったが、青島の誘いに乗って正解だったと思った。
ケーブルとロープウェイを乗り継いで傾斜のきつい山を登ると、山頂に着いた。
「寒いっすねぇ」
ロープウェイを降りた途端に青島はコートの襟首を寄せて身を竦めた。
「山の上だからな」
「下と全然気温が違いますね」
「ちょっと待ってろ」
視界に入った自販機で缶コーヒーを二本買うと、青島に一本渡した。
カイロ替わりになるだろう。
礼を言って缶コーヒーを受け取った青島は、両手で缶を握りしめた。
「あったかい」
「そうだな」
「どうせ温まるなら、室井さんの手の方がいいけどね」
目を剥いた室井に悪戯っぽく笑って、青島は歩き出した。
「仕方ないからコーヒーで我慢しますよ」
並んで歩きながら、室井は眉間に皺を寄せた。
「…コーヒー返せ」
「冗談だったら。けちくさいこと言わないでくださいよ」
「手でも何でも握ってやる」
ぶっきらぼうに言ったら、今度は青島が目を丸くした。
もちろん室井の戯言も冗談だった。
ただ暗いし、人気も少ないから、少しくらいならとちょっとだけ思った。
だが、青島はくすぐったそうに笑って肩を竦めた。
「嬉しいけど、また今度」
「…そうか」
「ホッとするくらいなら言わないでくださいよ」
声をあげて笑う青島の背中を軽く叩いて、展望台を指差した。
展望台にはいくつか人影があったが、その隙間から灯が見えた。
「あ」
青島は小さく呟くと、大股で展望台に向かっていった。
室井もその後を追う。
手摺に掴まり少し身を乗りだして夜景を眺める青島の隣に並んだ。
「うわ…凄いっすね…」
青島が言葉少なく感嘆した気持ちが良く分かるから、室井も頷いた。
「そうだな…」
眼下には、神戸の街の灯が一面に広がっている。
海と山は真っ暗なせいか、ビルや街頭の灯が鮮やかに見えた。
100万ドルの夜景とは良く言ったものである。
室井は静かに感動した。
「あの辺が三ノ宮かなあ」
青島が曖昧に指を指しながら呟いた。
室井には神戸は馴染みのない街だから良く分からなかった。
「君は神戸に来たことがあるのか」
「学生の頃だから、大昔にね」
「そうか」
一瞬、当時の彼女とだろうかと思ったが、どうでもいいことだった。
大事なことは、青島が今自分といることだ。
それだけで十分だった。
「その時は雨降ってて、夜景見れなかったんですよねー」
青島はゆっくりと夜景から視線を剥し、室井を振り返って笑った。
「良かった、一緒に見れて」
嬉しそうに笑う青島に、ほらやっぱりと思う。
大事なことは、今青島が室井を望んでくれていることだ。
「ああ、そうだな」
余計なことを考えていたせいで簡素な同意になってしまったが、気持ちは青島と一緒だった。
室井の反応が薄くても青島は気にしたふうもなく、再び夜景に視線を戻した。
室井も青島から視線を逸らし、夜景を眺める。
しばらくの間、二人とも黙って夜景に見入っていた。
若い男女の大きな声で我に返った。
ロープウェイから若者の集団が降りて来て、夜景を見て盛り上がっていた。
それを眺めて、青島は苦笑した。
「若いっすね」
「そうだな、寒いのに元気だ」
「おっさんたちはそろそろ降りますか」
満足したのか、青島が展望台から離れるから、室井も後に続いた。
歩きながら、青島が言った。
「なんか急に室井さんと夜景が見たくなってね」
ちらりと青島の横顔を見やると、青島は少し視線を落として笑っていた。
「だから神戸だったのか?」
「東京でも見れるんですけどね、二日も休みあったし…なんとなく」
神戸を選んだことに深い意味はなかったようだ。
夜景のきれいなところを選んだら、神戸だったのかもしれない。
前に神戸に来た時には夜景を見られたかったということが、心のどこかに残っていたせいかもしれない。
室井にとっても、理由は何でも良かった。
青島と二人でいて、同じ景色が見られるなら、何だって良かった。
「君の気まぐれのおかげでいいものが見れたわけだな」
ありがとうと告げると、青島は室井を振り返り、照れくさそうに笑った。
「こっちこそ、こんなとこまで付き合ってくれてありがとうございます」
君が行くならどこへでも。
言葉にはしなかったが、青島はきっと知っているだろう。
三ノ宮の駅近くの駐車場に車を停めて、青島がやっぱりネットで調べて来ていたステーキハウスで神戸牛を食べて軽くワインを飲み、その近くにあったビジネスホテルにチェックインした。
折角だからもう少しお洒落なホテルに泊まることも考えたが、どうせ寝るだけだから無駄に金を使うこともないだろうということになった。
部屋に入ると、青島は二つあるベッドの片方に身を投げ出した。
「あー、疲れたー」
途中で交代はしたものの、青島の方が長距離を運転していた。
室井よりは若いとはいえ、青島ももう無理の利く歳ではなかった。
それにワインが効いているのかもしれない。
深酒はしていないが、疲れた身体では酔いも回るだろう。
「早く風呂に入って寝た方がいいな」
「そうっすね…」
言いながらも、今にも寝そうな青島に室井は苦笑した。
風呂に入らないまでも着替えくらいはするべきだ。
「青島、寝るなら着替えろ」
「んー…風呂入ります…」
むくりと起き上がり、欠伸をしながら室井を見た。
「室井さんは?」
「後でいい。君が先に入れ」
「ん、じゃあ、お言葉に甘えます」
のっそりとベッドから降りて、着替えを手にバスルームに向う。
ドアを開けて、室井を振り返った。
「一緒に入ります?」
眠そうなくせにそんなことを言うから、室井は眉間に皺を寄せた。
「狭いだろ」
「まあ、そうっすね」
「いいからさっさと入ってこい」
冷たいなぁと笑いながらバスルームに消えていく。
ドアが閉まると室井は小さく溜め息を吐いた。
不用意にからかったりして、万が一室井が喜んで「一緒に入る」と答えたらどうするつもりだったんだと思ったが、それならそれもいいかなと青島が思っていたことを室井は知らなかった。
室井がバスルームを出ると、案の定というかなんというか、青島は既に眠っていた。
少し寂しいが、予想通りなのでガッカリはしない。
青島のベッドに軽く腰をかけ、その顔を覗き込む。
力の抜けた幸せそうな寝顔に苦笑したが、青島にとってこの短い旅行が良い思い出になるのなら、何よりだと思った。
そして、また一緒にこられることを小さく祈り、そっと髪に触れて腰を上げた。
「おやすみ」
意識のない恋人に小さく囁いて、室井もベッドに入った。
電気を消し、目を閉じる。
室井も疲れていたのか、眠気はすぐにやってきた。
いつもの布団とは違う感触に馴染む前に、意識が暗くなり眠りに落ちた。
それが一瞬だったのか一時間経っているのか分からなかったが、不意に意識が戻る。
傍らのぬくもりに驚いた。
「あ、青島…?」
青島が室井のベッドに潜り込んで来ていた。
「室井さん、もう少しそっち」
促されて、訳が分からないままベッドの端に身を寄せ、青島の寝るスペースを作ってやる。
青島は満足げに寄り添い、室井の身体に腕を回した。
慣れた匂いと温もりにどきりとしながら、室井は今更なことを聞いた。
「青島、ここで寝る気か?」
「だめ?」
「だめじゃないが、狭いだろ」
「室井さん、さっきからそればっかり…」
青島がくすくす笑いながら頬を擦り寄せてくるから、室井は条件反射でその背中を抱いた。
息が首筋にかかり、無意識に眉が寄る。
眠そうな青島を見れば誘っているわけではないことは分かるし、室井自身そんなつもりもなく就寝したはずだったが、だからといってこの状態で何も感じないほど老成はしていないから困る。
温かくて愛しい身体をしっかりと抱きしめながら、どうしたものかなと思う。
このまま寝るのは少し辛い気もするが、離れてほしいとも全く思っていない。
「俺、今もの凄い眠くて」
唐突に青島が言った。
呂律が少し怪しい眠気を含んだ声に、室井は苦笑した。
「だろうな」
「だから室井さんを襲う元気もないんだけど」
「……」
「離れて寝るのも、なんか寂しくてね…」
語尾の掠れた甘い言葉に、室井は見えもしない青島の顔をついつい見ようと目を凝らしてしまった。
「折角傍にいるんで…隣、貸してください…」
青島はそれだけ言うと、寝息を漏らし始めた。
ろくに見えない寝顔をまじまじと見つめて、室井は諦めたように溜息を吐いた。
こうなってしまっては室井に選べる選択肢などあるわけがない。
青島を残して隣のベッドに移ることもできなくはないが、そんなことは論外である。
青島が望むなら、隣くらいいくらでも貸し出してやる。
そのくらいの度量はあった。
室井は眠る青島の邪魔をしないようにそっと青島の頭を撫ぜ、額に唇を押しつけて自身も瞼を落とした。
触れる体温と聞こえる寝息に誘われるように、すぐに再び眠気が訪れる。
眠りに落ちる瞬間に青島が何か寝言を言った気がして、室井は妙に幸せな気分で小さく笑ったまま意識を失った。
END
2011.4.24
あとがき
私の神戸旅行の記念話でした〜。
二人にきれいなものを見せてあげたいわ!なんて気持ちだったのですが、
書いてみたら妙にまったりしたお話になってしまいました…
盛り上がりに欠けるお話ですみませんっ(^^;
男の人なので、何もしないなら別々に寝たいんじゃないかという気もしますが(笑)、
疲れて甘えたな気分の青島君ということで〜。
ただ一緒に寝るっていうのも、可愛くていいなと思います。
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