■ 天然の恋(7)


―俺は室井さんのことが好きなんだろうか?

19時を過ぎても明かりが点かない部屋の窓を眺めながら、青島はぼんやりしていた。
容疑者の自宅を張り込み中だったが、対象が帰ってくる様子は無かった。
本庁からの頼まれ仕事で張り込みをしているが、容疑者が自宅に帰って来ることはないだろうと予想している。
現れる可能性が低いからこそ、青島たち所轄刑事に任されているといっていい。
青島も慣れたものでそんなことでいじけたりはしていないが、モチベーションが上がらないのも確かだった。
どこか気の抜けた張り込み。
そのせいではないが、青島の頭をしめるのは、まだ見ぬ容疑者のことばかりではなかった。
―俺はなんで、あの時、あんなことを。
風邪をひいた室井の見舞いに行って、室井の額にキスをした。
室井にされたわけでも、不慮の事故でもなく、自ら腰を折り自分から室井に触れたのである。
そんなことをした理由を、三日経った今でも考え続けていた。
欧米人でもあるまいし挨拶代わりにキスをするような習慣はもちろん青島にはなく、例え場所が額であってもキスをしたくなる理由など一つしかないはずだった。
そうは思うが、そんな馬鹿なとも思う。
室井のことは好きだが、そこに恋愛感情などなかったはずである。
だから、室井の告白を受け入れることができなかったのだ。
そのはずなのに。

「なんか進展あったか?」
背後から声をかけられて、青島はびくりと震えた。
振り返れば和久がいて、呆れた顔をしている。
「張り込み中の刑事が、ぼんやりしてるんじゃないよ」
「和久さんが急に声かけるから」
「急にじゃなくて、どうやって声かけんだよ」
身振り手振りでか、とビニール袋を振り回して見せる。
青島は黙ってビニール袋に手を伸ばした。
中を覗くと青島が頼んだアンパンと無糖の缶コーヒーが入っていた。
和久はお茶とおにぎりらしい。
「進展は?」
「何も」
肩を竦めて、アンパンに齧り付く。
「今日はどうせ帰ってこないでしょ」
「だろうなぁ」
和久も何が起こるはずもないと、諦めているようだった。
「おー、冷える…」
暖かいお茶で暖を取る和久を横目で見る。
「おにぎりも温めてもらってくれば良かったのに」
「ああ?やだよ、そんなの」
「北海道じゃ、当たり前らしいですよ」
「おにぎりを温めんのがかぁ?」
「テレビでやってました」
半信半疑な和久に笑いながら、あんまんにすれば良かったかなと思った。
夜の張り込みは寒いし暗いし腹が減るから、厳しかった。
「後一時間もしたら、係長と真下が代わってくれるとさ」
「りょーかい」
例え、明日も明後日も容疑者が見つかるまでこの仕事が続くとしても、休憩ができるのは有り難かった。
とりあえずは二人が来るまでの我慢かと缶コーヒーを握りしめ、容疑者の部屋の窓を眺めた。

―流されてるんだろうか、俺は。
室井の好意に流され、自分もその気になっているだけかもしれないと思った。
だが、流されたからと言って、男相手にその気になれるのかという疑問も沸く。
室井だから、だろうか。
そもそも告白された最初から、室井を強く拒めずにいる。
受け入れられないとしながらも友人のような関係を続けていた。
先のことは分からないと誤魔化し、室井の誘いに応じて、多少の照れはあっても二人きりで会うことに抵抗もない。
室井は室井の意思で青島と今の微妙な関係を続けているのだろうが、考えてみれば随分酷なことをしている。
挙句に、額にキスなど思わせぶりなことをして。
もしかしたら、青島より室井の方が、今は頭を悩ませているかもしれない。
「想っているくらいは、構わないか?」
そう言ったのは室井だが、その気持ちを無視していていいわけがない。
いつまでも曖昧にしておかずに、青島はいい加減に真剣に考えなければならなかった。
室井のことをどう思っているのか。
室井とどうなりたいのか―。
「はっくしゅんっ」
和久のくしゃみにまたびくりと震えて、和久に白い目で見られながら、青島は少し冷めた缶コーヒーを開けた。




青島の予想通り、翌日もその翌日も張り込みは青島たちの仕事だった。
早朝に張り込みから帰ってきた青島は、一人医務室にいた。
「あーもー情けない」
ぼやきながら、鏡を覗き込む。
鏡の中には、頬に青あざのできた男がいた。
唇の端も切れている。
イイ男が台無しだとは誰も言ってくれないので自分で思ってみるが、空しいだけだった。
青あざはどうにもならないが、切れた唇の端にだけは絆創膏を貼りつける。
傷に響いて顔を顰めるが、誰のせいでもない怪我なので文句も言えない。
手の平に視線を落とせば土に汚れた擦り傷が目に付き、水道水で良く洗い流してからそこにも絆創膏を貼っておいた。
簡単な治療を終えると、青島はベッドに腰をかけた。
投げ出してあったスーツの上着を脇にどけて、ごろんと寝転がる。
早く仕事に戻らないとなぁと思いながらも、中々動こうとしない。
仰向けに寝転がり天井を見上げ、天井を見飽きると横向きになった。
「早く戻らないと、和久さんに怒られるなぁ…」
そう思ってみても、やっぱり動けなかった。
頭も身体も動きが悪すぎる。
理由ははっきりしている、室井のことだ。
室井のことを考えているから、頭も身体も動かない。
動けない。
答えを出さない限り、きっと青島は動けないのだ。

―室井さんに、キスをした。
何度もした事実確認だった。
されたのではなくて、自分から室井にしたのだ。
何故そんなことをしたのか。
―したかったからに決まってる。
何故したかったのか。
―同情?室井さんを哀れに思ったから?自分なんかに片想いをしている室井さんを不憫に思ったから?
不憫に思わなかったとは言い切れない。
青島を前にして何かを堪えている室井を見れば、可哀想だとすら思った。
だけど、それがキスをした理由とは、とても思えなかった。
自分のしたことに驚き、自分がしたにも関わらず信じられなかったが、その瞬間のことを青島も覚えていないわけではない。
自分のことを必死に想っていてくれる室井に気づいて、その気持ちに触れて、室井を愛しいと思っていたのだ。
愛しいと思ってしたキスが、同情なんかで済むはずがない。

青島は再び天井を見上げた。
その目は先ほどよりもいくらか明るく、力強い。
辿りついた結論がいいことなのかどうかは、青島にも分からない。
もしかしたら、あまり良くはないのかもしれない。
だけど、自分の気持ちに気がついてしまえば、気づかないふりはできない。
挙句キスまでしておいて、なかったことになどできなかった。
なにより、気づかないフリでいることは、青島を真剣に想ってくれている室井に対して申し訳がなかった。
アンタなんか嫌いだと嘘をついて逃げ出すという手がないわけではない。
本当はそれが室井のためだということも、分かっている。
男同士の交際は社会的にみて理解され難く間違いなくリスクになる関係だが、それだけではないと思いたかった。
室井が認めているのに、自分だけ逃げだすわけにもいかない。
というのは建前で、本当の本音を言えば、青島だって室井に伝えたかった。

―俺、室井さんのこと、

コンコンと医務室のドアがノックされて、青島は慌てて身を起こした。
擦り傷程度の怪我でいつまでもサボっていては怒られる。
「ハイハイ」
一応返事をしつつ上着を手に取るが、入ってきた人物を見て、手にした上着を取り落とした。
「室井さん…?何で…」
「張り込みをしていて怪我をしたと、刑事課で聞いて来たのだが」
そう言う室井の息が少し弾んでいたから、急いでここまで来てくれたのかもしれない。
唖然と室井を見上げていた青島だったが、照れを誤魔化すように笑みを浮かべた。
「いや、まあ、張り込みからの帰り道だったんですけど…」
張り込みで怪我をしたなどと言うのははばかられるような怪我だった。
早朝に張り込みを交替し、署に戻る帰り道。
ぼんやりと歩いていたら階段で躓き転んで、顔面をぶつけただけのことである。
手の平の傷は咄嗟に階段に手を付いたからで、おかげで転がり落ちるような惨事は免れたのかもしれないが、もう少し早く手をついていれば顔面を殴打することもなかっただろう。
張り込み自体は、良いことなのか悪いことなのか何事もなく、容疑者の影も形もなく平和に無事に終えていた。
青島の怪我は張り込みにはほとんど無関係の自業自得であり、おかげで湾岸署の誰からも同情されることのない怪我だった。
その説明をすると、室井は少し力の抜けた顔をした。
「容疑者と接触したんじゃなかったのか?」
「ええ、全く、残念なことに」
「階段で転んだだけ?」
「お恥ずかしい限りです」
青島が肩を竦めると、室井は一つ大きく息を吐いた。
呆れと安堵の入り混じった溜め息のような気がしたが、じろりと睨まれて反射的に背中に力を込めた。
「気をつけろ」
素っ気ない言葉でも心配してくれているのが分かるから、青島は素直に頷いた。
「…他に怪我は?」
他にとは、一目瞭然の顔の傷以外を指しているのだろう。
青島は手の平を差し出して見せた。
「後はここだけ、大したことはないです」
薄っすらと血が滲んだ絆創膏に眉を顰めて何かを言おうとしたが、室井は何も言わずに一度口を閉じ、もう一度「気をつけろ」とだけ言った。
何を言おうとしたのかはわからないが、青島の身を案じるための言葉なら、聞いてみたかったと思った。
もちろんそんなことは言えないが。
「結局容疑者は見つからなかったんだな」
今回の事件は殺人事件ではないため捜査一課は関係していないが、情報くらいは聞いているのか室井も事件について知っているようだった。
「自宅には帰ってこないでしょう」
「そうだな…」
「ま、念のために必要な張り込みなんでしょうけどね」
上着を着込みながら諦めたように言うと室井は眉間に皺を寄せたが、今は本庁に対する愚痴を室井に零したいわけではない。
青島は笑顔を見せた。
「刑事になりたての頃は、張り込みって憧れてたんですけどね」
やってみたらキツイっすよねと笑うと、室井は小さく溜め息を吐いた。
「憧れるな、そんなもんに」
「ははっ…室井さんはどうしたんです?うちに用事?」
「ああ、今回の事件のことで少し……それと」
言葉を区切ると、鞄の中からハンカチを取り出し、青島に差し出した。
そのハンカチは青島のハンカチで、あの時のものである。
青島は急に体温が上がった気がした。
「助かった、ありがとう」
何も大したことはしていない、気にしないで、そんなことを思ったのに唇が重たくてあまり動かない。
「いえ…」
それだけ言って、ハンカチを受け取る。
ハンカチはきちんとアイロンがかかっていて、室井に貸した時よりキレイなくらいだった。
そのハンカチを見下ろしたまま、言葉を探す。
言わなくてはいけないことがあるのに、やっぱり唇が重たい。
―室井さんから聞いてくれれば。
―あの時のキスの意味を。
―問い質してくれたら。
この期に及んで往生際が悪く、ずるいことを願う。
言えないわけではないが、言う切欠が欲しかった。
―室井さんが聞いてくれたら。
「そろそろ、仕事に戻る」
室井が言ったから、青島は弾かれたように顔を上げた。
そんなばかな。
まだ肝心な話は何もしていない。
青島はそう思ったが、青島が勝手にそう思っただけで、室井にしてみればもう目的は果たしたのかもしれない。
ハンカチをただ返しにきてくれただけならば、室井はもう青島に用事がないことになる。
そんなばかなともう一度思ったが、室井は自分に聞きたいことがあるはずだと思い込んでいたのは、自意識過剰だったのかもしれない。
ハンカチを持つ手に力がこもった。
「じゃあ……お大事に」
穏やかに言って踵を返した室井に手を伸ばす。
手が届いたコートをしっかりと掴むと、驚いたように見下ろしてくる。
「青島…?」
青島はすぐに俯いて、室井の視線を避けた。
顔が異常に熱い。
見られたくなかった。
「どうかしたのか?具合が悪いのか?」
戸惑いながらも心配してくれているのが分かる。
青島は尚更強くコートを掴んだ。
「なんで」
声を出してみたら、思いの他小さく掠れてしまい、一度深呼吸をして言い直す。
「なんで、何にも聞かないの」
「…青島?」
「聞きたいこと、ないの?」
自分で言っておきながらずるい聞き方だと思って、また顔が熱くなる。
だが、もし室井に聞きたいことがないのだとしたら、あの出来事は無かったことにしたいという意味だろう。
だから問い質そうとしないのだ。
もう青島に興味はないということかもしれない。
それを考えると室井からの返事を待つ余裕はなく、むくりと顔を上げた。
「俺、室井さんにキスしたんですよ」
みっともなく赤い顔で言ったら、室井が絶句した。
見開かれた大きな目に室井の驚きと動揺を悟り、やっぱり口に出さない方が良かったのだろうかと不安に思った。
居た堪れなくなった青島が目を伏せると、室井が詰めていた息を吐いた。
「夢じゃなかったのか?」
「…はい?」
再び丸い目で室井を見上げると、気まずそうにひくりと眉を動かした。
「君が帰った後、信じられなくて考えてたんだ」
「考えてたって…なにを?」
「何があったのか、考えてた」
何がもなにも、青島が室井にキスをしただけである。
した方もされた方も驚くような出来事ではあったが、理解できないほど複雑な出来事ではなかった。
考えるまでもないだろうと思ったが、それだけ室井も動転していたのかもしれない。
具合が悪く発熱中で寝込んでいたのだから、冷静な思考回路など保てていたはずがない。
室井が混乱するのも分からなくはなかった。
「それで?」
「気のせいなんだと思った」
「気のせい?」
「……君のしたことが」
室井が言い辛そうに話すのを聞きながら、青島は目を瞬かせた。
「ええと…?」
「夢だと思ったんだ」
考え込んでいるうちにいつの間にか寝てしまい、一晩寝て起きてみたら、青島がキスをしたなどとは到底思えず、夢を見ていたのだと思ったと言う。
それで、「夢じゃなかったのか?」と聞いたのかと納得はいったが、青島は気まずさや不安も忘れて呆れてしまった。
どうやら室井の中で、青島のしたキスは、本当に無かったことになっていたようだ。
無かったことにしたくてしたわけではなくて、考えて考え過ぎた結果、本気で無かったことだと思い込んだらしい。
そんなばかなと、本日何度目かに思った。
「熱のせいで、どうしようもない夢でも見たのかと思ったんだ……どうしようもなく、都合の良い夢を」
ぐっと力がこもった瞳に見つめられて、再び青島の顔が熱くなる。
「青島」
名前を呼ばれただけで、息苦しくなった。
「聞いてもいいか」
少しだけ俯き室井の視線からまた逃れる。
室井から聞いて欲しいと願っていたくせに、いざとなると聞かれるだけでも勇気がいる。
それでも本気で逃げ出したいわけではないので、室井のコートは掴んだままだった。
「何故、あんなことを」
「それは…」
言わなくちゃと思うのに、言葉が喉に絡んで出てこない。
伝えたいのは簡単な言葉のはずなのに、今の青島にはそれが酷く困難だった。
想いを伝えることを、こんなに躊躇ったことはない。
男同士だから、同じ警察官だから、他の誰でもない室井だから、躊躇わずにいられなかった。
やはり受け入れていいことなどない。
だけど、受け入れられずにいることが我慢ならない。
だって、青島は―。
「青島」
青島が俯いたまま葛藤していると、室井の手が青島の頭に触れた。
「少しは、期待してもいいか?」
青島はハッとして室井を見上げた。
室井は穏やかな目で青島を見下ろしている。
前向きな言葉とは裏腹に、青島の葛藤に気付いたのか、室井からひいてくれたように感じた。
青島を好きだと言葉にするのは躊躇わないくせに、無理矢理青島の気持ちを引きだそうとはしない。
青島を困らせまいという思いやりかもしれないが、自信がないだけかもしれない。
青島が室井を好きになるという、自信が。
「期待、していいっすよ」
青島が言うと、室井はゆっくりと小さな笑みを見せた。
「そっか」
そんなに嬉しそうな顔をされれば、躊躇っている自分が馬鹿に思えてくる。
青島は頭に触れていた室井の手を取り、強く握った。
もう引っ掛かることもなく、素直に言える。
「好きです」
室井の大きな目が見開かれるのを見つめながら、青島は繰り返した。
「室井さんが好きです」
きっと聞きたかった言葉だろうに、信じられないという顔で青島を見下ろしている男がおかしくて愛しくて、つい笑ってしまう。
青島が笑みを見せると、室井はようやく口を開いた。
「本当に?」
「こんな嘘、吐くわけないでしょ」
照れくさくて口の中でもごもごと呟くと、室井は穴が開くのではないかと思う勢いで、青島を見つめた。
強い視線にたじろいだ青島だったが、
「…これごと夢ということはないよな?」
室井の呟きに破顔した。
「どんだけ寝続けてる気ですかっ」
遠慮なく声を上げて笑う青島に、室井もやっと現実と認識できたのか、笑みを浮かべた。
「そっか」
照れているのかぎこちなく硬い笑みも、室井らしくて愛しく思える。
「はい」
「では…改めて、よろしく」
これで恋人になったのか?と疑問に思えるような室井の挨拶もおかしいが、青島は笑って頷いた。
「はい、ええと…こちらこそ」
挨拶を交わした後は二人とも無言になる。
嬉しいし浮かれた気分ではあるが、どうにも気まずかった。
恋人になったからといって、その一瞬に何かが大きく変わるわけではない。
ただ、恋人になったのだという事実だけが漠然とそこにあり、背中がそわそわするようなくすぐったい気分だった。
それはきっと室井も同じである。
無駄に眉を上下させて、らしくもなく視線を泳がせてから、いつものように眉間に皺を寄せた。
「…そろそろ、仕事に戻る」
「あ、そうっすよね」
考えることが他にありすぎて、仕事中だったなんてことはすっかり忘れていた。
青島ももう戻らなければならない。
「わざわざありがとうございました。心配かけてすみません」
「いや、大怪我じゃなくて良かった」
では、と室井が踵を返す。
今度は引き留めない。
引き留めたい気持ちはあったが、引き留めたところで何を話したらいいのか分からなかった。
出ていこうとする室井を黙って見つめていたら、ドアの前で立ち止まり振り返った。
「青島」
「はい?」
言いたいことでも忘れたか?と青島が首を傾げるくらいの長い沈黙の後、室井が言った。
「キスしてもいいか」
室井の沈黙と同じくらい沈黙してから、青島はかくんと頷いた。
「ど…どうぞ」
青島の返事に一瞬ホッとした顔を見せたが、すぐに真顔になり近付いてくる。
その顔が少し怖かったが、キス一つでここまで真顔になられたら、それはそれで面白い。
半笑いになりそうだったが、室井の顔が近付いてくるとそんな余裕はなくなった。
―キスしてもいいか、なんて初めて聞かれたな。
近づいてくる室井の目にドギマギしながら、当り前のことを考える。
男に迫られるのは初めての経験だったが、拒否反応がでることもなく。
―室井さんって、やっぱり男前だよなー…
目を閉じる瞬間には、そんなことを思っていた。

目を開けると、目の前にはまだ室井がいた。
視線を合わせたまま、どちらも無言になる。
「……」
「……」
何か言ってよと思ったり、何か言わなくちゃと思ったり。
言葉を探しながら室井の言葉を待っていたら、室井が先に口を開いた。
「すまない」
「なんで、あやまんの」
なりたてとはいえ恋人にキスをして謝る必要がどこにある。
まさか、キスしてみたらやっぱり違ったなどという気ではないだろうかと、一瞬疑った。
それはもちろんいらぬ心配で。
「もう一回してもいいか」
室井がやっぱり真顔で聞いてくるから、青島はぽかんとしてしまった。
そういうことは普通もっと穏やかな顔で、なんなら多少しまりのない顔で聞くものではないだろうか。
だが、そんなところもまた、室井らしいと思えないこともない。
見上げた室井が気まずそうにまた眉を寄せるのを見て、青島はやんわりと口角を上げた。
「どーぞ」
室井の袖を引くと、室井が顔を寄せてくる。
怪我のせいで唇に触れられば鈍い痛みを感じるが、そんなことは今は気にならない。
目をつぶりながら、青島は笑った。
「何度でも」


思ったよりもずっと長いキスの後、室井が「好きだ」と言った。
恋人になってから、初めての告白だった。










END

2008.8.31

あとがき


かなり間が空いてしまいましたが、これにて「天然の恋」は終了です。
だらだらとした連載にお付き合いくださって、ありがとうございました!
できるだけ「天然」っぽい感じで最後まで書きたかったのですが、
長々と書いてみたらいつもとあまり変わらないことに
なってしまった気がします(^^;
でも、書きたかったところは書けた気がするので、個人的には満足です!

最後まで恥ずかしい展開ですみませんでした。
もう、私の書くものは、恥ずかしくない時がない!
デフォルトで恥ずかしい!
恥ずかしさ、標準装備!
皆様にもご了承のうえでご覧になって頂ければありがたく、
そんな話をあとがきでされても困ると思いますが、
よろしくお願いいたします(他力本願)



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