■ Special day


青島はボールペンを置くと、書き終えた報告書を眺めた。
読み辛いと不評な癖字だらけの報告書だが、そんなことは青島の知ったことではない。
書かなければならないことは全部書いたのだ。
これでようやく帰宅できる。
夕べからなんだかんだと慌ただしく帰宅どころか仮眠もできずに、丸一日は寝ていない。
そろそろ頭も働かなくなっていた。
青島はふらりと立ち上がると、袴田に報告書を差し出した。
受け取った袴田は、欠伸混じりという不作法に苦い顔をした。
「しゃんとしなさいよ、しゃんと」
「できるもんならしてますよ」
いじけたように唇を尖らせる。
「こっちは昨日の朝から働きっぱなしなんすからね」
言外に、定時に帰った誰かさんとは違うのだと言う。
冷たい青島の視線に一つ咳払いをして、袴田は報告書に目を通した。
読み終わる前に袴田の机の上で電話が鳴ったから、袴田がその電話に応じるより先に慌てて尋ねる。
「俺、もう帰ってもいいですよね?」
「ああ、ご苦労様」
頷いてから受話器を取る袴田にほっとして席に戻る。
疲れ切った身体を椅子に沈めて、帰り支度を始めた。
「お疲れ様」
背後からすみれが声をかけてくる。
青島は溜め息混じりに応じた。
「まったくだよ」
「散々な誕生日ねー」
「…覚えてたの?」
首だけで振り返ると、すみれも肩越しに振り返っていた。
「一応ね」
「ありがと」
笑いながら、ふざけて手を出してみる。
無言のプレゼントの催促に苦笑して、すみれは青島の手の平にアメスピの箱を置いた。
それを見て、青島はちょっと驚いた。
煙草を吸わない人だから、すみれが煙草を持っているはずがない。
ましてや、青島が愛飲しているアメスピだ。
「どうしたの?コレ」
「どうって…買ったのよ」
「俺のために?」
「なんか嫌な言い方だけど、そうなるわね」
嫌な言い方とは失礼な言い種だが、すみれの言葉は素直に嬉しかった。
青島のために買っておいてくれた誕生日プレゼントだ。
例えそれが煙草一箱でも、気持ちが嬉しい。
青島はニッコリ笑った。
「悪いね、ありがとう」
すみれからもニッコリと笑顔が返ってくる。
「私の時は三倍返しね」
「誕生日プレゼントってそういうものだった?」
「ランチでいいわよー」
全く人の話しを聞いていないすみれに眉を寄せたが、それ以上言っても無駄なので諦める。
ハイハイと適当に返事をしながら、鞄を手に立ち上がった。
「じゃあ、お先に」
「お疲れ様ー」
刑事課の面々と挨拶を交わし、刑事課を出る。
「青島君、ちょっと待った」
行きかけた青島を引き止めたのは袴田だった。
「なんすかー?」
青島が振り返ると、袴田は受話器を置いたところだった。
手招きされて、嫌な予感がする。
「うちに捜査本部が立つそうだ」
俄かに刑事課が騒がしくなる。
やはりまだ帰れないらしい。
それどころか、今日中に帰れるかどうかも怪しい。
青島はげんなりした。
「本当に散々な誕生日ね、青島君」
いつの間にか、隣にすみれがいた。
同情の眼差しに、乾いた笑みを返す。
「ま、刑事ですから」
「お盆も正月もないものねー」
「そうそう」
仕方がないというふうに頷いたが、内心で溜め息をつく。
「言い忘れてたわ」
パンッと両手を合わせたすみれを見下ろす。
「何?」
「誕生日おめでとう」
「…ありがと」
事件の概要を説明している袴田の声が遠くに聞こえる。
ポケットに入っているすみれからもらったアメスピを軽く握ってみた。
いくらか慰めにはなった気がした。


会議室の準備を手伝っていたが、それが終わる頃にはいよいよ欠伸が止まらなくなり、青島は喫煙室に逃げ込んだ。
本庁の刑事たちが到着したらどうせすぐに呼び戻されるだろうが、少しくらい休憩したって罰はあたらないだろう。
煙草に火を点けると、だらしなくもソファーにごろりと横になる。
煙を吐きながら、ぼんやりと天井を眺めた。
―そういや、室井さんが来るのかなぁ…。
捜査一課が乗り込んでくるというから、室井が来る可能性は高い気がした。
―いつぶりだったかな。
最後に会ったのは、前に湾岸署に捜査本部が立った時だった。
捜査本部でも立たないと会うことがないのだから当然だ。
「久しぶりだなぁ」
咥え煙草で指折り数えていると、呆れた声が聞こえてきた。
「なんて恰好で煙草を吸ってるんだ」
聞き覚えのある声に驚きつつ視線を向けて、入口に室井の姿を認めると眼を丸くした。
「室井さん」
「警察署で寝煙草による火災なんて、シャレにもならないぞ」
真顔で注意されて、青島は苦笑しながら起き上った。
「さすがに、大丈夫っすよ」
いくら青島でもそこまで粗忽者ではない、おそらくは。
しかし、危ないのは事実である。
素直に起きあがった青島の隣に、室井は腰をかけた。
それにまた少し驚く。
休憩している青島に言われたくはないだろうが、こんなところで時間を潰していていいのだろうかと思った。
でも、言葉に出しては言わない。
隣に座ってくれたことが、なんとなく嬉しかったからだ。
「寝煙草はやめた方がいい……疲れているのは、分かるが」
室井が横目で視線を寄こすから、青島は咥え煙草で顎を撫ぜた。
「そうっすか?顔に出るなんて俺も歳だなぁ」
「寝てないのか?」
「ええ、まあ。完徹っす」
「そうか…タイミングが悪いな、そんな時に捜査本部など」
「こればっかりは仕事だから仕方ないんですけどね」
肩を竦めつつ、欠伸を噛み殺す。
職業柄睡眠時間を削られることには慣れていて、諦めもついているが、だからといって平気なわけではない。
煙草を吸って多少気が紛れはしたが、頭はまだぼんやりしていた。
「俺、今日、誕生日なんすよねー」
煙を吐きながら呟いたら、室井が目を剥いた。
「誕生日?」
「そうなんすよ」
それなのにおそらく今日は今日が終わるまでずっと仕事だろう。
誕生日にしたことといえば仕事しかないことになる。
それはちょっと可哀想なのではないかと、自分のことなのに他人事のように同情してしまう。
―ま、何も悪いことばかりじゃないか。
ちらりと室井を横目で見た。
いつものことだが、眉間に皺を寄せて何やら難しい顔をしている。
青島は声もなくひっそりと笑った。
捜査本部のせいで帰れなかったが、そのおかげで誕生日に室井に会えた。
こんな偶然、そうそうありはしないだろう。
例えなんの意味がなくても、室井にとってはただの当り前の一日に過ぎなくても、青島にとっては嬉しい偶然だった。
多少荒んでいた気持ちがいくらか浮上していて、現金なものだと内心で笑った。
「おめでとう」
小さな声がして、青島は室井を振り返った。
「何がっすか?」
思わず聞き返したら、室井が変な顔で青島を見た。
「誕生日なんじゃないのか?」
「そうっすけど」
二秒くらい無意味に見つめ合って、青島は「あっ」と小さく叫んだ。
室井はおめでとうと言ってくれたのだ。
青島の誕生日を祝う言葉をくれたのである。
ようやく理解すると、一気に顔が熱くなった。
「いやいや、もう、この歳になったらね、誕生日なんてもうあれなんすけどね、むしろ歳は取りたくないっつーかねー、はははは…」
何故か焦ってしどろもどろになったが、室井は真顔でもう一度繰り返した。
「おめでとう」
青島の笑い声が消える。
少し俯いて、煙草を持った手で頭を掻いた。
「…ありがとうございます」
室井からのその言葉が、こんなに嬉しいとは自分でも思ってもみなかった。
子供みたいでなんだか気恥しいが、こんなことをごまかしてみても仕方がない。
今日に会えただけでも嬉しかったのに、祝いの言葉までもらえた。
もしかしてもしかしたら、今日は災難な日でなどなかったのかもしれない。
そんなことを考えていた青島は、やんわりと照れ笑いが浮かんだ青島の横顔を室井が凝視していたことに気がつかなかった。
「休憩の邪魔をして悪かった」
急に室井が立ちあがったから、青島も慌てて煙草を消して顔をあげた。
「いえいえ」
引き留めたかったが理由もないし、仕事の邪魔もできない。
隣に座ってもらえて、話しができて嬉しかった。
そう伝えるわけにもいかず、青島はただ首を振った。
「じゃあ、また後で」
室井はそう言うと喫煙室から出て行こうとしたが、出て行かずに足を止め、自販機の前まで戻った。
コーヒーでも買っていくのかな?と思って、その姿をぼんやりと眺めていると、室井は缶コーヒーを一本購入した。
再び青島の前まで戻ってくると、それを青島に差し出す。
「…え?」
きょとんとした青島に、ぐっと缶コーヒーを付き出した。
「ん」
慌てて青島が受け取ると、室井は踵を返した。
離れていく背中と、手の中の缶コーヒーを交互に見比べる。
そして、その背中に声をかけた。
「室井さーん」
室井の足が止まり振り返る。
「これって、誕生日プレゼント?」
「…眠気覚ましにでも使え」
肯定でも否定でもない返事だったが、どうやら誕生日プレゼントで間違いないらしい。
青島はまた缶コーヒーに視線を落とした。
何度見たって、手の中にあるのは見慣れた缶コーヒー一本。
だけど、青島の目には何か違うもののように映った。
視線をあげると、室井がどこか気まずそうに佇んでいた。
らしくないことをしたと照れているのか後悔しているのか。
青島は破顔すると、貰った缶コーヒーを掲げて見せた。
「ありがたく頂きます」
「ああ…」
室井は眉を動かして眉間に皺を寄せたり伸ばしたりしていたが、結局それ以上は何も言わず再び歩き出した。
もう一度呼びとめる。
「室井さん」
今度も止まって振り返ってくれた。
青島はできるだけ気負わないように、軽い調子で尋ねた。
「室井さんの誕生日はいつっすか?」
「…来月の3日だ」
「もうすぐっすね」
「そうだな」
「何か欲しいものないっすか?」
室井が目を剥いたから、青島は苦笑した。
偶然会って、おそらく気まぐれで貰った缶コーヒー。
そんなものに改まってお返しがしたいなんて、やっぱり少し不自然だったかもしれない。
しかし、返ってきた室井の返事も、何かが少しおかしかった。
「君がくれるのか?」
青島が室井に聞いているのだから、そうに決まっている。
「ええ、なんで高いものは無理ですけど」
首を傾げつつも、茶化してみた。
室井が缶コーヒーのお返しに見合わないものなど求めてくるとは思えなかった。
それどころか何も求めてはもらえないような気もするが、青島なりに勇気を振り絞って尋ねたので何か言ってもらえたら有り難かった。
室井は少し俯いて考え込んでいたようだったが、顔を上げると青島に言った。
「なんでもいい」
その返事に、青島は少し驚いた。
いらないと言われなかったことに驚いたのだ。
「なんでもいい」と答えたということは、少なくても青島からの贈り物を不要だとは思っていないということではないだろうか。
室井は青島が驚いている隙に、今度こそ喫煙室を出て行った。

一人になった青島は、小さく笑っていた。
思わぬプレゼント、思わぬ約束、そんなものが生まれたりするからには、いくつになっても誕生日という日はやっぱり特別な日なのかもしれない。
当分飲めないであろう缶コーヒーを握りしめて、青島は思った。
―室井さんには、何を贈ろうかな。




「君がくれるものなら、なんでもいい」
室井が本当に言いたかった言葉はそれだった。










END

2008.12.13

あとがき


青島君、お誕生日おめでとうー!!!

というわけで、なんとか間に合いました(笑)
やっぱり何はおいても青島君のお誕生日はお祝いしないといけません。
お祝いするまでは年も明けません。
明けさせません。
08年度の青島君のお誕生日をお祝いせずに、
09年が来るなんてありえない!(…)

まあ、折角のお祝いなのに、恋人になってませんけど(笑)
これからーな感じの二人でした。


青島君、お誕生日おめでとうです。
そして、ありがとうです。


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