■ 遅咲き


帰ろうとしていた室井を引き止め、開署式の粗品を渡した。
青島の用はそれだけで済んだ。
笑顔で送り出そうと待っている青島を見て、室井は運転席の部下に声をかけ自身は車に乗らずドアを閉めた。
室井を待たずに走り出した車を見送り、青島は首を傾げた。
「室井さん?」
「話がある」
真顔で言う室井に、何故か嫌な予感がして緊張する。
だが、それを面には出さなかった。
「なんすか、改まって」
笑みを浮かべて軽く言う。
「あ、ご褒美なら、別にいいっすよ」
室井は笑いもしなかったが、もちろん冗談だった。
良くやったと褒めてくれたからには、室井は青島の働きを評価してくれているはずだ。
それで充分だったが、ふざけてみただけである。
「何が欲しい?」
ふざけただけなのに真顔で聞き返されて、青島は驚いた。
慌てて首を振る。
「冗談っすよ」
「いいから、言え」
「言えって…」
「君の欲しいものだ」
欲しいもの、そう言われて、青島は一瞬表情を無くした。
―欲しいものならある。
ずっと、あった。
だけど、それを望むわけにはいかない。
そう思ってきたから、今までやり過ごしてきたのだ。
「なんでもやる」
室井が静かに言った。
青島が困惑の視線を向けても、室井の表情は変わらない。
ただじっと青島を見つめている。
「なんでも、なんて太っ腹っすね」
曖昧に茶化して聞き流そうとしたが、室井はそれを許さなかった。
「君が望むならな」
室井の真剣な眼差しに意味がないとは思えなかった。
青島の意味のない戯言に、室井がただ付き合ってくれているとはとても思えない。
青島が望むものを、室井はとっくに知っている。
だから、青島が望めばくれてやると言っているのだ。
それが癪に触る。
望んでいるのは青島ばかりではない。
そのことを青島も知っていた。
青島は眉をひそめて、思わず言った。
「その言い方はずるい」
初めて室井の表情が動いた。
小さく笑った顔は穏やかで、青島は失敗したと思った。
墓穴を掘った気がした。
「言い直そう」
「やっぱりいいです」
慌てて止めるがもう遅い。
「望んでるのは俺の方だ」
きっぱりと断言した室井に、青島は黙って目を閉じた。


出会って何年経ってると思ってんだ。
13年だぞ、13年。
赤ちゃんだって中学生になるくらいの時間が経ってるんだぞ。
その間に、室井さんとの距離が近付いた事がなかったわけじゃない。
熱のこもった眼差しに意味を探したこともあったし、一緒にいて高揚する気持ちを持て余したことだってあった。
そのたび、どうしようか悩んだんだ。
それでも、警察官であることを優先してきたんじゃなかったの?
俺も、室井さんも。


「青島」
声をかけられて、青島は目を開けた。
室井は相変わらず落ち着いていて、少しの高ぶりも動揺も見せない。
そのせいか、青島も冷静になった。
そしたら、率直な疑問が口をつく。
「何で今更?」
情けない声で質問したら、室井は苦笑した。
「無意味な気がしてな」
「何が」
「いつまでも君と他人でいることだ」
青島は目を見開いた。
「隠そうが、忘れようとしようが、何も変わらないまま10年以上も過ぎた」
きっとこの先10年も変わらないと呟く。
隣にいようがいまいが想いが変わらないなら、隣にいた方がいいに決まっている。
自分の気持ちも、そして室井の気持ちも知りながらやり過ごしてきた青島だって、本当はそう思う。
この13年間、何度も忘れようとした。
愛しいなと思う女性と過ごした時期もあったが、結局長くは続かなかった。
忙しさを理由に諦めてきたつもりだったが、本当の理由がそうではないことも分かっている。
だから、室井の言いたいことは理解できた。
「無駄な努力はもうやめたい」
室井が淡々と言う。
それが正しいことなのかどうか良く分からない。
ただ内心では、俺だって、と思った。
「俺は自惚れているか?」
青島はそっと溜息を吐いた。
互いに触れもせず、気付かぬふりでここまで抱えてきたはずの想いを、室井が暴いてしまった。
それこそ、隠していることは、もう無意味な気がした。
「自惚れじゃ、ないですよ」
「そうか」
室井の目尻が少しだけ下がった。
嬉しそうな顔だと思って、青島は苦く笑った。
本当に今更だ。
自分の気持ちを知り嬉しそうな顔を見せる室井を見て、喜ぶ自分がいる。
考えてみたことはなかったが、13年間もこの男に片想いしていたのかと思うと、確かに馬鹿馬鹿しくはあった。
「君が嫌なら、振ってくれても構わないぞ」
言うだけ言って、青島の気持ちを確認できて満足したのか、室井の声は強がっているふうではなかった。
少なくても、青島には本当にそう思っているように聞こえた。
困ったように眉を下げ室井を見るが、室井は相変わらず淡々としていて表情を変えない。
「君がどう返事をしようと、俺たちの関係はそう変わらないだろ」
それこそ今更だと言う。
「そう、かな」
「君が現場で頑張って、俺が上に行く。それは変わらないんだから、変わりようがない」
「…そうっすね」
確かに今ここで室井を振っても、これまでと関係が変わるわけではないだろう。
互いの気持ちにはとっくに気付いていた。
今更それがはっきりしたところで、何が変わるわけでもない。
それはもしかしたら、振らなくても同じことかもしれない。
これからも、室井と目指すところは変わらない。
そうは思うが、一歩踏み出すことに躊躇がないわけがなかった。
最後の悪足掻きに、肩を竦めて言ってみた。
「男同士、不毛じゃないっすか?」
「永遠に片思いの真似事をしていたって、十分不毛だろ」
素っ気なく室井が言うから、青島は破顔した。
「それもそうっすね」
男同士の未来があるとは言えない恋愛も、好いた相手に好かれながら続ける片思いも、どっちにしたって不毛に違いない。
それなら選ぶ方は決まっている。
青島は辺りを見回し人気がないのを確認すると、室井に顔を寄せ耳元で囁いた。
「じゃあ、貰っちゃおうかな、ご褒美」
すぐに離れた青島に、室井は目を細めた。
「俺でいいんだな?」
「そうなりますね」
「いくらでもくれてやる」
男らしい言いっぷりに、青島はやっぱり笑った。




その日の夜、青島は室井の部屋にいた。
時間があればと誘われて、開署式が終わり時間にゆとりができた青島には、断る理由はなかった。
夕方待ち合わせて、室井の部屋に向かった。
リビングに通されて、所在無げに立ち尽くしていると、室井が苦笑した。
「座ったらどうだ」
「はぁ…じゃあ、失礼します」
コートを脱いでソファに腰を下ろす。
それでも視線が定まらない。
初めて入った室井の部屋は、何故だか落ち着かなかった。
「室井さんの部屋、きれいっすね」
「物がないだけだろ」
「でも、服も散らかってないし、ゴミも落ちてない」
確かに家具や雑貨は少ないようだったが、リビングのきれいな床を見れば室井の几帳面さが伺える。
「ということは、君の部屋は服やゴミが散らかっているのか」
「…ヤブヘビでしたね」
青島が苦笑いすると、室井が小さく笑った。
それが妙に優しく見えるのは、青島の気のせいではないだろう。
「ビールでいいか?」
「あ、お構いなく〜」
思わず答えると、台所に行きかけた室井が、珍しいものを見るような視線を寄越した。
「な、なんすか?」
「いや…もしかして、緊張してるのか?」
青島は驚いた。
言われて初めて気が付いたが、そうなのかもしれないと思う。
室井の部屋に来てからというもの妙にそわそわして落ち着かないが、それは緊張から来ているのかもしれない。
青島がらしくもない遠慮をするせいでいつもと様子が違うと思ったのか、室井にも青島の緊張が伝わったようだった。
青島は気まずさに作り笑いを浮かべた。
「まぁ、多少は」
「そうか」
室井は頷いたがそれ以上何も言わず、台所に向かった。
冷蔵庫から缶ビールを二本出して持ってくる。
一本差し出されて、青島は素直に受け取った。
隣に室井が腰を下ろしたからまた緊張したが、今度はなるべく悟られないように気をつける。
缶ビールを室井に掲げて、口をつけた。
「元気、してましたか?」
そういえば、会ったのは随分久しぶりだった。
最後に会ったのがいつだったのか、すぐには思い出せないくらいだ。
「ああ、変わりない。君は?」
「元気っすよ、今はね」
少し前までありもしない病気に怯えて死にそうだったなんて、室井には内緒である。
病は気からとは良く言ったもので、青島のレントゲンに写った影が病院のミスによるものと分かってからというもの、身体の調子は良かったし煙草もうまかった。
単純な自分に苦笑した青島に、室井は不思議そうな視線を寄越した。
「今は?」
青島は緩く首を振った。
「なんでも…あ、そうだ、官房審議官就任、おめでとうございます」
今更だが、缶ビールを室井に差し出すと、意図を察した室井が缶を軽くぶつけてくれる。
「ありがとう。君もおめでとう」
「え?ああ…」
逆にお祝いを言われて面を食らったが、青島にも一応めでたいことがあった。
係長に昇進したことだ。
そのことを青島の口から直接室井に伝える機会はなかったが、室井は既に知っているようだった。
「まあ、俺の場合は、大した出世じゃないっすから」
「どうせ君は出世になんか興味ないだろ。なんで昇進試験を受けようと思ったんだ?」
「俺もいい歳なんで、そろそろ責任ある肩書きの一つもあった方がいいかなって」
尤もらしく言ってみたが、我ながら白々しいと思う。
当然信じてもらえなかったようで室井が疑わしげな視線を寄越すから、青島は舌を出して見せた。
「ちょっとだけ暇があったもんでね、受けてみようかなあと思って」
「それで受けたら、受かったのか」
「ええ、俺って凄くないですか?」
「運がいいのかもな」
「あ、ひどい」
「冗談だ」
口元に笑みを浮かべた室井に、少し驚く。
室井の冗談など初めて聞いたかもしれない。
からかわれたのだろうが、青島にはそれは不快ではなくただただくすぐったかった。
室井が近くなった気がしたせいだ。
そのくすぐったさを誤魔化すように、缶ビールを呷った。
「ま、出世は室井さんに任せてますから…」
室井の進んできた道は決して平坦ではなく、それどころか山やら谷やらが多すぎた。
だからこそ、今回の出世は青島にとっても嬉しかった。
室井の努力が実り、二人の夢や理想にまた一歩近づいた。
そう考えたら、本当に凄い人だなと思う。
室井だって人間だから投げ出したくなったことは一度や二度ではないだろう。
それでも諦めないのが室井慎次だと青島は思っているが、それは並大抵のことではない。
室井に期待し過ぎていて当たり前のように思っていたが、当たり前では全くなかった。
横目で室井を見ると、室井は難しい顔でビールを飲んでいた。
いつもと同じ顔。
歳はとったが、青島の良く知る室井の横顔だ。
青島が信じた室井は、13年経っても変わらない。
―室井さんなら、信念を貫いて当たり前。
そう思わせる力が、室井にはあった。
「…どうした?」
横っ面に視線でも感じたのか、室井が振り返った。
見とれてました、と言うわけにもいかない。
青島は笑って首を振り、缶ビールを口元に運んだ。
その手を、室井に掴まれて驚く。
「室井さん…?」
真剣な目で見つめられて、急に息苦しくなった気がした。
見つめ合っていたのは一瞬で、室井が動いた。
顔を寄せてくるから室井がやりたいことは分かったが、青島は動けない。
瞼を落とすこともせず、近づいてくる男の顔を見つめていた。
そっと触れて、離れる唇。
「青島…」
もう一度重ねられて、青島はようやく動いた。
手を取られたままで身動きがとれないが、身体を後ろに逸らして精一杯距離をとる。
焦った口から、思いもよらない言葉が飛び出した。
「や、やっぱりやめましょうっ」
青島自身驚いたくらいだから、室井はもっと驚いただろう。
目を剥き、固まっている。
「…嫌だったか?」
不安げに聞いてくる室井に、青島はぶんぶんと首を振る。
「い、いやっつーか、あの、ええと、そのー」
徐々に赤面してくる青島を凝視し、室井は首を傾げた。
「はっきり言え」
「照れ…照れる、照れます、ダメだ、恥ずかしい」
言いながら自分の耳が赤くなってくるのが分かって、青島は顔を思いっきり逸らした。
とてもではないが室井を見ていられない。
この歳になって、まさかキス一つでこんなに恥ずかしい思いをすることになるとは思いもしなかった。
自分でもいい歳をして薄気味悪いと思うが、恥ずかしいものは恥ずかしいのだから仕方がない。
室井が自分にキスをしている。
あの、室井慎次がだ。
青島にはその事実が堪らなく恥ずかしかった。
「青島」
呼びかけられても動けずにいると、もう一度名前を呼ばれた。
いつまでもそっぽを向いているわけにもいかず、仕方がないのでおずおずと室井に視線を戻す。
室井は真顔なのに、どこか笑みの含んだ眼差しで青島を見つめていた。
「嫌なんじゃないんだな?」
「……ええ、まあ」
しぶしぶ頷いたが、好きな相手とキスをしたのだから、嫌なわけがない。
ただただ照れくさいだけである。
「そうか」
そう言うと、室井は缶ビールをテーブルに置き、青島の手からもそれを取り上げた。
それをぼんやりと眺めていた青島の首筋に手を回しまた顔を近付けてくるから、青島は焦った。
「ちょっと…」
待ってくれとは続けられなかった。
室井が唇を重ねてくるからだ。
強引というほど力強く求められているわけではないが、青島も強くは抗わないから逃れられない。
目を閉じどうしようもない照れくささに耐えながら、触れるだけのキスを受け入れていると、室井が囁いた。
「…そのうち慣れるだろ」
青島が思わず目を開けると、目の前にいる室井が今度ははっきりと笑っていた。
嬉しそうな顔を見れば、可愛いなと思う。
この生真面目で唐変朴で不器用な男が、自分にキスをして嬉しそうにしているのだ。
素直に愛しいと思った。
だが、若干腹立たしい。
青島は室井の背中に手の平で触れながらも、唇を尖らせた。
「なんか、室井さん余裕っすねえ…」
自分ばかりがテンパっているようで、それが気にいらない。
青島が勝手に一人で照れているだけだと言えばそれまでなのだが、自分ばかりがドキドキしているようで面白くなかった。
「余裕に見えるか?」
「すっごく」
「…それなら、俺も少しはポーカーフェイスが上手くなったんだな」
苦笑気味に呟く室井に、青島は首を傾げた。
耐えることの多い毎日だろうから、平気なふりもきっと上手くはなるだろう。
そうは思うが、室井がそう言うということは、室井も少しは緊張しているのだろうか。
青島の疑問を感じ取ったのか、室井は眉間に皺を寄せながら呟いた。
「実はさっきから背中が痛い」
「は?」
「つったみたいだ」
想像もしていなかった告白に、青島は目を丸くした。
そして、破顔する。
余裕そうに見えていた室井も、緊張していたのだ。
青島を部屋に招き、隣に座って、キスをする。
たったそれだけのことで、いい歳をした大の男が、力み過ぎて背中をつるほど緊張していたのだ。
それが分かった途端、青島は気が抜けた。
笑いながら、室井の背中を撫ぜる。
「そっかそっか、室井さんも緊張してたのか」
「当たり前だろ」
「はは…」
青島は穏やかに微笑むと、今度は自分から唇を重ねた。
現金なもので室井も同じなのかと思うと、照れくささが半減した。
それより、もっと触れてみたくなる。
何度か唇を柔らかく触れ合わせて離れると、室井の目を覗き込んだ。
「もう、ちょっと慣れてきたかも」
室井は真顔で頷いた。
「早くて助かる」
変な受け答えに笑いながら、青島は室井の背中を両手で抱いた。
「とりあえず」
「ん?」
「飯でも食いに行きませんか?腹減りました」
落ち着いたら、急に空腹が気になった。
そんなことにも気付かないほど緊張していたのかと思うと、笑えてくる。
抱き合ったままだというのに色気も何もない誘いだったが、室井も頷いた。
「寿司でもとるか」
「おお、豪勢っすね」
「ご褒美、だろ?」
昼間に青島が零した冗談を、覚えていたらしい。
期待に応えたご褒美に、寿司をご馳走してくれるつもりのようだ。
だが、ご褒美なら既にもらっている。
「ご褒美は室井さん、でしょ?」
青島は言葉の意味など深く考えずにのん気に言ったが、それを聞いた室井は真剣な眼差しを青島に向けた。
「……今すぐ、もらってくれるのか?」
何かを探るような眼差しに、意味がないとは思えなかった。
だが、それを確かめるのには勇気がいる。
室井が青島に差し出そうとしているのは、室井の気持ちだけではなさそうだったからだ。
嫌ではない。
嫌ではないが、急過ぎる。
今朝まで、室井とは他人だったのだ。
一遍に、あれもこれもは考えられない。
青島は笑って誤魔化し、答えを先延ばしにした。
「今は室井さんより寿司がいいです」
とりあえず、腹が減った。
考えるのは食欲を満たしてからでもいいだろう。
室井は一瞬眉間に皺を寄せたが、すぐに眉間を緩めて嘆息した。
「まあ、おいおいな…」
小さく呟かれた言葉で、室井も焦っているわけではないと分かる。
色んなことを諦めて、恋人になるまでに13年かかっている。
更に一歩踏み出すまでに、もう少しかかったところで大した問題ではないような気がした。
青島は室井の顎に手をかけると、にっこり笑った。
「じいさんになる前には、なんとかしましょうね」










END

2011.2.14

あとがき


3の青島君に萌え苦しんで書いた、3の終わりから始まるという二人でした。
青島君とすみれさんにこれからの可能性があるなら、
青島君と室井さんにもあっていいんじゃない!と思いまして(笑)
拙宅では、ダントツで遅いスタートの二人ですね。当たり前か。

3の二人はもう年齢も年齢で大分落ち着いて見えたので
(青島君は当社比って感じですが(笑))、
落ち着いた二人を目指したのですが、いつもと大差ない感じに…(^^;
まあ、若いころの勢いはないんじゃないかと思います。色々と!


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