■ misdial
机の上に置かれた新しい書類にうんざりしながら顔を上げると、顔見知りの警務課の婦警が立っていた。
「青島さん、確認をお願いします」
ニッコリ笑って「よろしくお願いしまーす」と言われると、条件反射のように愛想笑いを返してしまう。
が、その笑顔もどこかひきつっていた。
婦警が下がると、青島はとりあえず机に山になっている書類の上に、新しい書類も乗せた。
めでたくも係長に出世してからというもの、書類仕事が格段に増えた。
係長になったことは嬉しいが、苦手なデスクワークが増えたことは誤算だった。
しかし、やらないわけにもいかない。
青島はイヤイヤながらも書類に目を通していた。
「忙しそうね、青島君」
隣の係りのすみれが、通りすがりに声をかけてきた。
「ま、係長だからね。何かと忙しいよ」
青島がわざとらしく自慢げに答えると、すみれは面倒くさそうに相槌を打った。
「ハイハイ、えらいえらい」
物凄く心のこもらない返事に青島は憮然となったが、相手はすみれである。
係長扱いしてもらえるとは思っていないし、して欲しいとも特に思っていない。
青島とすみれの関係はこれからも変わらないだろう。
すみれは少し青島に身を寄せて、耳元で囁いた。
「室井さんはなんて?」
「なんてって、何が?」
「係長になったことよ。もちろん言ったんでしょ?」
「あー…うん、おめでとうって」
「それだけ?お祝いとかしないわけ?最初で最後の出世かもしれないのに」
「ちょっと、すみれさん。それどーいう意味」
「こりゃ、失敬」
「…俺も係長になってからバタバタしてるし、あっちはあっちで忙しいからね」
言いながら、青島は苦笑した。
すみれに言われて思い出したが、そういえば室井にしばらく会っていない。
係長就任については内示が出てすぐに室井に電話で知らせたが、その後直接会ってはいなかった。
青島もそうだが、室井もまた出世し新しい部署に配属になっていた。
忙しいという話は室井からそれとなく聞いていた。
「なんか素っ気ないわねぇ」
「そう?こんなもんでしょ」
「倦怠期とか?」
すみれが人の悪い笑みを見せるから、青島は嫌そうな顔をした。
「そんなんじゃないってば。至って順調だよ」
「会ってもないのに、どうして順調だって分かるのよ」
「どうしてって……便りがないのは元気な証拠って言うじゃない」
「青島君、それなんか違う」
苦しい言い草の青島にすみれは変な顔をした。
仕事という会えない理由がはっきりしているせいか、青島は会えない日々を苦痛には感じていなかった。
もちろん会いたい。
会いたいとは思うが、会えなくても仕方がないと思えた。
仕事優先は当たり前だったし、仕事を楽しく感じていたから簡単に割り切れた。
室井も恐らく同じ気持ちだろう。
室井との付き合いはもう10年以上にもなる。
その歳月の間に、二人の関係も緩やかに変化した。
付き合いだした当初にあった情熱的な部分は穏やかになったが、見えない何かで繋がっているような繋がりは若い頃より強くなった気がした。
青島にとって室井が信頼できる男であることは、今も昔も変わらない。
室井にとってもそうであればいいと思った。
中西係長にしつこく名前を呼ばれてすみれが離れていくと、青島は再び書類に向かった。
魚住を見る限りそう大変そうに見えなかった係長職も、意外と大変だなと内心で失礼なことを思いながら、読み終えた書類に判を押す。
新しい書類に手を伸ばすと、胸ポケットで携帯電話が鳴った。
ディスプレイを見るとそこには室井の名があって、青島は少し驚いた。
間がいいのか悪いのか、そんなことを思いながら電話に出る。
「はい、青島です」
電話の向こうから少しの沈黙が返ってきた。
『あ…青島?』
それは間違いなく室井の声だけどどこか戸惑っていて、青島こそ戸惑う。
「青島ですけど…」
『……そうか』
「そうです」
沈黙が下りる。
なんだこの電話はと思いながらどうしたのかと尋ねようとした矢先に、室井が口を開いた。
『元気か?』
「え?ああ、はい。元気っすよ」
『そうか。係長の仕事は順調か?』
「ぼちぼちです、慣れなくて書類仕事に追われてますけど」
『面倒くさがらずにちゃんとやるんだぞ』
「分かってますよ、やってますって」
『そうか…頑張れよ』
「ありがとうございます」
『……』
「……」
『では、また…』
「ちょっと待った」
青島は笑いだしそうになるのを堪えて、電話を切ろうとする室井を引き止めた。
こんな中身の薄い会話をするために仕事中に電話をしてくるとは思えない。
少なくても、過去にこんなことは一度もなかった。
かといって、電話の様子から青島に用事があるとも思えない。
つまり、他に青島に電話をかけてきた理由があるはずなのだ。
青島はなんとなくその理由に気付いていた。
「もしかして、間違い電話ですか?」
『……すまない』
謝るということは、青島の言葉を認めたということだ。
青島は苦笑した。
「いや、別にいいっすけどね」
言い出し辛かった気持ちもなんとなく分かるし、何気なく話題を振ろうとした室井の努力は認めるが、さりげなく誤魔化せる程器用な男ではなかった。
青島に用事があったわけではないということは残念といえば残念だが、だからといっていじけるほど大人げないわけではない。
青島が気にすることはないと告げると、電話の向こうで室井が気まずそうな声を出した。
『電話をかける前に、お前のことを考えてたからだ』
「俺のこと?」
意外な話に、青島は目を丸くした。
他の人に電話をかける前に青島のことを考えていたから、うっかり間違えて用事もない青島に電話をかけてしまったのだという。
室井でもそんな失敗をするのかと思ったが、少し嬉しくもあった。
『顔を見てないなと、考えてた。しばらく会ってないだろ?』
これまた随分タイミング良く、二人揃って似たようなことを考えていたようだった。
青島はつい緩みそうになる口元を手で隠し、意識して何食わぬ顔を作った。
「俺もそれ、考えてました」
『…そうか』
「近いうち、時間作れます?」
『お前こそ作れるのか?』
「引っ越し始まっちゃうと忙しくなるから、その前に」
湾岸署はもうじき引っ越すことが決まっている。
青島は引越対策本部長を任されているため、引っ越しの準備が始まったら益々忙しくなるのは目に見えていた。
可能ならば、その前に室井に会いたかった。
会わなくても平気でいられるが、会いたくないわけではない。
会えるものなら会いたいのだ。
仕事の忙しさにかまけて忘れていられる間は平気なのに、一度会いたいと考えだしたらどんどん会いたくなった。
それでも、今すぐ仕事を投げ出して、というわけにはいかない。
青島も室井も、やらなければならないことがある。
『早く上がれそうな日があったら連絡する』
「はい、俺もしますね」
『無理するなよ』
「ええ」
『でも、会いたいな』
「……ですね」
さらっと何を言うかなと思いながらも、青島は笑みを浮かべて頷いた。
気持ちは同じだった。
『…すまない、誰か来たようだ』
電話の向こうで室井が待つようにと誰かに声をかけているのが聞こえた。
室井は官房審議官になってから個室の執務室が与えられているらしい。
部下なのか来客なのか分からないが、どうやら仕事に戻らなければならないようだった。
青島だっていつまでも室井の声を聞いているわけにはいかない。
書類の山が一向に減らないし、そしたらいつまで経っても室井に会えない。
「俺も仕事しなきゃ」
『ああ、それじゃ』
「また、近いうちに」
『必ず』
力強い返事と共に電話が切れた。
青島も携帯をしまうと、再び仕事に戻る。
書類に目を通すその表情は先ほどよりも明るい。
内心で思った。
どこが倦怠期だよ、すみれさん。
まだまだラブラブじゃん、俺たち。
すみれが聞いたら全力で嫌そうな顔をし、室井が聞いたら目を剥きそうなことを思いながら、青島は鼻歌交じりだった。
END
2010.7.10
あとがき
祝☆OD3公開!
というわけで、係長青島君でした。
映画のちょっと前のお話になります。
OD3で二人の接触は極端に少なかったですが(これまでと比べて)、
近くにいないのに二人の繋がってる感は凄かったような気がしました。
…私の願望かしら(笑)
願望かもしれません。だって室青スキーだもん!(開き直り)
そのうちOD3後の話とかも書きたいな〜。
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