■ 遅咲き(3)


帰宅した青島は、玄関に自分とはサイズの違う革靴を見つけて笑みを浮かべた。
仕事が終わってから会う約束をしていたが、どうやら室井の方が先に仕事が終わったようだ。
室井には勝手に部屋に入って待っていてくれと伝えてある。
少し前に合鍵を渡してあったが、使われたのはこれが初めてだった。
妙に照れくさい。
渡した時も気恥かしかったが、あの時は室井が嬉しそうな顔をしてくれたから、青島も渡して良かったなと思ったものだった。
「ただいまー」
普段ならすることのない挨拶を口にして、青島は部屋に入った。
室井は台所にいた。
「おかえり」
ワイシャツ姿で青島のエプロンをして台所に立っている。
玄関のドアを開けた時から食欲を煽られるような良い匂いがしていたから、室井が何を作っていたかはすぐに分かった。
青島は喜々としながら室井の隣に立ち、鍋を覗いた。
「わあ、うまそー」
「勝手に色々借りたぞ」
「そりゃあ、もう…でも、うちの冷蔵庫、大したもん入って無かったんじゃない?」
「米と調味料はあったぞ。野菜と肉とカレールーは買って来た」
苦笑する室井に、青島も笑った。
大したものがないことくらいは、室井にもお見通しだったようだ。
青島も外食に飽きれば時々は自炊もするが、それも本当に時々だった。
料理をする時間がないのも確かだが、自分のために料理をするのが面倒くさいというのが一番の理由だった。
仕事から帰って来て食事が用意されているという状況は久しぶりである。
随分昔に付き合っていた彼女にしてもらった以来だった。
あの頃よりも有難いなぁと感じるのは、青島が歳をとったせいか、相手が室井だからか。
「どうした?」
黙り込んだ青島を室井が不思議そうに見上げてくる。
なんでもと首を振りつつ、青島はじっと室井を見た。
「室井さん」
「なんだ?」
「嫁に来ません?」
室井が目を剥いた。
そして、呆れた顔をする。
「それは、飯を作るために嫁に来いと言ってるのか?」
「だって、良くないですか?帰って来たら誰かが家で待っててくれて、しかも飯が出来てんの。憧れるなあ」
「そんなプロポーズに頷いてくれる女性がいると思うか」
「まあ、いないでしょうね」
室井に言われるまでもなく青島もそう思うから肩を竦めて同意した。
飯を作るために結婚してくれと言われて喜んで結婚してくれる人はまずいないだろう。
青島だって女性にプロポーズするならもう少し言葉を選ぶ。
室井相手だから言えた戯言だ。
それは本音を含んでもいたが、室井はそうはとらなかったようだし、青島もそれで良かったから余計なことは言わないでおいた。
「馬鹿なこと言ってないで、着替えてこい」
室井にあっちに行けとばかりに手で追いやられて、青島は笑いながら台所を離れた。


「カレーくらいで釣れるなら、君も安い男だな」
食事が終わりリビングでまったりしていたら室井が言った。
満腹になった腹を擦りながら視線を向けると、室井はコーヒーを啜っていた。
「そうかな?別にカレーで釣られたわけじゃないけど」
室井はちらりと青島を見た。
「…嫁さんが欲しいのか?」
聞かれて、目を丸くする。
そんなつもりで言ったわけではないし、室井がそんなことを気にするとは思いもしなかった。
本当に嫁が欲しければ、室井と付き合うわけがない。
10年以上も片思いしてきて、室井以上に欲しい人がいるわけもなかった。
「嫁が欲しいんじゃなくて、室井さんを嫁に欲しいんですよ」
青島が当たり前だろうとばかりに言うと、室井の頬に赤みが差した。
「そ、そうか…」
「帰ってきて、飯があって、室井さんがいるっていいなーと思ったんです」
「…やっぱりそのプロポーズは微妙だな」
飯にこだわる青島が気になるのか苦笑する室井に、青島は笑って手を伸ばした。
室井の手を握り指を絡める。
「振らないでくださいよ」
「振るわけないだろ」
「なら嫁に来てください」
「…共働きだから、家事は分担だぞ」
珍しく冗談に乗った室井が顔を寄せてくるから、青島は目を閉じた。
そっと唇が重なり、離れたと思ったらすぐにまた触れる。
角度を変えて何度も重ねるうちに徐々に口付けが深くなり、比例して身体も熱くなってくる。
それなのに、青島は思わず場にそぐわない笑みを零した。
笑ったせいで震えた青島を、室井が訝しげに見る。
「どうした?」
「いや…カレー臭いなと思って」
今更だが、部屋の中はカレーの臭いでいっぱいである。
「気になるか?」
「なるってほどでもないけど」
ムードも何もあったものではないなと思って、おかしかったのだ。
それを室井に伝えると、室井は少しだけ考えて立ち上がると、青島の手を引っ張った。
「室井さん?」
「ベッドに、行かないか」
ストレートな誘い文句に、室井が既にその気であることを知る。
青島にも異論はなかったから、手を引かれるまま立ち上がった。
「場所変えて、ムードでも出してくれるんですか?」
からかうと室井は嫌そうな顔をしたが、繋いだ手はそのままだった。
「君も協力しろ」
ぶっきら棒に言われて、青島は破顔して室井に顔を寄せた。
「喜んで」


事が済むと、二人とも交替でシャワーを浴び、パジャマに着替えてベッドに戻った。
室井のパジャマは少し前から、いつ泊まりに来てもいいようにと青島の部屋に用意されているようになった。
歯ブラシや下着の替えも用意してある。
あった方が便利だなと室井が漏らしていたから、そのうちスーツやワイシャツも完備することになるかもしれない。
少しずつ室井の私物が増えて行く部屋には感慨深いものがあるが、嬉しくもあった。
この歳まで独身でいて、漠然とではあるがこの先結婚をすることもないかもしれないと思っていたから、自分の日常の中に他人の存在があるのは不思議な感じもしたが、それだって悪くなかった。
それほど頻繁ではないが、こうして隣で眠れることも酷く幸せに感じる。
「…青島」
おやすみと挨拶をして電気を消した後だったが、室井が遠慮がちに声をかけてきた。
寝ていなかった青島は、見えはしないが室井の方に顔を向けた。
「なんすか?」
「ベッド、狭くないか?」
「そりゃあ、シングルっすからね」
狭いか狭くないかと問われれば、シングルベッドに男二人で寝れば狭いに決まっている。
だが、生憎と青島の部屋には来客用の布団など用意がない。
室井が泊まりに来る時は必ず一緒に眠っていたが、確かに窮屈だ。
それでも青島にとっては、室井と寄り添って眠れるなら多少窮屈でも文句はなかったが、室井も同じ意見とは限らない。
寝る時くらいストレスなく眠りたいと考える人もいるだろう。
小さな我慢を積み重ねる付き合いが決して良いものではないということを、青島も過去の経験から理解している。
室井とは出来るだけ無理のない形で付き合っていきたかった。
できることなら、恋をするのは室井が最後の相手であればいいと願うからだ。
「室井さん用の布団も用意しておきますよ」
布団はあった方がいいのかなとは前から思っていたから、青島はあっさりと提案したが、室井からは同意は返ってこなかった。
「そうじゃなくて…」
そう言いながら、背中に腕が回され、ただでさえ密着している身体が抱き寄せられる。
室井に抱き寄せられるままになりながら、青島は首を捻った。
別々に寝たいという話ではなかったのだろうか。
「そうじゃなくて?」
中々先を話そうとしない室井を促すと、室井はようやく続けた。
「もう少し大きいベッド、買わないか?」
言い辛そうに言われた言葉に、青島は目を丸くした。
意外な提案に驚いたが、室井も一緒に寝たいとは思ってくれているらしい。
思わず室井の顔を凝視するが、生憎と真っ暗な部屋の中では近くにあるはずの室井の顔も良く見えない。
声から察するに、照れくさそうではあった。
「金なら出すから、そうしないか?」
黙ってしまった青島を気にしてか室井がそんなことを言うから、青島は慌てて首を振った。
「それくらいの金はありますよ」
室井の余計な心配を否定してから、笑って室井の頬に手で触れた。
手探りで唇に触れると、そこに軽くキスをする。
「じゃあ、そうしましょうか」
室井と眠るためにベッドを買い替えるということは照れくさくもあったが、嬉しくもあった。
室井が部屋に来るようになって、急須と湯のみを買い、日本酒の買い置きを用意するようになり、今度はベッドを新しくする。
室井と一緒に過ごすために少しずつ変わる環境が愛しかった。
離した青島の唇を追うように、室井が唇を重ねてくる。
「いいのか?」
「もちろん……あ、でも」
青島はクスクス笑いながら室井にすり寄った。
「室井さん、毎日来るわけじゃないから、一人寝が寂しくなりそうっすね」
二人で寝るのに都合がいいし、大きなベッドに買い替えることは構わなかったが、室井が来ない日のことを想像する少しだけ気が引けた。
しかも来ない日の方が圧倒的に多いことも分かっている。
会えない日が続けば、室井と寝るために買ったベッドに一人で眠るのは寂しくなる気がした。
「一人寝が寂しいのは、ベッドのサイズに関係ないような気がするが」
青島の頭を撫ぜながら室井が言った。
言われて見れば、それもそうかと思う。
より寂しくなりそうな気はするが、ベッドが大きくなくたって、室井に会えない日が続けば寂しいなと感じるのは今も変わらない。
そして、その気持ちは、室井も一緒らしい。
「君が寂しいと思っている時には、俺も一人寂しく寝ているから安心しろ」
室井の妙な慰めに青島は笑いながら、室井にしがみついた。


この窮屈なベッドで室井さんと寝るのはこれが最後かなと思いつつ、忍び寄ってくる睡魔に身を任せていると、遠くで室井の声がした。
「一緒に暮らすという手もあるんだがな…」
小さく呟かれた言葉は、恐らく青島に聞かせるつもりのなかった言葉。
青島は半分寝ぼけながら微笑んだ。
「いつかね」
寝ぼけた返事が室井に届いていたのかどうか。
確認する間もなく、青島は眠りに落ちた。










END

2011.6.29

あとがき


この二人はまだ蜜月中だと思うのですが、
熟年カップルのように穏やかな空気であればいいなと思います〜。

このシリーズ、サブタイトルを付けていましたが、
思い浮かばないのでやめました(笑)

連載というわけではなく、シリーズとしてまた続きを書けたらいいなと思います。


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