■ 仲直り
「青島君、室井さん来てるわよ」
すみれの声に、青島は頬杖をついて眺めていたカップラーメンから顔を上げた。
カップラーメンは青島の昼食だった。
背後を振り返ると、すぐ後ろにすみれが立っていた。
彼女の視線を追って廊下を見ると、袴田と連れだって歩いてくる室井の姿があった。
青島はそれを一瞥すると、再び視線をカップラーメンに落とした。
「青島君?」
取り立てて反応のない青島を不審に思ったのか、すみれが首を傾げていると、室井と袴田が刑事課に入ってきた。
刑事たちが挨拶を寄越す中、室井は袴田に連れられて応接室に向かう。
途中、一瞬だけ青島に視線を投げたが、眉間を皺を寄せて応接室に入っていった。
その間、青島はちらりとも室井を見なかった。
そんな二人を見ていたすみれは、益々首を傾げた。
それだけ、二人の態度は不自然だった。
いつもなら目を合わせて挨拶を交わすし、青島は笑顔を見せることもある。
ましてや、すみれは二人が付き合っていることを知っていた。
顔すら上げない青島をすみれが不自然に思っても無理はなかった。
「どうしたのよ、青島君」
「別に、どうもしないよ」
素っ気ない青島に、すみれは苦笑した。
どうもしないと言う態度がどうもしていないようにはとても見えなかった。
分かりやす過ぎる青島に、苦笑せざるを得なかったらしい。
「なによ、ケンカしたの?」
誰ととは言われなくても、青島に分からないわけがない。
さらりと図星を差されて、うっと言葉に詰まった。
できることならこのまま聞き流してしまいたいが、こうなっては誤魔化しきれないから取り繕っても仕方がない。
青島は諦めて、堂々と膨れっ面を浮かべた。
「知らないよ、あんな人」
拗ねたような口調は決して本心からの言葉ではなく、それはすみれにも伝わったのか、すみれは青島の話を笑って聞いていた。
本気にしていないのだ。
「はいはい、そうでしょうね」
「…真面目に聞いてる?」
「えー?真面目になんて聞いてらんないわよー」
素直過ぎるすみれの返事に、青島はむっつりと呟いた。
「聞いたの、すみれさん」
すみれはぺろっと舌を出すと、ごめんごめんと適当に謝って話を続けた。
「で?ケンカの原因は何よ」
すみれの質問に、青島はまた返事に困った。
ケンカの原因。
もちろんあったが、それを言葉にして説明することに抵抗がある。
ケンカの原因はばかばかしくもくだらなく、多分すみれに話したところでそう言われるのがオチだからだ。
問題は原因にあるのではなく、そこから発展した、大人げなく白熱した売り言葉に買い言葉の応酬にあるのだが、それを説明することもやっぱり憚られた。
結局、「秘密」とだけ答えてお茶を濁した。
「まあ、なんでもいいけどね」
すみれは苦笑気味に肩を竦めた。
「痴話喧嘩なんて、聞いても仕方ないし」
「……」
達観したすみれの言葉に、返す言葉もなかった。
痴話喧嘩と言われると否定したくなるが、きっと青島と室井のケンカは世間一般で言う痴話喧嘩で間違いない。
「でも、こじれちゃう前になんとかしなさいよー」
でないと後悔するわよ、などと意地悪く笑うすみれに、青島は顔を顰めた。
そんなことは室井さんに言ってくれ悪いのは俺じゃないと思ったが、心のどこかで本当にそうだろうかとも思うので、言葉にはしなかった。
室井とのケンカに青島自身後悔がないわけではない。
100%室井が悪いとは思っていないが、室井に言われた言葉が悔しかったから素直になれずにいる。
そんな心情は我ながら情けなくてすみれに説明できない。
青島は黙ってカップラーメンのフタを開けた。
箸を握った途端、袴田の声がした。
「青島君、コーヒー持ってきて」
固まった青島がゆっくり振り返ると、袴田が応接室から半分だけ身を乗り出していた。
青島に向かって笑顔で手を振ると、ぱたりとドアが閉まる。
青島は深い溜息を吐いた。
「すみれさん…」
「青島君が頼まれたんでしょー?」
代わりに行ってきてとも言わせずに、すみれもにっこりと笑った。
どうやら代わりに行って来てくれる気は全くないらしい。
青島は渋面のまま箸を置いた。
「なんで俺を名指し?」
「さあ。室井さんと仲が良いからじゃない?」
「だからって別に俺じゃなくても」
「はいはい、いいからいいから。待ってるわよ、室井さん」
すみれに急かされて仕方なく席を立った。
それと同時にすみれが青島のカップラーメンを奪っていく。
「伸びちゃうからね、もらってあげる」
ごちそうさまと可愛らしく微笑むすみれに、青島は呆気にとられたが盛大な溜息を吐いた。
ノックをして「失礼しまーす」とどこか不満そうな声をかけてから、応接室のドアを開けた。
中に入ると、上座に室井が座っていた。
青島を見て袴田が腰をあげる。
「遅いよ、青島君」
袴田の小言に唇を尖らせ、遠慮なく不満をぶつける。
「俺、これから昼飯だったんすよ」
「席に戻ってから食べればいいでしょう」
「すみれさんにとられました」
「君もどんくさいねー」
笑う袴田を睨むと、袴田は咳払いをして表情を引き締めた。
「ほら、早く室井さんにコーヒーを差し上げて」
そう言われて、青島はようやく室井に視線を向けた。
室井は膝の上で軽く両手を組んで青島を見ていた。
あっかんべーでもしてやろうかと思ったが、袴田の手前そうもいかない。
むっつりしたまま室井の前にコーヒーを置く。
「ありがとう」
礼を言われて、また視線が室井に行く。
目を合わすのが気まずくて、視線が少し落ちた。
室井の胸のあたり、ネクタイの上で止まる。
そのネクタイに見覚えがあったからだ。
確か、数年前の誕生日に青島が贈ったネクタイだ。
時々しているのを見かけたことはあるが、まさかこんな時にしてくるとは思わなかった。
思わず視線を持ち上げると、ずっと青島を見ていたのか室井としっかりと目が合った。
その表情は怒っているようには見えず、いつもの室井だった。
そのことに、自分自身でも気づかぬうちにホッとしていた。
「青島君、少し室井さんのお相手してて」
「え…?ええ?ちょっと課長…」
動揺する青島を余所に、袴田は「署長呼んで来るから」と言い残して応接室を出て行った。
袴田を呆然と見送り、青島は肩を落とした。
逃げ場がなくなったわけだが、逃げていても仕方がない。
乱暴に頭を掻いて、室井の向かいの椅子に腰を下ろす。
室井は少し身を乗り出した。
「青島…」
「ネクタイ」
何かを言いかけた室井の言葉を遮って、青島は言った。
「ケンカの翌日に、よく俺のあげたネクタイなんてする気になりますね」
呆れもするが半ば感心した思いで口にすると、室井は眉間に皺を寄せて自身のネクタイに視線を落とした。
青島があげたネクタイだということを、室井が忘れてしまっているとは思えない。
ケンカした翌日にも係わらず、わざわざ好んで青島があげたネクタイを締めているのだ。
青島はそのことに驚いたし、実を言えば嬉しくもあった。
ケンカを大したことだとは思っていない証拠のように思えた。
それはその通りで、間違いないだろう。
「気に入っているネクタイだ。好きな時に使う」
室井が当然とばかりに言ってのけたから、青島は思わずケンカの最中だということも忘れて笑ってしまった。
室井は衣服に執着のない男だった。
立場上、そして性格上、いつもきっちりした格好をしているが、スーツやネクタイにこだわりがあるわけではない。
室井がそのネクタイを気に入っているのは、青島があげたものだからだ。
ネクタイへの愛着はそのまま青島への愛着のはずだった。
そう思えば、昨夜の怒りもどこかへいってしまう。
単純な男だが、単純なことは悪いことばかりではなかった。
青島が笑みを見せたせいか、室井の表情も緩んだ。
「仲直りしないか?」
室井がストレートな要求を口にした。
仲直りという単語が子供みたいでおかしかったが、うやむやにしないところは室井らしい。
本当のところ、室井のネクタイを見た時から、青島の機嫌は8割方なおっていた。
後は、切欠一つである。
室井からの「仲直り」の申し出は、願ったり叶ったりだった。
青島だって、いつまでも室井とケンカしていたいわけではない。
室井は大好きな人である。
仲良くいたいに決まっている。
それでも、少しの意地で強気に出る。
「悪い案じゃないっすけど、どうやって?」
更に案を出せと要求すると、室井は少し考え込んでから答えた。
「とりあえず、恩田君に奪われた昼食をご馳走しよう」
真顔で提案するから、青島はちょっと笑って頷いた。
「なんだか、食いもんでつられるみたいっすけどね」
そう茶化してみたが、本当はそれがどんな方法でも青島は頷いていただろう。
青島は室井の提案に乗っかるだけだ。
「寿司がいいかな、うなぎがいいかな」
楽しげに言う青島に、室井は苦笑したが「好きにしろ」と言った。
戻ってきた袴田と神田と入れ違いで応接室を出てきた青島は、目に見えて上機嫌だった。
それを目撃したすみれは、呆れた顔をしていた。
やっぱり話を聞かなくて良かった。
そう思っていたに違いない。
END
2010.6.22
あとがき
映画公開まであと少しですね!
早く青島君に会いたい!という思いで、更新です(全然関係ない内容ですけど)
ケンカが長続きしない人たちですねえ。
私が書くといっつもそんな感じですけど(^^;
青島君は怒りも悩みも長続きしなさそうです。
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