■ 最悪の日
朝、玄関を開けて傘を差した途端に、強風に煽られて傘が壊れた。
駅の改札で定期を忘れたことに気が付いた。
雨の中湾岸署まで走って出勤するが、着いた途端に雨が止んだ。
いつものように署内の階段を一段飛ばしで上っていたら、どういうわけだか脹脛をつった。
そんな結果。
青島は朝から珍しく非常に機嫌が悪かった。
挨拶をしたっきり誰とも口をきこうとしない青島に、誰もが首を捻りつつ声を掛けるのは遠慮していた。
『今は話しかけてくれるな』というオーラを撒き散らしているのだ。
しかしそんなことは歯牙にもかけない女性が一人。
「なーに?そんなことでへこんでるのぉ?」
口を開くのも嫌がる青島を無理やり喋らせ、朝から立て続けに青島を襲った不運を洗いざらい喋らせた後のすみれの第一声だ。
「そんなことってねぇ…」
珍しく本気で機嫌の悪そうな青島が反論しようとするが、すみれは一向に気にしない。
「小さい、小さいぞぉー。青島ー。よくあるハプニングが重なっただけじゃない」
「重なったからへこんでんだよ」
「らしくない」
ふくれっつらの青島に、すみれがぴしゃりと言う。
「全然青島君らしくない。いつもなら苦笑いとかして済ますじゃない」
確かにいつもの青島なら、多少愚痴を零しながらも後を引くことはない。
根がお気楽に出来ているので、怒りや悲しみといった負の感情が長くは続かない性質なのだ。
実のところ、青島にだって理由が分からない。
自分が何故こんなにへこんでいるのか。
すみれの言う通り、普段の青島だったら「聞いてよ、今日さー」なんて愚痴って笑って終わるはずだった。
それなのに、今日はだめだった。
もう昼も過ぎだというのに、イライラが治まらない。
何があったわけでもないのだ。
ただよくあるハプニングが重なっただけ。
なのに、気持ちがいつまでたっても浮上してこない。
いつもだったらポンポン返ってくるはずの返事が無い事で、すみれは青島の絶不調を悟ったらしく深い溜息を吐いた。
「もー、ほら。ちょっと休憩してきなさいよ。お昼まだでしょ?」
気分転換をさせようというすみれの気遣いだったのだろうが、青島は首を横に振った。
「いい。もう、今日は事件が無い限り、ずっとここにいる。その方が何も起こらない気がする」
ここまで青島がナーバスになることは本当に珍しい。
さすがにすみれもちょっと心配そうに眉を寄せるが、彼女らしく青島を励ました。
「ほら!いいから行って来なさいよ!ここでそんな不機嫌面されてても周りに迷惑!」
机に伏せっている青島の背中を、バシバシと叩きながら言った。
すみれの言うことは尤もで自分でもそう思う青島は、恨めしそうにすみれを見ながらも、仕方なさそうに身体を起した。
すみれが彼女なりに気を使ってくれていることは青島も分かっているので文句はないが、ナーバスになりすぎていて、すみれの気遣いに感謝する気も起こらない。
言われるがままに、青島は刑事課から出て行くことにする。
食事なんて気分じゃないが、食事をすれば多少元気になるかもしれないとも思う。
青島は嫌味なくらい晴れている外を見やり、さらに軽くブルーになるのを感じつつ玄関に足を向けた。
徒歩でコンビニへ向かい適当におにぎりとお茶を買い込んで、近くの公園に向かう。
公園でご飯を食べることにしたのだ。
ベンチに座り袋からおにぎりを取り出す。
封を切ろうとして中々切れず思いきり力を入れる。
と、はずみでおにぎりが転がり落ちた。
地面に。
青島は絶望的な気分でおにぎりを見つめた。
何のことはない単なる不注意なのだが、ここまで不運が続けば絶望的な気分にもなるだろう。
青島はおにぎりを見つめたまま深いため息を吐くと、ベンチに仰向けに寝転んだ。
お昼を食べるのはあきらめたらしい。
「……なんでこんなに青いかな、空」
これ以上ないくらい爽やかな空をぼんやりと見上げて、一人でぼやく。
晴天さえ、恨めしい。
ふと胸ポケットで携帯が震える。
青島は署からの呼び出しだろうかとげんなりしつつ、ディスプレイを確認して軽く目を瞠ると、慌てて起き上がり通話ボタンを押す。
「青島です」
『…分かってる。君の携帯に掛けたんだから』
室井の苦笑する声が聞こえてくる。
つられて青島も苦笑する。
「そうでした、どうかしました?」
『いや…青島、今どこだ?』
「え、っと。今は署の近くの公園です」
昼飯食いがてら休憩中だと伝える。
嘘を吐いてはいないが、昼食は取れてないから正確な情報でもない。
『…そうか。今食べてるとこか?』
「え?はぁ…、まぁ、一応…」
『…?煮え切らないな、どうしたんだ?』
「いやぁ」
おにぎりを落としましたとは言うに言えない。
情けなさ過ぎて。
青島はとりあえず笑って誤魔化した。
「あ、何か急用でした?」
青島が逆に聞き返すと、電話の向こうで今度は室井が煮え切らない。
『いや…、用事があると言えばあるんだが…』
無いと言えば無いのか?
と思わず突っ込みそうになりながら、青島は首を捻った。
用事も無いのに勤務時間中に室井が電話をしてくるとは思えない。
「室井さん?…………あ」
青島は予期せぬものを視界に入れて、思わず声を漏らした。
携帯電話を耳から離し、もう一度「室井さん」と呆けたようにつぶやいた。
目の前にいる室井に向かって。
室井は苦笑しながら、携帯電話の通話を切った。
「湾岸署に寄ったら、飯を食いに出たと聞いた」
近くにいるなら、と思って電話をしたのだと言う。
青島も苦笑して、携帯電話を切る。
「……落としたのか?」
地面に鎮座したおにぎりに気づいた室井が尋ねてくる。
「ええ…あ、マナー悪いっすよね」
青島が思い出したように慌てて拾おうとする。
別に放置しておこうと思っていたわけではないが、あまりの不運ぶりに落ち込んでいて、そこまで頭が回らなかったのだ。
青島が拾うより前に室井が拾って、ベンチに転がっているビニール袋にくるむ。
「勿体無いが…仕方が無い」
そう言って近くのゴミ箱に捨てた。
「す、すいません」
「大したことはしていない。それより、」
青島の謝罪を軽く流して、室井は「飯を食いに行かないか」と続けた。
「俺もまだなんだ。奢ってやる」
そう言うと、青島の返事も待たずに歩き出した。
反応が遅れた青島は慌ててその後を追う。
「室井さん?」
青島が並ぶと、ちらりと見上げてくる。
「こんな日もある。気にするな」
「え?」
「恩田君に聞いた」
ああ、と青島は納得した。
湾岸署ですみれから、青島の不在と彼がへこんでいる理由を聞いていたのだろう。
そして忙しい中、自分のことを気にして連絡を取ってくれたのだ。
「悪いこともあれば良いこともある」
視線を前に戻してつぶやく室井に、青島は胸が温かくなるのを感じた。
朝からあんなにブルーだったのが、嘘のようだ。
現金すぎる自分が笑えてくる。
青島は優しい室井の気遣いに感謝した。
「本当だ、悪いことの後に良いことがあった」
急に元気を見せ始めた青島に、室井が苦笑する。
「ただ飯が食えるからか?」
「室井さんに会えたからですよ」
END
2004.4.17
あとがき
この話は、傘が強風に煽られて壊れてしまった日に書きました。
本当に単純…(笑)
何をしてもダメな日ってありませんか?
些細なことで落ち込むこととか。
私はたまーーーに、あります。
お気楽な脳みそしてるので、滅多にありませんが(笑)
些細なことで落ち込むことがあれば、些細なことで元気になることもあります。
青島君の場合は室井さんが元気の元。逆も然り。
そんな私の妄想でした。
湾岸署周辺の地理は全く分かりませんので、適当に捏造です(^^;
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