■ indispensable
ドアを開けて居酒屋の外に出ると、すみれは寒さに首を竦めた。
酒と暖房で温まった身体には堪えるが、その顔はご満悦だった。
「あー、食べた食べた」
笑みを浮かべたながら、コートの上からお腹をさする。
「すみれさん、食べすぎ」
「美味しかったですもんねー」
「そういう問題じゃないよ、雪乃さん」
すみれの後に続いて、真下と雪乃が出てくる。
ご機嫌なすみれに反して、真下は情けない顔で自分の財布を覗き込んでいた。
久しぶりに湾岸署に顔を出した真下と三人で飲みに来たのだが、会計の大半は真下の財布から支払われていた。
「ごちそうさま」
うふっと可愛らしく笑うすみれに、真下は情けない顔のまま雪乃と顔を見合わせて苦笑した。
「相変わらずですね、すみれさん」
「どういう意味よ、それ」
「真下さんも相変わらずですよ」
偉くなっているはずなのに、雪乃にはもちろんすみれにも頭が上がらないのだから、真下も相変わらずなのである。
久しぶりに会ったって、湾岸署で共に働いていた時と関係は何も変わらない。
真下と雪乃の関係だけは多少変わったが、それも本質的には変わっていなかった。
つまり、尻に敷かれっぱなしなのである。
真下だって男を見せる時がないわけではないが、有事以外に見せないものだから滅多にお目にかかることはなかった。
「青島さんも来れたら良かったのに」
雪乃が残念そうに呟いた。
署を出る前に帰り支度をしていた青島にも声をかけたのだが、珍しくも先約があると断られたのだ。
すみれほどではないが、青島も「奢り」という言葉に弱い。
誘いを断ったからには、本当に用事があったのだろう。
「また今度奢ってーって言ってたわよ」
すみれが伝言を伝えると、真下が嫌そうな顔をした。
「奢るなんて約束してませんよ」
「青島さんの中では、してるみたいですね」
諦めたように溜め息を吐く真下に、すみれは笑った。
「さ、もう一軒行く?」
「カラオケにしましょう、カラオケに」
「二人とも、明日も仕事ですからね。ほどほどにしてくださいねー」
どこに行くあそこにしようと言いながら歩いていると、駅前に差し掛かった。
まだ宵の口で、人通りが多く賑わっている。
その中に見なれた緑のコートを見つけ、すみれは足を止めた。
思わず呟く。
「青島君」
真下と雪乃も、すみれの視線を追って青島を見つけた。
「あ、本当だ」
「先約があったんじゃないんですかね?」
青島は俯きがちに、壁に寄りかかっていた。
時々手にした缶コーヒーを口に運んでいる。
そして、時々時計に視線を落としていた。
「待ち合わせっぽいですね」
「…さては、女ね」
ニヤリとすみれが笑うと、真下が身を乗り出した。
「先輩って、今付き合ってる人いるんですか?」
「さあ、それは聞かないけど」
「青島さんって、意外と秘密主義ですよねー」
青島の口から恋人の存在を聞いたことはないが、決まった人はいるのではないかとすみれは思っていた。
警察官であることがネックにはなっていると思うが、青島がもてないとも思えない。
昔は合コンだ飲み会だと盛り上がっていたが、いつからか全く聞かなくなった。
年齢を重ねて青島も多少は落ちついたのかもしれないが、それだけだとは思えない。
署内で浮いた話もなく、だからこそ青島に本命の彼女ができたのではないかと思っていた。
「相手が来るまで張り込んでよっか」
冗談半分で提案してみる。
下世話な気はするが、気になるのも事実である。
「張り込むって、すみれさん…」
真下は一瞬呆れた顔ですみれを見たが、青島の方に視線を向けて「あ」と呟いた。
すみれも雪乃も真下に倣って、目を丸くする。
「あっ」
「あら…」
いつの間にか、青島の連れが現われていた。
やけに姿勢のいい、黒いコートの背中が見える。
しばらく見かけなかったが、見覚えは山ほどあった。
雪乃が嬉しそうな顔を見せた。
「帰ってきてたんですね、室井さん」
「もう引っ越して来てたんだ」
辞令が出ていることは、湾岸署ではみんなが知っていた。
真下がいち早く情報を流してくれたのだが、遅かれ早かれ噂にはなっていただろう。
室井と湾岸署は、浅からぬ縁がある。
主に青島が作った縁だったが、室井の本庁復帰に期待しているのは青島ばかりではなかった。
「室井さんが先約なら、仕方無いわね」
すみれは小さく微笑んだ。
相手も分かったことだしさて行こうかと思っていると、
「ところで」
酷く言いづらそうに真下が言った。
「あの二人って、どういう関係なんですかね?」
すみれと雪乃は顔を見合わせてから、揃って真下を見た。
「どうって?」
「いや、だから、そのー、ただの上司と部下にしては、なんかその、普通じゃないというかー」
歯切れ悪くごにょごにょと言うが、真下が言わんとするところはなんとなく伝わる。
すみれは意味もなく焦った。
「やだ、何言ってんの?何があるっていうのよ、あの二人で」
「そうですよー、二人とも男性じゃないですか」
雪乃もうんうんと頷いている。
濁した真下の言葉が二人に正確に伝わったのは、二人とも考えてみたことがないわけではなかったからかもしれない。
青島と室井。
二人の間に強い絆が存在していることは三人とも良く理解していたが、それだけなのかそうではないのか、そこまでは分からなかった。
いや、それだけなのだ。
普通に考えれば、それ以上の関係であるはずがない。
二人とも男だ。
上司と部下という関係であり、理想を共有するパートナーなのだ。
時々、そんなものを踏み越えているように見えなくもなかったが、それは気のせいである。
階級を飛び越えた友情が、時々行き過ぎているように見せているだけ。
すみれはそう思っていた。
「でも、でもですよ?なんか変じゃないですか?」
「何がよ」
食い下がる真下に、何故か恐る恐る聞き返してしまう。
真下は躊躇いながら続けた。
「あの二人の雰囲気って、なんかこう、時々、見てられないといか……ほら、気づいたら見つめ合ったりしてません?他人が入って行けない雰囲気の時あるでしょ?」
「…なくはないけど」
「アイコンタクトは確かに多いですよねぇ…」
すみれと雪乃はまた目を合わせてから、青島たちの方に視線を向けた。
もちろん会話は聞こえないが、青島の口が動いているから何かを話しているのは分かる。
二人とも真剣な表情で、不自然な空気や甘い雰囲気を感じるところはない。
それは、事件の時に顔を合わせた時の二人と、特に変わらない様子だった。
むしろ真剣で、真摯な表情にすら見えた。
久しぶりに会ったのだろうから、語るべきことや確認すべき想いもあるのかもしれない。
すみれは落ち着きを取り戻すと、二人から視線を逸らした。
「余計な詮索しても仕方ないんじゃない?」
それは時間の無駄のような気がした。
二人が特別な関係なのは分かりきったことだし、例えそれがすみれたちの想像の枠を超えていたとしてもすみれたちには関係のないことだ。
青島と室井の問題である。
「…そうですね、ほら、行きますよ、真下さん」
雪乃が真下の背中を押して、青島たちとは逆の方向に歩きだす。
「えー?僕の考えすぎですかねー?」
「下世話な心配してると、青島さんに怒られますよー」
「まあ、先輩、女の子好きだしなぁ」
「そうそう、真下さんと一緒でね」
「僕は雪乃さん一筋ですよ!」
拳を握る真下にハイハイと適当な返事をする雪乃に笑って、すみれは二人の後を追って歩き出した。
行きかけて立ち止まる。
理由は特にないけれど、なんとなく後ろ髪を引かれる思いで肩越しに青島を振り返った。
青島は真顔で何かを話していた。
二言三言言葉を紡いで口を閉ざし、室井の肩に顔を寄せた。
少しだけ首を傾けて、室井の耳元に何かを囁く。
再び顔を上げた時には、青島は笑っていた。
嬉しそうな笑顔で幸せそうにすら見えた。
それを受けて、室井の表情が柔らかくなる。
小さな笑みが優しくて、すみれは驚いた。
思えば、室井の笑顔など初めて見たかもしれない。
青島が笑ったまま室井を促し、歩き出した。
二人の背中が遠ざかっていく。
すみれはそれをぼんやりと眺めていた。
「すみれさーん?どうしたんですかー?」
少し遠くから雪乃に呼ばれて、すみれは慌てて二人を追いかけた。
「何かあったんですか?」
「ううん、なんでもない。さ、カラオケ行くわよー」
雪乃と真下の腕をとり、颯爽と歩きだした。
青島も室井も、すみれたちの仲間だ。
下手な詮索などするものではないだろう。
もし万が一、下世話な想像が確かでも、それで幻滅することもない。
青島が幸せそうなのだから、何も文句はなかった。
室井があんな顔を見せるなら、それはきっと悪いことではないのだろう。
お互いにお互いがどうしようもなく必要なのだとしたら、恋になったとしてもおかしくはない。
ただ、もし万が一そうであったとしたら、そのことに違和感がないのが唯一の違和感かもしれない。
すると、おかしいのは自分の方か。
そう思って、すみれは笑った。
―いつか、打ち明けてくれるかしら。
もしそんな日がきたら、ちょっとくらい薄情者と罵っても許されるかもしれない。
そしたら、精一杯祝福してやろうと、すみれは思った。
END
2008.12.5
あとがき
最近、またすみれさん熱が高く、出番が多いです。
というか、このお話しでは室井さんどころか青島君の出番すらない…;
しかも、室青なのかも怪しい感じですみません(苦笑)
個人的にはどっちでもいいと思っているのですが、
すみれさんが半ば確信しているので、室青で間違いない気もします。
タイトルは「不可欠」という意味だそうで。
どちらにとっても必要不可欠なんじゃなかろうかーということで。
私にとっても必要不可欠なんですけどね!←聞いてません。
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