■ 視線


―気のせいだろう。

青島は何度も思った。
合同捜査会議の真っ最中だった。
湾岸署管内で起こった殺人事件の特捜が立ち、既に二週間が経過していたが、未だに犯人は捕まっていない。
現在開かれている捜査会議も、もう何度目か分からなかった。
あまり進展のない捜査に、会議室内の空気もどことなく重たい。
焦りと苛立ちを抱えた刑事たちの中で、指揮をとっている室井は冷静だった。
手際良く捜査会議を進めていく。
本庁の刑事が上げた報告にも速やかに指示をだしていた。
室井の頭の中には事件の事しかない。

―ほら、やっぱり気のせいだ。

そう思った青島は安堵の溜息を吐き雑念を追い出して、刑事たちの報告を聞きながら手帳にメモをとっていく。
視線を手元に落とし、耳だけを傾ける。
不意に強烈な視線を感じた。
まただと思う。
ゆっくり顔をあげると、また室井が青島を見ていた。
いや、正確には、見ているのかどうかは分からなかった。
後方の席に座っている青島から室井までの距離が遠すぎるのだ。
室井は真っ直ぐ前を見ているだけだと言われれば、そうとしか見えない。
それでも青島は確信していた。
室井は青島を見ている。
室井の視線を感じたのは一度や二度ではない。
特捜本部が立ってからというもの、室井が署内にいることが多く、そのせいか頻繁に感じていた。
席が離れているから気づかれないと思っているのか、特に捜査会議の時はどこか遠慮のない視線を感じる。
気のせいだ、勘違いだろうと、青島も考えたが、そうとは納得しきれないものがあった。
それだけ室井の視線があからさまなのだ。
現に今も、強い視線を感じている。
距離があるから視線が合っているのかどうかは分からず、青島が室井を見ても室井が顔を背けることはなかった。
ただじっとひたむきに青島を見つめている。
青島は耳の裏が熱くなるのを感じた。
思わず机に突っ伏す。
顔を隠したところで室井の視線から逃れられたとは思えないが、それを真正面から受け止めるのは苦痛ですらあった。
後ろから真下が「寝ないでくださいよ、先輩」と背中を突いてくるが、顔を起こすに起こせない。
まだ見られているかもしれないと思うと、酷く落ち着かなかった。
やがて室井の話し声が聞こえてきて、青島は少しだけ頭を持ち上げた。
室井はもう青島を見ていなかった。
そのことに安心して、青島は顔を上げた。
真面目に捜査会議に参加しなければと思うが、どうも集中できない。
散漫な意識をなんとか集中させて、再び手帳に視線を落とした。

室井の視線が不快だったわけではない。
青島の存在を否定するような冷たい視線ではないからだ。
だが、落ち着かない。
熱くて力強い眼差し晒されていると、その意味を問いたくなってくる。
聞いてもいいのだろうかと考えては、気のせいだ、勘違いだと自分を戒める。
聞いてもいいことなど、何もないだろう。
青島の勘違いであれば、いらぬ恥を掻くだけだ。
もしそうでなかったとしても、やはり聞いてはいけない気がした。
暴いてはいけないものが、青島の心の中にはある。
それが室井の心の中にもあるとしたら、きっと触れるべきではない。
だからこそ、室井に見つめられると落ち着かなかった。
室井の眼差しは不快ではないけれど、青島をどこか不安にさせた。

「先輩、捜査会議終わりましたよ」
背後から真下に声をかけられて、青島は会議室から刑事たちが出て行っていることにようやく気が付いた。
結局、あまり会議の内容を覚えておらず、仕方がないので後から真下に教えてもらうことにした。
溜息をついて席を立つと、真下が呆れたように笑った。
「まだ寝てるんですか?」
「違うよ、ばか」
小さな苛立ちをこめて真下を軽く小突くと、会議室を出る。
視線を感じたわけではないが、ドアの前で青島は一度振り返った。
室井は捜査一課長と何かを話していて、青島を見てはいなかった。
室井の視線がないことに安堵するような気持ちに混ざって、微かに残念な思いに駆られる。
青島は乱暴に自分の頭を掻いて会議室を後にした。


深く煙を吸って、ゆっくり吐きだす。
これだけの動作で、心がいくらか落ち着いた。
捜査会議の後、青島は真っ先に喫煙所を目指した。
ヘビースモーカーの青島にとって、気分転換にはこれが一番である。
あれこれ考えることは、性に合わない性質だった。
そのせいか、なんだか酷く疲れていた。
いらぬことに頭を悩ませているからというだけではなく、特捜本部が立って以来休みらしい休みがないのだから無理もなかった。
目を閉じて眉間に親指を押しあてる。
終わったばかりの捜査会議が疲労を倍増させたような気がした。
捜査会議そのもののせいではないことは、青島も良く分かっていた。
「寝不足か?」
声をかけられて、青島の身体がピシリと強張る。
目を開けて確認してみるまでもなく、声の主は室井だった。
なんでここにいるんだと思ったが、その答えは既に知っている気がした。
青島がいるからだ。
「寝てるのか?」
もう一度声を掛けられて、青島は苦笑した。
「起きてますよ」
顔を上げて室井を見上げると、室井は青島の顔をじっと見つめていた。
俺の顔なんか見てても面白くもなんともないだろうにと思いながら、歪む唇を誤魔化すように煙草を咥える。
室井は缶コーヒーを買うと青島の隣に腰を下ろした。
青島にも差し出してくれるから、礼を言ってありがたく受け取った。
「疲れた顔をしてるな」
「そうっすか?ま、特捜の最中っすからね」
和久の口癖のように疲れるほど働きたくはないが、特捜が立てば働かざるを得ない。
それは青島たち所轄刑事だけではもちろんなかった。
「疲れてんのは室井さんも一緒でしょ?」
「俺は平気だ」
そう言いきった室井だが、二週間前に湾岸署に来た時よりも頬がこけたように見える。
それでも、弱音や泣きごとを言わないのが、室井らしかった。
「さすが、室井さん」
ふっと微笑んでもらった缶コーヒーに口をつけると、横っ面に室井の視線を感じた。
少し首を傾けて室井を見ると、やっぱり室井が青島を見ていた。
まともに視線がぶつかり、捜査会議の時とは違って室井がたじろいだ。
青島も身体が強張り、胸が苦しくなる。
だが、視線は逸らせない。
そこにある意味を図るように、室井を見つめた。
気まずさに耐えかねたのか、室井は視線を逸らして言った。
「捜査会議中に寝るな」
「寝てませんよ」
「寝てただろう、机に伏せて」
「あれは…」
あれはアンタのせいだろう。
言いかけた言葉を飲み込む。
言ってしまいたいけど、言ってしまえば何かが変わってしまう。
それが怖かった。
それとも、この際だから思いきって聞いてみるべきだろうか。
―何故そんなに見つめるのか。
それを聞いたら、望む答えが返ってくるだろうか。
「どうした?」
言いかけて止めた青島を不審に思ったのか、室井が先を促した。
青島は思い出したように一度息を吸って深呼吸をし、曖昧に笑った。
「すいません、そういえばちょっと寝ちゃいましたね」
青島が認めると、室井は仕方がないヤツだとばかりに小さく溜息を吐いた。
「室井さん、良く見てますね」
横目で室井を見ながら、何食わぬ顔で聞いてみた。
室井は青島を見ずに、眉間に皺を寄せていた。
「…たまたまだ」
「…でしょうね」
会話が途切れ、不自然に沈黙が下りる。
たまたま、あれほど青島を見つめていたということは考えにくい。
だけど、室井が「たまたまだ」と言うのだから、「たまたま」なのだ。
そう思うしかない。
青島はいくらかの安堵と苛立ちを抱えたまま、煙草を揉み消した。
「そろそろ仕事戻ります」
お先にと室井に断り立ちあがった。
喫煙室を出る前に、室井が青島を呼びとめた。
「青島」
振り返ると、室井が青島を見つめていた。
その顔があまりにも怖いので、青島は少しひるんだ。
「は、はい?」
「たまたまじゃない」
「は…」
その言葉を理解するのに少し時間がかかったが、そういう意味だと悟る。
たまたま青島を見ていたわけではないと言っているのだ。
室井が青島を見ていたことを認めた。
今更とか何を突然とか思ったが、同時に酷く焦った。
じわじわと顔に血が上り、手の平にじんわりと汗を掻いている。
「青島」
室井が立ちあがり、目の前までやってきた。
青島は返事をしたつもりだったが、緊張のせいか喉から声がでなかった。
「この事件が解決したら、君に話がある」
それだけ言うと、室井は青島を残して喫煙室を出て行った。
青島はぽかんとしたままそれを見送った。
一人になると、その場にしゃがみこんで、頭を抱えた。
真っ赤な顔を膝に埋め、唸る。
心を決めるタイミングが掴めない。
だけど、もう心はとっくに決まっていたとも言えなくない。
だからこそ、一つだけ室井に文句を言ってやりたい。
青島は膝に顔を埋めたまま吐きだした。
「〜〜〜っ、もう、そこまで言うなら、今言ってけよっ」


この日から事件解決の日まで、青島は悶々とした日々を過ごすことになる。
それはなにも青島だけではなかったが、室井は自業自得だった。










END

2011.1.20

あとがき


このお話、長編にするつもりで書いたのですが、
どうにもならずに放置してあったようです。
発見したので、アップしてみました。お粗末様でした。

室井さんは別に思わせぶりに青島君を見ていたわけではありません。
ついうっかり見ちゃっただけです(笑)
そりゃあ、青島君がいたら、青島君を見ずに何を見るんだって話です。
室井さんは間違ってない!(…)


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